夢の中にはずいぶんと荒唐無稽なものが

あるのだけれど、その中には「現実」なみ、あるいは「現実」以上にリアルに感じられるものがある。

 

昨日の明け方に見たのもそんな夢の一つだった。

 

分厚い雲でも垂れこめているのか、月も星も見えない暗い夜。

 

幅10メートルくらいの舗装された道路がまっすぐ、闇で閉ざされた向こうからこちらにずっと続いている。

道の両側には高さ30cmから50cmくらいの、石の生垣が続いていて、そこに多くの人たちが隙間ないくらい座っていた。

 

ぬめぬめと黒く濡れた道路が反射している弱い光で人々の顔や身体の輪郭はわかるのだが、表情は見えない。

 

何かが来るのか?

みんな何かを待っている様子だった。

 

しかし、何が来るのかわからない。

生垣に座って「待って」いる人たちは知っているのだろうが、すべての人が沈黙。話しかけることもできない。

 

音のない世界か?と思うほどの静寂に包まれている。

 

すると、突然、数人の男たちが缶(たぶん石油缶)と柄杓(ひしゃく)のようなものを持ってやってきて、道端に座っている人たちに液体(たぶん石油かガソリンのようなもの)をかけ始めた。

 

しかし、誰も抵抗する人はいない。

みんなおとなしく液体をばしゃばしゃとかけられている。

 

そのあたり一帯の人たちに液体をかけ終わると、

男たちは松明(たいまつ)のようなもので、わたしが向かっているほうの左側(わたしだけが生垣に座らず、道路の真ん中に立っていた)の人から順々に火をつけ始めたのだ。

 

火はあっという間に、その人たちを包み込んで燃え上がった。

 

座ったままの姿勢で上半身をくねらせ苦しんでいるような人がいれば、そのままの姿勢で炎に焼かれている人もいる。

立ち上がってノドをかきむしっている人や、ぴょんぴょん飛び跳ねるように見える人もいる。

 

しかし、誰一人として声を出す者はいない。

静寂、音のない世界は相変わらず続いている。

 

わたしは、立ち上がって何回か身をよじらせて倒れた背の高い男に近寄って、その顔を見た。

 

四十歳~五十歳くらいの頬のこけた男で、顔色は黒く、額や口の周りには深く刻まれた皺が何本かあった。

 

わたしが覗き込んだ、その表情は、激しい苦悶とも安らかな寝顔?ともとれる不思議なものだった。

 

これをどう考えたらいいのか?と男の顔を見つめているうち、

 

目が覚めた。

 

という夢だったのだが

 

目が覚めたとき肩口と右手の指がひどく冷えていてわたしは頭もとに置いていた電気ストーブをつけた。

 

悪夢とまでは言えないけど、後味の良い夢ではない。

 

これはべつに予知夢でもなんでもないとわかっているのだが、

 

<もの言わぬ日本人大衆が、わけのわからないまま何かを「待ち望んで」いるうちに、火をつけられ、そのほとんどが悶え苦しみながら死んで行く>

 

という、わたしの潜在意識に潜む不安に影響された夢、という「解釈」を「こじつけ」ることくらいはできそうだ。

 

 

真実や事実があたりまえのように隠蔽され捻じ曲げられるいまの日本社会。

 

カネや権力、力関係がすべてであるような体制下では、一つ間違えれば命の危機にも直面するだろう。

倫理、道理、人間性の失われた世界は恐ろしい。

 

と、ふとこのあいだあった、東洋大学の事例を思い出した。

 

まさにカネと権力、力が全てであるような新自由主義グローバリズムをこの国で強引に推し進めるヘッドクォーターの役割を果たしている超有名教授を批判した学生が、大学から「退学」の脅しを受けたという事件だ。

 

大学当局の対応も酷いものだったが、それ以上にわたしがショックだったのは、その学生を支える人がまったく学内にいなかったこと。

教職員にも、学生にも、彼に同調する人もいなければ、守ろうとする人もいなかったようなのだ!?

 

その学生さんは学内で孤立、学生たちの態度も冷たいものだった、という。

 

 

これは・・・

 

何といっていいのか、言葉がない。

 

わたしらの学生時代のことを引き合いに出すつもりはないが(・・・出しても無駄、空しいだけ、という気がする)

 

いまのこの国はそこまでになっているのか?

(コレハ ニンゲンセカイ ノ コトニ アラズ)

 

言うべきことは山ほどあるが、いまは不安と絶望感が先にたって、考えがまとまらない。

 

わたしの人間に対する信頼性と歴史認識もブレそうで、実にイヤな光景だ。

(ソウゾウリョク ヲ ウシナッタ ワカモノ バカリ ニ ナッタ ダイガク クニ)

これが日本的ナチズムと言われれば、なるほど、そうなのかもしれないが・・・

 

 

「ああ、ヘンな夢を見た」で終わってしまってしまえばいいのだが、これはもろ、「現実」だ。

 

たぶん、というより、間違いなく、これは東洋大学だけの問題ではない。

 

・・・

今日は↑まででこの日記は終わり、なのだが、どうも気分が悪い。

ということで、↓の部分を付け加える。

 

・・・

しかし、人間の歴史、世の中というものはそれでオシマイということはない。永遠不変のものなんて無い。

 

だから、案外、「こういうこと」が行きつくところまで行くと、「大変化」があって、日本でも有史以来初の「革命」が起きるかもしれない(笑)

 

その頃にはわたしやわたしの年代以上の人はみんな、雲の上(^^)や地の底(怖!)かもしれないけど、そこから地上を見て、

「へー、日本で革命が起こってらー」

と驚いているかもしれない。

 

かくして、日本および世界人類は新たな歴史を刻んで行く、と・・・\(^^)/

 

めでたしめでたし(笑)

 

 

え?自棄(ヤケ)で言ってるだろう、って?

 

うん。。

 

しかしわたしもトシを食ったなあ・・・

 

天気予報では明日は雪、ということで、「明日」の「俳句?」

 

降る雪や 「噂の眞相」も遠く なりにけり   (パクリ&字余り) 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『LITERA』さんからの「配信」で、

噂の真相」の編集長をしておられた岡留安則さんが1月31日に亡くなられていたことを知った。

 

岡留さんに直接お会いしたことは一度もないけれど、「噂の真相」はわたしがこのようなブログを書く「きっかけ」を与えてくれた雑誌だった。

 

正直、影響も受けている。

 

わたしが始めて「噂の真相」を手にとったのは、阪神大震災の前、1992年か1993年頃だったと思う。

 

そのころのわたしは、この国の政治や社会、文化には無関心というか、背を向けていて、アパートの裏庭に来るノラ猫の世話や近所のノラ猫たちとの「おつき合い」にもっぱら「楽しみ」を見出していた。

 

当時、そのあたり一帯をシメていたボス猫(赤トラの、顔もデカけりゃ表情もいかついオス猫)とは、いい友人、といった感じだった(笑)。

 

テレビも新聞も雑誌も一通りの世間的な「情報」を得るくらいの存在で、特別に興味を持つものはなかった。

まあ、「へ」のようなもので、

「いちおうニオイだけは嗅(か)いどかなくてはいかんかな」

という程度。

 

それが、はじめて書店で「噂の真相」を読んだとき、

「え?」

と思った。

 

「この内容、この面白さは?・・・

こんな雑誌があったんだ・・・」

 

ふざけた内容に見えながらも、読者の目線に立って「真実に迫る」「真実を伝えようとする」姿勢が伝わってきた。

他の大メディアのような、偽善、おためごかし、権力・権力者を背景にした上から目線、といったようなものが全くない。

 

これまで「閉ざされていた」社会の一角に小さな「窓」を見出したような気持ちだった。

 

以来、毎月欠かさず購入するようになった。

 

結果、(内心)完全に絶望して背を向けていた日本社会に再び目を向けるようになり、政治や文化に対する興味も戻ってきた。

 

購読しているうち、

「この雑誌なら、わたしの、この日本社会では相手にされないような、“異端”的な考え、意見、を理解してくれる人もいるかな?」

と思って、

読者の意見を載せる「読者の場」に投稿「してしまう」というようなことまでやった。

 

学校卒業以来、文章といえば「会社への報告書」や「お客さんへの説明書、案内書」くらいしか書いたことのないわたしが、社会人になってはじめて自分の意見を書いてみた。

 

「こんなの採用されるわけないよなあ」

と自分でも思っていた文章が、次の月の「読者の場」で、活字になって載っているのを見たときは、嬉しさよりも不思議な気がした。

 

おまけに「謝礼」として図書券までが送られてきた。

 

以降、ぽつぽつと3回くらい投稿したのだが、すべて採用してもらい、その都度、「図書券」が送られてきた。

 

いやあ・・・

「有難うございました」

その言葉しかない。

 

面白く読ませてもらって、わたしの「世間一般からズレた?」意見まで載せてもらって、そのうえ図書券までもらえるなんて・・・

 

ここでも、他の雑誌や新聞では考えられないことが「噂の真相」では(私的に)起こっていたわけです(笑)

他の媒体ではわたしの文章など、「ナニこれ?」でポイ、だったでしょう。(「噂の真相」以外にはどこにも投稿したことはないけれど、それは確実(笑))

 

噂の真相」はわたしにとって唯一無二の雑誌でした。

 

感謝の気持ちを込めて、「噂の真相」を「噂の真相」たらしめていた編集長・岡留安則さんのご冥福を祈ります。

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   ありがとうございました。今は安らかにお眠りください。

                               f:id:hibi333zakkan:20190202230158p:plain

                    

 

 

 

・・・・それにしても、まだまだ元気で活躍していただきたい人の訃報が続く。

1人去り、2人去り・・・

f:id:hibi333zakkan:20190123005213j:plain なぜ?  なぜなんですかー? と叫びたくなる。

 

「ご苦労さまでした」と感謝すると同時に、「残念」「惜しすぎる」という気持ちが・・・

 

肺がん、乳がん、心臓疾患・・・

 

                 なんだかなァ・・・

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

DHA&EPAの効果なのか?

 少し精神が元気になってきた。

 

まあ、周期的に襲ってくる「鬱」(うつ)が時間の経過で回復しただけのことだったかもしれないが、

それでも、DHA&EPAは魚をまったく食べることのできないわたしにとっては必要な栄養素だと思う。

 

1ヶ月約900円の出費だが、外食で「さんま定食」を食べても一食900円近くかかってしまう時代だから、まあ、どうってことはない。

それに、1ヶ月約900円というのはDHA&EPAサプリの値段としては安い。

これからも、薬局なのに“大人のおもちゃ”?(°0°)?がさりげなく置いてある、あの店で買い続けよう(笑)

 

それにしても、今回は森田童子さんの歌にずいぶん助けられた。

 

森田童子さんの歌を「自殺に導く歌だ」なんて書いている人がいるが、わたしはそれは正反対だと思う。

落ち込んだとき、その気持ちに寄り添ってくれる歌というのはむしろ救いなのだ。

 

なんといっても精神的に最も辛いのは誰も自分を理解してくれる人が周りにいないときなのだから。

 

どん底の気分のとき、その心を下から支えてくれるような優しさが森田童子さんの歌にはある。

 

いくらツライ状況でも生きてさえいれば、時の経過でいつかは問題が解決する。

環境的にも精神的にも。世の中は一瞬も止まることなく変化し続けているのだから。

それがこれまで生きてきてのわたしの結論。

 

むしろ、ツライ気分のときに、「明るい歌ですよー」「前向きで行きましょー」みたいな、利いた風な、作為的で世間におもねった歌を聞かされれば、衝動的に死にたくなってしまうかも知れないので、そちらのほうが“要注意”だ。

 

ほんとうの“涙”を流させてくれる「本物」の歌はありがたい。

 

ところで、元気になったので、森田童子さんのことを少し調べてみた。

 

素顔も本名も不明・・・約十年間の活動で60曲あまりの歌を残して、表舞台から去っていった、ということで、

素顔を写した写真も1枚もないのだという。

 

いまネットで森田童子さんの「素顔」(ではないか?)として載せられている画像もすべて本人ではないらしい。

 

面白いのは、森田童子さんの素顔で検索して、最も多く出てくるのが、山崎ハコさんの若い頃の写真だということ。

 

「これくらいはわたしでもわかるよなあ・・・」(笑)

 

山崎ハコさんはデビューが森田童子さんとほぼ同じ。

こちらはデビュー当時からメジャーだったので、わたしも1970年代の後半から知っていて、好きな歌手のひとりだった。

 

なるほど、(写真は別として)森田童子さんと山崎ハコさんがイメージとしてかぶる、というのは理解できるような気がする。

なんとなく顔のパーツが似ているし、「歌」も共通性があるように感じられる。

 

しかし、わたしらの世代が聞くと、森田童子さんと山崎ハコさんの世界は明らかに違う。

 

二人の年齢差は5歳?森田童子さんのほうがお姉さんだ。

 

この5歳差が結構大きい。

 

若者が社会に目を向け、異議を申し立てた全共闘運動の尻尾のところに森田童子さんはいて、その世界にそこはかとない理解を示しているのに対して、

山崎ハコさんは、その世代としては社会と「個」の軋轢(あつれき)を歌いながらも(初期)、「絶望」後の、社会とは切り離した自分の「内側」へと向かう傾向を示しているように思える。

 

歌も、森田童子さんがフォークソングに徹したのに対して、山崎ハコさんは演(怨)歌・ブルース系といったところか?

 

その山崎ハコさんも長く芸能事務所で寝泊りをするような生活を続け、芸能事務所が倒産したときにはホームレス同然の状態になったらしい。

有名人でさえ、不運によってあっという間に路上に放り出されるこの国の恐ろしさに、改めて○ン玉が縮む思いがする。

 

森田童子さんも相当苦労したことがうかがわれる。

普通の主婦をしていた、ということだったが、ご主人はご本人が亡くなる8年前の2010年に亡くなったらしい。

2010年に朝日新聞に載ったインタビュー記事では、「最も親しい人(ご主人)」を失い、しかも自分の健康状態も悪くて、手紙も書けないくらいに憔悴している、という「近況」が述べられている。

 

高校時代の3年間を結核で療養施設(サナトリウム?)で過ごさなければならなかった、ということだから、もともと丈夫な体質ではなかったのだろう。

苦労、悲しみの多い人生がしのばれる。

 

ネットでは、子どもがいる、などという情報が一部あるが、これも画像同様いいかげんなものだろう。

わたしは、おそらくお子さんはいなかったのではないか、と思う。

 

ともあれ、ここまで書いて、気がついたのだが、

・・・森田童子さんの「素顔」や「プライバシー」なんて、本来どうでもよいことなのだ。

 

彼女の歌と、数少ないながらも残っている活動の記録。

それだけでいいのだ。

 

それが、素顔も本名も一切明かさず、(日本が決定的に変わっていく)1983年という年を画期として、自ら表舞台から消えていった森田童子さんの意志(いまは遺志)に沿うことだと思う。

 

前回の「日記」にUPした動画、「夜行」の②で、森田童子さんが語っている言葉

 

「わたしたちのコンサートが不可能になってゆくさまを見てほしいと思います。

そして、わたくしたちの歌が消えて行くさまを見てほしいと思います」

 

ここに、彼女の思いの全てが込められているだろう。

 

活動当時の森田童子さんを知る人の話に、「彼女はさらに上に行くこと(社会的成功)を頑強に拒み続けていた」という内容のものがある。

 

森田童子さんの人生が苦しみ、悲しみに満ちたものであっったとしても、その心は安定、一貫していてぶれることのない生涯、だったのではないだろうか?

 

それにしても、このトシになってでも、森田童子さんの存在を知ることができてよかった。

彼女の1周忌になる今年の4月24日は私的に「童子忌」として、森田童子の歌と「思い」をしのぶ日にしよう。

 

 

 

・・・ところで、今晩は久しぶりに山崎ハコさんの歌でも聴こうかな。

しかし、彼女の歌は眠る前のものではないなあ。少なくとも夜の9時頃までにしたい。

 

コンコン コンコン くぎをさすー♪ (^^;)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1/23 けさパソコンを開いて、

『マスコミに載らない海外記事』 さんのブログを読んでいたら、「後記」にこんな情報・記事が

 

『竹中教授を学内で批判した4年の学生に東洋大学が「退学警告」』

『ポイントカードの最大手のひとつであるTカードを展開する企業が,氏名や電話番号といった会員情報のほか、購入履歴やレンタルビデオのタイトルなどを、裁判所の令状なしに捜査当局へ提供していたことが発覚』

 

『 ~、カイライ政権による憲法破壊の取り組みは、再び宗主国の傭兵(ようへい)として中国なり、朝鮮なり、中近東なり、アフリカで、日本軍に、侵略戦争でいいように利用されるいわば牧羊犬の役割を与えようとするものだ。

あるいは不沈空母として、国まるごと宗主国の前線としてささげる暴挙のため。

狂った大学も、違法な情報漏洩も目的はただ一つ。

勤労統計サギで見るように、属国支配組織は腐敗の極みにあるが、※大本営、亡国政策では一致していて、野党には負けそうにない(野党はどうすることもできそうにない?)。』

 

(※大本営とは、財界・政界・官界・メディアなどのこと・・・?)

 

・・・いやもう、何をかいわんや、という感じ。

日本の支配層やその同調者さんたち、どう考えてもまともじゃない。

 

「こりゃあ狂っているわ」というような人たちとは関わりにならず、距離をとっておくのが一番なのだが、

そういう狂った人たちから逃れられず、おまけに強圧支配までされてしまうというのは、この世の中でも最悪の出来事のひとつと言っていいだろう。

 

・・・あ~、しんど、

なんていっているうちに、滅ぼされちゃうと。

 

最近、年食ってることに感謝するようになってきた。

財界や政治家や日本政府が老人を虐待、早く死なせたくてたまらない気持ちもよくわかる(笑)

 

 

ところで、肉や魚などの動物食を絶ってからは一度も痛風を発症していない。

血圧も、高いままではあるけれど、安定していて、お医者さんにかかっていないにも関わらず、悪化の兆(きざ)しはない。

 

これはありがたいことなのだが、「平穏」な反面、その「副作用」で?「元気」がなくなってきた。

 

といっても体力がどうこうということではなく、元気がなくなったのは「精神面」。

 

最近、わけもなく落ち込むことがあり、孤独に強いと自負していたわたしが、「さみしさ」を感じることも多くなってきた。

 

気のせいか、周囲の景色も殺伐としてさみしい。

f:id:hibi333zakkan:20190123004950j:plain アパートの近所に咲く山茶花(さざんか)の花は白ばかりだし(笑)、

アパートに続く線路沿いの道は昼も夜もあまり人を見かけない

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東京も繁華街から離れれば“殺風景”なもんだ、 

なんて思ってしまう。

 

なんだか・・・これはちょっとやばい?(笑)

ということで、3日ほど前から、これまで飲んできたサプリ=マルチミネラルマルチビタミン、に加えてDHA&EPA(=魚の油?)を飲みはじめた。

 

DHA&EPAにしたのは、「あとはこれくらいしかないかな」と思っただけのことで、たいした根拠はない。

 

当然、効果は全くない。まだ・・・

 

こういう(弱った)精神状態になると、とくにつらいのが夜だ。

なかなか眠る気にならない、というか眠るのが少し怖い?

 

それで、睡魔が襲ってくる午前1時頃まで、ヘッドフォンを着けて音楽を聴いている。

 

最近はまっているのが森田童子(もりたどうじ)。

1970年代の半ばから1983年まで活動していた女性シンガーソングライターで、そのころはその存在すら知らなかった。

 

この人がメジャーの世界で有名になったのは引退後の1993年と2003年に、テレビドラマ「高校教師」の主題歌にこの人の歌(「ぼくたちの失敗」)が使われてからだ、という。

もっとも、わたしはその頃は仕事に追われていて、ほとんどテレビを見ない生活で、この人のこともまったく知らないままだった。

 

「はまった」のは偶然ネットで歌を聞いてから。

 

「純粋」「透明」なその歌声に

「ああ・・・昔の、わたしの若いころの女の子って、こんな声をしていたっけか?・・・」

と、ノスタルジックな気持ちをかきたてられたのが最初。

 

「ぼくと観光バスに」・・・「チィチィよハァハァよ」・・・「君と淋しい風になる」・・・「男のくせに泣いてくれた」・・・「みんな夢でありました」・・・・・

 

寒い日の深夜、ひとりでこれらの歌を聞いていると、たまらん・・・

 

しかし、いい年をこいたおっさんがひとり、女性シンガーの歌を聞いて涙目になっているなど、絶対に誰にも見られたくない姿だなあ(笑)

 

さっき検索していたらこんな動画が見つかった。

[http://:title]

森田童子さん自身が、東京で自由な空間がなくなっていること、それに抗してテントを張ってコンサートを開くこと、の意義を語っている貴重な映像だ。

 

サングラスにカーリーヘアという姿はハードな印象を与えるが、これは彼女の自己韜晦(じことうかい)で、ほんとうは恥ずかしがり屋で純情な、ふつうの女の子だったのではないかと思う。

 

森田童子童子という名前も、本人は「笛吹き童子」からとった、と言っていたそうだが、ほんとうは、東北地方の幼い子どもを意味する方言である「わらし」のことではないだろうか?

 

彼女のシンガーソングライターとしての活動は約10年と短いが、わたしはそれはそれでよかったのだと思う。むしろそれを評価したい。

欲望渦巻く?ニッポンの芸能界には、彼女のピュアな歌声は似つかわしくない、あるいは「合わない」と感じるからだ。

 

引退後はふつうの主婦として暮らし、去年4月に66歳で亡くなったということだが、「そのような」性格であれば、表面的にはともかく、苦しくつらい思いをすることの多い人生ではなかったかと推察する。

 

ご冥福をお祈りしたい。

 

今は、世間との折り合いに苦労することもなく、ピュアな来世の世界を楽しんでおられるのではないだろうか。

この世での苦労は無駄ではない、とわたしは思っています。

 

 

 

・・・・・

それにしても、わたしがはまった歌を歌った女性シンガーの方々が軒並み60歳代で亡くなっているのに少し驚いた。

 

少し思い出して検索しても

淺川マキさん、67歳   藤圭子さん、62歳   りりィさん、64歳

そして、森田童子さん、66歳・・・

 

そういえば、(・・・歌手ではないが)、わたしが「この奥さんすごいや」と感心した、モーニング宇宙ニュースの服部和枝さんも65歳で、去年の年末に亡くなっている。

 

男よりも長生きすると言われている女性が・・・?

 

どうも、政府・厚生労働省は日本人のほんとうの「寿命」の「実態」を隠しているんじゃないか?

 

「年金支給年齢をもっと上げろ」とか、「74歳まで働かせろ」とか、・・・???

 

日本政府、国民には一銭も年金なんて支給したくない、と考えているだろう!

 

絶対に国民をラクにさせない、国民をシアワセにしない政府だ

 

本来、死の床での激しい痛み、苦しみをどうするか、の問題だった「安楽死」を、資本家や国=政府・官僚の役に立たない「老人」や「障害者」などを殺すためのものにすりかえる政府、メディア、御用エセ文化人・・・

 

いやあ、ほんとうにこの世=この国はさらなる地獄に向けて進んでいるようだ。

 

どこかの宗教団体ではないが、亡くなった方に対して、

「おめでとうございます」

と言いたくなってくる・・・

 

はァ・・・こりゃあ今夜も眠るのに苦労しそうだなァ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

2018年から2019年への年末年始、

年越しは去年同様、Eテレビを見ながらにしようと思っていたのだが、その前に本を読みながら眠ってしまい、目が覚めたら午前1時を過ぎていた。

 

寝ている間に年越し完了(笑)

 

「あーあ」と思いつつ、Eテレの「ねほりんぱほりん」などを見ていたのだが、こちらでも知らないうちに寝てしまっていて、起きたらもう日が昇っていた。

 

こんなに眠ってばかりの年越しは初めて。

 

雑煮を食べながら

「トシなのかなー」

と少しショックだった。

 

元日はネットを見て一日を過ごす。

 

ネットはすごい、と思うことの一つが、記憶の彼方、というか自分が子どもだった頃の画像を検索ひとつで見ることができることだ。

 

そして、

「まさかそんな画像があることはないだろう」

というようなものが「ある」こと。

 

 

わたしは3歳から7歳にかけて四国で暮らした。

その期間、父が四国のその村(当時)にある鉱山で働いていたからで、村の空き家?を借り上げた「社宅」に親子三人で住んでいた。

 

わたしはその村でもの心がついたので(それ以前の記憶はまったくない)、いわば「ふるさと」のようなものなのだが、今では夢のようなおぼろげな記憶しかなく、

おとぎ話をあやふやにしたようなような世界になっている。

 

そこは小さな山の中の村で、鉱山も一般の人はほとんど耳にすることのないような小規模のものだった?から、「いたずら気分で」その村を検索して、村と鉱山の「今」の画像が出てきた出てきたときは驚いた。

 

鉱山は「廃鉱」になっていた。

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いまはもうほとんど森の中に埋もれていて、ここに鉱山があったことさえ知る人も少なく、「廃墟」あるいは「廃鉱」マニアの人がたまに訪れるくらいになっているようだ。

 

(これらの画像はすべて<www.mafura-maki.jp/tanbo/kouzan>さんのブログからお借りしたものです。わたしにとってはお宝の画像なので、一部ここで使用(ここに残す)ことをお許し願いたい。謝謝)

 

ここでわたしが何より驚いたのは、「火薬庫」跡の画像があったこと。

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左側が「火薬庫」の入り口、右側の厳重な扉?で閉ざされているのが「火薬」の保存場所だ。

 

これこそが私の父が従事していた仕事、仕事場だった!

土木技術者だった父がこの鉱山で働いていたのは「危険物取扱者」の資格を持っていたから。

(たぶん、派手にどかん、どかんとやっていた?のだろう(笑))

 

一日だけわたしは父について鉱山に行ったことがあったが、

その日は仕事が無かったのか、父は退屈そうに事務所の机の前にすわっていたり、ぶらぶらしたりしていた。

 

子ども心にも

「なんだ、父ちゃん仕事してねーじゃないか」

という状態だった。

 

このとき、事務所にいた父の同僚の人が近くを案内していろいろ説明してくれたのだが、記憶の4分の3くらいはキレイに消えてしまっていて、何を見させてもらったのかほとんど憶えていない。

 

それにしても、現在こうして見せてもらっている画像とわたしの記憶が結びつかないのも驚きだった。

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わたしの記憶があやふやなこともあるが、当時山を広く覆っていた砕石場が森に還っていたり、施設が撤去されたり、と、鉱山自体の姿も大きく変わったからだろう。

 

なるほど、わたしもトシをとったわけだ(笑)

 

トシついでに、このころのことを思い出してみると、

 

社宅にはテレビが無く、情報源、娯楽源はもっぱらラジオだった。

島倉千代子の「からたち日記」や「若いおまわりさん」(歌手が誰だったかは忘れてしまった)がよくかかっていた。

 

テレビは週に1日か2日、夕食後に隣の大きな家に見せてもらいに行っていた。

このときわたしがはまっていたのは「ハイウェイパトロール」というアメリカのテレビドラマで、

これがある日は必ず隣に行った(笑)

 

それを思い出して、「ハイウェイパトロール」を検索してみると、なんとこれは放送当時字幕スーパーだったらしい。

 

とすると、会話などはすべて英語だったということなのだが、わたしには出演者が日本語をしゃべっていたような記憶しかない???

これも記憶のあやふやさなのだろうが、

 

なんであんなに夢中になって見ていたのだろう?(笑)

 

あともうひとつ驚いたのが放送した局がNHKだったことだ。

わたしの記憶の中では、この「ハイウェイパトロール」と「ヘリコプターを使った?ソニーのCM」が一体になっているのだ。

 

NHKならCMはないはずで、

では、あのソニーのCMはナンダ?ということになる。

 

記憶が混乱というか、混在しているのは間違いないのだろう。

 

 

こうして、幼い頃の記憶違いまで気づかせてくれるネットというのはほんとうにすごいものだと思う。

 

こういう時代が来るとは想像もつかなかった。

 

昔に比べ、便利になるところはすごく便利になっている。

 

しかし、それと人生の楽しさ、味わいは別だということにも気づく。

 

なるほど、世の中恐ろしく便利になったが、その便利さがどれほど人間を幸福にしているか、と考えたとき、

「幸福度」への貢献は技術の進歩ほどには大きくない、というのが実感だ。

 

なぜそうなってしまうのか?

半世紀以上昔のガキというか子どもからしたら不思議でならない。

 

その子どもも、

「日本のテレビ網といえば、アメリカのCIAが読売新聞の正力松太郎を使って作らせた一種の軍事施設のようなもので、

初期のテレビ放送で、最初からユダヤ資本の助けを借りていたソニーのCMが派手に流れていたのは興味深い」

などとひねた考え方をするおっさんになってしまった \(^p^)/

 

ということで(笑)

ともあれ、元日早々、楽しかった子ども時代の回想にふけることができたのは、プチ幸せだった。

 

f:id:hibi333zakkan:20190105133736j:plainうーん、、、、この画像は・・・

かすかに記憶に結びつくような・・・気がするなァ \(^-^)/

 

 





 

 

 

 

3ヶ月ほど前から、モーニング宇宙ニュースという

夫婦でやっておられるネット配信を見るようになった。

 

これが、ぶれない市民目線で、

かつ扱うニュースの内容のハードさとは裏腹の、夫婦漫才のようなほのぼのとした?やりとりが面白くて、やみつきになっていた。

 

その配信が11月30日以降なくなり、どうしたのかな?

と思っていると、

旦那さんがツイッターで、奥さんが12月24日に亡くなったことを報告していた。

 

11月30日の最後の配信でも、いつものとおりの鋭いつっこみを見せておられただけに信じられない気持ちだった。

 

もうあの配信が見られないと思うと、残念でならない。

 

奥様のご冥福をお祈りする。

 

いまは民主主義を求める市民にとっては冬の時代。

その「逆境」を跳ね返して頑張って声をあげてこられたご夫婦。

 

それは、この厳冬になぜか、精一杯の努力で?花を咲かせているこのツツジのようなものではなかったか?

「狂い咲き」といわれようが、立派にその「生命」の存在を主張している

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葬儀には参列できないが、昨日公園で撮ったこの写真を捧げて、黙祷したい。

他の、“平和”を求めて活動しつつ亡くなった多くの市民の皆さんへの思いとともに

 

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                       黙祷

 

 

 

 

 

(「狂い咲き」という言葉に付け加えると

 

わたしは「狂い咲き」のなかには何か大きな災厄がやってくることに対する、「花」からの警報、警告のようなようなものがあるのではないかと思っている。

 

わたしが前回、上掲のようなツツジ?の狂い咲きの鮮やかなものを見たのは2010年の晩秋だった。都内某施設(学校)の中庭にひっそりと咲いていた。

 

ひっそりと、というのは春に咲き誇っているような勢いは無く、ぽつぽつまばらに、

それでもすべての木が花をつけている、といった状態だったからだ。

 

その翌年の花が咲く前の季節に何があったかは言うまでもないだろう。

 

モーニング宇宙ニュースの奥さんも、われわれに大きな「危機」を知らせつつ、その役目を終えて旅立って行かれたのかもしれない。)

 

・・・そういえば、この秋には桜も咲いていたなあ(別の公園)

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「秋咲きの桜ですかね」

といって、おばちゃんが声をかけて通り過ぎていったけど、

いいや、何年かこの公園を見ているけど、秋に桜が咲いているのは見たことなかったなあ。

この木も毎年春に花をつけていたし。

 

いずれにせよ、来年も「天災」「戦争」「悪政(笑)」に要注意。

それが、いま次々にお亡くなりになっている(民主主義世代の)「市民」の皆さんの気持ちを受け継ぐことになるだろう、と思う。







 

 

 

 

 

 

一昨日は冬至。

冬至の夜はゆず湯、ということで、出先からの帰りにネットで捜した銭湯へ。

 

銭湯への道に迷っていると、変電所の高い鉄塔が目の前に現れる。

 都内。下町のど真ん中にこんな高い鉄塔があるとは知らなかった

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電線と繋がっていない「電波塔」。東京タワーなんかと同じ種類のものだ。

 

わたしは夜の鉄塔を見ると、なぜか映画の「ゴジラ」を思い出す。

1954年公開の初代「ゴジラ」だ。

 

この映画で、ゴジラは送電線でつながった鉄塔を破壊し、口から吐き出す「放射能」?は鉄塔を溶かした。

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わたしがこの映画を見たのは1960年代。

田舎の小学校でだった。

黒い幕で囲われたほこりっぽい小さな講堂で、床に直接座って見た。

 

べつに感想文を書かされるわけでもなく、ただ、見せられただけで、先生もとくに授業で触れることはなかった、が

「よく上映してくれたなァ」

と、今では感謝している。

 

町にひとつしかなかった映画館(新作が多かった)では、(子ども時代には)まず見られなかっただろうから。

(ただ、その後一度だけ学校が映画館を借り切るような形で、高峰秀子主演の「二十四の瞳」を全校生徒に見せたことはあった。

ゴジラ」はこっそりと、「二十四の瞳」は堂々と、という感じだったのかな?(笑))

 

ゴジラ」といえば、国会を破壊する場面も強烈に印象に残っていて、

 

わたしは、秘密保護法が強行採決された夜、国会の裏で抗議の声をあげていたのだが、

 

ゴジラ」が現れて、国会を吹っ飛ばしてくれないかな、と思ったものだった(笑)

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                     f:id:hibi333zakkan:20181225005846p:plainGO!GO!(^^)

 

そのあと、しばらく迷った挙句、最初捜していたのとは別のお風呂屋さんを見つけて、無事、ゆず湯に入浴。

                              f:id:hibi333zakkan:20181225012247j:plain

夜道に迷いながら、鉄塔 → 知らないお風呂屋さん。

 

方向音痴の醍醐味を味わった冬至の夜だった(笑)

 

そして今日はクリスマスイブ。

わたしはクリスマスといえば、楽しい思い出ばかりで、別段クリスマスにうらみはないのだが、トシをとるとどうしてもひねくれちゃうのか、最近は

“ メリークルシミマス ”

としか言わない〔笑)

 

で、こんな“センス”に出会うと嬉しくなって、写真を撮ってしまう

  f:id:hibi333zakkan:20181225013637j:plain  メ “メリークリスマス” (^^;)

 

自公格差政権から優遇され、ボーナスもたっぷりの独占企業のエリートサラリーマンさんや、官僚公務員の皆さんには楽しいクリスマスなんだろうけど、

世間の喧騒を背に、苦しく寂しい思いをしている人たちも多いわけで、

 

わたしの「いやがらせ」的な?

“ メリークリシミマス ”

 

もあながち「ひねくれ」だけではなく、トシを重ねて世の中がよく見えるようになったから、なのかもしれない。

 

うん。

 

ということで、

 

“ メリークルシミマス  ” 

 

テレビが見せているようには、世の中、リッチでシアワセな人たちばかりではありません。

 

さて、

 今夜は「クリスマスキャロル」(ディケンズ)の朗読でも聞いて眠ろうかな・・・