香港でのデモ騒ぎ。

日本における安倍自公政権への抗議行動はほとんど無視したメディアが、さかんに報道している。

 

デモの側に立って。

 

しかし、それを見ても香港社会の実情は何もわからない。

 

わたしは日本なみ、あるいは日本よりむごいといわれる香港の貧富の格差はどうなっているのか?

いま行われているデモと、香港の貧富の格差の関係はどうなっているのか?

 

ということを知りたいのだが、

日本のメディアからは、そういった香港社会の現実を知ることはできない。

 

まあこの国のメディアからまともな情報を得ることは不可能なんだよね~

 

とあきらめていたら、

 

ネットの「マスコミに載らない海外記事」さんで、やっと香港の「貧富の差」「香港社会の実情」に触れた記事を読むことができた。

 

http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2019/10/post-daaa0c.html

 

これを読むと、香港と日本の共通の問題も見えてくる。

 

急速に「遅れたへき地」になっているのは、香港だけではなく、この国日本もなのだ。

 

それにしても、

香港でデモを煽(あお)っている日本のカルトって、何なのだろう?

 

 

明日から消費税がまた上がる。

今日は増税前の買い出しで、どのお店も大変な人出だったとか。

 

生活を守ろうとする人々の必死の思いが伝わってくる。

 

世界でも最悪級の「格差」の国で、さらに逆進税を増税

 

そしてそれに合わせて福祉は削減。

 

いやな国になったものだ。ほんとうに。

 

 

いまの日本のエリート支配層=政・財・官・メディアには人間的な想像力が欠けているような気がする。

 

人間から想像力、思いやり、優しさが失われれば、それは畜生道(ちくしょうどう)。

 

畜生(人間以外の動物)は意図して同類の生きる環境を悪くすることなどしないから、今の日本の支配層は畜生以下。

 

むかし読んだ、ある高名な哲学者(ハイデガーだったかな?(笑))の本に

「人間には動物以下になりうるという怪しげな特性がある」

と書かれていたのを思い出す。

 

 

なんてことを書くと、「当局」からにらまれて集団ストーカーの対象者にされちゃうかな?(笑)

(もうすでに対象者となっている?)

 

この国では生命に対する想像力、生命を慈(いつく)しむ心を持った人は「非国民」に分類されるようだから(笑)。

 

現代の、この国の国是は

 

支配層(1%)は「エゴイズム」「冷酷・残酷」。

 

被支配層(99%)は「エゴイズム」「家畜的隷従」。

 

といったところかな?

 

実に統制の取れた美しい国ではあります。キレイ、キレイ。(笑)

 

 

ということで、あのカブトムシ。

 

ん?(笑)

 

ひとつだけ感心しない習性?があった。

 

それは、バナナやリンゴなど、自分が食べた残りを土(昆虫マット)の中に引っぱり込むこと。

 

自分の唾液?でドロドロにしたバナナや小さく切片にしたリンゴをマットの下に埋めてしまう。

 

そのたびにわたしは割りばしでバナナやリンゴの破片をキレイにひとつ残らず拾い上げて、新しいものに変えてやる。

 

それが日課になっていた。

 

「おいおい、そんなことをしたらマットの下でエサが腐ってしまって汚くなっちゃうだろう?」

 

と言いながら。

 

そして、エサにくっついて少なくなったマット(木の小さな破片)を新しいもので補充してやり、臭いがきつくならないように、また水が浄化されるようにと、活性炭をいっぱい混ぜてやっていた。

 

なんとキレイな環境を維持してやっていたことか。

 

わたしにもキレイキレイの傾向があったんだなあ。(笑)

 

ところが、カブトムシが死んだ後、

あれば成虫になるまで育ててやろうと思って卵を捜したのだが、一つもない。

 

野生のカブトムシのメスが1ヶ月以上生活していたのに卵の一つもないとは?

 

昆虫マットの厚さも15センチ以上あったので、少し不思議だった。

 

卵をまったく持っていなかった? うーん。

 

それでふと思ったのが、

あの、食べ残しのエサを土中に引き込む行動。

 

わたしは、ちょっと腐ったくらいのほうが食べやすいのかな?

と考えていたのだが、毎日与える新鮮なものをしっかり食べていたし、土中に埋めたものを食べているのを、見たこともない、ということで、

 

ひょっとしたら、あれは卵を産む準備をしていたのではないか?

 

と、思い至った。

 

カブトムシの幼虫は発酵したしたものしか食べない、ということなのだが、そのときわたしはそのことを知らなかったのだ。

 

だから、「発酵」=腐敗?は許さなかった。

 

常にキレイで清潔なな環境を維持していた。

 

ところが、それでは幼虫の食べ物がないわけで、

 

「これではせっかく卵が孵化しても幼虫は飢え死にしてしまう。」

 

カブトムシはそう考えたのか???????

それで卵を産まなかった?

 

はたしてカブトムシがそこまで考えるものかと、思うのだが、

 

そういえば、死ぬ1週間ほど前には、小さなカップに入った昆虫ゼリーを半分だけ食べ、その上に土(昆虫マット)を運んできて、こんもりと盛り上げるというような、不思議なことをやったことがあった。

 

やはり、カブトムシは卵を産みたくて、そんなことをやっていたとしか思えないのだ。

 

うーん。。

 

産んでも子どもが育たない、子どもが飢え死にしてしまうような環境ではカブトムシも子ども(卵)を産まないんだなあ、

 

と感心もし、不思議な気持ちにもなった。

 

現代ニッポンでは支配者に属する人たちが、

 

貧乏人には家族も子どもも持てない環境を作っているけれど、

 

それでも、子殺し、親殺し、一家心中、自殺、困窮死、等々悲惨な事例が多発、あとを絶たない。

少し前にはコインロッカーベイビー、なんてのが社会問題になった。

 

キレイキレイのニッポンだけど、子どもを産み、家族を維持するのはタイヘンだろう。

 

おそらく、どの国より。

 

動物以下の日本人、(・・・おっと(笑))

 

キレイキレイな国で?、格差が開いて、統制がとれて、人口を激減させている日本人。

 

そういえば、

以前読んだ本でこんな題名のものがあったなあ・・・

 

Are  We  Smart  Enough  to  Know  

How  Smart  Animals  Are?
【動物の賢さがわかるほど  人間は賢いのか】

 

 

とりあえず、逆進税(消費税)を導入し、それを増税し続け、日本人を苦しめ、貧しい人たちから「始末」していっている日本の支配層は動物以下、ということで間違いないだろう。」(笑)

 

 

消費税増税前日。

 

言うたった。(笑)

(まだ腹の虫がおさまらない(笑))

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このあいだ、ハトにエサをやらないでください、とか

ネコにエサをやらないでください、といった、

 

お役所の看板?がやけに目立つ都内某地区を歩いていると、

 

わたしの行く少し前を猫が横切った。

 

猫はそのまま何処かに行くのかと思えば、道路わきの花壇にいる。

 

わたしが花壇の前で立ち止まると、逃げもせず、植物と戯れるようなしぐさをしている。

 

よく見れば、まだ子猫だ。

大人のネコの半分くらいの大きさで、ひどく痩せている。

 

「わかるんだけどねえ・・・」

 

わたしはつぶやくように子ネコに声をかける。

 

「わたしの住んでいる建物も、ペットを飼うことが禁止されているんだよ。」

 

ネコというのはよく人を見る。

 

おそらく、わたしの背後のどこかに母ネコが隠れていて、子ネコにそういう行動をとらせているのだろう。

 

・・・「この人なら飼ってくれる可能性がある・・・」by母ネコ

 

確かにね、

できれば、何とかしてあげたいよ。

子ネコの痩せ方からすれば、

このままだとそう長くは生きられないだろうから。

 

わたしは以前、都内某所の工場跡の敷地で餓死したネコを見たことがあるのだが、

いま目の前の子ネコと同じくらいの大きさの、やはり子ネコで、同じくらい痩せていて、目を開けたまま死んでいた。

 

一見、元気にふるまっているその子ネコも厳しい状態にあることは間違いないだろう。

ここまで育てた母ネコの気持ちも感じて、少しツライ気持ちになった。

 

というのが、

 

20数年前、S区のはずれにあるアパートの一階に住んでいた頃、わたしはそのアパートの裏庭で三代にわたってノラ猫の家族の面倒を見たことがある。

 

      (↑とんでもない非国民?(笑))

 

そこまでやると、その地域のノラ猫の社会も生活もよくわかるようになり、一帯を制圧していた?ボス猫とはほとんど親友状態?だった。

 

そのとき、わたしが面倒を見ていたのとは別のノラ猫の母親が、植え込みの裏に身をひそめて、ある家に自分の子どもが入っていくのをじっと見つめていたのを、その後ろから見たことがある。

 

そこらへんのノラ猫はわたしが味方?だと知っていたので?、わたしが見ていても気にしない。

 

わたしは、

「はは~ん」

 

という感じで通り過ぎたが、

 

母ネコは、自分の子どもが誰かに飼ってもらえるように、必死だったのだろう。

 

そういう光景を見たことがあるので、

いまわたしの目の前にいる子ネコの背後に母ネコがいるだろう、ということがわかるのだ。

 

「ツライよなあ。

それにしても、お前も悪い時代、悪い地域に生まれたもんだなァ。」

 

やはりつぶやくように言ってわたしはその場所を立ち去る。

 

子ネコは花壇の中でそのままだった。

 

よほどの幸運でもないかぎり、その子ネコの命があとわずかなのは目に見えているのだけど、どうすることもできない。

 

この地域では、「よほどの幸運」も期待薄だろう。

 

それにしても、この国はノラ猫にとっても人間にとっても厳しい国、

 

というか、「生命」にとって厳しい国ではないだろうか?

 

近年、とくにこの国の人たちから生命に対する感受性が失われているように感じるのはわたしだけだろうか?

(たぶん、わたしだけ・・・(笑))

 

これは、エリート支配、格差社会、人口の減少、といった問題とも微妙に関係しているようにも思えるのだが。。

               (たぶん、この飛躍?についてこれる人もいないだろうなあ・・・(笑))

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

人口減少、といえば、あのカブトムシ・・・

こちらも、

「ン」?(笑)

 

この話は次回に書こう・・・(笑)。

 

 

それにしても、

がりがりに痩せながら、一生懸命毛づくろいしたのか、美しい毛並みをした子ネコの姿がちらつくなァ。あんなときは人間に見せるために毛づくろいしているんだよ。

 

しかし、いまの東京では(おそらく)ノラ猫の母親(たぶんまだ若い)も生きていくことはおぼつかない状態だろう・・・。

 

 

 

 

 

カブトムシ、ついに死亡。

どうも13日の急激な?気温の変動にやられたようで、14日はいつもの半分ほどエサを食べたけれど、15日には全く食べなくなって、

 

そして、その15日の夜8時頃、わたしが帰宅すると、木の枝などがあるにも関わらず、仰(あお)向けになって弱々しくもがいていた。

 

起こしてやってもすぐに仰向けに倒れる。

 

 

木の枝を差し出してやっても、掴(つか)む力がない。

 

「もうダメだな・・・。」

 

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それでも、何回か起こしてやっているうちに、コツ?でも覚えたか、枝の上につかまり、倒れなくなった。

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それで安心してわたしは夕食。

 

食べ終わってしばらくして行ってみると、カブトムシはマットの上に降りていて、微(かす)かに足が動いているかな?という状態になっていた。

 

ケース越しにわたしと向き合うような状態だったので、見ていると、やがて全く動かなくなり、眼からも生気が失われた。

 

「死んだか・・・。死亡時刻21時〇〇分と。」

 

カブトムシはしばらくそのままにしておいて、わたしはそこから離れてコーヒーを淹れて飲んだ。

 

しばらくしてまたケースのところに行くと、当然カブトムシはそのまま。

 

つまみ上げると、足がキュッと縮んだようになっていて、なんだかとても軽い。

 

「よく生きたねー。」

 

といって、今日食べなかったリンゴの上に置いてやる。

 

そのまま別の部屋に行って、たまたま電話がかかってきた知人と会話。

 

「いやあ、きょうはカブトムシちゃんのお通夜だよー」

 

なんて、いろいろと長話をして、そのあと入浴。

 

「さて、どうしようか、ゴミとしてポイもなんだしなァ・・・」

 

なんて考えつつ、11時(23時)過ぎにケースのところに行ってみると、

 

()

 

カブトムシがリンゴから落ちて仰向けになっている。

 

「えー、まさか、とおもって、つまみあげると、少し足が動いていた・・・」

 

起こしてそのままマットの上に置いてやる。

 

もう動きはしないが、死んでいるようでもない。

 

なんだか目にも生気が少し戻っているよう・・・。

 

いや~、と思いつつ、カブトムシはそのままにしておいて就寝。

 

 

翌朝16日。

起きてケースのところに行くと、昨夜とは少し離れたところで体の3分の1くらいを埋めた状態で、じっとしていた。

 

つまみあげると、今度は完全に死んでいる様子。

 

「あの、死んだ、と思ったときと変わらないんだがなあ・・・」

 

そのままマットの上に置いて外出。

 

夜、帰って見ると、朝置いたときと同じ状態だった。

 

ケースの外に出して見ていると、新たな発見。

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片側の後ろ足が一部欠損していた!

 

これは間違いなく、ウチの玄関で仰向けになっていた最初の時からだろう。

 

しかし、全然気がつかなかった。

 

「うーん。ほんとうによく生きたよねえー。」

 

としみじみ。

 

 

 

深夜、カブトムシが来た方向と思われる公園の横っちょに行って、こっそり穴を掘って埋めてやる。

 

誰かに見られたら

 

「こら」

 

だもんね。(笑)

 

(お巡りさんとかお役人に見つかったひにゃ・・・(汗))

 

 

それにしても、世話していたものがいなくなると、

 

カブトムシでも、ちょっぴり寂しいものです。

 





 

 

 

 

 

 

 

 

 







 

 

きょう9月13日は、

ミス?ダイハード(カブトムシ)がウチに来て、ちょうど1ヶ月。

 

玄関であおむけになって死にかけていた時から31日目。

 

よく生きました

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ばんざーい

 

といってもこれは昨晩の写真。

 

今日は急激な気温の低下で、少し元気がない。

 

それでも、エサの準備をするわたしの手元を見ていて・・・

 

 

さあ、お約束?のごちそうだよー \(^^)/

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まさか今日がまる1ヶ月の記念日だと知るはずはないのだけれど、

 

昼間だというのに、エサを食べてくれた。

 

(いつもだと昼のあいだはマットに潜(もぐ)っていて、エサを食べるのは夜。)

 

うーん、なんだかなァ、

 

ヘンなカブトムシではある。(笑)

 

 

変わり者同士?

       

 親近感がわく。(笑)

 

 

さて・・・あと何日かわからないけど、

 

              生きられるだけ生きような!

 

9月10日。最高気温36度。猛暑。

今年は季節がずれ込んでいるのかな?

 

冬から春にかけて、いつまでも寒いな、と思っていたら、

 

今度はいつまでもバカ暑い。

 

 

昼下がりにベランダに出たら、セミがあおむけになって死んでいた。

 

が、ふと「ヘンな予感」(笑)がして、指先でつついてみると、

 

やはり?

 

足をもぞもぞ。

 

まだ生きていた。

 

しかし、さすがにセミを飼う自信はなく、セミが裏返れもうオシマイなのは間違いないんじゃないかな?、ということで、

 

起こしてやって、ティッシュに含ませた末期(まつご)の砂糖水。(^^;)

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飲んだかな?

 

夕方、見てみると、少し離れたところで死んでいた。

 

しかし、あおむけではなく、足で体を支えた姿勢で。

 

鳥にも食われず、蟻にも集(たか)られず、まずは平穏な死、といったところ。

 

寿命まで生きたセミ

 

生きていた時はこんな声で鳴いていたんだろうな。

youtu.be

 

 

 で、カブトムシのほうは、といえば、

 

まだ生きている。V(^-^)V

 

台風前後は昆虫マットにもぐったまま姿を見せず、エサも全く食べていなかったので心配したのだが、

昨日の夜はいつもと同じくらい食べていた。

 

あと3日たつと、ウチに来てからちょうどひと月になる。

 

そこまで生きたらいつもより高いバナナを買ってきてお祝いしてあげよう。

 

(カブトムシにバナナの高い安いがわかるはずないでしょ、といわれそうだが、

 

4~5本100円のバナナと、一本売り98円のバナナ(いずれも消費税別)とでは、カブトムシの食いつきがぜんぜん違う。(笑)

 

高いバナナは夢中で食いつき、ほとんど食べてしまうが、安いのだと、ある程度かじるとポイ捨てして、そのあとは見向きもしない。。)

 

f:id:hibi333zakkan:20190911083701j:plain すまないね、安いバナナで。(^^;)

 

同じ房のバナナをわたしはおいしく頂いている。

(わたしはあまり甘くないバナナのほうが好きなので・・・・。)

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

これを書き終わったところでテレビをつけると、ネトウヨ局・セクハラ局として有名な?テレビ朝日が、またぞろハトにエサをやるな、ノラ猫にエサをやるなキャンペーンをやっていた。

 

この件に関してはまた日を改めて書くが、ハトもネコもバカではない、そして野生ではなくもともと人に飼われていたものだ、ということだけをここで言っておこう。

 

住民の「迷惑」うんぬんより、何か別の意図があって、ネコやハトへのエサやり禁止(法律化)やっているのだろう。

 

1%派の権力側にあってお金にも社会的にも恵まれていることで、かえって人間性を、生命に対する感受性を失っている所謂「エリート」が多い。

 

そんな人間にだけはなりたくないものだ。(笑)

 

 

 

・・・・もうひとこと付け加えておくかな?

 

「生命への感受性を持った人を攻撃し、孤立させ、排除する」

テレビ、お役所(官僚・公務員)が行っているこの路線は、

 

国民を戦争へと向かわせる作戦のひとつなんですよね。

 

お仲間ブログである「おっさんやじいさんが過激に語り合うブログ」や「われら庶民主義」でいま取り上げている、「集団ストーカー」も同じ。

 

彼らが蛇蝎のごとく嫌っている「ハト」は、平和の象徴、っていわれていたんじゃなかったでしょうか?(笑)

 

これはまた、「何のために生きている?」でやります。

 

 

 

 

 

 

いま9月4日午後2時半。

さすがはミス?ダイ・ハード

 

食欲は落ちていない。

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ので、まだ行けそう。

 

思えば、この時からけっこう食べていたよなァ・・・

f:id:hibi333zakkan:20190904150902j:plain (^^)

                                  

 

 

昨日は都電に乗ってお医者さんへ。

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「これでしばらく様子を見ましょう。(もう来なくていいよー)」

とのお医者さんの言葉。

 

わたしのクビもまだしばらくは持ちそう。(^^;)

 

 

f:id:hibi333zakkan:20190904152548j:plain 病院の近くにある図書館の、庭先に咲いていた花が地味に?綺麗だった。(けど、少しピンボケ・・・。)

 

この日は、図書館でラ・フォンテーヌ「寓話」と日野原重明・著「人生の四季」(大活字本)を借りて帰る。

 

わたしはマスコミでもてはやされている人の本は敬遠する傾向があるのだけれど、

 

以前、日野原さんが、テレビで

 

「愛には必ず犠牲(ぎせい)が伴うんです。」

 

といっていた言葉に感心したことがあったので、読む気になった。