こんにゃくダイエットの限界が

見えてきた。

そろそろこんにゃくを見るのもいやになってきそう(笑)

 

それにしても気持ちの晴れない日々が続く。

日本の低劣なウヨ状況もだが、

地面に叩きつけられたような気持ちにさせられたのがパレスチナでのイスラエル軍によるデモ隊への実弾発砲事件。

14日と15日のデモだけでも61人が殺されたらしい。

 

いったい、丸腰のデモ隊に、れっきとした国家の軍隊が実弾を発砲して射殺するということなど、あっていいものだろうか?

 

もうひとつショックだったのは、ドローンによる群集への毒ガス(催涙ガス)カートリッジの投下。

いまは催涙ガスだが(それでも子どもが死亡したらしい)、致死性のガスだったらどうなる?

 

まさに、国家が丸腰の市民、民衆を攻撃している姿そのものではないか?

ふと、改憲後の将来の日本の姿をも垣間見る気がしたものだ。

ターゲットは市民、一般民衆。

このようなドローンを日本はイスラエルと共同開発しているらしい。

 

この一連のニュースで唯一の救いはイスラエルの市民がイスラエル軍によるパレスチナ人デモ隊への発砲に対して、道路を封鎖して抗議した、ということだろう。

99%に属する世界の市民、人民は団結して、人民に対する「支配者」の横暴に抗議しなくてはいけない。

 

あと、もはや「武器」「殺戮兵器」では人民は支配者層に対して対抗することはできないのだから、投石や火炎瓶など、原始的な手段での抵抗はやめ、非暴力の抗議活動に徹するべきだろう。

中途半端な暴力的抵抗は「支配者」側の思うツボだ。彼らに弾圧の口実を与えるだけだ。

 

暴力による抵抗はまた、非力な仲間、味方をも危険にさらす。

仲間を死なせたり傷つけさせたりしてはてはダメなのだ。仲間を不利な状況に追い込まないようにしなければならない。

「暴虐者」に抵抗するのは、あくまで自分と仲間、自分と同じ側に立つ人民の生命と生活を守るため。

味方の生命や生活を壊して平気なものは抗議運動をする資格がない、とわたしは思う。

 

暴力よりも知恵と団結で「暴虐支配者」と戦おう。

 

それにしても不可解なのはアメリカとイスラエルの行動。

なぜパレスチナ人に対して、そこまで強硬な姿勢をとることができるのか?

 

「宗教」の影響をいう人が多い。

アメリカのイスラエルへの肩入れはアメリカで大きな勢力を持つキリスト教原理主義の影響だとか、イスラエルシオニズムだとか。

とくに、危険といわれているのはアメリカだけで8千万人以上いるといわれるキリスト教原理主義者で、彼らは、聖書に書かれていることは一言一句正しいと主張しているらしい。

 

わたしは、福音書使徒行伝などを一言一句正しいと考えているくらいなら、それほど問題ではないと思うのだが、彼らがとくに重視しているのは「ヨハネの黙示録」だという。

 

以前、この日記でもこのことに触れて、「ヨハネの黙示録」の記述を一言一句正しいなどと考えるのは信じられない、というようなことを書いたが、このヨハネの黙示録に関しては、昨年、非常に詳しい訳と注釈書が日本で出た。

 

それは田川健三氏の「新約聖書 訳と註」8巻中の第7巻「ヨハネの黙示録」。

田川氏はこの「新約聖書 訳と註」で昨年の毎日出版文化賞を受けている。

 

きょうはじめて、この本(7巻)を手にとって一部(「解説と後書き859P~874P)」と「137P~139P(黙示録註2章27 鉄の杖でもって)を読んだが、

これだけで、これまでわたしがヨハネの黙示録について抱いていたイメージ、考えが破壊されてしまった。

わたしはヨハネの黙示録についてはそれなりに厳しい見かたをしているつもりだったが、まだまだ「とんでもない甘ちゃん」だったようだ。

 

この部分(著者自身が、「まず読むように」指示している)だけでも、日本人は読んで知っておくべきではないだろうか?(世界の人にも読んでもらいたいが、受け入れられるか???)

 

なにより、まず、著者はこの「ヨハネの黙示録」が「二人の書き手」によるものであるとする。(これは著者=田川氏の新学説だということだが・・)

 

そしてこの二人を「原著者」と「編集者S」とし、こう述べる

→『~ この二人は、月とすっぽんほどにも似ていない。まったく正反対の方向を向いているだけでなく、立っている水準も巨大な落差があるし、著作の目的、主題、質も全然異なるし、人間の品性も雲泥の差があるし、そして特に、ギリシャ語の語学がケタ違いに異なる。

~(中略)~ この人(編集者S)、後述のように極端に幼稚でサディスティックな人であるから、わかりやすいようにこう呼ぶことにする』

この「編集者S」が問題だ、と著者は言うのだ。

(本文ではこの「原著者」の書いた部分と「編集者S」の挿入部分を厳しく分けている。「分量にしてほぼ半々」)

 

昨年出たばかりの本なので、引用はなるべく避ける。

874ページもある分厚い本で、とっつきにくいが、平易にわかりやすく書いてくれているので、興味のある人は是非読もう(わたしも頑張って読むぞ(笑))

 

それでもこういったところ(文章)は多くの人に読んでもらいたいのであえてここで書き出させてもらっておこう

 

→『~ 後世のキリスト教は、終末信仰とともに編集者Sのもう一つの特色、彼の唯一の主眼点を、そのまま無批判に継承してしまったのである。

「異邦人」は全員神によって徹底的に殺しつくされる、というおぞましい信仰を。信仰というよりも、おぞましい他者排除のゆがんだ意識を。』

『~ アメリカの政治権力が(その支持者の重要な部分はキリスト教ファンダメンタリスト原理主義者)であることをお忘れなく)アラブ人、イスラム教徒といえば、いくら弾圧し、殺しまくってもかまわない、と思っている姿勢 ~』

『昨年度のアメリカ映画のアカデミー賞で「多言語映画」部門の賞を受けたイランのアスガル・ファルハディ監督が、合衆国大統領トランプの政策のゆえに授賞式の出席を断った文章の中の一句が一気に世界を駆けめぐった(~英文省略~)

 

「世界を「我々」と「我々の敵」という二つのカテゴリーに分類することは、恐れ(疑心暗鬼)を生み出す。それは、侵略と戦争のうさんくさい正当化をもたらすのである」

 

残念ながら、この言葉は人類の歴史に常にあてはまり続けてきた。

そして人類の歴史の中にそういう風潮をふくらませた大きな責任者の一人が黙示録の編集者Sだったのだ。

これほど絶望的に知性が欠如し、ただただ低劣、くだらないとしか言いようのない文章が人類の歴史の中でこれほどの影響力を持ったことに、何ともやりきれない思いばかりがふくらんでくる』

 

・・・なるほど、これだけでも「黙示録」と「原理主義」の底知れない恐ろしさは伝わってくる。

・・・宗教の恐ろしさというか、

ただ、わたしは、いま世界で起こっていること(危機)は、宗教だけではなく資本主義(支配)の問題でもあると思っているのだが、この本はその点にも留意している様子なので期待したい。

 

それにしても、最大の疑問点・・・

「なぜ、「ヨハネの黙示録」が新約聖書に入ってしまったのか?」

解答はあるだろうか?

 

・・・眠れないなあ(笑)

 

 

5月14日の夕食。

しらたきをお湯で温めて、ワンパック100円のミックスサラダと一緒に皿に盛り、その上に熱いレトルトカレー(ナスとトマトのカレー98kcal)。水は東京ウォーター(水道水)。

 

ということで、ダイエット継続中なんだけど、ぜんぜん痩せない(笑)

こんにゃくダイエットは楽なぶん、効果も薄いのかも?

でも継続。気長にいこう。

 

注目していた新潟県の小1女児殺害事件で容疑者が逮捕された。

意外なことに、遺体が遺棄された場所(線路!)のすぐ近くに家族と一緒に住んでいた青年。ちょっと信じられない。

近所の評判も悪くないという。

ただ、逮捕前に掲示板で彼が犯人であることを匂わせる書き込みがいくつかあったようだ。

こんな重大な犯罪で証拠も無いのにそんな書き込みができるというのも不思議だが・・・。

 

もし彼が真犯人なら、悪魔が乗り移ったとしか思えないような悪逆非道な行為。

連行される際も、顔を隠さず、わずかに笑みを含んでいるかとさえ思えるような落ち着いた表情だった。

ふつう、こういう表情ができるのは無実で逮捕されたとき(誤認逮捕を証明できる自信がある)だと思うのだが、逮捕早々、死体遺棄と殺害?を「ほのめかして」いるという。

(まさに悪魔の微笑?)

 

この容疑者が他の女児?に対する行為(いまのところ内容は不明)で送検されている、ということがフジテレビで報道されてから、ネットの掲示板などは「(彼には)前科がある」とはやし立てている。

 

しかし、「送検」されているだけでは「前科もち」ではない。

「送検」というのは警察にひっかかった(逮捕とか)人の「取調べ」を検察に移し、検察が起訴するか不起訴にするかを判断する、という段階なのだ。

検察が起訴し、裁判所で有罪が確定して、「前科持ち」となる。

まだ、「有罪」か「無罪」か決まってはいないのだ。

(ただし、検察によって起訴されれば、99%以上の確率で有罪となるのがこの国の裁判事情)

 

あと、「自供」したかのようにテレビで報道されているが、その「自供」の内容も不明。

逮捕されてすぐの段階では弁護士さんもついてなく、まったくの警察ペースなので、そのあたりのマスコミ報道も慎重にしてほしいものだ。

 

よしんば彼が真犯人であっても、それくらいの配慮は警察とマスコミにお願いしたい。

まさに、いまこの国で暮らすわれわれ国民の人権の問題なのだから。

 

それにしても、信じられないようなおかしな事件ばかりが起きる世の中。

あちこちに悪魔が潜んでいるような・・・

 

こういう時代、悪魔の誘惑から逃れるにも、断食、(きっちりした)ダイエットは有効だ(笑)

要は「欲望」「衝動」に負けないこと!\(^-^)/

 

さて、眠る前に聖書でも読むかな。

コヘレトの言葉(伝道の書。コヘレトは個人名というより伝道者を意味する言葉だとのこと)

 

~ また、わたしは天の下で行われるもろもろの虐(しいた)げを見た。

虐げられる者の目には涙。

しかし、誰も彼らを慰めない。

虐げるものの手には権力。 虐げられる者には救いがない。

そこで、わたしは生きているものよりも死んだものをうらやましく思った。

しかし、生きているものよりも死んだものよりも幸福なのは

まだ生まれず、天が下で行われる悪を見ないものである。 ~

 

学校出たての駆け出しサラリーマンの頃、よく読んだなー、「伝道の書」。

あの頃、心の中は真っ暗。絶望感と空しさに責めさいなまれる日々だった。

よく精神が持ったもんだ(まだしぶとく生きている(笑))

 

ま、誰もが耐えて生きている、と。

わたしも若い頃ほどは悩まなくなったなあ。

 

おやすみなさい。

 

 

炭水化物とサプリメント(ビタミン&ミネラル)

と水だけでも太る太る。

とくに食パンとサプリメントの組み合わせがやばい。

 

ということで、“限界”がきた(カラダが重い”)のでダイエット開始。

これまでたびたびやってきた「断食」はリバウンドを喰らう可能性が高く、精神的にもキツイので、今回はこんにゃくダイエット。

これなら、ダイエット時の悩みのひとつである「便通」も問題がないだろう。

 

①炭水化物は極力減らす ②甘いもの、スナック菓子や油で揚げた天ぷら、コロッケなどは完全にやめる ③おやつは「おしゃぶり昆布」と「茎わかめ(酢漬け)」だけ ③主食はコンニャク ④清涼飲料水は絶対に飲まない。飲み物は水とお茶(ウーロン茶)だけ、と

 

当分はこれで行ってみよう(^-^)

 

youtubeでこのあいだの憲法集会の画像を見ていたら、集会の画像が終わると、ネトウヨ系の改憲画像につなぐという操作が行われている。

姑息(こそく)というかなんというか、これも、「市民」つぶしの一環なのだろう。裏を返せば、安倍ネトウヨ&マスコミウヨ(読売系など)政権がいかに「市民」の草の根護憲運動を嫌がっているかがわかる。

(それにしても、安倍首相周辺、人間性に問題のある人が多すぎるんじゃないだろうか?)

 

市民は(NHKなどの)マスコミやネトウヨ・ネトサポを使った、そんな姑息で汚い行為は気にせず(そういった加害行為からの防衛措置は必要だが)、じっくりと、非暴力の護憲運動を深化、拡大していくだけだ。

その点、みなさん、しっかりしているから、安心している。

 

このあいだから、対・「優生思想」ということで、この日記に残存コピーの転写を行っているが、書店、古書店や図書館で「優生思想」関係の書籍も捜している。

 

その中で、どうしてももう一度読みたい本があって、いくつかの図書館で捜してみたのだが、どうしても見つけられずにいるものがあった。

昨日も某中央図書館に行って捜そうと思ったのだが、時間の都合で行けず、あきらめて、近くの小規模の図書館で新聞に目を通していた。

 

その図書館でも以前捜したのだが、検索機でも見つけられなかったため、ないものと決めつけていたのだが、閉館まぎわに自然科学のコーナーをぼんやりと見ていると、軽く指をかけていた棚の本がふと気になった。

 

取り出してみると、かすかに見覚えがある。

開くと、まさにその捜していた本だった。

 

これまで見つからなかったのは当然で、題名がわたしの記憶とは全然違っていた。

わたしは「トンデモ科学~」で捜していたのだが、ほんとうの題名は「[図説]偽科学・珍学説読本」だった。

(前回は読み飛ばしただけだったからなァ)

それにしても、人間の記憶力は頼りにならないというか・・・(わたしの記憶力がヒドすぎるというか・・・)

 

ともあれ、「再会」v(^-^)v。

“求めよさらば与えられん”ということは確かにあるのです。

 

この本=『[図説]偽科学・珍学説読本 When the Earth Was Flat(All the Bits of Scince We Got Wrong)』グレイム・ドナルド 著 花田知恵 訳 原書房

はとても面白い本で、通俗的な体裁ながら、みごとに「似非科学」の数々をぶった切っている。

タニタしながら読めて、しかもトテモ役に立つ、という貴重な本。

 

「優生思想」関係は第7章の「メンデルからメンゲレへ」だが、第1章の「頭の凸凹でわかるあなたの性格」もかなり「優生思想」と関連性の深い内容になっている。

 

→『アメリカ人作家でユーモアのわかるマーク。トゥエイン※は、

わざと労働者風の身なりにして、診断を申し込んだ。

ロレンゾ(骨相学者)はトウェインの頭蓋骨を触ってそこに著しい凹みがあると告げ、

これはユーモアのセンスが完全に欠落していることを示していると言った。

また、ロレンゾの専門的見識によれば、

この人物は創造性のかけらもないので、

事務のような地味な仕事が向いているということだった。

トウェインはぼそぼそと礼を言って金を払い、帰っていった』

(※マーク・トウェイン = アメリカの作家・小説家。「トム・ソーヤーの冒険、「王子と乞食」など作品多数)

 

これは偽科学「骨相学」について書かれたものだが、これも、偽科学が差別を生み出した例として紹介されている。

笑えないのは、この骨相学もまた優生学同様、「大量虐殺」に結びついていること。

(※骨相学は優生思想から派生したものとも考えられる)

 

50万人から100万人のツチ族フツ族の穏健派が、フツ族の過激派によって殺害された1994年のルワンダ大虐殺は今でも生々しい記憶となっているが、

この虐殺を生み出した「差別」の産みの親が「骨相学」だった。

 

→『(20世紀前半)~ ルワンダでベルギー植民地局がボウツ※の器具を使って人種の優劣を見極めようとしていたとき、そこには人種差別的な意図が入り込んでいた。

当局は通信販売で取り寄せた測径器でいくつかの頭をはさんでみただけで、ツチ族フツ族より優れた人種であると断定し、両者をそれに即して処遇し、何から何まで一方をもう一方より優遇した。そしてその結果 ~ 』

(※ポール・ボウツ = 1900-1990  ベルギーの著名な聖職者・骨相学者)

 

・・・いやはや、偽科学による「差別」というのはほんとうに恐ろしい。わたしみたいに放っておくとスグに太る体質の人間なんかも・・・

むー。。(×-×)

.太っている人って現代社会で差別されてない?・・・いろいろ

 

日本て「差別の殿堂」みたいなところもあるからねえ。(これから適時指摘していきたい)

 

しかし、この本がまた読めるのは嬉しいなあ。神さまは誰に対しても平等なのだ(と信じたい)。わたしみたいな不信心者にも。

また長くなってしまった。コピーメモは次回。

 

眠るために、聖書をぱらり。

コヘレトの言葉

「食事をするのは笑うため。

酒は人生を楽しむため。」

・・・わたしは酒があまり飲めない。いまは食事も楽しめない(笑えない)

トホホ      

 

「コヘレトの言葉」はわたしの学生時代の聖書では「伝道の書」となっていたなァ。

「伝道の書」と「ヨブ記」はわたしの「青春」の書でもある・・・

 

ともあれ眠ろう。

おやすみなさい

 

 

 

 

 

 

 

ところで、5月3日のあのカップルさん

幸せになってくれよなあ。

 

と切実に思う。

いまのニッポン、男も女もほんとうにタイヘンだから。

 

ところで、5.3憲法集会には親子連れの人も多かった。

f:id:hibi333zakkan:20180507223221j:plainこちらは女の子ふたりを連れて参加していたお父さん。あまりにかわいかったのか、老夫婦がカメラを向けています。(わたしも後ろから(笑))

f:id:hibi333zakkan:20180507223429j:plain風が強い日だったので、この子は飛ばされた風船を追いかけてまわしていました。これは風船をつかまえて戻ったところ。

でも、お父さんの表情はずっと厳しいままだったな。

 

こういう光景を見ると、わたしらの年代では?加藤登紀子さんの歌った「赤い風船」を思い出してしまう。

子ども(歌では“ぼうや”)が風船をおいかけて道路に飛び出し、車にはねられて死んでしまう、という悲しい歌。

いま、ユーチューブで見ると、コメントに「こんな悲しいだけの歌を唄ってどんな意味があるんだ?」などとあって、なかなか理解されないものになっているよう。

まあ、車がぼんぼん人をはねていた(信じられない)時代を今の若者が理解するのは難しいかもしれないな。

 

でもいまでも交通事故は怖い。最近は子どもの犠牲も目立つ。お嬢ちゃん(女の子)も道路に飛び出したりしちゃだめだよ!

 

と、集会に来ていた人たちの幸運・幸福を祈りつつ、コピーの残りを写しきってしまおう。

 

→「ダーウィンはさらに「増加抑止」の例を数多くあげている。

さまざまな敵によって若木が破壊されるとか、鳥の巣におよぼされる天候の影響( ~ )などである。

もっとも、こうした抑止に直結する原因がはっきりしない場合が多いことも力説している。

 

ダーウィニストの立場から見てこの考えの鍵となるのは、これは自然が盲目的に作用している例だという点である。

動物や植物の個体群は個体数過剰によって引き起こされる状況に対して何もできない、とダーウィンは言っている。

「人工的に食物を増やすこともできなければ、婚姻による意図的な抑制がはたらくこともない」。

生存に充分適応していないものの死は避けられない結果なのである。

 

今日、大英自然史博物館はダーウィニズムに関する展示の中で、この事柄をおもなよりどころとしている。

最初のほうに並ぶ展示物として、なみ外れた過剰繁殖を意味するウサギの例が取り上げられている。

ウサギにとって食べる草や穴を掘る土地が必要で、しかも天敵から身を守らねばならないとなれば、可能な生息空間はかぎられるため、ウサギの個体数は抑制される。

同様のことが他の動物や植物についても言えるという。

 

この概念にはたしかに自明の理が含まれている。

問題なのは、ダーウィニストの信じる偉大な原則が含まれているかどうかである。

現在では、田舎ではなく町中に住むものが増えたキツネの例を考えてほしい。(※英国での例)

このように住む場所が変わった裏には、エサにひかれる本能がはたらいていることは明らかだ。

だが、いつでも変えられたであろうに、以前はナワバリを変えるという能力を発揮しようとはしなかった。

動物はどこに住むかという点に関してある程度の選択権をもっており、すみかを変えることができるということであろう。

 

動物と人間の人口を比べるのはむつかしい。

人間の行動は理性的な選択の影響を受けるからだ。

しかし、西欧における人間の家族の平均的な人数はこの100年間に大きく減少し、その原因が過剰な子供をやみくもに刈りとるマルサスの大鎌ではなく、選択の余地のあるものだということは注目に値する。

 

思うに、マルサス人口論を書いたころに見られた現象は、人口が致命的な限度に達することによって引き起こされたものではなく、もっと他の原因によるものだったのではないか。

人口が急増するということは家族の平均人数が増えるということだ。

いっぽうで、当然のことながら親の数は変わらないのだから、多くの子どもたちが食料や親の世話や注意を求めることになり、親の負担が急速に増す。

その結果、親の負担の少ない小家族に比べて大家族では幼児死亡率が高くなる。

 

総人口ではなく、親の養育力に対する家族の人数が問題なのである。

マルサスの時代(※18世紀)は大家族が多く、幼児死亡率がきわめて高かった。

今日の西欧で人口が減っている(しかも幼児死亡率は低い)のは、マルサスの説く大鎌がふるわれた結果ではなく、親たちが小家族を選んだからである。

(※18世紀には日本でも(耕作地が決められている)農家などで「間引き」=赤ちゃん殺しが行われていた。現状は欧米並みか?ただ、間引き=胎児殺し=経済的中絶は継続中)

キツネが町に住むことを選んだのと同じだ。

 

多くの生物が過酷な環境や捕食者、ときには同じ種内の捕食者によって命を奪われる危険にさらされているのは事実である。

だが、このような対立も、選ばれた少数の繁栄を助長するような競争になるとはかぎらない。

大多数の肉食動物は自らしとめた獲物を食べるのではなく死肉を食べる腐食動物だ。

ライオンやサメのように狩猟者として知られる動物でさえ、自ら倒した獲物ではなく、他のライオンやサメが倒した獲物にありつくことが多い(人類についても同じことがいえる)。

したがって、「生き残る者」は必ずしも、もっとも優秀な狩猟者とはかぎらず、優秀な狩猟者としての形質を備えているとはかぎらない。そのような形質が備わっていなければ、繁殖によってその形質が保存されることもない。」

 

※ここで、「弱肉強食」イデオロギー刷り込みメディア=NHKについて一言。

長年にわたり、ダーウィニズム、ネオダーウィニズムの「伝道者」として、国民に弱肉強食イデオロギーを植え付けてきた国策マインドコントロール放送局のNHKだが、

 

最近の傾向としてあからさまというか、何度も繰り返して国民に見せ付けているイシューがある。

それは、小魚(多くはイワシ(鰯類))の巨大な大群がイルカなどの大型の捕食者によって襲われ、あえなく「全滅」するというもの。

 

これは、NHKの性質から考えると、すぐにわかる(笑)メッセージで、

「おまえたち民衆(=小魚(サカナ篇に弱と書くイワシ=鰯)がいくら大勢で団結してもイルカなどに象徴される(エリートの)支配層にかかれば、イチコロだぞ。だから、「団結」などという無駄なことはやめろ」

ということ。

 

このかん、ずっと国会前などでの市民行動をNHKが完全無視、あるいは悪意・妨害ともとれる映像を流したりしているのも、「それ」。

5月3日の東京における6万人集会で、6万人を完全無視した行為(映像は来賓の政治家のみ)、

全国250ヶ所における憲法を守ろうとする民衆の結集も無視。

それに対して支配者(=安倍政権)とつながる日本会議改憲集会(数百人)は後ろからいかにも人数が多く見せた映像を安倍首相の改憲メッセージとともに丁寧に流す。

 

NHK(=日本の支配層)の日本国民に対する考え方がよくわかる。

日本国民=(餌にすぎない)鰯(イワシ

(99%の日本国民はNHKが市民(とりわけ庶民)の敵であるということ(前提)、をしっかりと認識しておかなければいけないだろう)

 

・・・、と、また書ききれなかった!

またしても続く・・・(笑)

 

 

 

昨日、5月5日は近所の銭湯に行ってきた。

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こどもの日の菖蒲湯と冬至のゆず湯は外せない。わたしのささやかな年中行事(^-^)

白髪のおじいちゃんが小学生くらいの孫?を三人連れて入浴に来ていたのがほほえましかったな。(うるさかったけど(笑)、でも菖蒲湯の主役は彼ら)

しかし、都内の銭湯は減るいっぽう。こういったニッポン庶民の古き良き風習もやがてなくなっていくのかな?と思うと少し寂しい気持ちにもなる。

 

5月3日の憲法集会はブログにも書いたとおり、やや遅い時間に行ったので、いい場所がとれずに会場の周りををうろうろ。画像も「周辺部」のものばかりになってしまって、もうひとつ「全体像」が把握できなかったのだが、4日の東京新聞1面に上空から写した写真が掲載されていた。

f:id:hibi333zakkan:20180506225822j:plainなるほど、前方からではステージが遠かったわけだ。「憲法の精神、広げよう」という言葉がいいなあ。ここらへんはさすが東京新聞。ちなみにわたしがいたのは、ステージの裏なのでこの写真には写っていない(笑)

 

この日は全国250カ所で憲法集会が行われていた。

どの集会も盛況で、関西でも、大阪約2万人、神戸約1万人の結集があり、京都でも会場にに入りきれないほどの人出だったとのこと。

いよいよ関西デモクラシーも復活か?

 

5月3日のデモでわたしの前を歩いていたカップル。

f:id:hibi333zakkan:20180506230327j:plainう、うらやましい・・・

f:id:hibi333zakkan:20180506230424j:plain熱いって・・・! \(×。×)

でも、こういうデモっていいなあ。

かつては、わたしにもそんな時代が・・・・  なかったなァ(笑)

 

わたしらの青春時代のデモってのは、・・・

いや、ここで書くのはよそう。

ただデモが終わったとき、緊張感のあとの脱力感と疲労でフラフラになりながらも、ともに闘った仲間がみんなスゴイ美男美女に見えて世界が変わったようだった。翌日には元に戻っていたけど(笑)

 

今日5月6日は良い天気に誘われて近くの公園に

f:id:hibi333zakkan:20180506230118j:plain青葉の季節。

頭の中はからっぽ。心地よくのんびりしていたら、  ナントわたしの目の前で

f:id:hibi333zakkan:20180506230038j:plainハトが熱い?キッス!

こら!(思わず、わたしの指の一部が写りこんでしまったではないか!)なんでみんなわたしの目の前で!・・・(まあ、ハトのキッスは人間のそれとは意味が違うだろうけど(と思いたい)

 

それにしても、憲法記念日、こどもの日、いい季節だ。

 

しかし、(弱者抹殺から始めているような)日本政府(安倍政権)と国際情勢はわたしたちの心から不安の黒雲を去らせない。

融和に向かっているように見える朝鮮半島情勢も油断できない。

軍産複合体」や改憲をもくろむ安倍自民党政権の「都合」から考えると、アメリカと北朝鮮の「会談」に落とし穴が仕掛けられている可能性を否定できないからだ。

(東京朝鮮高校の女生徒の合唱が涙を誘ったのも、(歌の上手さもさることながら)彼女たちの心の内側からにじみ出る悲愴感だったのかもしれない)

 

もし「悪い方向」に進めば、ハトよりも人間のカップルのほうに悪影響が及ぶだろう。

「市民」はまだまだ頑張らなくてはならないのだ。

市民・国民を無視する政府(安倍政権)、大メディア(一部の「本来の機能を果たそうとしている」メディア以外の)を乗り越えて、市民・国民の声をさらに大きくして行かなくてはならない。

 

わたしも、できる範囲でがんばっていこう\(^-^)/

 

ということで、またスペースが少なくなってしまったけど、前からのコピーメモの続き

→「属性や行動が攻撃的なもののように見えて、詳しく観察するとまったくそうではないとわかるような、同様の例はたくさんある。

「優位」をかけたオス同士の戦いは、がいして「勝者」にとくに有利な結果をもたらしはしない。相手はただ別の場所へ行って交尾するだけのことである。

また、メスは敗者とも喜んで交尾する場合が多い。

戦いはむしろ儀式的なもので、致命傷をうけることはあまりない(どちらかというと少年同士のけんかに似ている)。

種内の戦いで致命傷を受けるのは、(鹿のばあい)オス鹿の枝角がからみあってはずれなくなるといったような事故が原因で、その場合には当事者の双方の命にかかわる。

 

適応度の低いものが間引かれるという生存競争の概念が最初に示されたのは、1787年に発行されたトマス・マルサス人口論である。

食料供給量を通じて自動的に人口が調節されるとするマルサスの理論に、ダーウィンは深い感銘を受けた。

そして、このマルサスのメカニズムを原点として進化論を築いたのである。

 

→<生物の数が急速に増える傾向が現れると、それに続いて、どうしても生存競争が生じる。

・・・したがって、生存可能な個体数より多くの個体が生まれた場合、同じ種の個体同士、あるいは生活環境にたいしてというように、あらゆる状況で生存競争が起こる。

これはマルサスの原理が普遍的に動植物界全体に適用されるものである。

この場合には人工的に食物を増やすこともできなければ、婚姻による意図的な抑制がはたらくこともないからだ> (=ダーウィンの著書からの引用)」

 

・・・コピー用紙4枚分なんだけど、こうして書いているとけっこう長いなあ・・・、

以下、次回以降に。

 

長々と書いていたら日付が変わってしまった(^。^;)いま5月7日(月)の午前1時08分。もう寝よう。

 

おやすみなさい

 

 

 

 

昨日の日記で優生思想に関しては

「右」も「左」もない、というようなことを書いたが、日本においては(あるいは世界でも今は)まったくそうはなっていない。

 

日本で、優生思想・優生政策を推し進める右翼あるいはコンサバティブ(自民党とその亜流の右派政党) と官僚から庶民・弱者を守っている、あるいはその政府をけん制しているのは革新と左翼の政党なのだ。

 

共産党が地道な活動で権力から見放された庶民、弱者、日の当たらない無数の人々に手を差し伸べてきたのはよく知られている。

 

また、かつては路線の違いから共産党と対立していた「新左翼系」などの組織に属していた人たちの多くも、市民活動家として、また社会のさまざまな局面で庶民や弱者を助ける行動に参加し、人権と平和のために闘っている。

 

日本におけるこの「右(=1%のため)」と「左(=99%のため)」の違いははっきりと峻別しておかなくてはならないだろう。

 

 

昔は自民党のなかにも、庶民や弱者をしっかりと見つめていた人もいたのだが、いまや、自公政権はまさにネオ・ナチ=ファシストの集団(1%のための抑圧組織)。市民、庶民の居場所はどんどん狭められているのだ。

 

英国の優生思想ということでは、国や支配層がその思想一辺倒になっているわけではなく、民主主義が機能している国(英国)とそうでない国(日本)の違いも知っておかなければならないだろう。日本の支配層は英国の思想制度を自分たちに都合よく選んで輸入しているだけなのだ。

 

ところで、最近は「日英同盟」の復活、ということが言われていて、実際、軍事面での協力も進んでいるようで、「世界は第一次大戦前の時代に似てきた」などともいわれている。

 

日本もその気になっているようだが、はたして明治時代のように(それなりに)「うまく」いくのかどうか?

 

たしかに、西(英国)と東(日本)の二大海洋国家が大陸の二大強国=中国とロシア、を挟んでその膨張???をけん制するという図式は地政学的には合理的なのかもしれない。

しかし、英国をバックにした日本が中国(清)とロシアに戦争で(かろうじて)勝てたのは、中国もロシアも当時の体制が末期的な状態にあったからで、現在の中国、ロシアはまったくの別物だ。

(じっさい、その後のノモンハン事件では日本軍はソ連軍にボロクソにやられているし、対中戦争でも八路軍(共産軍)にはまったく歯がたたなかった)

 

おまけに、日本はいまなお国連の敵国条項国だ。

敵国条項をそのままにして改憲しようという愚か者のバカの低能の自己中ヘンタイ脳の売国の滅国奴たちなんてのがいるが・・・)

英国の力でこの敵国条項を外してくれるならともかく、そのままなら、これほどお粗末かつ不完全な「同盟国」はあるまい。

 

まあ、同盟国というより、(日本を)半植民地としていいなりに使う、ということなら、それなりの利用価値はあるかも。

 

それでも、最後には日本はナチスドイツの二の舞として滅んでしまうことになるでしょうがね。(安倍自公政権がやっているのはそういうこと)

 

まがりなりにも世界の金融を支配する大英帝国の「同盟国」であるならば、国連の「敵国条項」からは外してもらわなくちゃ・・・。

 

と、またとりとめもなく書いてしまって、スペースが少なくなってしまったけど、前回の日記の②として、「コピー」の主な内容の抜書き。(保存資料)

→ 「第11章?最適者生存」

「・・・ダーウィンが自然選択の概念を思いついたのは、人為選択の類推である。

自ら有能な育種家であったダーウィンは人為選択については詳しかった。

ダーウィンは、わずか数代のうちに動物の特徴をかなり変えられることを知っていた。乳牛や綿羊がその例である。人間がほんの数年のうちに選択によって動物の特徴を変えられるのだとしたら、自然が何百万年のうちに変えられないはずはなかろう、とダーウィンは考えた。

経験と判断によって好ましい形質を選んでいく育種家の手ではなく、自然そのものが、厳しい環境という現実を通じて、生き残りと繁殖に有利な形質を「最適者生存」を確実にしていく。

 

一見したところ、この非常に高尚な概念は単純きわまりないように思える。

じっくり検討してみると、暗黙の前提が複雑に凝縮されたものだということがわかり、そうした前提の中には自然界の観察結果と合致するものがほとんどない。

 

「生存」という言葉を使うと、きびしい環境におけるさまざまな生物間の競争というオソロシイ図が即座に想像される。

かぎられた食物や住む場所をめぐる競争。

19世紀の読者たちを魅了したテニソンの描写のように「怒れる自然」における生存競争。

 

実際には、そのような競争が自然界で見られるのは珍しい。

自然界には、およそ2万2千種におよぶ魚類、両生類、爬虫類、哺乳類、鳥類がいて、さらに約100万種の昆虫がいる。

その中には人間のように攻撃的になり、住む場所や食物をめぐって競争相手を殺すような種もある。

しかし、そうした競争を繰り広げる種はあくまでも少数派なのである。

大多数の種は戦わず、食物をめぐって殺しあうこともなく、住む場所をめぐって「敗者」が絶滅するほどの激しい競争をすることもない。

 

今世紀はじめごろ、この種の競争が生存にはっきりした影響をおよぼすと考えられていたのは、おもに証拠の解釈が誤っていたためである。

たとえば、シオマネキのオスの場合、片方のはさみは食べるために使うふつうの大きさのもので、もう片方のはさみは異常に大きい。

この異常に大きいはさみは、気にいったメスと交尾する権利やナワバリをめぐるオス同士の戦いに使われると考えられた。

ところが、オスのシオマネキを観察すると、実際には大きなはさみを戦いに使ってはいないことがわかる。

じつは食物の在所を仲間に知らせる合図を送っているらしい。

戦いのための武器どころか、あの恐ろしげなはさみは社会的協調のための道具なのである。

・・・(※ニッポンという国のNHKとかゆー国営放送などは、動物同士のそういう「強調的」「融和的」な解釈を否定し、もっぱら生存競争における戦い、というテーマを追いかけ、国民に「競争」「戦い」というイデオロギーを注入するプロパガンダに余念がないとか。  プロパガンダのための演出。・・・ウラで何をやっていることやら・・・)

 

(※)はわたしの書き込みです(笑)

 

う~ん。やっぱりここでも書ききれないなあ。。資料③として次の日記にまわそう・・・。

 

 

 

昨日5/1は某区の中央図書館へ。

閉館は20:00

18:00を過ぎて 行ったので、読みたい新聞や雑誌などを読んで、残った時間で今関心を持っているテーマ(あえてココには書かない)に関係していそうな本を「大急ぎで」さがして借りる。

 

が、帰ってサッと目を通すと、借りた3冊の本はすべて「ハズレ」。題名だけで読者を「釣る」ものだったり、ウヨ本だったり。

 

見れば、すべて「大手出版社」の本ばかり。

「しまった」もいいところ。

大手出版社と大新聞社の本にロクなものなし。やはり、「急(せ)いてはことをし損じる」。

一歩踏み込んだ、こちらが知りたいことが書かれているクオリティの高い本を出しているのは、いまのニッポンでは中小、零細の出版社だけ。

良書 = 中小・零細出版社    “売らんかな”の駄本 = 大手出版社

大新聞社の本は(隠れた?)統制、規制が強くて、靴の上から足を掻いているような感じのもの、と相場が決まっている。

「大」はどちらも「題」で読者を釣る(笑)

 

「優生思想」関係の本も探したのだが、これはそのテーマの本じたいが少ないのか、見つからなかった。

「検索機」で調べても、「優生思想」という言葉の入った本は出てこなかった。

かろうじて出てきたのはかつて「障害者への中絶」が行われていた国の「告発・反省」本だけ。これも数は少ない。

 

もしかしたら、この国では「優生思想」に関する本の出版が規制されているのではないか、という疑念がわく。

 

なんといっても、「優生思想」はこの国の体制=政府・支配層の根幹をなしている、といっていいくらいなので、この問題を掘り下げられるのは困るのだろう。(ダーウィン主義、ネオダーウィニズムなど)

 

「優生思想」といえばナチズムが思い浮かぶが、実はその本場は「英国」。

現代世界における三大「優生思想」国というのは「日本」「米国」「英国」なのだ。(えげつない順)

 

「優生思想」で注意しなければならないのは、「先進国」といわれている国ほどその傾向が強いこと、「右翼」も「保守」も「左翼」もこれに関しては区別がないこと。(「左翼(マルクス主義運動系)」に関しては旧ソ連がいい例だろう)

みずから「進歩派」と考えている人ほど「優生思想」には染まりやすいのだ。

 

たとえば「福祉」の問題にしても、それが「優生思想」からきているものが多い、というか、とくに日本の戦後の「福祉」はもろにこの「優生思想」からきている(英国優生思想)。

とくに、中曽根~小泉~安倍の自民党政権(官僚)は「露骨」といっていいほどにこの「優生思想」を(さらに悪質なものに変換しつつ)推進している。

このことは、またブログで触れる。

 

(最近、自民党幹部が、「日本は貧しい階級は子どもが持てないから、貧困の再生産はない=貧困層は滅びていく」と言ったり、「生活保護を受けている者の人権は制限される」といったり、安倍政権が生活保護母子加算や基本的給付を削減したり、老人を邪魔者扱いして追いつめているのも、すべてこの「優生思想」から来ている。

つまり、「社会の(彼らが考えている)進歩」に役立たないものは、(優生思想では)残滓(ざんし=残りかす)として、その代を限りとして(=あからさまには殺せないから)抹殺されることになる)

 

と書いても、これまで、「優生思想」に関心を持たなかった人にはちんぷんかんぷんかもしれない。

なにせ、これまでわれわれ日本人が(ゆるぎなき)「常識」と考えていたものを疑わなければならないのだから。

 

しかし、われわれ庶民・弱者(一般大衆)が生きていく上では、この「優生思想」との対決は不可欠なのだ。

 

日本では覆い隠されているが、外国ではかなり高いレベルでこの「優生思想」と闘っている人も多い。(重要な本も日本では翻訳されていない)

 

昨日帰って、昔とっておいたコピーから、それ関係のものを捜したが、ほとんどなくなっていた。

かろうじて、「最適者生存」という「章」をコピーしたものが見つかったが(これもほとんど欠落?)、「書名」はわからない。

これもなくなる可能性があるので、ここに一部、抜書きをして保存しておこう。

 

・・・うーん。字数が多くなるので、5月2日の日記②に引継ぎ・・・