宗教の影響というのは

わたしが思っているよりも大きいのかなあ、と、昨日から断続的に?考えている。

 

わたしのように無宗教で、時に触れて、仏教、キリスト教イスラム教などの宗教関連の本を読む程度の者からはちょっと理解できない世界ではある。

 

これまでわたしは、世の中というか世界を動かしている要因としては、宗教よりも人間の欲望のほうが大きいだろうと考えていたのだが、どうもこれはわたしのような“ど庶民の”考えであって、権力者や超大富豪になってこの世の栄華を極めたような人たちにとっては案外宗教の問題は大きいのかもしれない。と考えるようになった。

 

なんといっても、いくら権力があったって、富を持っていたって、あの世までは持っていけないもんねえ。

誰もが言うとおり(笑)

「死」は誰に対しても平等。必ずやってくる。死なない人間なんていない。と。

 

あと、権力者や大金持ちはわれわれ貧乏人よりも神さまから(この世で)恩恵を受けている、と見えないこともないので、信仰心が強いのかも(笑)

 

と、それはともかく、

宗教が原因の迫害、暴力、殺人なんてのはいただけない。

が、歴史をたどっても、現在の世界をみても、そう見えるものが実に多い。

 

田川氏はキリスト教ユダヤ教の「異邦人」を「異教徒」に変えただけ、と書いておられたが、なるほど、キリスト教イスラム教もユダヤ教の分派と言えないこともないので、これらの「一神教」にはすべて(形を変えた)「シオニズム」があるのかもしれない。

・・・というか、「宗教」と呼ばれるものにはすべて程度の差はあれ、「シオニズム」はあるんじゃないだろうか?

 

要は「程度」の差。

「宗教性」が強くなればなるほど、「シオニズム」というか「排他性」は強くなる、というわけで、

敬虔な信仰者ほど知らず知らずのうちにそういう「排他性」の道にはまっていくのはやりきれない思いがする。

 

熱心な宗教「信仰者」ほど尊敬できる人たちはいないんだけどなあ。

 

仏教、キリスト教イスラム教、それぞれの「聖典」をそれなりに読んだものとしては、それぞれが「最高」で、究極的に求めているものに大きな差があるわけではないと思う。

ただ、知識としてはそうでも、「信仰」はまた全く違うものでそのあたりが難しい。

 

いくら知識や資産を持っていたとしても、欲望にかまけた(道に外れた?)強欲・贅沢生活、悪党的な所業をしている者よりも、それぞれの宗教を(真剣に)信仰している(貧しい)人のほうが「はるかに上等」、というのは、わたしの経験上の真実だし。

 

 

ほんとうに難しい。

 

ところで、日本人がキライ、という日本人のなかには、日本人の「無宗教性」「信仰心の薄さ」「宗教的小賢しさ」が嫌い、という人がいる(わたしにも幾分そういう面がある)。

では、日本人がより所としているものはナンダ?

ということになるのだが、それはここでは避けて(笑)

 

かつて日本人、日本社会の宗教性の薄さと「シオニズム(性?)」が激しくぶつかった例としては江戸時代のキリスト教禁止がある。

最初にキリスト教を禁止したのは豊臣秀吉だが、このとき秀吉は「なぜキリスト教は仏教のように他の宗派と共存していこうとしないのだ?」とキリスト教の宣教師に問うている。

秀吉はまた、キリスト教とともにやってきたキリスト教徒の商人?たちが日本人を(領主たちから)奴隷として買い(火薬などとの交換)、東南アジアあたりで売っていることも問題にした。そのような人間(日本人)を物のように売り買いすることなど当時にあっても許されないことだったからだ。

「異教徒」をそのように扱って平気なのは、まさに「シオニズム」のなせることだったわけだが、さすがにこれはいけなかった。

 

この秀吉のキリスト教禁令を徳川幕府が受け継いで、国家政策としてキリスト教禁止を徹底させた。

このころにはキリスト教徒による新大陸での原住民大量虐殺(コルテス・ピサロによるアステカ帝国インカ帝国の征服など)の情報も幕府に入っていたようだ(その情報をもたらせたのはおそらくオランダ(当時の新教国))。

江戸幕府による改宗しないキリシタンへの残酷な刑罰の数々は新大陸でのキリスト教徒の原住民への残虐行為と似ていた)

徳川幕府が禁止したのはまさしく「異教徒」とは絶対に妥協しない、また、異教徒を自分たちと同じ人間とは見ない「シオニズム」だった。

 

そのことがよくわかるのは、「日蓮宗不受不施派」がキリスト教と同じ「禁教」とされたこと。

日蓮宗不受不施派というのは、

法華経信者以外の人から布施を受けたり、法華信者以外に供養を施さない」という日蓮さんの「不受不施義」を固く守っていた日蓮宗の流派。

この方針は権力者に対しても不変で、仏教各宗派が集まった豊臣秀吉の供養にも参加しなかった。

 

これが幕府の方針に引っかかり、禁教となってしまったわけだ。

弾圧はキリスト教とあまり変わらず、棄教(日蓮宗の他の宗派への変更など)しないものは斬首、入牢、島流しなど、厳罰に処された。

 

不受不施派シオニズムというほどのものではないが、その「宗教性」が他の仏教宗派と比べて格段に強かったため、キリスト教と同じような危険性を幕府に感じさせたのが厳しい禁教の理由だろう。

不受不施派は僧侶が妻帯しないから子どもが無く、僧侶が死ねば信者の中で選ばれた人が僧侶になった。

また、絶対に肉食はせず、汁物でも鰹節など動物性のものが使われていると、手をつけなかったという。

僧侶、信者ともに仏教の戒律を厳しく守っていたようだ。

 

こちらも隠れキリシタン同様、江戸時代を通じて細々と信仰をつないでいて、明治5年に禁教が解けると、何人かの僧侶、信者が現れて、宗派を再興した。

ちなみに江戸時代、この宗派は自分たちの宗派を「不受不施派」ではなく、「日蓮正宗」と名乗っていたという。

(いまの日蓮正宗との関連はない)

 

わたしは隠れキリシタンにしろ隠れ日蓮宗不受不施派にしろ、この国の厳しい弾圧下で信仰を貫いた人たちはとてつもなくエライというか、立派だったと思う。

そういう人たちがこの日本にいたことに誇りを感じる。

 

正義も公正も倫理も、人間性さえ無くしてしまったような腐った頭(政・官・財・マスコミ)の支配下で、民衆が苦しみ互いにいがみ合う現代日本にあってはなおさらだ。

 

しかし、庶民(民衆)の中にはまだまだ「宝」のような人材が埋もれている、

そう信じたい。

市民運動の盛り上がり等、日本人のほんとうに良質な部分ははまだまだ死に絶えてはいないのだ。(よく耐えている)

 

まだまだ日本には再生の芽がある

と、希望を口にしつつ眠りたいけど、・・・・眠れない(笑)