5月6日。ゴールデンウィーク最終日。

隣の駅までふらりと散歩。

 

若葉と花の季節。

どこの公園や、家の生垣、家先、庭にも綺麗な花が咲いている。

 

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歩いても歩いても、若葉の緑、そして花、花、花。

こういう風景を見ていると、東京は美しい、と思う。

 

しかし、 

かつて日本きっての思想家であった和辻哲郎氏は、それまで住んでいた京都に比べて、

 

「~東京の樹の葉の緑が実にきたなく感じられて、やりきれない気持ちがした。」

「いったい東京の樹木は、京都のそれに比べると、ゲテモノの感じである。」

 

などと書いて(「京の四季」)、東京の樹木の「不愉快さ」を嘆き、京都の「緑」を懐(なつ)かしんでいる。

 

 けれど、

もうかれこれ30年近く東京に住んでいるわたしにはその感覚はわからない。

 

40年ほど前、春の季節に京都に3ヶ月ほど滞在したことがあるのだが、そのときの印象では、「緑」に関しては今の東京とあまり変わらないように思えた。

 

樹木はともかく、人々が花を美しく咲かせているということでは、東京も捨てたものではないと思うのだが?

 

f:id:hibi333zakkan:20190509174721j:plain ただ、東京で咲いている花は見た目はとても美しいのだが・・・

 

匂いというか、香り、

これが「良くない」とは感じる。

 

わたしが18歳まで住んでいた田舎で咲いていた花々とはその匂いが明らかに違う。

 

なんというか・・・東京の花の匂いを嗅(か)ぐたびに、くすんだ、というか、どこかに少し悪臭を含んだように感じるのだ。

 

和辻氏は、東京の樹木の「緑」が良くないことについて

「これも火山灰でできた武蔵野の地方色だから仕方ない」

として、

「土」が原因のように書いているが、

なるほど、

火山灰が降り積もってできた関東地方の「土」と、花崗岩が風化したものが多い関西地方の「土」の違いというものはあるのかもしれない。

 

しかし、わたしが数年間住んだ大阪の樹木、「緑」は東京と変わらず、東京よりまばらな印象で、花の匂いもそう良くなかった気がするし、

 

同じように数年間すんだ神戸市は、緑が豊かで、花の匂いも東京や大阪より少しは良かった気がするのだが、

 

やはり、わたしの田舎の緑、花の匂い、ほどではない。       

 

都会の花の匂いが悪いのは、土のせいか、空気のせいか、肥料のためなのか、

まあ、いろんな原因があるのだろう。

 

両親が亡くなってからは縁が切れたようになり、一度も訪れたことのない田舎だが、死ぬまでにはもう一度、あの緑と花の匂いを思う存分嗅ぎたい、とは思っている。

 

わたしの価値観では、花は見た目の美しさよりも、匂い、香りの良さ、なのだ。

 

ちなみに、女性も都会の美しい女性よりも、田舎(育ち)の素朴な女性のほうがいい。  ← ?  (わたしの苦(にが)い経験上(笑)) (^^;)

 

(でも、トシをとればみんな同じになっちゃうんだけど(笑))

 

 

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帰路、別の道を歩いていると、こんな光景が。

 

アイビー(つた)系の街路樹?が歩道と車道を隔てるフェンスを一部飲み込んでしまっている。

 

植物のたくましさを感じると同時に、これを許している人間の優しさが・・・

 

と思ったら、

 

f:id:hibi333zakkan:20190509175011j:plain やっぱりね・・・

日本のお役所は甘くありません。

 

 

帰宅すると、わたしの部屋のエアコンの室外機の前に野の花がひとつ。

f:id:hibi333zakkan:20190509175148j:plain いつの間に?

これまで全然気がつかなかった。

 

最初はヒメジョオンかと思ったのだけど、この季節でこの気候だとハルジオンの可能性が高い。

f:id:hibi333zakkan:20190509175125j:plain 背の高さも30cmくらいだし。

(ハルジオンはだいたい30cm前後。ヒメジョオンはそれよりやや高く50cmくらいらしい)

 

これまでそこに植物が生えているのは見たことなかったので、ポッと突然咲いた感じ。

不思議な気持ちがした。

 

気になってハルジオンの花言葉を調べると、ハルジオンだけの花言葉は無く、

ヒメジョオンなども含めた「紫苑(しおん)」系の花をひとくくりにした花言葉になるようで、

その花言葉

 

「君を忘れない」 「追想の愛」 「追憶の愛」

 

とか。

 

このところ、追想にふけることが多かったからあんな花が咲いたのかな?

 

 

夜になって、眠ろうと横になると

 

 すっかり忘れていた、あることを思い出した!

 

3月7日の日記でわたしは「初恋」について書いた。

 

hibi333zakkan.hatenadiary.jp

 そして3月27日の日記では、小学校3、4年次の担任だった女性教師のことに触れた。

 

hibi333zakkan.hatenadiary.jp

 わたしはその女教師をずっと恨んでいたのだが・・・

 

どうして、あんな大切なことを忘れていたんだろう?

 

わたしは初恋の女の子とは中学校を卒業して、それっきりだと書いたし、ずっとそう思ってきた。

 

しかし、高校を卒業していくばくもないころ、わたしは近所の同級生の女の子に、

「中学校時代のみんなが集まっているから」

といって誘われた。

 

行ってみると、7~8人の同級生が集まっていて(ほとんどが女の子だった)その中に初恋の女性がいたのだ。

 

そして、その同級生たちを集めたのは、あの小学3・4年次の担任だった女性教師だった。

そして、女性教師は彼女の隣にわたしを座らせた。

 

彼女はわたしを見て

「太っちゃって」

と、少しさみしげな様子でいった。

 

そこには中学時代より少しふっくらして女性らしくなった彼女がいた。

 

わたしは何も言えなかった。

 

すると女性教師が助け舟を出すように、

「○○子ちゃんは○○○音大に行くのよね」

 

東京の有名音大のピアノ科に行くのだそうだ。

 

わたしは東京ではないローカル?の私大文系。

 

話は弾まず、そのまま解散になって、今度はほんとうに彼女とは「それっきり」になってしまった。

 

そのとき、もしわたしが東京の大学に行っていれば、

「また、東京で会おうか」

という話になって、別の展開(1%くらいの可能性)になっていたかも、と夢想するのだが・・・(くくく・・・)

 

(じつは東京の大学も1校合格していたのだが、東京の某駅を上がっているとき、走って降りてきた30歳代くらいの女性に「ジャマ!」という感じで突き飛ばされたのがトラウマになったのと、東京の物価の高さに恐れをなして、そちらのほうを選んでいた・・・嗚呼)

 

男女関係も「運」なんだよなあ。

とつくづく、

 

このことを思い出して、眠れなくなって、起きて、コーヒーを沸かして一杯。

 

それにしても、あの女性教師。

なぜ、そんなことをしてくれたのだろう?

 

(そのことをすっかり忘れて)「恨んでいてごめんなさい」

と心の中で謝るべきか?

 

それにしても、そんな大事なことを忘れ去っていたわたしの記憶の不思議。

なぜ?なんで?

これは、どうにも理解できない・・・

 

(以前、記憶障害みたいなことがあって、MRIで脳を診断してもらったのだが、「異常なし」ということだった。

でも、やはりどこかに「欠陥」か「異常(病変)」があるのかも(怖))

 

 

みなさんも、いたずらに人を恨むようなことはしないで、よく記憶をたどったほうがいいですよ。

(しかし、5・6年次のあの男性教師への恨みはまだ残っているなァ(笑))

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日、5月9日。

朝、窓を開けてあのハルジオンを見ると、

「まだ咲いてますよ」

と、挨拶をするように首をふっていた。

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 他にも何か思い出すことがあるのかな?

 

 

7日の夜から、中学一年生のとき、彼女が何かの?発表会のとき体育館で弾いたベートーベンの「悲愴」を聞いている。

 

「第一楽章」、「第二楽章」、「第三楽章」。

 

そのとき彼女がどの楽章を弾いていたかわからないし、当時のわたしは聞いていてもさっぱり理解できなかったが、

いまは、どの楽章を聞いても胸に沁みる。

 

小学校6年生のとき、ベートーベンとチャイコフスキーが大好きだと語っていた彼女。

 

案外、わたしとメンタル面では近かったのかも?

(わたしの場合大人になってからだけど)

 

ひょっとして、お互いに世間的なシアワセとはほど遠い感性の持ち主だった?

(違っていたらゴメン(笑))

 

 

 

 https://youtu.be/mIn8XSVb5l0

 

https://youtu.be/ngjCZD5KybI

 

https://youtu.be/jajZnldXWyw

 

目を閉じて聞きながら、たまに楽譜をチラ見(笑)

 

(半世紀も昔の)当時のイナカの中坊がこれをきいてもねえ・・・

(有名な第二楽章さえ(町の大人も含め)誰も知らなかったと思うよ)

 

わたしと仲の良かった(ヘアスタイルが)ベートーベン似のブラスバンド部顧問の音楽の先生も、「ホー」という感じで、ポケッと聞いていたもんなァ(笑)

 

小学生時代音楽が「2」だったわたしがブラスバンド部で、未熟にブカブカやっているのをバカにせず、優しい目で見ていてくれた彼女に改めて感謝。

 

やっぱり、彼女と出会えたのは人生の大きな財産だったなァ。

 

幸せな思い出をありがとう。

 

複雑(な気持ち)だけど(笑

 

 

 

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今は、ハルジオンの歌も結構あるんだなァ

 https://youtu.be/qq7nuVpdiZw

 

↓こちらは、わたしが18歳だったこの年に、菅原洋一さんと倍賞千恵子さんがレコードをリリースして流行った、

忘れな草をあなたに」 

 

https://youtu.be/vuueOK-XdBM

 

忘れな草とハルジオンは開花期が同じなんですね(4月~6月)。

 

 

それにしても、半世紀近い時の流れに、

 

やや呆然(ぼうぜん)。

 

ついこのあいだのことのように思えるのに、世の中も人々の意識も大きく変わっていることが実感できます。

 

ともかく、平和が続くことを祈るのみ。

 

この国と世界を平和に保つ。

これがわれわれの世代に残された最後の使命じゃないでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

                          

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 


















 

昨日、日曜の朝9時前に、ふいの訪問者。

まだうとうとしていたのだけれど、あわてて起きて対応。

 

なんとNHKの訪問員さんだった。

「放送受信料の件で」

とのこと。

 

じつはわたしは二ヶ月ほど前に引越したばかり。

 

「いや、うちにはテレビの受像機がないんですよ。テレビを買う気もありませんので」

と言うと、

 

「パソコンとか携帯電話はお持ちですよね」

 

「はあ、それはありますよ」

 

「携帯にワンセグ機能がついていれば、お支払いしていただかなくてはいけませんので」

 

ゲッ、この前そんなおかしな判決があったと記憶はしていたが、もう、それを“錦(にしき)の御旗(みはた)”にそのような“強要”がやられるようになっていたのかア・・・!

 

それでも、テレビも見なければ、携帯のワンセグもほとんど見ないのに、毎月千数百円のお金を払わされるのには抵抗がある。

 

ということで・・・

 

とっくに枯れ果てて消えていたはずの、昔の性格の悪いわたしが蘇(よみがえ)ってしまった。

(あ~~~、なんてことをしてくれるんだ!)

 

以下、性格の悪さが生き返ってしまったわたし↓(^^;)訪問員さんに一方的にまくしたててしまう・・・

 

「なるほどねえ、そんな気の○った裁判官の判決があったってことは知っていますよ。だけどね、民主主義に反するそんな異常な判決にわたしは従う気はありませんからね。

 

訴訟を起こすならどうぞ起こしてください。

 

だいたい、わたしがテレビの受像機を持っていないのは、NHKがキライだからなんです。(← これは半分ウソ。すべてのテレビ局がイヤ、というのが“本当”)

 

NHKさんは会長さんも経営委員も右翼系や独占企業系の人で固まっていて、わたしのような庶民とは利益が相反する人たちです。

いまは、なかんずく庶民や弱者をいじめている政権の手先というNHKさんの本質がもろに出ています。

わたしは偽善を見抜く力だけは人一倍あるんですよ。

ネット情報などを見ましても、

いまわたしたちを守ってくれている憲法を守ろうともしていない、どころか、憲法改悪を推進しているように思えます。

たしか、いまのNHKの会長さんはもと日本会議の人でしたよね。

 

北朝鮮報道、韓国報道、中国報道も明らかに右翼偏向(うよくへんこう)していて、戦争を煽(あお)っているようだとか。

 

これは、明らかにわたしの思想信条に反します。

わたしは民主主義者であり平和主義者です。

戦争体制への協力と民衆の軽視、民衆を欺(あざむく)くようなNHKは明らかにわたしの思想信条の敵です。

 

友人に聞いたら、いまのNHKのアナウンサーさんなどもみんなネトウヨみたいなのばかりだとか。

権力を背景とした右翼的傲慢ないやらしさがにじみ出ているらしい。

 

あ、これは友人の感想ですよ。

 

だいたい、わたしはテレビ自体が現代日本社会における害毒だと思っていますのでね。

その中でもNHKはとくに危険だと思っています。

 

そのような、思想信条を異にする、嫌悪すべき存在であるNHKに強制的にお金を払わなくてはいけない、というのは、もうこれ、ファシズムです。

 

政府の広報機関だというなら、税金にすればいいではないですか。

そのほうがまだスッキリします。

 

とにかく、わたしはいまのNHKさんにお金を払う気持ちはさらさらありません。

 

裁判所が月々千数百円払えと言ったら、そのお金をわたしは民主主義を守ろうとしている市民団体か、弱者のために活動してくれている組織に寄付します。

 

したがって、たとえ裁判所の命令が出ても、わたしはそれを拒否して刑務所でも何でも入る覚悟ができていますし、強制執行されてもかまいません。殺されてもかまいません。

 

ということで、一切、いまのNHKさんにお金を払う気持ちはございませんので、煮るなり焼くなり好きにしてください。」

 

あきれて聞いていたNHKの訪問員さん。

「・・・でも、お支払いいただかなくてはいけませんので。また参ります」

ヤバイ奴に当たってしまった、という気持ちを押し隠して?帰っていったが、

 

「もう来ないでください」

というわたしの最後の言葉は耳に入れないようにしていたみたい・・・

 

また、来るんだろうなあ、しつこく(笑)

 

せっかく平穏かつ心静かに暮らそうとしているのに・・・

 

ヤクザ屋さんや警察と同じようにマスコミ、とくにNHKは“関わりになりたくない”もののひとつになってしまった、

どうも、平穏に暮らさせてくれないようだ・・・

 

平穏に暮らしたければ、カネを払えって?

しかし、それも業腹(ごうはら)・・・庶民としての、民主主義者としての敗北感持っちゃうし・・・

だいたい、100%信用していない組織?と関わるのはイヤ。名前さえ知られたくない・・・。

 

 

ということで・・・

 

でも、 

ホントわたしは性格悪いなあ、という気持ちにもなってしまって、その後、少し落ち込んだのだが・・・

 

知人の女性にそのことでメールを送ると

「そうよねえ。テレビも無いのに料金を徴収するのはおかしいわよね」

という、理解ある返事をいただいたので、気分的にやや救われる。(笑)

 

しかしわたしだけではなく、どうもいまNHKと日本国民の軋轢(あつれき)は激しくなる一方のようで・・・

 

https://youtu.be/hzjOD62oNy8

 

しかし、NHKの訪問員さんや集金人の人たちはほんとうにカワイソウだ、という気持にもなるんだなあ・・・。

 

おそらく、彼ら彼女らは「非正規雇用」。

高収入と高待遇、高い社会的地位を謳歌できる正規採用のNHK職員さんや幹部とは違う人たちだろう。

 

いまの日本の大企業、なかんずく大マスコミなどは、厳しい業務、汚(よごれ)れ役を非正規雇用の現場労働者にすべて押し付けるようになっている。

 

木でいえば土の中で養分を取り入れる「根」の役割を担っているのが非正規労働者で、その養分を吸い取って気持ちよく日のあたる場所で花を咲かせているのが正規職員、幹部といったところだろう。

 

矛盾も汚い仕事も理不尽なことも、すべて非正規労働者(あるいは下請け零細企業の現場労働者)が被(かぶ)る。

非正規労働者(あるいは下請け零細企業)とは、次々と切り捨てられる木の根っこのようなものなのだ。(生物としての木はそんな差別も非情なこともズルイこともやらないだろうけど)

 

そして、何か問題が起きても、「本体」は非正規労働者のせいにしていればいいわけだ。

 

世間も、「なるほどそういう(非エリートの)人間なら仕方ないな」と納得して、会社自体にはさほど傷はつかない。

 

日本社会はそういう構造になっている。

 

NHKもまさにそうだろう。

 

だから、わたしとしては非エリートたる現場の訪問員や集金人の人たちはあまり傷つけたくないわけで、

なるべく、NHK本体に対する対抗法を考えて行こうと思っている。

 

が、なかなか「現実」はキビシイからなア。

どうなることやら(笑)

 

ただ、NHK本体にも気の毒な面があることは認めてなくてはいけないので、

 

・・・・・・

「もう昔の(マシだった)NHKは時代遅れになってしまったんでしょう?これからのあなた方は

(いまのおいしい組織を存続させようとすれば)

民衆の敵、民衆を害する悪の組織としてしか存続しえないんですよ」

(いまのNHKはNTTになる前の、極悪組織といわれたあの旧・電電公社に似ているかも)

 

と、付け足して、今日のこの話題はオシマイにしよう(笑)。

 

 

 

夕方からは、区長選挙、区議会議員選挙の投票へ。

途中、公園のもみじの若葉やツツジの花をながめながら歩いていると嫌なことを忘れる。

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さて、誰に入れようかな?  

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どの政党の人に投票したかはナイショ(笑)

 

自分の選択で投票した後は、清々(すがすが)しい気分になる。

 

いま選挙も政党も信用を失っていて、投票率が大きく低下しているのは残念だ。

 

ファシズム化して行く日本。希望を失う民衆。

 

この先どうなるやら。

 

 

 

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4月24日は1月23日・26日の日記で触れた森田童子さんのご命日だとか。

このライブ録音を聞いて、ご冥福を祈ろう。

 

この寒くて憂鬱な冬を救ってもらいました。

 

しかし・・・この声!

https://youtu.be/wUmuOVz_HRc

 

地方のNHKスタジオでの録音だとか。

NHKさん、ありがとね(^р^)

(ほんとうにお礼を言うべきなのは、これを録音、保存してUPしてくれたy tomiokaさんみたいだけど(笑))

 

訪問員さんを困らせないよう、なるべく早くワンセグ機能のない携帯に変えておきますよ(笑)。

 

ともあれ、わたしなりの童子忌。

このライブを聞いて、静かに手を合わせよう。

 

 

 

 



 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

いったん暖かくなりはじめて、このまま気温が

上がっていくのかな、と思っていたら、

桜が満開の頃から、また冬に少し引き戻されたかのような寒さになり、今日もかなり寒い。

 

花冷え(はなびえ)がずっと続いている状態といえば、そうかな?と思うけど、桜の花もかなり散った状態での、こんな寒さの継続は珍しいのではないだろうか?

f:id:hibi333zakkan:20190412233541j:plain  (今日見た桜。花半分、若葉半分。寒さもあって元気なさげに見える。)

 

元号が「令和」に変わるまであと半月あまりだが、つい、「令和」ならぬ「冷和」の文字がアタマに浮かんでしまう、         寒っ・・・

 

元号をお決めになったアベ首相はこの寒さにさぞ気をもんでおられるのでは?などと思ったりもするのだが、

 

阿諛追従(あゆついしょう)、おべっか、ごますりに囲まれて“裸の王様”状態であるらしき首相にあってみれば、そんなことはべつに気にならない、というか、「思いもしない」というのが実際のところだろう。

 

この「元号」も、そういう環境から出てきた「匂い」がぷんぷんする(笑)

 

ちなみに、わたしは、今の政府(首相)がこの次の元号を「令和」(れいわ)としたのは冷、じゃなかった、「令」=クール、「和」=ジャパンで、「クールジャパン」をイメージしたのではないか、と思っている。

 

また。「ラリルレロ」のラ行が頭に来たのは、外国の人にも発音しやすいように配慮したのだろう?

 

日本語の「名詞」でラ行が頭にくるのは「外来語」か「外国由来のもの」がほとんどだ。

 

どうして?と知識浅薄なわたしに聞かれても困るが、

五十音をアイウエオ、カキクケコと順番に発音していっても、ラ行だけが明らかに舌の使い方が違うことはわかるだろう。

 

わたしは、もともとは接尾語として発音されるだけだった「ラ行」の音が、外国の人やモノに対応するために、名詞の頭に使われるようになったのではないか、と考えているのだが、わたしは専門家でもなんでもないので、これはあくまで想像の域(いき)。

 

「ラ」行の言葉が一気に増えるのは明治期以降で、現代人にいたっては「ラ」行の言葉にまったく違和感を抱かなくなっている、

どころか、

若者、とくに若い女性などは「レイワ」と聞いて、「うわー、カッコいい!」と喜んでいたりして・・・

 

これも「国際化」による日本人の変化なのだろう。

 

それはそれでいいことかな、と思うが、

 

「ラ」行を頭に持ってきて、

「国書」がどうのこうのというのは・・・ねえ 

 

(アベ首相、万葉集を読んだことあるのかなァ?)    

 正直に、

「みなさーん、カッコいい元号ですよー」

「クールジャパンですよー」  「外国の人も発音しやすいでしょー」

と、

言えばよかったのに(笑)

 

ともあれ、もう「寒さ」はいいので、早く暖かくなってほしい・・・

 

 

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https://youtu.be/GgEovnjtU9A

 

外人さんも発音しにくいみたいだ(笑)

 

それにしても、この動画の外人さん知日派

 

意外と、この人みたいに日本語ぺらぺら(日本人のネイティブレベル(笑))で日本のことを熟知しているアメリカ人って多いんだよね。

 

これで思い出しちゃったんだけど、昔々、わたしにはこのレベルの日本通のアメリカ人の友人が2人いた。

 

ある日、そのうちのひとりが偶然わたしを街で見つけて声をかけてくれたんだけど、見ると、とてつもない大男と一緒。

 

しかも、明らかに「ふつうの人間」ではない。

 

しかも、その大男はその友人とわたしが挨拶を交わしているあいだ、ものすごい表情でわたしをニラみつけている。

 

「なんだよこれは~」

わたしのキン○マは一瞬のうちに身体の中に避難。

わたしは縮みあがった。

 

大男はわたしを指差して「こいつはナンダ」と、その友人に聞いている様子。

友人は必死に説明、

やがて大男の緊張はとけて、スッと手を差し出してくれた。

 

しかし、握手している間も大男の眼光は鋭いまま、にこりともしない。

 

彼らと別れても、わたしのキン○マはしばらく体内に隠れたままだった。

 

その大男は、プロレスラーのブルーザー・ブロディ

 

プロレスに疎(うと)いわたしも名前だけは聞いたことがあったので、

友人から紹介されると、

「あはは・・・す、すごいですね。わたしもフアンなんですよ(←ウソ)」

といって、友人がそれを伝えてくれたが、ブロディさんは少し首をひねっただけで、表情は変わらない(そのときはかなり柔らかくなっていたが)。

「ホントか~?(ウソつけこの野郎)」

と思っていたのかもしれない。

 

少し話をして別れたが、怖かったものの、嫌な印象はなかった。

 

後にその友人とそのことについて話したとき、友人も

「いやー、岩(いわ)みたいだったよねー」

なんて言っていたから、あの体格はアメリカ人もびっくりなのだろう。

友人はそのときブロディさんの通訳をしていたということだった。

 

そのブロディさんが後に刺殺された。

 

そのニュースを見たとき、

「マジメ、真剣、神経ピリピリ、警戒心が強い」

といったブロディさんの、そのときの印象を思い出して、

「内面的に真面目すぎて、妥協のできない人だったのかなー」

なんて思ったものだった。

 

ブロディさん、

今では「超獣」なんていわれて、フィギュア界で人気なのだとか。

f:id:hibi333zakkan:20190413202324j:plain 今や完全に伝説の人。

ひょんなことで握手できたわたしの印象では、「超獣」というより、友人の言った通り、「岩」のイメージだなァ。

 

「岩の超人」の冥福を祈ろう。

 

 

日が落ちるとひどく寒い。

 

「令和」、レイワ、かァ・・・(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ショーケン=萩原健一さんが今月の

 26日に亡くなっていたことがわかったという。

享年68歳。

 

その早すぎる死を惜しむ声が多い。

 

わたしも残念でさみしい気持ちだが、

 

通っていたスポーツジムに行った翌日の急死。

「最後までカッコいい人だったなあ」

と、少し羨ましくもある。

 

それにしても、有名人の訃報が相次ぐ・・・

 

日本の“カッコよかった”時代を担った“カッコいい”人たちが次々と消えて行く。

 

それにしても、有名人の人たちもだが、わたしの周りでも60歳代で亡くなる人が実に多い。

 

日本人の「平均寿命」の「統計?」「も」フェイクじゃないだろうか?

とも思う今日この頃。

 

まあ、日本人が長生きなのは、戦国時代に日本に来た宣教師が書き残しているように、昔からなのだが、近年、日本人は短命化しているようにも見える。

 

それはともかく、

 

訃報を聞いて最初にわたしの頭に浮かんだのは、なぜか、映画「八つ墓村」の辰弥役を演じた萩原健一さん。

 

あの映画をわたしは封切りで見たのだが、映画も面白かったし、萩原健一さんも好演だった。

 

ともすれば陰惨に傾きがちな内容の物語を、萩原健一さんのもとから持っているカッコよさが救っていた。

金田一耕助役の渥美清さんとの組み合わせも絶妙だった。https://youtu.be/8dKNPS_2fBs

 

この映画で濃茶の尼が叫ぶ?「祟りじゃ~!」は流行語にもなって、わたしが勤めていた会社でも、女性社員が仕事でミスをした人などに「タタリじゃ~」なんてやっていたのを思い出す。

 

「タタリ」でふと頭に浮かんだのが沖縄に生息しているというジュゴンのこと。

 

長年沖縄・辺野古の海周辺に長く住み、「生活」していたジュゴンも3頭ばかりになっていて、その3頭も辺野古の軍事基地建設に伴う埋め立て工事で貴重な餌場のひとつを失い、生存が脅かされているということだったが、

 

そのうちの1頭が19日、沖縄・今帰仁の沖合で死骸となって漂流しているのが発見されたという。

 

日本の貴重なものが次々と失われていっている、という気がする。

 

動物では、すでにカワウソ、トキなどが絶滅している。

トキは中国産のトキで復活を図っているそうだが、それにしても、日本は絶滅した動物、絶滅危惧種が多い。

 

本質的に「生命」を大切にしない日本の支配体制、政治にも大いに原因があるんじゃないだろうか、と思う。

 

辺野古の軍事施設建設に反対する市民の皆さんには是非、辺野古ジュゴン墓を作って上げてほしい。

沖縄の自然を破壊しジュゴンを追いつめ、軍事基地の建設をムタイにごり押しし、利権と戦争を引き寄せようとしている政権と政権周辺の人たちに、ジュゴン墓さまの「タタリ」が降りかからないよう、「期待」?したい(ワクワク))

 

貴重なものが失われていっているのは、動物だけではない。

 

今日の「リテラ」さんの配信は

 

荒川強啓デイ・キャッチ終了の不可解

 聴取率好調なのになぜ?

政権批判できる報道番組がまた消える』。

 

ネトウヨ政権」といわれるアベ自公政権の下で「民主主義」「言論の自由」「言論の場(メディア等での)」も急速に失われているようなのだ。

 

いまの日本の支配層はウヨ化、ファシズム化がカッコいいことだとでも思っているのだろうか?

戦争ができるようになり、自由が失われ、人々の思考が画一化され、貧富の格差が拡大し、弱者を切り捨てていく国がカッコいいのだろうか?

 

20年前くらいまではそうじゃなかったよなあ。

 

・・・でも、もうこれからはわたしたちの時代ではない。

 

わたしには、わたしより若い世代の日本人がどのような「展望」や「希望」、「理想」を持っているかわからなくなっていて、

 

ただ、日本国憲法を基本として、その理想を追求しようとしていた日本人の多かった「昔」や、「現代では「追放」の憂き目にあうような」“(いろんなタイプの)カッコよかった”人たちを懐かしむばかりだ。

 

 

そのかつての、日本国憲法、民主主義の理想を追っていた時代の人たちも年をとり、次々と鬼籍に入っている。

 

「ご苦労さまでした」

と見送りたいけど、

 

今年の「国民の幸福度」ランキングで「総合」世界58位。

国の(国民の?)「寛容度」世界92位。

「自由度」世界64位。

 

という現状はあまりにもサミシく、先輩たちが気の毒に思える。

(みなさん、できるだけ長生きしてください・・・)

 

もちろん、萩原健一さんの死に政治的な意味を持たせる気はないけれど、

今のものとは違った(あるいは今では持てない)カッコよさがあったことは事実だろう。

 

「いい時代」から「厳しい時代」へ

 

わたしは萩原健一さんよりは何歳か年下だが、そういう時代を経てきたということで、ほぼ同じ時代を生きてきたと思う。

 

それにしても、「今」は、表面的なカッコよさは追及されているようだけど、本質的には「ダサく」で「恥ずかしい」時代なんじゃないかな、と脳みその前頭葉の一部で感じている(笑)。

 

 

ともあれ

「あーカッコいいなァ」「羨ましいなァ」(ハンパなくもててましたよねえ)と思っていた“ショーケン”の

ご冥福を心より祈ります。

 

こうしてひとつひとつ「時代」が終わっていく・・・

 

 

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おととい3月27日の日記。

下書きのまま抹消しようかと思っていたのだけれど、UPすることにしました。(^^)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

桜も咲きそろって、いよいよ本格的な春。

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近くにある小学校の校門から見上げた桜。

 

春の歌でわたしが真っ先に思い出すのは、なぜか「春が呼んでるよ」という歌。

 

この歌は、わたしが小学5年生に上がる前の春休みのころに、NHKの「みんなの歌」で聞いて「はまった」歌だ。

 

「はまった」きっかけになったのが

 

“あの土手に寝転んでお弁当食べたいな”♪  というフレーズ。

 

その歌を聞く少し前、わたしは両親に、市部にある百貨店に連れて行ってもらい、そこの大食堂で生まれて初めて、「カツ丼」を食べたのだが、いや、そのおいしかったことおいしかったこと!

 

それは、いまふつうにあるタマゴでとじたカツ丼ではなく、ご飯の上に薄めのトンカツをのっけて、その上にデミグラスソースをかけてグリンピースを3個ほど置いただけのシンプルなものだったのだが、このカツ丼にわたしは夢中になって、以後、その百貨店に行くと、必ず注文するようになった。

 

 その「たまらなくおいしいカツ丼」の印象が強烈だったためか、

 

「春が呼んでるよ」の歌詞の中にある、“お弁当食べたいな”♪の「お弁当」が、わたしの頭の中で“カツ丼食べたいな”に「変換」されたのだった。

 

“あの土手に寝ころんでカツ丼を食べたいな”♪

 

「春が呼んでるよ♪」はわたし的には「カツ丼が呼んでるよ♪」になった。

 

「食欲」と結びつくと、やはり強烈に心に刻まれるのか、この歌はわたしの「ソウルソング」のひとつになっている。

 

ただ、この歌はその後、テレビやラジオなどで聞くことがなく、わたしがひとりで歩いているときに、気分に応じて軽くハミングするくらいなものだった。

 

それがyoutubeで聞けるようになった。

 

ただ、わたしが「みんなの歌」で聞いていたものはなく、最近の合唱団や歌手が歌っているものばかりで、なつかしさはもうひとつ。

 

「みんなの歌」では、わたしと同い年くらいの子どもたちが土手の上や斜面を走り回っている映像があって、その、草の茂った斜面で自分が「カツ丼」を食べる光景を想像していたわたしにとっては、映像も懐かしく、ずっと探していたのだが、

 

最近、「見つけた」!

 

ユーチューバー?の方のパソコンの画面に映し出されていたものだが、画質が恐ろしく劣化していて、子どもたちがみんな「幽霊」のよう。

 

ちょっとショックだった。

 

そんな昔になっちゃうんだなあ・・・

 

たぶんNHKにも、鮮明な映像は残っていないのだろう。

 

このころやっていた「てなもんや三度笠」の財津

 一郎さんのギャグではないが

 

「サミシーーーー!」 (T^T)

 

あまりこの歌が歌われなかったのは、ちょっとメランコリーな曲調が日本の「春」とは合わなかったためであるかもしれない。

 

「歌詞がいまひとつ」

というような評価もネットのどこかで見た。

 

それでも、やはりこの歌はわたしの春のソウルソングなのだ。

 

「食欲」のほかには、小学3年生から6年生にかけて、3年4年、5年6年とそれぞれ2年間づつ担任だった二人の教師との関係が最悪であったこともあるかもしれない。

 

「みんなの歌」でこの歌が流れていたときは、ちょうど4年次が終わり、嫌な担任(女性)から逃れて、少し」ホッとしているときだった。

 

しかし、その次にはさらに強烈なの(男性教師)が来るのだった。

 

いまでもわたしは「いじめ」と聞くと、この二人の教師を思い出す。

 

それ以外の教師でとくに嫌な思いをしたことはなく、わたしは同級生からのいじめも受けたことがないので余計に強烈に記憶に残っている。

 

前の日記で、わたしは小学5年生から「初恋」が始まったことを書いたが、

わたしの小学5年生、6年生時は「初恋の女の子」という「天国」と、最悪の関係だった担任教師という「地獄」が共存した、「天国と地獄」の季節だった。

 

完全無欠の通信簿オール5の女の子の隣に、2と3が半々という落ちこぼれのわたし。

ふつうなら嫌がられるところ、彼女にはほんとうに親切にしてもらったなァ。

 

通信簿を親に渡すときは苦痛だったが、不思議と叱られたことはなかった。

 

後年、わたしが大学生になったとき、倉庫の中に、わたしの小学6年次のペーパーテストが教科別にすべて厚紙を表紙にして綴じられているのを発見したときは驚いた。

 

父が作成して保存してくれていたものだった。

 

それを見て、わたし自身が驚いたのは、

「えーーーっ?」と思うくらい、どれも点数がいい!

わたしがもっとも好きな科目だった「理科」などは、3分の2以上が100点。(通信簿はずっと「3」)

 

父がわたしの成績の悪さについて、不思議なほど「知らん顔」していたのは、そういうことだったのか、と改めて納得がいった。

 

親とはありがたいものです・・・。

 

 

 わたしの「春のソウルソング」がメランコリーな調子のものになったのには、当時のそういう状況もあったからかもしれない・・・

けど、

 

 

やはり春はほとんどの人にとって喜びの季節なのだから、

 

(わたしのように)嫌なことを思い出してはいけない(笑)

 

 

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「みんなの歌」↓ この動画が長く残っていてもらいたい・・・

https://youtu.be/TPYMu1AwKis

 

こちらが「今」の子どもたちが歌う「春が呼んでるよ」

https://youtu.be/LstnmbRIlGE

 

いつの時代も子どもは変わらない、というか、人間の「基本」は変わらないんですよね。

 

 

 ↓この動画の財津一郎さん、“異様さ”が薄れていて、ちよっぴりすべり気味?(^^)

https://youtu.be/Bz2RSbawoII

 

しかし、昔の芸人さん、役者さんが芸そのものを追及していたということはわかりますよねえ。

 

近ごろは、芸よりも力関係といいますか、権力、権力者を背景としてテレビなど「おいしい」「仕事」にありついているような人が多いように見えます。(つまり、「あちら側」のヒト)

 

昔の芸人、役者さんは「権力」とは一線を画していたんじゃないでしょうか。

権力者より、お客さん、民衆の側(がわ)にいた、と思います。

 

だから、お客さん、大衆を笑わせ、感動させるために必死だったわけで、昔の作品を見ると、それがストレートに伝わってきます。

 

この「てなもんや三度笠」もテレビという限界はあるにしても、そういう時代に属しているものでしょう。

 

だから、テレビとはいえ、出演者の皆さん、みんな必死。

プロフェッショナル芸です。

撮影はまったくの生本番、一発勝負だったそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

夕方から雨。

深夜になっても降り続いている。

 

しかし、もう冷たい雨ではない。

どこか温(ぬく)もりを感じさせる春の雨だ。

 

このあいだまで木についていたナンキンハゼの実も、今日見たらひとつも残っていない。

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左が十日ほど前で、右の画像が今日のもの。右の画像で白く見えるのは水滴の反射。

すべて鳥が食べたのか、それとも落ちてしまったのか・・・

 

f:id:hibi333zakkan:20190307004006j:plain深夜の踏切を通り過ぎて行った回送電車。

こちらにもなぜか暖かいもの?を感じるのは、

昨日まで「ぱさついた」気分に悩まされていたわたしの感情に潤(うるおい)が戻ったからか?(べつにきっかけがあったとかではなく、自然と(笑))

 

公園横の細い道

f:id:hibi333zakkan:20190307004505j:plainタンゴの「小雨降る径(みち)」のメロディーが想い出されて、頭の中で「鼻歌」風(ふう)に歌っていた。

 

帰って部屋でテレビをつけると、日産自動車の前会長だったゴーン氏が保釈されて東京拘置所から出る様子が映っていた。

 

工事用のベストをつけた作業着に青い帽子、マスク。

 

いつもならその姿を見て、想像を逞(たくま)しくしてあれこれ考えるのだが、今夜はただ、その「面白さ」に笑っただけだった。

 

同じような人が多いのか? ネットでは「変装」というより「コスプレ」なんて言い方も(笑)

(タイヘンな思いをされているご本人には失礼で申し訳ないが)

 

こんな春の夜。

 

タンゴといえば、小学6年生の時、わたしは1学期だけ放送委員というのをやったのだが、わたしが下校時に流す音楽は必ず、タンゴの「碧空(あおぞら)」だった。

 

最初この曲を選んで流したのは、曲名が難しくて読めなかったので、「どんなんだろ?」と思ったからだった。

 

ところが、かけて見ると、子ども心にも「うわー・・・これまで聞いた曲で1番の名曲だー(?)」と感動。

以来、わたしが当番の時は、必ずこの曲をかけた。

 

今でもわたしはこの曲が大好きで、その延長でコンチネンタルタンゴをよく聞くようになった。

 

・・・小学生の頃といえば、「初恋」の思い出も。(春やなー(笑))

 

わたしの初恋は小学5年生からだった。

 

5年生になった最初、席を決めるときに隣になった女の子が「初恋」の相手だった。

 

席が決まった日の午後の休憩時間、他のクラスから数人のガキ(同級生)どもが来て、その女の子の隣に座っているわたしに向かって

「わー、○○クン○○子の隣に座ってる~、スケベ~」

とはやしたてる。

 

「え?スケベ?ナニそれ?」

そのときわたしは「スケベ」の意味がわからなかったので、隣に座っているその○○子ちゃんに聞いた。

 

「みんながボクのことスケベ、スケベって言うんだけど、どういうこと?」

すると○○子ちゃんはメモ用紙のようなものを取り出して、それに「助平」と書いてくれた。

わたしは、それをしばらく見ていたが、

「あ、なるほど。これをスケベイ、と読むんだね」

と、納得?した。(ほんとうは意味不明で「?」のまま)

 

ガキどもはわたしが「無反応(キョトンとしていた)」なので、つまらなそうに自分たちの教室に帰っていった。

 

わたしが最初、ふつうの女の子としか思っていなかった(雰囲気が柔らかいので)その○○子ちゃんこそが、その小学校(というか同学年で)で、ナンバーワンのモテモテ子というか、全男子児童のあこがれの的だったのだ。

 

わたしにもそのことが段々と分かってくる。

 

いわゆるカワイ子ちゃんタイプではないが、勉強、スポーツ、図画工作、習字、その他もろもろ、何をやらせても抜群。

もちろん成績表は完全無欠のオール5(本人はそんなことひと言もいわないが、先生が公言していたからね)。

それでいて、威張ったりそれを誇るようなことも無く、本人はいたって控えめでおとなしい。

 

ちょっと「格」が違う、という感じだったのだ。

 

いやあ、本来のわたしの性格からすれば、そういう女性(女の子)に初恋とはいえ、「恋心」を抱くことなどないのだが(・・・劣等感が先にたつ)、

その子が実にわたしに親切だった。。

 

ナンデとくに優秀でもないわたしにそんなに親切にしてくれるのだ?

と不思議だったが、わたしもそれに「甘えて」?学校に行くのが楽しくなっていった(学校に行くと彼女に会えるから←いわずもがな)

 

しかし、わたしが彼女に「好意」を示すことはなかった。

心の奥底では初恋心(?)を抱いていながらも、なにせ、すべての面でその子に劣っている、という根深い劣等感に襲われていたからだ。

 

それでも彼女はそこはかとなくわたしにやさしかった。

 

わたしは小学校での「工作」が大の苦手で、あるとき「籠(かご)」を作る授業の時、途中で行き詰まってしまい、「うぎゃー」となっていたのだが、

そのときも、隣から無言でそっと手を出して、わたしが行き詰まっている部分をやってくれたりした。

 

彼女にはそのようにけっこう助けられることが多かったのだが、わたしにとっては、それはありがたいと言うより、劣等感を積み重ねるものでしかなかった。

 

ということで、心とはうらはらにわたしは彼女と距離をとっているつもりでいたのだが、なにせ、彼女がわたしに特に親切にしてくれるものだから、いつしか周囲からは「カップル」のように見られるようになっていった。

 

が、 

これが、またタイヘン。

 

彼女とは、6年次も同じクラスになったのだが、彼女のわたしへの親切、好意は変わらず、席替えの時、女の子に好きな男子の隣に行きなさいなんてやったときも、彼女はわたしを選ぶし、それぞれが友達の家でクリスマス会などをやるときも、他のグループの誘いを断って、わたしのグループに来てくれる。

 

ということで、どうしても周囲から「カップル」と見られてしまうのだが、

 

小学生とはいえ、周囲からの「嫉妬心」は当然、ある(笑)

 

小学校卒業前のときに、はやりオール5じゃないかと言われていた、勉強、スポーツともに優秀な男の子から「決闘状」を突きつけられたときは驚いた。

「は?」

てなもんで。

 

わたしが「逃げ回って」事なきを得たが、その男の子は幼稚園のときから(?)その子のことが好きだったらしい。

 

中学校に入ってからは、彼女と一度も同じクラスになることは無く、どういうわけか三年間最も遠いクラスに「分離」されたため(9クラスほどあった)、疎遠になってしまったのだが、

 

それでも、別の小学校出身の、やはり成績優秀な生徒が、わたしの悪口を言いふらしている、と部活の後輩から聞いたときは驚いた。

その生徒とは一度も同じクラスになったことがなく、口もきいたことが無かったからだ。

彼は、二年間ほど彼女と同じクラスだった・・・

 

その頃のわたしは全然気がつかなかったのだが、わたしに対する嫉妬というか憎しみは潜在的にずいぶんあったらしい。

 

40歳を過ぎて旧友同士で1泊旅行したとき、もう結婚して子どもも3人いる、それまで親友と思っていた同級生に

「小中学生の時、実は、○○(苗字)○○子ちゃんにあこがれていて、わたしを憎んでいた」

と告白?されたときは、さすがに驚いたものだった。(へー・・・・・

 

子どもの世界も実にオソロシイ・・・(笑)

 

けっきょく、高校が遠く離れた別々のところになって、彼女とはそれっきりになってしまったが、

それにしても、なぜ彼女は、(サエナイ)わたしのような男の子にそれほど親切にしてくれたのか?

 

その謎が解けたのは、大人になってからの母との会話によってだった。

 

わたしの父が四国の鉱山で火薬を扱う仕事をしていたことは前の日記にも書いた。

 

しかし、そこでの仕事は相当キツかったようで(後に父は「頭と神経を使いすぎる仕事がいちばんカラダに悪い」なんて言っていた)、父は胃潰瘍を患って同じ系列の建設会社に移って、家が一軒空いていた母方の実家のある町に住んだ。

 

そのとき父は、自分はもうダメだと思っていて、遺書なども書いていたようだが、

その町に住んでいた○○さんという人のお兄さんが、当時その県で最も大きい病院の外科部長をしていて、名医として評判が高かったので、

 

母がわたしの手を引いて、父をその人に見てもらうよう○○さんのお家にお願いに行ったらしい(わたしは覚えていない)。

 

それで、診察を受けたのだが、そのお医者さんは弱音を吐く父に

「こんな小さな子どもがいるんだから死ぬわけにはいかんでしょう」

と励まして、自ら手術してくれたらしい。

 

結果、父は全快して仕事にも復帰できたわけだけど、

そのときお願いに行った○○さんというのが、その○○子ちゃんのお父さん。

したがって、父を手術してくれたお医者さんは、○○子ちゃんの伯父さんということになる。

 

わたしは子ども時代、そのことをまったく知らなかったわけだけど、どうも○○子ちゃんはそのことを知っていて、それでわたしに好意をもって親切にしてくれていたようなのだ。

 

そう考えれば、納得(笑)

でも、がっかりした、というより、それでかえってわたしの彼女に対する「神さま度」は上がった。

やはり彼女はわたしの永遠の初恋の「女神」なのだ(笑)

 

ただ、わたしが気になっているのが、

「どんな立派な男が彼女の夫になるのだろう」

と思っていた彼女の結婚相手が、風の噂によると、案外、それほどの人ではない、ということだ。

その後、旦那さんが病気がちで、けっこう苦労している、とも聞いた(噂)。

 

それを聞いて

「あれ?ひょっとしてわたしにも可能性があったのかな?」

なんて首をひねったりしたが、

 

むむ・・・彼女が「だめんず」※といえば失礼だが、必ずしも超エリート的な男と結婚しなかったのは、わたしにも少し責任があるのかもしれない・・・

と思って、複雑な気持ちになった。

 

小学校の時、わたしみたいな「おちこぼれ」と親しくしてしまったものだから・・・(

        f:id:hibi333zakkan:20190307040942j:plain になっちゃった?

        嗚呼・・・?

 

今なら「あんな子と親しくしてはいけません」と親が言うだろうし、子どももドライなものだろうけど・・・

 

いやあ、だから、やはり○○子ちゃんは、最高の女子なのだ。

わたしの永遠の神さまなのだ。

 

世間の価値基準など何になろう。

 

わたしは陰ながら彼女の「ほんとうの」幸せを祈っている。

 

 

ああ、いい夜だなあ・・・(笑)

 

 

 

 

※ 「だめんず」という言葉は、倉田真由美氏による漫画作品「だめんず・うぉ~か~」から。

だめんず → ダメな男ばかりを好きになってしまうような女性のこと。

 

 

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いま「碧空」のスタンダードになっているアルフレッド・ハウゼ楽団の演奏を聞くたびに、わたしが小学生の時にかけていたのと「ちょっと違うんじゃ?・・・」と思っていたら、

youtubeにその当時のレコードのジャケットが!

 

バルナバス・フォン・ゲッツィ楽団!だった!(当時、すでに相当古いレコードという感じだったもんなあ・・・)

 

ルフレッド・ハウゼ楽団の華麗な演奏に比べると素朴だけれど、今聞いてもグッと胸に迫るものがあります。

[http://:title]                (kenones12さんより)

 それにしても、こちらの動画というか画像がベタ、というかスバラしすぎる(^^;)

 

有難うございます。古い曲(演奏)が全然古く感じられなくなるというか、感動が増しました。

 

こちらも

[http://:title]                                                         (eri3musashiさんより)

わたしは「小雨降る径」は「演奏」中心で、あまり歌詞つきのものは聞かないのだけれど、菅原洋一さんの「歌唱力」があまりにも素晴らしいのでお借りしました。

あと金子由香利さんのものもいいですねえ・・・

 

 

長くなってしまいました・・・

 

さて、今日は菅原洋一さんの「小雨降る径」を聞いて眠ろうかな。

(「碧空」を聞くと、あれこれ思い出して眠れなくなりそうだから・・・(笑))

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 





 

最近、「狂い咲き」が多いようだ

と、何回かこの日記で書いた。

 

今年1月の中旬頃だったか、キレイに剪定、というか刈り込まれた植木にこんな赤いものがぽつんとひとつだけついているのに気がついた。

f:id:hibi333zakkan:20190302010216j:plain たったひとつだけ赤いものが・・・

 

この植え込みは結構な長さがあるのだが、「花」?らしいものはこれだけだった。

 

狂い咲きにしては、たったひとつしかない、というのが「異様」で、誰かが造花でもくっつけたんじゃないか?と思ったくらいだった。

 

今日、同じところを通ると、木の枝がけっこう伸びていて、花のつぼみをいっぱいつけていた。

f:id:hibi333zakkan:20190302011006j:plain

ちらほらと咲いているものもあって、それを見ると、1月に見た花と同じ種類のもののようだ。

 

そうすると、やはりあれは狂い咲きの花だったわけで、

 

なんだかとても貴重なものを見た気になる。

 

「一輪(いちりん)だけの狂い咲き」   ・・・うーん。。。。。。。

 

その後、幸いに何事も無く、後継の花たちが次々とつぼみをつけているわけで、それを見ると春が着実にやってきていることを実感できる。

 

・・・

やれやれ、やっと電気代の心配をしないでいられる季節が来てくれたか・・・

(貧しき庶民じゃないとわからないよね、この気持ち(笑))

 

 

夜、部屋に帰って、何日ぶりかでアルジャジーラの英語放送を見る。

 

「あれ?字幕が出ていない・・・」

 

耳で聞くだけでは3分の1も理解できないので、目は自然と視聴者の書き込みが次々と現われるチャットの方へ。

 

ニュースの内容と関係のないものが多い(笑)が、どれもシンプルで読みやすい。

 

やはりここにも「工作員」のような人たちはいるのだろうが、意見は多彩で、(邪心のない)率直なものが多く、

日本のように、ネトウヨと呼ばれる工作員が一方的に大量の悪意の攻撃を仕掛けたり、というようなことは無いので、そういう点では安心感がある。

 

いまテレビなどすべての日本のマスメディアが「交渉決裂」と、まったく一様な煽り報道をしている「米朝首脳会談」も、外国のニュースでは冷静な扱い。

 

チャットのほうは、米朝交渉よりも、「社会主義」か「資本主義」か、のほうに関心があるようで、

「オレはアンチ社会主義だ」

とか

「自分は反共産主義だ」

などというのもあれば

「わたしはコミュニスト共産主義者)だ!」

とそれに反応するものもあったりして、けっこう面白い。

 

印象に残ったのは

社会主義は資本主義だ」

という書き込みがあって、その意見に同調する人が何人かいたこと。

 

これは、なかなか日本ではお目にかかれない意見で、中東などの外国ならではの意見かも。

 

社会主義」や「共産主義」に対する認識が、日本人と外国の人たちが微妙に違っていることがよくわかる。

 

あと、外国のニュースにおける日本の存在は限りなく小さい(少ない)ヽ(°。°)

 

今晩アルジャジーラで見た日本関連の「情報」?といえば、「NIKKEI平均」と「YEN」の相場くらいなもの(笑)

韓国のムン大統領と韓国での(日本に対する独立運動の)記念日集会の扱いは大きかったんだけどねえ(笑)

 

外国にカネをばら撒いている割には、日本の安倍首相は世界の人民には人気もなければ期待もされていない、と(笑)

まあ、「存在感がない」のがせめてもの救い、といったところか・・・(日本のウヨは特殊だからなァ。正体が見えれば世界からの「鼻つまみ者」になるんじゃないかとわたしは心配しているわけで・・・)

(安倍首相に限らず、今の日本の政治家で世界の人民に期待(あるいは「好感」)を抱かせるような人はいないねえ・・・。)

 

 

ともあれ、三寒四温(さんかんしおん)

少しづつ暖かくなってきていることが、実感できる。

 

もうすぐ春(は~る)ですね~♪ (トシがわかるなあ・・・(^^;))

 

 

もう大きな災害の来ないことを、祈ろう。

 

 

 

追記:

アルジャジーラの英語字幕は英語以外の言語にだけでした。(あたりまえのこと))

 

それにしても、アルジャジーラと日本の(民放は仕方ないとしても)公共放送?であるNHKとの差はナニ?

NHKはメチャクチャ見劣りするんだけど。

 

 

 

あんまり事実、真実を隠蔽したりフェイクニュースを垂れ流していると「神さま」の怒りを買うかも(日本政府も(笑))。

事実、真実は神さまに属していますからね。(宗教的?に言えば)

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事実、真実を隠すメディアと政府がディザスター(災害)を招く、と・・・(笑) 

 

もし災害が来たら政府とメディアのせいですよ~ (笑     えない)