女性のホームレスといえば

1980年代だったか、関西の朝日新聞にこんな記事が出ていたのを思い出した。かなり記憶があいまいになっているので、細部は忘れたが、

 

大阪に長く同じ場所にいる女性のホームレスが乳ガンになって、そのまま病気を放置していたものだから患部がカリフラワーのようになって、ひどい悪臭を放っていた。

しかし、誰もが彼女を無視し、手をさしのべようとする人はいなかったという。

 

たまたま一人の医師がそれを発見し、そんな重病人を放ってはおけないということで、奔走、役所などに掛け合い、かなり苦労したようだが、生活保護をとりつけて自分の勤務している病院に入院させた。

 

その女性のホームレスは入院して

「こんなに幸せになれるなんて」と言いながら、まもなく死んだという。

 

新聞の記事には

「ここは日本なのか?と思った」という

その医師のコメントが載っていたが

 

「これが日本」なのだ。残念ながら。

 

日本人がもともと冷酷だとは思わない。

津軽三味線高橋竹山さんが、なくなる少し前にテレビに出演して、三味線もろくに弾けない「門づけ」時代のころを思い出して、「むかしの日本人はありがたいものでしたよ」と語っていたが、昔の日本人の多くは、自分が貧しくてもさらに不幸な他者に対する思いやりの心を持てる人が多かったのだろう。

 

現代は、たぶんいろんな面で「余裕」がないから、他者に対する思いやりの心を持てない(捨てている?)のではないかと思う。

 

みんなキツキツで生きている。

これはわたしにも実感としてある。

 

国(政府)によって、余裕が持てないようにされている、ようにも見えるのは、江戸~明治~大正~昭和~平成時代を貫いている基本政策=「民は生かさず殺さず」的な政策のためだろうか?

 

もっとも「生かさず殺さず」でいかしてもらえるのは「働ける者」だけで、その傾向は近年より強まっているようだ。

 

ホームレスも襲撃されるようになり、殺される人も出ている。これも近年の傾向だろう。

河川敷で少ない年金をもらいながら暮らしていた老婆が、カネ目当ての少年グループに殺された、などという殺伐とした事件もあった。

 

人々の心も生活も、良くなる方向ではなく、悪いほうに行っているようだ。

 

そんな日本でごちそう三昧の首相=政府はめちゃくちゃ。

「日本はアタマから腐る」といわんばかりの事態が起き続けている。

 

お先真っ暗の日本だが、国民が国を見捨てることはできない。

いま市民が国会に押し寄せている。日本全国で抗議行動が巻き起こっている。

市民が、国民が本格的に立ち上がらなければ、この国はこの先も悪くなる一方だろう。

 

わたしも明日は国会前に行くつモリだ。

食事を抜いて、厳しい気持ちをもって、庶民知らずの政府、国会を睨みつけてやろう。