幸せになってくれよなあ。
と切実に思う。
いまのニッポン、男も女もほんとうにタイヘンだから。
ところで、5.3憲法集会には親子連れの人も多かった。
こちらは女の子ふたりを連れて参加していたお父さん。あまりにかわいかったのか、老夫婦がカメラを向けています。(わたしも後ろから(笑))
風が強い日だったので、この子は飛ばされた風船を追いかけてまわしていました。これは風船をつかまえて戻ったところ。
でも、お父さんの表情はずっと厳しいままだったな。
こういう光景を見ると、わたしらの年代では?加藤登紀子さんの歌った「赤い風船」を思い出してしまう。
子ども(歌では“ぼうや”)が風船をおいかけて道路に飛び出し、車にはねられて死んでしまう、という悲しい歌。
いま、ユーチューブで見ると、コメントに「こんな悲しいだけの歌を唄ってどんな意味があるんだ?」などとあって、なかなか理解されないものになっているよう。
まあ、車がぼんぼん人をはねていた(信じられない)時代を今の若者が理解するのは難しいかもしれないな。
でもいまでも交通事故は怖い。最近は子どもの犠牲も目立つ。お嬢ちゃん(女の子)も道路に飛び出したりしちゃだめだよ!
と、集会に来ていた人たちの幸運・幸福を祈りつつ、コピーの残りを写しきってしまおう。
→「ダーウィンはさらに「増加抑止」の例を数多くあげている。
さまざまな敵によって若木が破壊されるとか、鳥の巣におよぼされる天候の影響( ~ )などである。
もっとも、こうした抑止に直結する原因がはっきりしない場合が多いことも力説している。
ダーウィニストの立場から見てこの考えの鍵となるのは、これは自然が盲目的に作用している例だという点である。
動物や植物の個体群は個体数過剰によって引き起こされる状況に対して何もできない、とダーウィンは言っている。
「人工的に食物を増やすこともできなければ、婚姻による意図的な抑制がはたらくこともない」。
生存に充分適応していないものの死は避けられない結果なのである。
今日、大英自然史博物館はダーウィニズムに関する展示の中で、この事柄をおもなよりどころとしている。
最初のほうに並ぶ展示物として、なみ外れた過剰繁殖を意味するウサギの例が取り上げられている。
ウサギにとって食べる草や穴を掘る土地が必要で、しかも天敵から身を守らねばならないとなれば、可能な生息空間はかぎられるため、ウサギの個体数は抑制される。
同様のことが他の動物や植物についても言えるという。
この概念にはたしかに自明の理が含まれている。
問題なのは、ダーウィニストの信じる偉大な原則が含まれているかどうかである。
現在では、田舎ではなく町中に住むものが増えたキツネの例を考えてほしい。(※英国での例)
このように住む場所が変わった裏には、エサにひかれる本能がはたらいていることは明らかだ。
だが、いつでも変えられたであろうに、以前はナワバリを変えるという能力を発揮しようとはしなかった。
動物はどこに住むかという点に関してある程度の選択権をもっており、すみかを変えることができるということであろう。
動物と人間の人口を比べるのはむつかしい。
人間の行動は理性的な選択の影響を受けるからだ。
しかし、西欧における人間の家族の平均的な人数はこの100年間に大きく減少し、その原因が過剰な子供をやみくもに刈りとるマルサスの大鎌ではなく、選択の余地のあるものだということは注目に値する。
思うに、マルサスが人口論を書いたころに見られた現象は、人口が致命的な限度に達することによって引き起こされたものではなく、もっと他の原因によるものだったのではないか。
人口が急増するということは家族の平均人数が増えるということだ。
いっぽうで、当然のことながら親の数は変わらないのだから、多くの子どもたちが食料や親の世話や注意を求めることになり、親の負担が急速に増す。
その結果、親の負担の少ない小家族に比べて大家族では幼児死亡率が高くなる。
総人口ではなく、親の養育力に対する家族の人数が問題なのである。
マルサスの時代(※18世紀)は大家族が多く、幼児死亡率がきわめて高かった。
今日の西欧で人口が減っている(しかも幼児死亡率は低い)のは、マルサスの説く大鎌がふるわれた結果ではなく、親たちが小家族を選んだからである。
(※18世紀には日本でも(耕作地が決められている)農家などで「間引き」=赤ちゃん殺しが行われていた。現状は欧米並みか?ただ、間引き=胎児殺し=経済的中絶は継続中)
キツネが町に住むことを選んだのと同じだ。
多くの生物が過酷な環境や捕食者、ときには同じ種内の捕食者によって命を奪われる危険にさらされているのは事実である。
だが、このような対立も、選ばれた少数の繁栄を助長するような競争になるとはかぎらない。
大多数の肉食動物は自らしとめた獲物を食べるのではなく死肉を食べる腐食動物だ。
ライオンやサメのように狩猟者として知られる動物でさえ、自ら倒した獲物ではなく、他のライオンやサメが倒した獲物にありつくことが多い(人類についても同じことがいえる)。
したがって、「生き残る者」は必ずしも、もっとも優秀な狩猟者とはかぎらず、優秀な狩猟者としての形質を備えているとはかぎらない。そのような形質が備わっていなければ、繁殖によってその形質が保存されることもない。」
※ここで、「弱肉強食」イデオロギー刷り込みメディア=NHKについて一言。
長年にわたり、ダーウィニズム、ネオダーウィニズムの「伝道者」として、国民に弱肉強食イデオロギーを植え付けてきた国策マインドコントロール放送局のNHKだが、
最近の傾向としてあからさまというか、何度も繰り返して国民に見せ付けているイシューがある。
それは、小魚(多くはイワシ(鰯類))の巨大な大群がイルカなどの大型の捕食者によって襲われ、あえなく「全滅」するというもの。
これは、NHKの性質から考えると、すぐにわかる(笑)メッセージで、
「おまえたち民衆(=小魚(サカナ篇に弱と書くイワシ=鰯)がいくら大勢で団結してもイルカなどに象徴される(エリートの)支配層にかかれば、イチコロだぞ。だから、「団結」などという無駄なことはやめろ」
ということ。
このかん、ずっと国会前などでの市民行動をNHKが完全無視、あるいは悪意・妨害ともとれる映像を流したりしているのも、「それ」。
5月3日の東京における6万人集会で、6万人を完全無視した行為(映像は来賓の政治家のみ)、
全国250ヶ所における憲法を守ろうとする民衆の結集も無視。
それに対して支配者(=安倍政権)とつながる日本会議の改憲集会(数百人)は後ろからいかにも人数が多く見せた映像を安倍首相の改憲メッセージとともに丁寧に流す。
NHK(=日本の支配層)の日本国民に対する考え方がよくわかる。
日本国民=(餌にすぎない)鰯(イワシ)
(99%の日本国民はNHKが市民(とりわけ庶民)の敵であるということ(前提)、をしっかりと認識しておかなければいけないだろう)
・・・、と、また書ききれなかった!
またしても続く・・・(笑)