近くの公園にいってしばし、静かな時間を楽しんできた。風も温かく、気持ちの良いこと。こんなときの「真夜中の公園」というのは実にいい \(^^)/
公園の桜の木もつぼみがふくらんで開花を待つばかり?
画像が暗いのはしょうがない(笑)。でも今の日本を見るわたしの心象に合っている?
ブログでも書いたけど、オウム事件での死刑確定囚の約半数の移送。わたしは「死刑執行」はありうる、と考えている。
なぜなら、「安倍ー麻生政権」だから。
オウム事件を「政治」がらみの事件として見れば、明治以降の「政治犯大量処刑」にはすべて「長州」が関わっているからだ。
いまの安倍ー麻生政権は「改憲」のためにしつらえられた、擬似薩長政権と見ることができる。
オウム事件で語られたさまざまな「見方」のなかに、「オウム真理教事件は改憲がらみで起こされた事件」というのがある。
これは、北朝鮮、CIA、アメリカの軍産複合体、日本の右派などがからんだ複雑怪奇な説なのだが、それなりに説得力がある。
そう考えると、安倍政権の危機に際しての死刑執行、というのはじゅうぶんに考えられるわけで、「改憲」に際しての「オウム事件」の利用などともからんでの「判断」になるだろう。
かつての政治犯大量死処刑がすべて「政治的利用」「政治的処理」されていることに注目すべきだ。
死刑確定囚を死刑設備のある地方拘置所に分散、一斉処刑を可能にしたことは、その線上にある。
日本は変わらない。
変わらない、といえば、日本の「左翼」陣営。
正直、あまりうまくやってきたとは思えない。
なかんずく、病弊ともいえる「内輪もめ」「分裂」「左翼同士の対立」といった「セクト主義」「内ゲバ」体質から抜け出せない。
日本の「左翼」陣営が負け続けてきた、原因のひとつは間違いなくそれだろう。
「右翼陣営」はどんなにバラバラに見えても、対「左翼」ということでは、いつでも一枚岩になる。
まあ、「右翼」の団結には「お金」も大きくモノをいっているわけだけど、それに対抗できるだけの安定した「団結」を「左翼」陣営は獲得できていないでいる。
「おろかだ」「不寛容だ」などという言葉は口にしたくない。みんなわかっていて、ダメになっていく、というのが現実だろう。
その「克服」は容易ではない。
しかし、その結果、割を食う、ひどい目に遭うのは民衆だ。
「左翼」陣営は、“フォアザピープル”、「人間のために」「資本主義的弱者救済」の観点から、ともかく団結。「左翼」が「左翼」を攻撃することのないような「大原則」を共有して、大きな運動を作り上げてほしい。
いまの日本にとってはそれが喫緊の課題だ。「スパイ」「破壊者」をも「包摂(無力化)」してしまうほどの運動の盛り上がりを期待したい。
(・・・しかし、労働組合さえ右翼に握られている状況と言うのは、苦しい。
ふつう、追いつめられればみんな団結するもんだけどねえ・・・)