昨日、5月5日は近所の銭湯に行ってきた。

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こどもの日の菖蒲湯と冬至のゆず湯は外せない。わたしのささやかな年中行事(^-^)

白髪のおじいちゃんが小学生くらいの孫?を三人連れて入浴に来ていたのがほほえましかったな。(うるさかったけど(笑)、でも菖蒲湯の主役は彼ら)

しかし、都内の銭湯は減るいっぽう。こういったニッポン庶民の古き良き風習もやがてなくなっていくのかな?と思うと少し寂しい気持ちにもなる。

 

5月3日の憲法集会はブログにも書いたとおり、やや遅い時間に行ったので、いい場所がとれずに会場の周りををうろうろ。画像も「周辺部」のものばかりになってしまって、もうひとつ「全体像」が把握できなかったのだが、4日の東京新聞1面に上空から写した写真が掲載されていた。

f:id:hibi333zakkan:20180506225822j:plainなるほど、前方からではステージが遠かったわけだ。「憲法の精神、広げよう」という言葉がいいなあ。ここらへんはさすが東京新聞。ちなみにわたしがいたのは、ステージの裏なのでこの写真には写っていない(笑)

 

この日は全国250カ所で憲法集会が行われていた。

どの集会も盛況で、関西でも、大阪約2万人、神戸約1万人の結集があり、京都でも会場にに入りきれないほどの人出だったとのこと。

いよいよ関西デモクラシーも復活か?

 

5月3日のデモでわたしの前を歩いていたカップル。

f:id:hibi333zakkan:20180506230327j:plainう、うらやましい・・・

f:id:hibi333zakkan:20180506230424j:plain熱いって・・・! \(×。×)

でも、こういうデモっていいなあ。

かつては、わたしにもそんな時代が・・・・  なかったなァ(笑)

 

わたしらの青春時代のデモってのは、・・・

いや、ここで書くのはよそう。

ただデモが終わったとき、緊張感のあとの脱力感と疲労でフラフラになりながらも、ともに闘った仲間がみんなスゴイ美男美女に見えて世界が変わったようだった。翌日には元に戻っていたけど(笑)

 

今日5月6日は良い天気に誘われて近くの公園に

f:id:hibi333zakkan:20180506230118j:plain青葉の季節。

頭の中はからっぽ。心地よくのんびりしていたら、  ナントわたしの目の前で

f:id:hibi333zakkan:20180506230038j:plainハトが熱い?キッス!

こら!(思わず、わたしの指の一部が写りこんでしまったではないか!)なんでみんなわたしの目の前で!・・・(まあ、ハトのキッスは人間のそれとは意味が違うだろうけど(と思いたい)

 

それにしても、憲法記念日、こどもの日、いい季節だ。

 

しかし、(弱者抹殺から始めているような)日本政府(安倍政権)と国際情勢はわたしたちの心から不安の黒雲を去らせない。

融和に向かっているように見える朝鮮半島情勢も油断できない。

軍産複合体」や改憲をもくろむ安倍自民党政権の「都合」から考えると、アメリカと北朝鮮の「会談」に落とし穴が仕掛けられている可能性を否定できないからだ。

(東京朝鮮高校の女生徒の合唱が涙を誘ったのも、(歌の上手さもさることながら)彼女たちの心の内側からにじみ出る悲愴感だったのかもしれない)

 

もし「悪い方向」に進めば、ハトよりも人間のカップルのほうに悪影響が及ぶだろう。

「市民」はまだまだ頑張らなくてはならないのだ。

市民・国民を無視する政府(安倍政権)、大メディア(一部の「本来の機能を果たそうとしている」メディア以外の)を乗り越えて、市民・国民の声をさらに大きくして行かなくてはならない。

 

わたしも、できる範囲でがんばっていこう\(^-^)/

 

ということで、またスペースが少なくなってしまったけど、前からのコピーメモの続き

→「属性や行動が攻撃的なもののように見えて、詳しく観察するとまったくそうではないとわかるような、同様の例はたくさんある。

「優位」をかけたオス同士の戦いは、がいして「勝者」にとくに有利な結果をもたらしはしない。相手はただ別の場所へ行って交尾するだけのことである。

また、メスは敗者とも喜んで交尾する場合が多い。

戦いはむしろ儀式的なもので、致命傷をうけることはあまりない(どちらかというと少年同士のけんかに似ている)。

種内の戦いで致命傷を受けるのは、(鹿のばあい)オス鹿の枝角がからみあってはずれなくなるといったような事故が原因で、その場合には当事者の双方の命にかかわる。

 

適応度の低いものが間引かれるという生存競争の概念が最初に示されたのは、1787年に発行されたトマス・マルサス人口論である。

食料供給量を通じて自動的に人口が調節されるとするマルサスの理論に、ダーウィンは深い感銘を受けた。

そして、このマルサスのメカニズムを原点として進化論を築いたのである。

 

→<生物の数が急速に増える傾向が現れると、それに続いて、どうしても生存競争が生じる。

・・・したがって、生存可能な個体数より多くの個体が生まれた場合、同じ種の個体同士、あるいは生活環境にたいしてというように、あらゆる状況で生存競争が起こる。

これはマルサスの原理が普遍的に動植物界全体に適用されるものである。

この場合には人工的に食物を増やすこともできなければ、婚姻による意図的な抑制がはたらくこともないからだ> (=ダーウィンの著書からの引用)」

 

・・・コピー用紙4枚分なんだけど、こうして書いているとけっこう長いなあ・・・、

以下、次回以降に。

 

長々と書いていたら日付が変わってしまった(^。^;)いま5月7日(月)の午前1時08分。もう寝よう。

 

おやすみなさい