久しぶりに
聖書を手にとって、目をつむってパッと開いたところを読む、
をやった。
出てきたのは旧約ハバク書、2章の5から始まる文章だった。
これを、心を落ち着けるために「日記」に転記していると、
なんと!途中でパソコンの画面が真っ黒になり、新しい何とか?のインストールというのが始まってしまったではないか!?
インストール中だから電源を切らないでください、と書かれていてもさあ、
気持ち悪いから、即電源を切ってしまった。
これは絶対にやってはいけないことで、パソコンが壊れてしまうこともあると言われているらしいけど、思わず切ってしまった。
ただ単に、聖書の言葉を写していただけなのに、なんでそんなことになるの?と不思議だったし、気持ちも悪かったからだ。
おかげで気持ちがさらに乱れ、昨夜は眠れず、今日は一日中つらかった
このままでは精神の安定に悪影響がある。
ということで、今日、再挑戦。
もう消えないだろうな?
ということで、再び、昨夜写していた文章
( 「ハバク書」2章5~11)
→ 『確かに富(とみ)は人を欺(あざむ)く
高(たか)ぶる者は目指(めざ)すところに達しない
彼は陰府(よみ)のように喉(のど)を広げ
死のように飽(あ)くことがない
彼はすべての国を自分のもとに集め
すべての民(たみ)を自分のもとに引き寄せる
この人々は皆(みな)
彼に対して嘲(あざけ)りのことわざを歌い
謎の風刺(ふうし)を浴びせる
災(わざわ)いだ、自分のものでないものを
増し加える者は
いつまで続けるのか
重い負債(ふさい)を自分の上に積(つ)む者よ
突然、お前の債権者が立ち上がり
恐れさす者が目覚め
お前は彼らの獲物にされないだろうか
まことに、お前は多くの国々を略奪(りゃくだつ)したので
(昨夜はここで切れた↑)
諸国の民の残りの者すべてがお前を略奪する
お前が人々の血を流し、国中(くにじゅう)で不法を
町とそのすべての住民に対して行ったからだ
災いだ、自分の家に災いを招くまで
不当な利益をむさぼり
災いの手から逃(のが)れるために
高い所に巣を構(かま)える者よ
お前は、自分の家に対して恥ずべきことを謀(はか)り
多くの民(たみ)の滅(ほろ)びを招き、自分をも傷つけた。
まことに石は石垣から叫び
梁(はり)は建物からそれに答えている。』
これ、意図的に選んだ文章ではなく、あくまでもパッと開いたところにあった文章。
それでも、なんとなくわたしの潜在的な悩みに対応してくれているような気がしないでもない。
今日、改めて「ハバク書」に目を通してみると、この文章は「預言者の嘆き」に対する「神の答え」の「部分」だった。
<預言者の嘆き>
→『~ どうして、あなたはわたしに災いを見させ
労苦に目を留めさせられるのか。
暴虐と不法がわたしの前にあり
争いが起こり、いさかいが持ち上がっている。
律法は無力となり
正義はいつまでも示されない。
神に逆らう者が正しい人を取り囲む。
たとえ、正義が示されても曲げられてしまう。』
あ、これに対する「主の答え」は(恐怖の?)「カルデア人」に関するものだ。。
「・・・
それは冷酷で剽悍な国民。
地上の広い領域に軍を進め
自分のものでない領土を占領する。
彼らは恐ろしく、すさまじい。
彼らから、裁きと支配が出る。
・・・ 』
で、この最初の「神の答え」(カルデア人登場!?)があって、その後にさらに「預言者の嘆き」が続き、
→『~
(その(預言者の嘆き)の末尾)
だからといって、彼らは絶えず容赦なく
諸国民を殺すために
剣を抜いてもよいのでしょうか?』
それに対する「神の答え」の一部が、昨夜「パッ」と開いたところだった!
なにはともあれ、無宗教者の私にも、こうやって聖書が「語りかけて」くれることは「救い」になる。
まだ完全に「神も仏もない」世界ではないようだ。
今日はぐっすり眠れるかな?
異常気象によって苦痛、苦悩、苦難に直面させられている人たちも、とにかく、まず、ぐっすりと眠りましょうよ。
最後は「自分の心」しかないのだから。
まだまだ、神と悪魔、絶望と救いは「混在」しているようだから。
おやすみなさい。
あ、それと、オウム真理教の事件については、わたしも参加している
ブログ〔 osantati12345 - われら庶民主義 〕
で語り合っているので、よければ、そちらも読んでください。