だろう?」
「なぜ日本人は幸せになれないのだろう?」
ずいぶん長くこのことについて考えてきたのだけれど、いまだに、「これ」という回答が見つからない。
「日本の支配層が日本人を幸せにしようと考えたことがないから」
とか
「専制的な官僚支配が徹底されてきたから」
などということは、たしかにあると思うのだが、どうもそれだけではないような気がする。
「日本人には自分や他者ともども幸せになろうというDNAがない?」
「そもそも日本人には幸せとは何かがわからない?」
なんて考え始めるともう袋小路(ほとんどビョーキ?)(笑)
他者より「お金」「社会的地位」「家族(子どもなど)」に恵まれていると感じること、つまり個人的な「社会的成功」だけが日本人の「幸福」なのだろうか。(たぶん日本人の唯一の「幸福」?)
とか・・・
一方、そうは考えず、「社会的」な幸福を目指して(つまり他者の幸福も願って)努力している人たちも、この国には存在する。
(のだが、この国はそういう人たちを弾圧迫害、そして「少数派」として「孤立」させているのではないか?)
政府も多くの国民も。
と、考えれば考えるほど「袋小路」。
・・・梅雨時だし、ちょっとウツなのかな?
最近、ちょっぴり「絶望感」と「空しさ」を感じている。
「こういうとき」は気分転換が必要なんだけど、
「こういうとき」は気分転換の「散歩」に出かけても、こんな光景を見て、少し考え込まされたりする。
わたしの住居から歩いて20分くらいのところの歩道にある植え込みなんだけど、(たぶん)ツツジで「統一」された植え込みの中から、一本だけアジサイが首を出して咲いている。
これを見たとき、思ったのは「美しい」というより、「アジサイ君(ちゃん?)大変だなあ」。
でも人間世界みたいにいじめられないからいいよね、と言いたいところだが、
この植え込みは不思議な植え込みで、実はここで以前(去年?)こんなものも見た。
ここは同じ植え込みの、ちょっと先に行った角のところ。
(たぶんここのツツジとは違う種類の)赤い花が、頭を寄せ合うように二つだけ咲いていた。
ふたつ、というより「ふたり」といった様子
この写真を撮ったのは夕方だったんだけど、よく写っている。
周りとは「異質」なふたり?が身を寄せ合っているようで、思わず、「がんばるんだよー」と声をかけたくなった。
この日は夜遅くから雨になった。
なんだか嫌な感じがして、次の日また来て見ると
花は二つとも落ちていた。
雨に降られれたためだろうか?からまり、しなびてすっかり小さくなっていた。
そのときは、雨に打たれて落ちたのかな?
と思って、少し悲しい気持ちになって立ちつくしていただけだったが、
今考えるとそんなことでしっかり咲いていた花が二つとも落ちるだろうか?
たぶん誰かが「異質」なものに「気づいて」花をちぎってしまったのではないだろうか?
もしそうならこれも「日本的」な出来事なのかもしれない。
そう考えると、一本だけしっかりと咲いていたあのアジサイ君のこれからの運命が心配だ。
う~ん。この日本にあっては、それがどのようなものであれ、「秩序を乱す?」ような少数派は「刈られる」べき雑草にすぎないのだろうか?
イヤな考えだが否定しきれない。
・・・それにしても、気分転換の散歩に出てもそんなことを「考えさせられ」てしまう。
いまの私の状態は何なんだろう?
袋小路?心の中にも梅雨空が広がって雨がしとしと?
いかんなあ。やばいなあ。。
・・・カラオケボックスに行ってアマチマリの曲でも歌うかな? ←意外と癒される \(^^;)