冒頭、「このあいだ」としたのは、ちょっと表現としてオカシクて、「しばらく前」とすべきではないか?
という指摘を受けた。
なるほど、たしかに「このあいだ」といえば、数日からいいとこ2・3週間前のことを指すんだったっけ?
と「若い頃」を思い出して「訂正」(笑)
というのが、ある年齢以上になると、3ヶ月から、ひどい時には6ヶ月前くらいまでが、「このあいだ」になってしまう。
記憶が「べたーーー」と一様に?なってしまって、4・5日前の記憶も半年前の記憶も変わらなくなってくるのだ。
「そういや、あれは・・・そんなに前だったかな~・・・」
という感じ。
・・・ついでに、何か指摘されても、なかなか素直になれず、なんだかんだと言い訳を並べたりもする ヽ(^。^)
まだそんな年じゃないと思うんだけどなあ・・・(笑)
ところで前の日記で、国会前の集会でもらったパンフレットを載せたけど、チョッキのポケットの中から濡れて乾いたパンフレットが出てきたので、追加
こういうイベントには積極的に足を運びたい。3Sマインドコントロールテレビを見ていてもストレスが溜まる一方だものね。
何より、われわれ一般ピープルは本質的に「疎外」されているわけだから。
だから、「現実」にぶつかる、「現実」、「環境」に痛めつけられると、どうしてよいかわからなくなってしまい、自分を見失って、自殺したり、通り魔になっちゃったり、精神を病んだりする。
積極的に市民運動に参加することによって、そういった危機を回避することができる可能性は高まると思うんだ。
けっきょくは「コミュニケーション」の問題なんだよね。
ともに「困難」「障害」を乗り越える「運動」に参加することには、そういったメリットもあると思う。
・・・よく読ませていただいている「マスコミに載らない海外記事」というブログの6月11日の記事にこのような孫崎享さんのメルマガの文章が紹介されていた。
→『日本を覆う陰鬱な空気。
原発、被災地、憲法、そういう問題を飲み会等の集まりで話すことはタブーだ。
先ず会社員等組織で働く男性、大学生。
私は主婦等は発言で制裁を受けるわけでなく、話せるのではないだろうかと思ってきたが、話せば白い眼。
これも今や話せない』
うーん、耳をふさぎたくなるような(ある意味残酷な)お話しで、もとエリート外務官僚の孫崎さんでさえ絶望感に襲われるような状況みたいだけど、
ただ「一般社会」というものは昔からそうだったんじゃないだろうか?と生まれてから(おそらく)死ぬまで一般ピープルであるわたしは思う。
これ、全共闘運動、学生運動が完全に押さえ込まれて、「何もない」状態の学校でわたしがキャンパス生活を始めたころの状況に似ている。
まあ、右傾化は今ほどひどくなくて、いわゆる「しらけ」が行くところまで行き着いたといった感じの時代だったわけだけど。
それでも全共闘運動の「学費値上げ反対」闘争のおかげで、学費はまだ安く、奨学金は無利子。うちの両親も喜んでいた。わたしの生活もその分楽だった。
そこで、(学費値上げ反対運動をしてくれた)「先輩たちに感謝しなくては」ということで、学生自治会に参加。
学費値上げ反対闘争、を引き継ぐことにした。
最初は、全然、まったく。
われわれ「数人」のグループ以外はすべてノンポリに見えた。
ビラを配ってもほとんど受け取ってもらえない。
「まだそんなことやってんのかよ」
という「異物」を見るような目ばかり。
それでも、ぼちぼちやり続けたら、他の社会派サークルなどとの連携など、徐々に運動の輪が広がり始めた。
まあ、この話は始めると長くなるので、またの機会にブログで触れることにして、結果をいえば、わたしの在学中、2回学費値上げの動き(プレ発表)があり、2回ともそれを「撤回」させることに成功した。
一般学生も相当数が「学費値上げ反対」に動いた。
その「成功」原因を簡単にまとめると
① とにかく「やり続けた」こと。
ビラまき、集会の開催。講演会。そしてその中から新しいメンバーも加わっていった。
② 自治会を絶対に確保したこと(「選挙」対策w)
③ 仲間は絶対に守り(生活も含めて助け合い)、「敵」とみなした方々にはハードに対したこと(外部からは異様に見えたかもしれない(笑))
④ とにかく、ビラ、(学内)新聞などでの「情宣」は欠かさずやり続け、一般学生に情報を伝え続けたこと。
そして、なにより・・・
⑤ 自治会をしっかり確保することで、経済的に恵まれた状態であったこと(彼女ができて、自治会費を持ち逃げ、駆け落ちしたのもいたが・・・(笑()
⑥ 戦後のリベラル教授たちが作った「民主主義」そのものといった自治会規約が存在したこと(学校側と学生(自治会)の約束事でもあり、これはすごく有効に機能した。
この点、ほんとうに今の憲法は守るべき。少なくとも現・自公右翼政権中心の改憲は絶対NO!だろう)
とにかく思うのが、最初から一般学生ばかりを見てもダメだということ。彼らの「生活」に最初から割り込もうというのは無理がある。
まず、「特殊」だとか、「閉鎖的」だとか思われようが、目的を同じくするグループを充実させること。
そこから、「差別」「貧困」「社会保障」「ブラック企業」「性差別」「パワハラ」「非正規労働」「最低賃金」「年金」「医療」「教育」「基地」「原発」「住宅弱者」等々、「民主主義」と「人権」「平和」を必要とする「運動グループ」との連携をしっかりと構築していく、グループを育成していく(仲間内での争いは絶対タブー。・・・男女関係のもつれはあるかもだけど(笑))
そうやって運動を広げていくと、案外「一般大衆」だって「考えている」のだということもわかってくる。
最後に一部学内封鎖をやったのだけど、そういうことにはまったく関係がないようなクラスメートが、大きな椅子を運んできて、ドカッとバリケードの上に積んでくれたのは、驚いたし、うれしかったよ。
互いにニヤッと笑いあったりしてね。
それでも、わたしたちが卒業してから、すぐに学費の値上げが始まった。
たぶんそのころから(学生・学校の)ウヨ化も始まった?
市民(学生)の抵抗がなくなればどうなるか?
「見ての通り(今の「学費」「奨学金」ー「格差社会」)」だと思う。