猛暑、台風、集中豪雨、天災による多くの人の死、そして

政府による大量処刑。

 

ただでさえ生きるのがしんどい国なのに、今年の夏はその「しんどさ」を増幅させるようなことばかりが連発。 

 

そろそろ8月も終わりだというのに今日も猛暑日

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いいかげんうんざりするが

どうも、このぶんじゃ、秋になってもいいことはありそうにない。

 

いまこの国はさらに悪い方向に落ち込んで行っているように見える。

ほとんどの日本人はただ黙々と憲法をも踏みにじるような強権政府に従うだけ。

 

家畜的民族というのかな?日本人は。

ただただ飼い主(資本家、政府)に従ってその利用に供されるのみ。

理不尽な扱いを受けても抗議することも抵抗することもなく、その反応も家畜そのもの。

 

それでも、動物の家畜なら、進む先に断崖絶壁があったり、暴風や雷が荒れ狂っていたりすると、それを見ないうちから警戒したり、回避行動をとったりすると思うんだけどね。

日本人にはそれもない。

 

そういう人間はいくらでも利用の仕方があるようで、近年では実験用のモルモットとしても使われているらしい。

 

・・・オウム真理教事件にも、そういった「実験」の部分があったようにわたしには思える。

事情の多くを知る人たちが根こそぎ?処刑されてしまった後では、すべてが闇の中。もはや真実を知るすべはないのだが。

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それにしても、法廷闘争ひとつすることなく、ただひたすらに国の行為に従いっておとなしく殺されていった13人。

これもわたしの目から見れば日本的、つまり家畜的な光景に見えるのだが、彼らから言わせれば「仏教的」な態度、ということになるのだろう。

 

1995年の阪神大震災と一連の毒ガス・殺人事件以降、日本が坂道を転げ落ちる速度は倍加したように思う。

「自由」「人権」「平和」「民主主義」「公平」「平等」といった観念が国民から(あからさまに)取り去られていったのも、このときからではないだろうか?

(文明・文化、精神=知・情・意 面における没落も加速化された)

 

うまく「巨大な闇勢力?」に利用されたかのような麻原彰晃氏=オウム真理教だが、なるほど、「闇勢力」に目をつけられるのは仕方がない、というようなことばかりをやっていたように見える。

 

なんといっても、「ノストラダムス」と「ヨハネの黙示録」。

この二つのワードが出てきたら、わたしならその宗教教団から“即行”で逃げる。

 

これ、「われわれはカルトですよ」と言っているに等しいから。

 

仏教理論に精通していたはずの麻原氏、なんでそんなものにとらわれたかねえ?

 

あと、空中浮揚とかも

「もしそれができたからといって、それがどうしたの?」

としか言いようがない。

それが、どうわたしたちの「救済」と結びつくのか?

 

それでわたしたちの病気が治ったり生活上での悩みが解決するなら別だけど。

(けっきょく、人間が宗教を信じる動機というのはそういうことだと思う)

 

ただ、ネットでオウム真理教のビデオを見ると、麻原氏が空中浮揚にこだわったのは「仏教の経典」に書いていたから、ということだったので、それは半分くらい納得がいった。

 

仏教ではこの世界や自分について、とことん「分析」を積み重ねる「修行」をやるようだけど(瞑想、ヨガ等)、これは現代科学にも通じるやり方だろう。

 

そのためか、仏教は現代物理学と親和性があるように見える。

たとえば、最近その存在が証明され、その発見者がノーベル賞を受けた「ヒッグス粒子」だけど、その実在が証明されたことによって、この宇宙には「完全な無」「虚無」である場所などない、と考えられるようになった。

これは、「観念上」ではあるけれど、やはり、この世界には「完全な無」「虚無」など存在しない、という大乗仏教の「空」の考え方との親和性を感じさせる。

 

わたしが宗教やオカルト系以外の本で、「空中浮揚」の文字を見たのはこの「ヒッグス粒子」の解説書が初めてで、

なるほど、ヒッグス粒子というのは他の物質(粒子)に重さを与える「場」だから、そこから「空中浮揚」の可能性を論じることは可能らしい。(ただ体は破裂、バラバラになる?(笑))

 

そのほかにも、不確定性原理は仏教の「無常観」につながるように思えるし、一部の仏教指導者が言うように、仏教というのはなかなか「科学的」なものであるようだ(考え方として)

 

ともあれ、麻原氏が「空中浮揚」にこだわったのは、オカルト的だけではない理由もあったのだろう?けど、今となっては、その真意はわからない。

 

ただ、「ノストラダムス」と「ヨハネの黙示録」。

これだけはどうしても理解ができない(笑)

 

「1999年7の月」の「騒動」にしても、(笑)で終わったし、何より、ノストラダムスの「予言」が当たったといわれているのは、そのほとんどが「後付け」の解釈ではないか?

 

「信じている」人は、たとえば1999年の予言が外れたのは「翻訳者」のせいだ、と言ったりしているらしいけど、そもそも「ノストラダムス」というのはそういった「誤解」と「後付けの“的中”」といった解釈の歴史だったと思うのだけど。

 

ヨハネの黙示録」に至っては、これまで「中った」ものは何一つ無い、といっていいだろう。

ヨハネの黙示録」を読むに際しては、日本人なら田川建三氏の「聖書の「註、解」」を読んでからにしたほうがいい(笑)

 

それでも、自分たちに都合よく解釈した「ノストラダムス」や「ヨハネの黙示録」の「予言」をそのままに「実現」させようとしている人たちがこの世界には多いわけで、

なかんずく、「ヨハネの黙示録」では世界で1億人近い人たちが、その「予言」が一字一句正しい、と信じているのだとか。

 

一説によると日本を実質的にコントロールしているCIAや米軍の一部もそういう人たちの勢力であるらしいので、

もしそれが本当だとすると、かなり恐ろしい。

 

ともあれ、オウム真理教が「ノストラダムス」や「ヨハネの黙示録」をそのまま信じていたのであれば、まさに、そこに「破滅」の原因が潜んでいた、ということになるのだろう。

 

(そういう世界の狂信的なカルト勢力が何を考えているのか?という危険予知的な観点から「ヨハネの黙示録」などを研究するのはアリ、だと思うんだけどね ー (将来的な)日本滅亡の可能性も合わせて)

 

それにしても、暑い

 

いまこの日本で生きている者たちの、眼前の課題

= 人を殺すことを何とも思っていないような、

国民の生命や生活を二の次以下に考えているような、

強権政治を、どうしたら民主主義的な体制に戻せるか?

 

「家畜の国」にあっては、考えることすら空しい?

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考えたら、眠れなくなってしまう・・・