アドルフ・ヒトラーと、日本では主にマルクスの「ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日」で知られている?ナポレオン3世の誕生日だった。
どちらも社会主義者を弾圧した。
「ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日」といえば、まず第一に頭に浮かぶのは
「歴史は二度繰り返される。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」
なるほど、現代の日本でもその言葉通りのことが起きているようだ。
明治元年、明治天皇は天皇宸カンによって「理想」の国家作りを宣言した。
しかし、その理想はすぐに「反故」にされ、政治は藩閥によって一部特権階級のものになっていった。
それに対する抗議行動が「不平士族の反乱(とされている)」であり、大きくは西南戦争であり、それに続く自由民権運動だった。
戦前の(人民の生活苦から発生した)社会主義運動、無政府主義運動もこの「権力」を敵とするものだったが、その弊害の中心を天皇と見るところが、他の運動と違っていた。
これは、外国からの思想、イデオロギーを直輸入したところに原因があるだろう。実際には天皇は「特権階級」によって祭り上げられた「操り人形」という側面が強かったのだ。
たとえば、昭和天皇は、生まれてすぐ薩摩藩士のもとで育てられ、その後は長州藩士によって教育されたわけで、その権威・権力は薩長閥による有司専制によって担保されていたといえる。
ともあれ、その支配体制はアジア太平洋戦争の敗北という悲惨な結果を国にもたらせたわけだが、
憲法こそ自由民権運動の理念が取り入れられた民主主義を基本とするものになったものの、官僚制はそのまま残され、特権階級は一部の旧財閥をそのままにしながら、新たな権力者(CIAとつながるA級戦犯など)や新富裕層(戦後経済で大儲けした層)が加わった。
支配体制は戦前と基本的に同じで、特権階級も形成されたのに、憲法だけが違う。
そのために、新たな特権政治を確立固定化し、人民を完全に押さえつけ、武力を持って自分たちを守るべく「憲法破壊」「改憲」をやろうとしているのが、いまの政府・官僚・軍(一部?)なのだ。
これはまさに、明治維新を「簒奪(さんだつ)」した藩閥、その支配体制としての有司専制=官僚体制、軍国体制、経済の(藩閥政治とつながった)財閥支配をもう一度やろうとしていることにほかならないだろう。
この結果が」どうなるか?
一度目はなるほど、とんでもない破滅(人民の生活苦・大量死、敗戦)=悲劇に終わった。
二度目の今回はどうだろう?
これを市民の力で、「バカみたいな」「喜劇」に終わらせることができるか?
それとも再び「悲劇」が訪れるのか?
ということで
・・・ったく。心配や苦労の少ない環境でぐっすり安眠させてもらいたいものだよ。