今日で5月も終わり。

梅雨入り前のこの時期の曇り空を「卯の花曇り」というらしい。

f:id:hibi333zakkan:20190601131609j:plain
f:id:hibi333zakkan:20190601131645j:plain

 

 

(・・・ というところまで昨日は打ち込んで、眠くなってそのまま眠ってしまったので(-~-)、今日はその続き・・・)

 

入梅(つゆ)入り前のこの時期の曇り空を「卯の花曇り」というらしい。

 

卯の花(ウツギの花)は日本の初夏を代表する花とされていたようで、それを詠んだ俳句や短歌も多い。

 

しかし、近年は色鮮やかな花々が増えていて、花が地味なウツギは存在感が薄れ、街や公園でもあまり見なくなった。

 

だいたい、最近の日本人は、「卯の花」がどんな花なのかも知らない、という人が多いんじゃないだろうか?

 

f:id:hibi333zakkan:20190601133812j:plain ← こんな花。(画像は他のサイトからの借り物です)

 

現代人が卯の花と聞いて、真っ先にアタマに浮べるのは童謡「夏は来(き)ぬ」だろう。

 

卯の花の 匂う垣根に   時鳥(ほととぎす) 早も来鳴きて

 

忍音(しのびね)もらす   夏は来ぬ♪

             (作詞 佐佐木信綱

 

とまあ、わたしも5月が来ると、必ず思い出す歌なのだが、こうして歌詩を書いてみると、わからないものが出てくる。

 

「忍(び)音」?シノビネ?   ナニそれ?

 

ネットで調べると、

「その年はじめて聞くホトトギスの鳴き声」。

 

 もともとは、「ひそひそ声」「小声」のことなのだとか。

 

うーん。ホトトギスの声ってこんなんらしいけど

[http://:title]

この国では、「トッキョキョカキョク(特許許可局)」とか「テッペンカケタカ」と聞こえる、なんていわれている鳴き声で、

「忍び音」と表現されるような優雅なものであるかどうか?

 

ホトトギスカッコウの仲間で、鶯(ウグイス)に託卵(たくらん)する、ちょっと(ウグイスにとってはとんでもない)悪い奴でもあるし。

 

ま、どう感じるかは、あなたしだい(笑)。

 

ちなみに、作詞の佐佐木信綱さんは明治5年生まれ、戦前の帝国ニッポンの短歌と古典の「権威」で「正三位文学博士」「文化勲章受章者」という人。

 

作曲の小山作之助さんは文久3年(江戸時代)生まれで昭和2年に亡くなっている。

この歌のほかにも「敵は幾万」など、多くの軍歌を作曲し、作曲者不明と言われる童謡のいくつかも作曲したのではないか?と考えられているそう。

 

で、この「夏はきぬ」が作られたのは明治29年。

 

前年明治28年に日清戦争終結し、「次の」日露戦争(明治37年~明治38年)に向けて「軍国主義」が高揚していった時代だ。

 

そういう時代を「いい時代」ととらえるか、「悪い時代」ととらえるかも

「あなたしだい」だが、

(まあ、そう単純じゃないと思うんだけどね(笑))

 

こういう歌を聞くと

「いい時代だった」

と思う人も多いのではないだろうか?

 

たしかに、この歌は「美しいニッポン」を思わせ、かなりいい気持ちになる。

 

しかし、当時の日本のリアルな現実は、そんなにのんびりしみじみしたものではなかっただろう。

 

この頃の日本は富国強兵のスローガンの下に軍備が増強され産業が発展していく反面、財閥に富が集中し、貧富の差が絶望的に拡大、多くの民衆は悲惨な生活を強いられていた。

自殺者の割合は間違いなく世界のトップだっただろう。

徴兵制もあった。

 

この「夏は来ぬ」の歌詩も、

リアルな現実を歌ったものというより、豊かな古典と短歌の教養をもとに作られた観念的なもの、とわたしには思われる。(それだけに完成度が高い?)

 

ホトトギス卯の花も昔からよく歌に詠われる題材だ。

 

ホトトギスは40近くの漢字が当てられていることでも有名。日本では不如帰、子規あたりがよく知られている?。

 

ホトトギスでは江戸時代中期の俳人、山口素堂の

“目には青葉 山ほととぎす 初鰹(はつがつお)”

も、よく知られているが、

痛風で)もうカツオを食べることのできないわたしには毒な句となっている(笑)

 

食べたいけど、絶対に食べないぞー!(悲))

 

あと、この明治29年には東日本大震災の前例となる「明治三陸津波」も起きていて2万人を越える犠牲者が出ている。

 

この「前例」を「前例」とできずに、東日本大震災では死者1万5897人、不明者2533人の犠牲者を出している。こちらも約2万人だ。

 

いったいこの国の政府、支配層は何をしていたのだ、と思う。

 

そしてさらに、改憲軍国主義の復活?再び海外派兵?

 

貧富の差もやはり絶望的なレベルまで拡大していて、社会保障、福祉、年金も大幅後退。消滅もささやかれる。

 

そんな「改憲」を推し進める支配層が美化しているのが明治時代。

 

たしかに明治時代に作られた「童謡」は美しい、というか、われわれ日本語を母国語としている者の胸に染入る。

われわれの精神のある部分を作り上げているといっていいかもしれない。

 

しかし、民衆が貧困、生活苦、戦争苦(戦死、傷害)、災害にあえいでいたリアルな明治時代と、童謡を通じて幻想する美しい明治時代はしっかりと区別をつけておく必要があるだろう。

 

日本人は(支配層によって与えられた)妄想に支配されやすい民族だと思うので、とくにこの点は気をつけていたいものだと思う。

 

でも、音楽は音楽として十分に楽しもう。童謡に罪はないのだから。

危ないのはそれを利用して妄想に引き込もうとする人たち。\(^^)/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なるほど。

渡り鳥であるホトトギスの第一声として自分に聞こえる鳴き声のことね・・・

 

といちおう納得はしたものの、

ナンデそれを「忍び音」というのかはちょっとわからない。

 

 

 

 

 

 

 





 

おとといは日暮里の知人宅を訪ねたあと

立ち食いの「六文そば」へ

f:id:hibi333zakkan:20190530011753j:plain わたしは日暮里に来たときは必ずといっていいほど、この店に立ち寄る。

 

お目当ては、これ

f:id:hibi333zakkan:20190530012111j:plain 「五目かき揚げそば」300円。

‘脅威’の「安さ」といっていいだろう。

 

しかも、

これほど安いと、味のほうは犠牲にされて、「マズイ」というのが相場だが、

 

天ぷらは桜海老イカ、野菜などがしっかり入り、スープ(おつゆ)ともマッチしていて、ちょっとクセになるほどのものなのだ。

 

消費税8%、政府による物価値上げ路線下でこの値段と内容を維持しているのは、

 

「庶民栄誉賞」? ものではないだろうか?

 

消費者密着の中小、個人商店さんはほんとうにがんばっている。

 

それでも、消費税が10%に上げられれば、もうこの値段は維持できないだろう。

 

わたしは、この「五目かき揚げそば」を守るためだけでも、消費税増税反対のデモに参加する意味があると思っている(笑)。

 

庶民のために必死の努力で利便をはかってくれている商店(あるいは企業)を助ける、守るためにも、消費税は「廃止」すべき。

 

山本太郎さん、共産党さん、社民党さん、頑張って~~~。

 

ということで(笑)。

わたしも護憲と消費税廃止のために、頭数(あたまかず)の一人となって(できる範囲で)がんばる。

 

 

 

今日はやむを得ない?用事で渋谷に。

     f:id:hibi333zakkan:20190530015358j:plain

 

じつは、わたしは渋谷が苦手。

 

東京に来た最初からそう。

 

駅も苦手だし、街も。

歩いているだけでヒドく疲れる。

 

理由はわからない。

 

渋谷といえばNHKがあるから、街(まち)じたいが排他的かつ「ウソつき」に見えるからかな?

(さすがにこれは(半分?)ウソ(笑)

しかし、東京きってのハイソな繁華街といいながら、植え込みや歩道はかなり荒れたりしているんだよなあ。

f:id:hibi333zakkan:20190530034957j:plain
f:id:hibi333zakkan:20190530034901j:plain
f:id:hibi333zakkan:20190530035046j:plain
f:id:hibi333zakkan:20190530035218j:plain

こういうのは街の人々の(やや荒れた)心を反映しているんじゃないだろうか?

左端、目立つところはキレイにしているけど、少し坂を下るとねえ・・・。

右端、まだ「秋」(の紅葉の季節)ではないと思うんだけど。)

(予断と偏見、ゴメンナサイ) ← あらかじめ謝っておこう(^^;)




朝からの体調の悪さもあって、帰ったらくたくた。

 

ちょっと横になって休んだあと、

野菜ジュースと丸美屋の「とり釜めし」で夕食。

(五目釜飯がほしかったのだが、お店になかった)

食後にホットミルクとバナナ一本。

 

1日1本と決めているタバコをふかしながら、昨日起こった川崎の通り魔事件の情報をネットで検索。

 

うーん。

 

あの大教大(国立)付属池田小学校の事件と今回の名門私立小学校児童&保護者殺傷事件の類似性は多くの人が指摘していて、

わたしも、それは同感なのだが、

 

もうひとつ、相模原の障害者大量虐殺事件も、内容は180°正反対に見えるものの、「根っこ」は同じなんじゃないだろうか?・・・

 

ともあれ、この何十年間かの間、政府がろくなことをやってこなかったツケが出てきているのだろうと思う。

 

富の一極集中、格差の拡大。

 

そして、追いつめられていく、貧者、弱者、

 

さらには、(差別・選別、排除の論理の)日本政府・企業・社会から「排除」され、とことん追いつめられて行く人々。

(悪質な棄民(きみん)路線・・・)

 

団結(結託=けったく)している1%派の権力者、利権屋。

バラバラにされ、富を奪われ、互いに助け合うこともままならない99%の民衆。

 

・・・いやあ、

ほんとうに今日は疲れた。

これ以上は考えられない。(眠気)

 

アタマをからっぽにして、とりあえず、とにかく、眠ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5月だというのに気温30°越え。

ついこのあいだまで「寒(さむ)~」なんて言っていたのに。

 

今年の春、「いい気候」を実感できたのは実質1ヶ月くらいかな?

 

春夏秋冬。四季ということにいちおうなっているわけだから、3ヶ月(=1年の4分の1)とは言わないまでも、2ヶ月くらいは「春」のいい気候でいてもらいたいもの。

 

昔はそうだったと思うんだけどねー?

 

春と秋が短くなって、夏の暑さと冬の寒さが長く厳しくなる。

これは、近年の人間社会に自然が「反応」しているのかも?

 

なんちゃって(笑)

 

でも、案外、そういうこともありそうな気がする今日この頃の気候と人間(日本)社会。

f:id:hibi333zakkan:20190525022938j:plainやっとアジサイの花が開きかけたばかりだというのに、エアコンを「除湿」or「冷房」にしてうちわを使っているという・・・。

 

それにしても、年を重ねるにつれ暑がりになってきたなァ。

 

子どもの頃は夏がいちばん好きな季節だったんだけど。(夏休みがあったからかも(笑))

 

暑くなる直前、数日前に、5月の「街角の花」を見ておこうと、文京区まで「遠足」?をしていたのはよかった。

もう出歩く気はしないものねえ。

f:id:hibi333zakkan:20190525022826j:plain
f:id:hibi333zakkan:20190525022905j:plain
f:id:hibi333zakkan:20190525024005j:plain
f:id:hibi333zakkan:20190525023929j:plain
f:id:hibi333zakkan:20190525024445j:plain

左の2つの画像は、やや暑さを感じさせるタチアオイ。右の3つの画像は「卯の花」(うのはな)?。中側のふたつの花はたぶん(ウツギ=卯の花)、いちばん右側の画像は間違いなく「卯の花」(うのはな)(笑)(※①)

 

仕事やゼニカネのことを忘れてのんびり歩くと、東京もけっこう「見るところ」があって楽しい。

普段は人間性を喪失しているように見える東京の人々も、心の奥底には花を愛する気持ちがあるんだなあ、

と思えるほど?(笑)5月の東京の街角にはいろんな種類の花が溢(あふ)れている。

 

f:id:hibi333zakkan:20190525023112j:plain
f:id:hibi333zakkan:20190526012037j:plain
f:id:hibi333zakkan:20190525023334j:plain
f:id:hibi333zakkan:20190526013159j:plain
f:id:hibi333zakkan:20190526012409j:plain

花屋さんの店先も賑(にぎ)やか

f:id:hibi333zakkan:20190525023409j:plain
f:id:hibi333zakkan:20190525023453j:plain
f:id:hibi333zakkan:20190525023527j:plain

今は「ヒアルロン酸」くらいでしか注目されないニワトリの鶏冠(とさか)から花名をとった鶏頭(ケイトウ)も、最近では小さく可愛いものに変わってきているよう。

 

空き地の草花(雑草?)も東京で生きようと必死で?頑張っている。

f:id:hibi333zakkan:20190525023158j:plain
f:id:hibi333zakkan:20190525023300j:plain
f:id:hibi333zakkan:20190526014843j:plain
f:id:hibi333zakkan:20190526012258j:plain

右端なんて、まるで誰かが意図的に植えたかのように三種類の雑草が整然と並んでいる。

 

 

f:id:hibi333zakkan:20190525023009j:plain 花ではないけど、途中にあった美しい庭の禅寺。人影は無し。江戸時代そのままのような風情・・・

 

f:id:hibi333zakkan:20190526012137j:plain いいなあ・・・

 

この日が今年最後の春、あるいは「初夏」だったのかな?

今年は初夏がなくて、いきなり「夏」という感じだものナァ。

 

菊坂あたりへ

f:id:hibi333zakkan:20190525023736j:plain
f:id:hibi333zakkan:20190525023818j:plain
f:id:hibi333zakkan:20190525023854j:plain

蔦(つた)のからまる銭湯(この日はお休み)と、うれしくなってしまう建物の柱(笑)。

がんばりましょう\(^0^)/

 

菊坂では樋口一葉ゆかりの井戸を見たいと思っていたのだけど、見つけられず。残念。

後で調べると、路地の奥にあって、案内板も表示もない、とのこと。

 

樋口一葉が死んだ年に発表された「たけくらべ」は、伊勢物語の筒井筒(つついずつ=丸く囲った井戸)から着想を得ているそうなのだけど、

 

平安時代初期に書かれた伊勢物語では井筒で背比べをしていた幼馴染(おさななじみ)が成長して、やがて一緒になる(結婚する)という、いわば初恋が実る話になっているのが、

 

樋口一葉が書いた「たけくらべ」では、女の子が「遊女」になることを運命づけられていた、という、悲恋物語になる。

 

平安時代よりも明治時代のほうが人間にとって残酷な社会になっている、ということなんだろうなあ、

と、考えさせられてしまう。

 

伊勢物語は高校の「古典」教科書の定番で、わたしも学んだことがあるのだが、その内容はほとんど覚えてなく、ただ「文法」やらなにやら、テスト用のものとしての枝葉末節のことばかりが授業でやられていたように記憶している。

伊勢物語に限らず、古典はすべてそんな感じ。

 

まあ、日本の「古典」を「内容」中心のものにすれば、やたら「惚れたはれた?」の男女関係のものばかりなので、

 

内容に深く立ち入ることを避けて、そうなるのかもしれないが?(笑)

 

伊勢物語も、プレイボーイ(在原業平)の一代記のようなもんだし。

(筒井筒の段は在原業平は関係ない)

 

 

・・・・・最近、なんだか初恋にこだわっているなあ(笑)

 

これまで、過去は振り返らずのハードボイルド人生を送ってきたわたしなんだけど、トシをとると、やはり人並みに人生を振り返るようになってくる。

 

それではじめて、わたしはわたしの人生における初恋の影響の大きさに気づいた、というわけ。

 

単なる淡い思い出と思っていたものが・・・

 

そう、振り返ってみると、高校時代、大学時代を通じて、わたしはどんな女性にもほんとうの恋愛感情を抱くことができなかったようなのだ。

 

けっこう素晴らしい女性が回りにいたし、女性の「友人」や可愛がっていた後輩もいたし、(軽い?)おつき合いをした女性もいた。

 

しかし、どんな女性を見ても、初恋の彼女「以下」と思っていたようなのだ。

 

だから、どんな女性もでもわたしの心にぽっかり開いた穴を埋めることはできず、

お付き合いも深まることは無かった。

たぶん、わたしは周囲の女性たちからは、ずいぶんヘンな男と見られていただろうと思う。

 

わたしはなんともいえない「空しさ」に捕われていた。

(しかし、当時のわたしにはその原因がまったくわからなかった!)

 

わたしが一時過激な学生運動に走った(※②)のには、いろいろな動機があるのだけれど、まったく気がつかない潜在的かつ最大のものがそれだった!

 

と、やっとこのトシになって理解できた次第。

 

そして、この「後遺症」は30歳を過ぎるころまで続いていたようなのだ。

 

うーん、人生を振り返るというのはやはり大事なことなんだなあ

 

すべてのことに「原因」があり、その「結果」があるのだ、ということがよくわかってくる。

                f:id:hibi333zakkan:20190526041420j:plain

(複雑にからみあっているけれど・・・)

 

 

目的地の文京区立真砂図書館に到着。

f:id:hibi333zakkan:20190526024716j:plain ありゃー・・・・・・

以前来たときには、何本かの古い木があって、緑に囲まれていた公園が・・・

 

暑い日に日陰を提供してわたしを癒(いや)してくれたあの木は切られてしまった?

 

もしそうなら・・・

 

文京区いや東京、いや、日本社会は人間にも植物にもキビシイのだなあ、と改めてしみじみ・・・

 

 

図書館で本を読み、外に出ると日が暮れかかっていた。

図書館のある台地?から見る夕暮れの景色はちょっと絵画のよう。

f:id:hibi333zakkan:20190526025756j:plain

 

初夏の終わり?

 

 

 

 

▽▽▽▽▽▼▼▼▼▼▽▽▽▽▽▼▼▼▼▼

※①

わたしら、それをふつうに「卯の花」と言っているんですけど、正確には「卯の花あえ」とのこと。

卯の花」はこちら↓

 

         f:id:hibi333zakkan:20190527033442j:plain 調理前の「おから」。

その「白さ」がウツギの花=卯の花を思わせたので、「卯の花」と言われるようになったようです。

 

 なるほど。。

 

 ※②

hibi333zakkan.hatenadiary.jp

 


 

 

 

 

 

 

 

 





 

 

 

 

 

 

 

 












 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5月6日。ゴールデンウィーク最終日。

隣の駅までふらりと散歩。

 

若葉と花の季節。

どこの公園や、家の生垣、家先、庭にも綺麗な花が咲いている。

 

f:id:hibi333zakkan:20190509174334j:plain
f:id:hibi333zakkan:20190509174506j:plain
f:id:hibi333zakkan:20190509174542j:plain

 

歩いても歩いても、若葉の緑、そして花、花、花。

こういう風景を見ていると、東京は美しい、と思う。

 

しかし、 

かつて日本きっての思想家であった和辻哲郎氏は、それまで住んでいた京都に比べて、

 

「~東京の樹の葉の緑が実にきたなく感じられて、やりきれない気持ちがした。」

「いったい東京の樹木は、京都のそれに比べると、ゲテモノの感じである。」

 

などと書いて(「京の四季」)、東京の樹木の「不愉快さ」を嘆き、京都の「緑」を懐(なつ)かしんでいる。

 

 けれど、

もうかれこれ30年近く東京に住んでいるわたしにはその感覚はわからない。

 

40年ほど前、春の季節に京都に3ヶ月ほど滞在したことがあるのだが、そのときの印象では、「緑」に関しては今の東京とあまり変わらないように思えた。

 

樹木はともかく、人々が花を美しく咲かせているということでは、東京も捨てたものではないと思うのだが?

 

f:id:hibi333zakkan:20190509174721j:plain ただ、東京で咲いている花は見た目はとても美しいのだが・・・

 

匂いというか、香り、

これが「良くない」とは感じる。

 

わたしが18歳まで住んでいた田舎で咲いていた花々とはその匂いが明らかに違う。

 

なんというか・・・東京の花の匂いを嗅(か)ぐたびに、くすんだ、というか、どこかに少し悪臭を含んだように感じるのだ。

 

和辻氏は、東京の樹木の「緑」が良くないことについて

「これも火山灰でできた武蔵野の地方色だから仕方ない」

として、

「土」が原因のように書いているが、

なるほど、

火山灰が降り積もってできた関東地方の「土」と、花崗岩が風化したものが多い関西地方の「土」の違いというものはあるのかもしれない。

 

しかし、わたしが数年間住んだ大阪の樹木、「緑」は東京と変わらず、東京よりまばらな印象で、花の匂いもそう良くなかった気がするし、

 

同じように数年間すんだ神戸市は、緑が豊かで、花の匂いも東京や大阪より少しは良かった気がするのだが、

 

やはり、わたしの田舎の緑、花の匂い、ほどではない。       

 

都会の花の匂いが悪いのは、土のせいか、空気のせいか、肥料のためなのか、

まあ、いろんな原因があるのだろう。

 

両親が亡くなってからは縁が切れたようになり、一度も訪れたことのない田舎だが、死ぬまでにはもう一度、あの緑と花の匂いを思う存分嗅ぎたい、とは思っている。

 

わたしの価値観では、花は見た目の美しさよりも、匂い、香りの良さ、なのだ。

 

ちなみに、女性も都会の美しい女性よりも、田舎(育ち)の素朴な女性のほうがいい。  ← ?  (わたしの苦(にが)い経験上(笑)) (^^;)

 

(でも、トシをとればみんな同じになっちゃうんだけど(笑))

 

 

f:id:hibi333zakkan:20190509174912j:plain
f:id:hibi333zakkan:20190509174945j:plain

帰路、別の道を歩いていると、こんな光景が。

 

アイビー(つた)系の街路樹?が歩道と車道を隔てるフェンスを一部飲み込んでしまっている。

 

植物のたくましさを感じると同時に、これを許している人間の優しさが・・・

 

と思ったら、

 

f:id:hibi333zakkan:20190509175011j:plain やっぱりね・・・

日本のお役所は甘くありません。

 

 

帰宅すると、わたしの部屋のエアコンの室外機の前に野の花がひとつ。

f:id:hibi333zakkan:20190509175148j:plain いつの間に?

これまで全然気がつかなかった。

 

最初はヒメジョオンかと思ったのだけど、この季節でこの気候だとハルジオンの可能性が高い。

f:id:hibi333zakkan:20190509175125j:plain 背の高さも30cmくらいだし。

(ハルジオンはだいたい30cm前後。ヒメジョオンはそれよりやや高く50cmくらいらしい)

 

これまでそこに植物が生えているのは見たことなかったので、ポッと突然咲いた感じ。

不思議な気持ちがした。

 

気になってハルジオンの花言葉を調べると、ハルジオンだけの花言葉は無く、

ヒメジョオンなども含めた「紫苑(しおん)」系の花をひとくくりにした花言葉になるようで、

その花言葉

 

「君を忘れない」 「追想の愛」 「追憶の愛」

 

とか。

 

このところ、追想にふけることが多かったからあんな花が咲いたのかな?

 

 

夜になって、眠ろうと横になると

 

 すっかり忘れていた、あることを思い出した!

 

3月7日の日記でわたしは「初恋」について書いた。

 

hibi333zakkan.hatenadiary.jp

 そして3月27日の日記では、小学校3、4年次の担任だった女性教師のことに触れた。

 

hibi333zakkan.hatenadiary.jp

 わたしはその女教師をずっと恨んでいたのだが・・・

 

どうして、あんな大切なことを忘れていたんだろう?

 

わたしは初恋の女の子とは中学校を卒業して、それっきりだと書いたし、ずっとそう思ってきた。

 

しかし、高校を卒業していくばくもないころ、わたしは近所の同級生の女の子に、

「中学校時代のみんなが集まっているから」

といって誘われた。

 

行ってみると、7~8人の同級生が集まっていて(ほとんどが女の子だった)その中に初恋の女性がいたのだ。

 

そして、その同級生たちを集めたのは、あの小学3・4年次の担任だった女性教師だった。

そして、女性教師は彼女の隣にわたしを座らせた。

 

彼女はわたしを見て

「太っちゃって」

と、少しさみしげな様子でいった。

 

そこには中学時代より少しふっくらして女性らしくなった彼女がいた。

 

わたしは何も言えなかった。

 

すると女性教師が助け舟を出すように、

「○○子ちゃんは○○○音大に行くのよね」

 

東京の有名音大のピアノ科に行くのだそうだ。

 

わたしは東京ではないローカル?の私大文系。

 

話は弾まず、そのまま解散になって、今度はほんとうに彼女とは「それっきり」になってしまった。

 

そのとき、もしわたしが東京の大学に行っていれば、

「また、東京で会おうか」

という話になって、別の展開(1%くらいの可能性)になっていたかも、と夢想するのだが・・・(くくく・・・)

 

(じつは東京の大学も1校合格していたのだが、東京の某駅を上がっているとき、走って降りてきた30歳代くらいの女性に「ジャマ!」という感じで突き飛ばされたのがトラウマになったのと、東京の物価の高さに恐れをなして、そちらのほうを選んでいた・・・嗚呼)

 

男女関係も「運」なんだよなあ。

とつくづく、

 

このことを思い出して、眠れなくなって、起きて、コーヒーを沸かして一杯。

 

それにしても、あの女性教師。

なぜ、そんなことをしてくれたのだろう?

 

(そのことをすっかり忘れて)「恨んでいてごめんなさい」

と心の中で謝るべきか?

 

それにしても、そんな大事なことを忘れ去っていたわたしの記憶の不思議。

なぜ?なんで?

これは、どうにも理解できない・・・

 

(以前、記憶障害みたいなことがあって、MRIで脳を診断してもらったのだが、「異常なし」ということだった。

でも、やはりどこかに「欠陥」か「異常(病変)」があるのかも(怖))

 

 

みなさんも、いたずらに人を恨むようなことはしないで、よく記憶をたどったほうがいいですよ。

(しかし、5・6年次のあの男性教師への恨みはまだ残っているなァ(笑))

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日、5月9日。

朝、窓を開けてあのハルジオンを見ると、

「まだ咲いてますよ」

と、挨拶をするように首をふっていた。

f:id:hibi333zakkan:20190509175209j:plain

 他にも何か思い出すことがあるのかな?

 

 

7日の夜から、中学一年生のとき、彼女が何かの?発表会のとき体育館で弾いたベートーベンの「悲愴」を聞いている。

 

「第一楽章」、「第二楽章」、「第三楽章」。

 

そのとき彼女がどの楽章を弾いていたかわからないし、当時のわたしは聞いていてもさっぱり理解できなかったが、

いまは、どの楽章を聞いても胸に沁みる。

 

小学校6年生のとき、ベートーベンとチャイコフスキーが大好きだと語っていた彼女。

 

案外、わたしとメンタル面では近かったのかも?

(わたしの場合大人になってからだけど)

 

ひょっとして、お互いに世間的なシアワセとはほど遠い感性の持ち主だった?

(違っていたらゴメン(笑))

 

 

 

 https://youtu.be/mIn8XSVb5l0

 

https://youtu.be/ngjCZD5KybI

 

https://youtu.be/jajZnldXWyw

 

目を閉じて聞きながら、たまに楽譜をチラ見(笑)

 

(半世紀も昔の)当時のイナカの中坊がこれをきいてもねえ・・・

(有名な第二楽章さえ(町の大人も含め)誰も知らなかったと思うよ)

 

わたしと仲の良かった(ヘアスタイルが)ベートーベン似のブラスバンド部顧問の音楽の先生も、「ホー」という感じで、ポケッと聞いていたもんなァ(笑)

 

小学生時代音楽が「2」だったわたしがブラスバンド部で、未熟にブカブカやっているのをバカにせず、優しい目で見ていてくれた彼女に改めて感謝。

 

やっぱり、彼女と出会えたのは人生の大きな財産だったなァ。

 

幸せな思い出をありがとう。

 

複雑(な気持ち)だけど(笑

 

 

 

 ∥∥∥∥∥∥∥∥∥∥∥∥∥∥∥∥∥∥∥∥∥∥∥

 

今は、ハルジオンの歌も結構あるんだなァ

 https://youtu.be/qq7nuVpdiZw

 

↓こちらは、わたしが18歳だったこの年に、菅原洋一さんと倍賞千恵子さんがレコードをリリースして流行った、

忘れな草をあなたに」 

 

https://youtu.be/vuueOK-XdBM

 

忘れな草とハルジオンは開花期が同じなんですね(4月~6月)。

 

 

それにしても、半世紀近い時の流れに、

 

やや呆然(ぼうぜん)。

 

ついこのあいだのことのように思えるのに、世の中も人々の意識も大きく変わっていることが実感できます。

 

ともかく、平和が続くことを祈るのみ。

 

この国と世界を平和に保つ。

これがわれわれの世代に残された最後の使命じゃないでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

                          

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 


















 

昨日、日曜の朝9時前に、ふいの訪問者。

まだうとうとしていたのだけれど、あわてて起きて対応。

 

なんとNHKの訪問員さんだった。

「放送受信料の件で」

とのこと。

 

じつはわたしは二ヶ月ほど前に引越したばかり。

 

「いや、うちにはテレビの受像機がないんですよ。テレビを買う気もありませんので」

と言うと、

 

「パソコンとか携帯電話はお持ちですよね」

 

「はあ、それはありますよ」

 

「携帯にワンセグ機能がついていれば、お支払いしていただかなくてはいけませんので」

 

ゲッ、この前そんなおかしな判決があったと記憶はしていたが、もう、それを“錦(にしき)の御旗(みはた)”にそのような“強要”がやられるようになっていたのかア・・・!

 

それでも、テレビも見なければ、携帯のワンセグもほとんど見ないのに、毎月千数百円のお金を払わされるのには抵抗がある。

 

ということで・・・

 

とっくに枯れ果てて消えていたはずの、昔の性格の悪いわたしが蘇(よみがえ)ってしまった。

(あ~~~、なんてことをしてくれるんだ!)

 

以下、性格の悪さが生き返ってしまったわたし↓(^^;)訪問員さんに一方的にまくしたててしまう・・・

 

「なるほどねえ、そんな気の○った裁判官の判決があったってことは知っていますよ。だけどね、民主主義に反するそんな異常な判決にわたしは従う気はありませんからね。

 

訴訟を起こすならどうぞ起こしてください。

 

だいたい、わたしがテレビの受像機を持っていないのは、NHKがキライだからなんです。(← これは半分ウソ。すべてのテレビ局がイヤ、というのが“本当”)

 

NHKさんは会長さんも経営委員も右翼系や独占企業系の人で固まっていて、わたしのような庶民とは利益が相反する人たちです。

いまは、なかんずく庶民や弱者をいじめている政権の手先というNHKさんの本質がもろに出ています。

わたしは偽善を見抜く力だけは人一倍あるんですよ。

ネット情報などを見ましても、

いまわたしたちを守ってくれている憲法を守ろうともしていない、どころか、憲法改悪を推進しているように思えます。

たしか、いまのNHKの会長さんはもと日本会議の人でしたよね。

 

北朝鮮報道、韓国報道、中国報道も明らかに右翼偏向(うよくへんこう)していて、戦争を煽(あお)っているようだとか。

 

これは、明らかにわたしの思想信条に反します。

わたしは民主主義者であり平和主義者です。

戦争体制への協力と民衆の軽視、民衆を欺(あざむく)くようなNHKは明らかにわたしの思想信条の敵です。

 

友人に聞いたら、いまのNHKのアナウンサーさんなどもみんなネトウヨみたいなのばかりだとか。

権力を背景とした右翼的傲慢ないやらしさがにじみ出ているらしい。

 

あ、これは友人の感想ですよ。

 

だいたい、わたしはテレビ自体が現代日本社会における害毒だと思っていますのでね。

その中でもNHKはとくに危険だと思っています。

 

そのような、思想信条を異にする、嫌悪すべき存在であるNHKに強制的にお金を払わなくてはいけない、というのは、もうこれ、ファシズムです。

 

政府の広報機関だというなら、税金にすればいいではないですか。

そのほうがまだスッキリします。

 

とにかく、わたしはいまのNHKさんにお金を払う気持ちはさらさらありません。

 

裁判所が月々千数百円払えと言ったら、そのお金をわたしは民主主義を守ろうとしている市民団体か、弱者のために活動してくれている組織に寄付します。

 

したがって、たとえ裁判所の命令が出ても、わたしはそれを拒否して刑務所でも何でも入る覚悟ができていますし、強制執行されてもかまいません。殺されてもかまいません。

 

ということで、一切、いまのNHKさんにお金を払う気持ちはございませんので、煮るなり焼くなり好きにしてください。」

 

あきれて聞いていたNHKの訪問員さん。

「・・・でも、お支払いいただかなくてはいけませんので。また参ります」

ヤバイ奴に当たってしまった、という気持ちを押し隠して?帰っていったが、

 

「もう来ないでください」

というわたしの最後の言葉は耳に入れないようにしていたみたい・・・

 

また、来るんだろうなあ、しつこく(笑)

 

せっかく平穏かつ心静かに暮らそうとしているのに・・・

 

ヤクザ屋さんや警察と同じようにマスコミ、とくにNHKは“関わりになりたくない”もののひとつになってしまった、

どうも、平穏に暮らさせてくれないようだ・・・

 

平穏に暮らしたければ、カネを払えって?

しかし、それも業腹(ごうはら)・・・庶民としての、民主主義者としての敗北感持っちゃうし・・・

だいたい、100%信用していない組織?と関わるのはイヤ。名前さえ知られたくない・・・。

 

 

ということで・・・

 

でも、 

ホントわたしは性格悪いなあ、という気持ちにもなってしまって、その後、少し落ち込んだのだが・・・

 

知人の女性にそのことでメールを送ると

「そうよねえ。テレビも無いのに料金を徴収するのはおかしいわよね」

という、理解ある返事をいただいたので、気分的にやや救われる。(笑)

 

しかしわたしだけではなく、どうもいまNHKと日本国民の軋轢(あつれき)は激しくなる一方のようで・・・

 

https://youtu.be/hzjOD62oNy8

 

しかし、NHKの訪問員さんや集金人の人たちはほんとうにカワイソウだ、という気持にもなるんだなあ・・・。

 

おそらく、彼ら彼女らは「非正規雇用」。

高収入と高待遇、高い社会的地位を謳歌できる正規採用のNHK職員さんや幹部とは違う人たちだろう。

 

いまの日本の大企業、なかんずく大マスコミなどは、厳しい業務、汚(よごれ)れ役を非正規雇用の現場労働者にすべて押し付けるようになっている。

 

木でいえば土の中で養分を取り入れる「根」の役割を担っているのが非正規労働者で、その養分を吸い取って気持ちよく日のあたる場所で花を咲かせているのが正規職員、幹部といったところだろう。

 

矛盾も汚い仕事も理不尽なことも、すべて非正規労働者(あるいは下請け零細企業の現場労働者)が被(かぶ)る。

非正規労働者(あるいは下請け零細企業)とは、次々と切り捨てられる木の根っこのようなものなのだ。(生物としての木はそんな差別も非情なこともズルイこともやらないだろうけど)

 

そして、何か問題が起きても、「本体」は非正規労働者のせいにしていればいいわけだ。

 

世間も、「なるほどそういう(非エリートの)人間なら仕方ないな」と納得して、会社自体にはさほど傷はつかない。

 

日本社会はそういう構造になっている。

 

NHKもまさにそうだろう。

 

だから、わたしとしては非エリートたる現場の訪問員や集金人の人たちはあまり傷つけたくないわけで、

なるべく、NHK本体に対する対抗法を考えて行こうと思っている。

 

が、なかなか「現実」はキビシイからなア。

どうなることやら(笑)

 

ただ、NHK本体にも気の毒な面があることは認めてなくてはいけないので、

 

・・・・・・

「もう昔の(マシだった)NHKは時代遅れになってしまったんでしょう?これからのあなた方は

(いまのおいしい組織を存続させようとすれば)

民衆の敵、民衆を害する悪の組織としてしか存続しえないんですよ」

(いまのNHKはNTTになる前の、極悪組織といわれたあの旧・電電公社に似ているかも)

 

と、付け足して、今日のこの話題はオシマイにしよう(笑)。

 

 

 

夕方からは、区長選挙、区議会議員選挙の投票へ。

途中、公園のもみじの若葉やツツジの花をながめながら歩いていると嫌なことを忘れる。

f:id:hibi333zakkan:20190423012737j:plain
f:id:hibi333zakkan:20190423012817j:plain

さて、誰に入れようかな?  

                    f:id:hibi333zakkan:20190423013601j:plain

どの政党の人に投票したかはナイショ(笑)

 

自分の選択で投票した後は、清々(すがすが)しい気分になる。

 

いま選挙も政党も信用を失っていて、投票率が大きく低下しているのは残念だ。

 

ファシズム化して行く日本。希望を失う民衆。

 

この先どうなるやら。

 

 

 

///////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

 

4月24日は1月23日・26日の日記で触れた森田童子さんのご命日だとか。

このライブ録音を聞いて、ご冥福を祈ろう。

 

この寒くて憂鬱な冬を救ってもらいました。

 

しかし・・・この声!

https://youtu.be/wUmuOVz_HRc

 

地方のNHKスタジオでの録音だとか。

NHKさん、ありがとね(^р^)

(ほんとうにお礼を言うべきなのは、これを録音、保存してUPしてくれたy tomiokaさんみたいだけど(笑))

 

訪問員さんを困らせないよう、なるべく早くワンセグ機能のない携帯に変えておきますよ(笑)。

 

ともあれ、わたしなりの童子忌。

このライブを聞いて、静かに手を合わせよう。

 

 

 

 



 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

いったん暖かくなりはじめて、このまま気温が

上がっていくのかな、と思っていたら、

桜が満開の頃から、また冬に少し引き戻されたかのような寒さになり、今日もかなり寒い。

 

花冷え(はなびえ)がずっと続いている状態といえば、そうかな?と思うけど、桜の花もかなり散った状態での、こんな寒さの継続は珍しいのではないだろうか?

f:id:hibi333zakkan:20190412233541j:plain  (今日見た桜。花半分、若葉半分。寒さもあって元気なさげに見える。)

 

元号が「令和」に変わるまであと半月あまりだが、つい、「令和」ならぬ「冷和」の文字がアタマに浮かんでしまう、         寒っ・・・

 

元号をお決めになったアベ首相はこの寒さにさぞ気をもんでおられるのでは?などと思ったりもするのだが、

 

阿諛追従(あゆついしょう)、おべっか、ごますりに囲まれて“裸の王様”状態であるらしき首相にあってみれば、そんなことはべつに気にならない、というか、「思いもしない」というのが実際のところだろう。

 

この「元号」も、そういう環境から出てきた「匂い」がぷんぷんする(笑)

 

ちなみに、わたしは、今の政府(首相)がこの次の元号を「令和」(れいわ)としたのは冷、じゃなかった、「令」=クール、「和」=ジャパンで、「クールジャパン」をイメージしたのではないか、と思っている。

 

また。「ラリルレロ」のラ行が頭に来たのは、外国の人にも発音しやすいように配慮したのだろう?

 

日本語の「名詞」でラ行が頭にくるのは「外来語」か「外国由来のもの」がほとんどだ。

 

どうして?と知識浅薄なわたしに聞かれても困るが、

五十音をアイウエオ、カキクケコと順番に発音していっても、ラ行だけが明らかに舌の使い方が違うことはわかるだろう。

 

わたしは、もともとは接尾語として発音されるだけだった「ラ行」の音が、外国の人やモノに対応するために、名詞の頭に使われるようになったのではないか、と考えているのだが、わたしは専門家でもなんでもないので、これはあくまで想像の域(いき)。

 

「ラ」行の言葉が一気に増えるのは明治期以降で、現代人にいたっては「ラ」行の言葉にまったく違和感を抱かなくなっている、

どころか、

若者、とくに若い女性などは「レイワ」と聞いて、「うわー、カッコいい!」と喜んでいたりして・・・

 

これも「国際化」による日本人の変化なのだろう。

 

それはそれでいいことかな、と思うが、

 

「ラ」行を頭に持ってきて、

「国書」がどうのこうのというのは・・・ねえ 

 

(アベ首相、万葉集を読んだことあるのかなァ?)    

 正直に、

「みなさーん、カッコいい元号ですよー」

「クールジャパンですよー」  「外国の人も発音しやすいでしょー」

と、

言えばよかったのに(笑)

 

ともあれ、もう「寒さ」はいいので、早く暖かくなってほしい・・・

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

https://youtu.be/GgEovnjtU9A

 

外人さんも発音しにくいみたいだ(笑)

 

それにしても、この動画の外人さん知日派

 

意外と、この人みたいに日本語ぺらぺら(日本人のネイティブレベル(笑))で日本のことを熟知しているアメリカ人って多いんだよね。

 

これで思い出しちゃったんだけど、昔々、わたしにはこのレベルの日本通のアメリカ人の友人が2人いた。

 

ある日、そのうちのひとりが偶然わたしを街で見つけて声をかけてくれたんだけど、見ると、とてつもない大男と一緒。

 

しかも、明らかに「ふつうの人間」ではない。

 

しかも、その大男はその友人とわたしが挨拶を交わしているあいだ、ものすごい表情でわたしをニラみつけている。

 

「なんだよこれは~」

わたしのキン○マは一瞬のうちに身体の中に避難。

わたしは縮みあがった。

 

大男はわたしを指差して「こいつはナンダ」と、その友人に聞いている様子。

友人は必死に説明、

やがて大男の緊張はとけて、スッと手を差し出してくれた。

 

しかし、握手している間も大男の眼光は鋭いまま、にこりともしない。

 

彼らと別れても、わたしのキン○マはしばらく体内に隠れたままだった。

 

その大男は、プロレスラーのブルーザー・ブロディ

 

プロレスに疎(うと)いわたしも名前だけは聞いたことがあったので、

友人から紹介されると、

「あはは・・・す、すごいですね。わたしもフアンなんですよ(←ウソ)」

といって、友人がそれを伝えてくれたが、ブロディさんは少し首をひねっただけで、表情は変わらない(そのときはかなり柔らかくなっていたが)。

「ホントか~?(ウソつけこの野郎)」

と思っていたのかもしれない。

 

少し話をして別れたが、怖かったものの、嫌な印象はなかった。

 

後にその友人とそのことについて話したとき、友人も

「いやー、岩(いわ)みたいだったよねー」

なんて言っていたから、あの体格はアメリカ人もびっくりなのだろう。

友人はそのときブロディさんの通訳をしていたということだった。

 

そのブロディさんが後に刺殺された。

 

そのニュースを見たとき、

「マジメ、真剣、神経ピリピリ、警戒心が強い」

といったブロディさんの、そのときの印象を思い出して、

「内面的に真面目すぎて、妥協のできない人だったのかなー」

なんて思ったものだった。

 

ブロディさん、

今では「超獣」なんていわれて、フィギュア界で人気なのだとか。

f:id:hibi333zakkan:20190413202324j:plain 今や完全に伝説の人。

ひょんなことで握手できたわたしの印象では、「超獣」というより、友人の言った通り、「岩」のイメージだなァ。

 

「岩の超人」の冥福を祈ろう。

 

 

日が落ちるとひどく寒い。

 

「令和」、レイワ、かァ・・・(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ショーケン=萩原健一さんが今月の

 26日に亡くなっていたことがわかったという。

享年68歳。

 

その早すぎる死を惜しむ声が多い。

 

わたしも残念でさみしい気持ちだが、

 

通っていたスポーツジムに行った翌日の急死。

「最後までカッコいい人だったなあ」

と、少し羨ましくもある。

 

それにしても、有名人の訃報が相次ぐ・・・

 

日本の“カッコよかった”時代を担った“カッコいい”人たちが次々と消えて行く。

 

それにしても、有名人の人たちもだが、わたしの周りでも60歳代で亡くなる人が実に多い。

 

日本人の「平均寿命」の「統計?」「も」フェイクじゃないだろうか?

とも思う今日この頃。

 

まあ、日本人が長生きなのは、戦国時代に日本に来た宣教師が書き残しているように、昔からなのだが、近年、日本人は短命化しているようにも見える。

 

それはともかく、

 

訃報を聞いて最初にわたしの頭に浮かんだのは、なぜか、映画「八つ墓村」の辰弥役を演じた萩原健一さん。

 

あの映画をわたしは封切りで見たのだが、映画も面白かったし、萩原健一さんも好演だった。

 

ともすれば陰惨に傾きがちな内容の物語を、萩原健一さんのもとから持っているカッコよさが救っていた。

金田一耕助役の渥美清さんとの組み合わせも絶妙だった。https://youtu.be/8dKNPS_2fBs

 

この映画で濃茶の尼が叫ぶ?「祟りじゃ~!」は流行語にもなって、わたしが勤めていた会社でも、女性社員が仕事でミスをした人などに「タタリじゃ~」なんてやっていたのを思い出す。

 

「タタリ」でふと頭に浮かんだのが沖縄に生息しているというジュゴンのこと。

 

長年沖縄・辺野古の海周辺に長く住み、「生活」していたジュゴンも3頭ばかりになっていて、その3頭も辺野古の軍事基地建設に伴う埋め立て工事で貴重な餌場のひとつを失い、生存が脅かされているということだったが、

 

そのうちの1頭が19日、沖縄・今帰仁の沖合で死骸となって漂流しているのが発見されたという。

 

日本の貴重なものが次々と失われていっている、という気がする。

 

動物では、すでにカワウソ、トキなどが絶滅している。

トキは中国産のトキで復活を図っているそうだが、それにしても、日本は絶滅した動物、絶滅危惧種が多い。

 

本質的に「生命」を大切にしない日本の支配体制、政治にも大いに原因があるんじゃないだろうか、と思う。

 

辺野古の軍事施設建設に反対する市民の皆さんには是非、辺野古ジュゴン墓を作って上げてほしい。

沖縄の自然を破壊しジュゴンを追いつめ、軍事基地の建設をムタイにごり押しし、利権と戦争を引き寄せようとしている政権と政権周辺の人たちに、ジュゴン墓さまの「タタリ」が降りかからないよう、「期待」?したい(ワクワク))

 

貴重なものが失われていっているのは、動物だけではない。

 

今日の「リテラ」さんの配信は

 

荒川強啓デイ・キャッチ終了の不可解

 聴取率好調なのになぜ?

政権批判できる報道番組がまた消える』。

 

ネトウヨ政権」といわれるアベ自公政権の下で「民主主義」「言論の自由」「言論の場(メディア等での)」も急速に失われているようなのだ。

 

いまの日本の支配層はウヨ化、ファシズム化がカッコいいことだとでも思っているのだろうか?

戦争ができるようになり、自由が失われ、人々の思考が画一化され、貧富の格差が拡大し、弱者を切り捨てていく国がカッコいいのだろうか?

 

20年前くらいまではそうじゃなかったよなあ。

 

・・・でも、もうこれからはわたしたちの時代ではない。

 

わたしには、わたしより若い世代の日本人がどのような「展望」や「希望」、「理想」を持っているかわからなくなっていて、

 

ただ、日本国憲法を基本として、その理想を追求しようとしていた日本人の多かった「昔」や、「現代では「追放」の憂き目にあうような」“(いろんなタイプの)カッコよかった”人たちを懐かしむばかりだ。

 

 

そのかつての、日本国憲法、民主主義の理想を追っていた時代の人たちも年をとり、次々と鬼籍に入っている。

 

「ご苦労さまでした」

と見送りたいけど、

 

今年の「国民の幸福度」ランキングで「総合」世界58位。

国の(国民の?)「寛容度」世界92位。

「自由度」世界64位。

 

という現状はあまりにもサミシく、先輩たちが気の毒に思える。

(みなさん、できるだけ長生きしてください・・・)

 

もちろん、萩原健一さんの死に政治的な意味を持たせる気はないけれど、

今のものとは違った(あるいは今では持てない)カッコよさがあったことは事実だろう。

 

「いい時代」から「厳しい時代」へ

 

わたしは萩原健一さんよりは何歳か年下だが、そういう時代を経てきたということで、ほぼ同じ時代を生きてきたと思う。

 

それにしても、「今」は、表面的なカッコよさは追及されているようだけど、本質的には「ダサく」で「恥ずかしい」時代なんじゃないかな、と脳みその前頭葉の一部で感じている(笑)。

 

 

ともあれ

「あーカッコいいなァ」「羨ましいなァ」(ハンパなくもててましたよねえ)と思っていた“ショーケン”の

ご冥福を心より祈ります。

 

こうしてひとつひとつ「時代」が終わっていく・・・

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

おととい3月27日の日記。

下書きのまま抹消しようかと思っていたのだけれど、UPすることにしました。(^^)