昨夜はやはり

すこし寝ぼけていたようです(笑)

呼んで → 読んで  

そのあとは即、熟睡でした。

なにかすごいものを読んだのに、気持ちがやすらいで安眠できるんですから、「聖書」というのはたいしたものです。

といっても、繰り返しますが、わたしはキリスト教徒ではないですからね。

でも、無人島にただ一冊の本を持っていくとしたら、やはり聖書ということになるでしょう。

しかし「信者」のひとたちとは読み方がかなり違っていると思います。

わたしには聖書に書かれている文章の一字一句をすべてを「神聖」なものとして「信仰」するということはできない。

聖書ほど古い文章のものはそれぞれ、おそらく後年の「書き換え」などの手が加わっていて原初のものとはかなり違っている可能性が高いですからね。

だいたい、そんな大昔に印刷技術があったはずはないし、最古級の文書のころには文字もあったかどうか?あったとしても、その後のものとはかなり違っているはずです。「伝言ゲーム」じゃないですが、伝承の過程でかなりの「変質」を受けている可能性がある。

そして、何より、時代時代の支配者の支配方針にあわせた、解釈による書き換えもあったでしょう。

まあ、そのあたりのところは聖書自身が(厳しく)否定している面がありますが(笑)

こんなことを書くと、旧約聖書聖典としているユダヤ教キリスト教イスラム教の人たちに怒られそうですが、バカな異教徒のたわごと、としてお許しください(土下座)

ともあれ、聖書は全体、すべてを一体として「正しい」ものとして考えず、「真理・真実」「神の言葉」はそのなかに宝石のようにちりばめられている、と考えたほうがいいというのがわたしの考えなのです。

だから、わたしの聖書の読み方は「部分読み」。膨大な聖書の中から、これぞ「真理」ではないか?「神の言葉」ではないか?というものだけを「信じる」というものです。

これではとても宗教的な「~教徒」にはなれないですよねえ。

まあ、ばかな(自分勝手な)無信仰者の部類でしょう。すみません。

それでも聖書はわたしの人生で大きな救いとなってきてくれました。

ところで、NHKニュース!

深夜に不愉快な「□□政権の宣伝」みたいなものや、CIAのバイアスのかかったような権力の「色つき」のニュースをやるのはかんべんしてもらえません?

深夜のニュースは(災害や危険情報など特別なものを除いて)無色透明、邪気のないものでいいですよ!気象の情報とかお花の情報とか?とにかく安眠を妨害しないでほしい。「ためにする」ニュースではなく、視聴者(庶民)の立場にたった放送をお願いしますよ!

ということで、よろしく~(言っても無駄なのはわかっているけれど(笑))