あのオウム真理教の教祖&信徒7人同日処刑から

半月たった。

 

大量処刑という凄惨かつ残酷なことが行われたわけだけど、そのことに思いをはせる時、不思議と「恨み」や「憎悪」といった「悪い想念」が起きず、むしろ彼らの「死」が「浄化」されているように感ずることを、ちょっと不思議に思っている。

 

やはり彼らは仏教の僧あるいは僧を目指していた人たちだったのか?

 

仏教でいう仏法僧の僧。

 

正直、わたしはこれまで、肉食妻帯し、メディアなどに媚びているように見えていたオウム真理教は俗物なのだと思っていた。

 

しかし、こうして(宗教に殉じるような形で)「処刑」されてしまうと、彼らはやはり仏教でいうところの「僧」だったのかな?

とも思えるようになってきた。

少なくとも相当な「修行」はした人たちで、それがこの「浄化」(わたしが感じたところの)につながっているのかな、とも思う。

 

ともあれ、処刑によって彼らは「カルマ」を加えたのではなく、「カルマ」をひとつ減じたように感じられている。

 

その反対に、カルマが加わったのはわれわれが住んで生活しているこの「国」と処刑に加わった政府関係者、なかんずく安倍政権、安倍首相ではないか?

 

殺してオシマイというか、疑惑にフタでは、お話しにならない。

これをそのまま是認して同調してしまえばわれわれ民衆もカルマをぶっかぶってしまう?

 

わたしは、いわゆる「オウム事件」で犠牲になった人たちの冥福を願うとともに、「疑惑の処刑」によってこの世から去っていったオウム真理教関係者の「成仏」も同時に祈りたい。

 

問題は、オウム真理教事件の背景となったこの国の「カルマ」と、その結果としてのこの国の政府・政府関係者、支配層の悪業というか「カルマ」だ。

 

おかげで、われわれもいつ災難に見舞われるかわからない。

 

カルマといえば、(安倍晋三氏の意向をうけて)今回の大量死刑をやった上川陽子法相はカトリックのクリスチャンだという。

 

いっけん仏教的なカルマとは無縁なようだが、

たしかイエス・キリスト

「右の頬を打たれれば左の頬もさし出しなさい」?というようなことを言っていたのではなかったか?

 

これは、言葉を変えれば、「自分の頬を打たれることによって、ひとつ「カルマ」が消える。なんならもうひとつの頬のほうもどうぞ」

ということではないか?

「打たれる」ことによって自分の「カルマ」は消えるが、打ったほうの相手の「カルマ」は増し加わる、ということだ。

そして、その結果はすべて「神」にまかせなさい、というのがキリスト教の考え方ではないか?

 

ただ、キリスト教には「キリスト教シオニズム」というのもあるようで、同じキリスト教徒は殺してはならないが(汝 殺すなかれ)、異教徒は殺してもよい、という考え方もある???

 

ひょっとして今回の上川陽子法相によるオウム真理教大量処刑は、この「キリスト教シオニズム」によるものか?

 

そういえば、安倍政権の主要メンバーである麻生財務相カトリックのクリスチャンらしいが、この人も自分の政権時、疑惑の冤罪処刑(飯塚事件)などをやっている。

 

キリスト教徒は非キリスト教徒の日本人を処刑するのは平気なのかな?

と少し考え込んでしまう。

カトリックキリスト教は世界的には死刑廃止の方向だったと思うんだけどね。

そこらへんもちょっとおかしく感じる。

(あえて言えば、キリスト教に偽装した悪魔教というのもあるらしい)

 

ともあれ、このオウム事件については、まだまだ真相、原因を究明し、その事件の本質について考え続けていかなくてはならないだろう。

真相、事実が解明されることによって「カルマ」も減じていく、と思う。

 

安倍晋三首相や上川陽子法相や安倍政権関係者、法務省関係者、裁判官・検察官などの官僚の「カルマ」は「神」におまかせして \(^^)

 

われわれ庶民はそんなものに巻き込まれず、「悪業因縁」のカルマからは遠ざかりたいものだ。

(現政権、メディア、ネトウヨ、ネトサポなどに毒されず、事実、真実に向き合って「暴力」を避ける)

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それにしても、この一連のオウム真理教事件について、ほとんどの宗教団体が無視・無関心あるいは表層的な反応に終始していることは残念なことだ。

「宗教商売の邪魔」くらいにしか考えていないのかな?なんて思ってしまう。

宗教による「救済」もぎりぎりの局面においては「幻想」にすぎないのかな?

 

・・・今日もなんだか寝苦しい夜だ。

 

さっき、ふと「無常とカルマ」という言葉が頭に浮かんで、ネットで検索してみたら、オウム真理教から離れて「光の輪」という宗教団体を立ち上げている上祐氏のブログが出てきて驚いた(笑)

 

読むと、「なるほど」という内容ではあるけれど、「上座部仏教」の影響が強いように感じた。

オウム真理教も「上座部仏教」と「大乗仏教」の間を行き来していたような印象がある(いまのわたしの認識では)

 

これはいまの「仏教界」自体の問題でもあるかもしれない。

明治政府の「廃仏毀釈」もろくに総括できず、ただただ権力に擦り寄り、自らの保身に汲々しているように見える「仏教界」(他の宗教も同じだろうが(笑))ってどうよ、ってこと?

 

ある意味、仏教は一度滅んだ宗教といえるのだが(インドにおける仏教の滅亡)、再び同じ滅びへの道を歩いているように見える。

 

オウム真理教事件が突きつけている問題は日本の仏教界にとっても致命的といっていいほどの大きな問題なのだ、と思うんだけどね。

 

・・・ああ眠れない

 

ナムアサハラショーコー ← や、やめろ!!!(笑)

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所謂諸法(しょーいーしょーほう)。如是相(にょーぜーそう)。如是性(にょーぜーしょう)。如是体(にょーぜたい)。如是力(にょーぜりき)。如是作(にょーぜさー)。如是因(にょーぜいん)。如是縁(にょーぜえん)。如是果(にょーぜか)。如是報(にょーぜほう)。如是本末究竟等(にょーぜほんまつくーきょうとう)。

 

← 「法華経」理解のために挿入された大乗仏教の「空」観?

「相」→「性」→「体」→「力」→「作」→「因」→「縁」→「果」→「報」→「本末究竟等」

いわゆる十如是。

 

「この宇宙というかこの世界には「虚無」は存在しないのだ」

という大乗仏教の「空」観を説明していて、この「空」観を踏まえないと「法華経」を誤解してしまう、ということでクマラジーヴァという法華経の漢訳者が挿入したものだとか。

 

したがって、これはもとの「法華経」には無い章句ですが、(繰り返し)唱えているとけっこう気持ちが落ち着く(笑)

 

しかし、やっぱり出てきそうだなー

→ ナムアサハラショーコー  (><)うーーーん

 

おやすみなさい(うなされそう・・・)