長く続く右翼半独裁政権で憂鬱が続いているところに、天気まで悪いとなるとまったく救いようのない気分になってくる。
元気なく最近また吸いはじめた煙草をふかしていると、なぜか、昔の忘れていた「ある」光景がまざまざと蘇えってきた。
わたしの脳みそも、こんなときどうしたらいいのだろうと、頭を悩ませているのだろうか???(笑)
「なんでだろう?」というような、現状とは無関係なことを思い出させる。
思い出したのは、わたしがまだ30歳代の頃、関東北部の公団住宅に3年ほど住んでいたときのことだ。
わたしがそこに住んだのは、家賃が安かったから。
そこから都内の職場まで1時間半ほどかけで通勤していた。
駅から団地までは歩いて十数分くらいで、それほど広くない一本の道が続いている。
道に沿って片側は小川。水際から道路の際まで雑草が茂っていた。
川の反対側は畑も無い殺風景な荒地。それが団地まで続いている。
その道の途中に小さな雑貨屋さんがあって、パンなどの食料品や日用品をおいていた。
店のご主人は40代前半くらいでまだ若く、奥さんと中学生くらいの娘さんの三人家族のようだった。
当時のわたしは帰宅がいつも夜遅く、その時間には店が閉まっていたので、めったに利用することはなく、いつも通り過ぎるだけだったのだが、
このお店というか、家で飼っている犬がいけなかった。
雑種の中型犬なのだが、わたしが通りかかると、必ず吠えやがる(笑)
わたしは犬に吠えられるのが好きではない(たぶん誰でもそうだと思うが)
吠えられるたびにわたしは心の中で小さく「くっそ」。
気分の悪いときは犬をにらみつけた。
それでも、犬は毎日毎日、わたしが通りかかると必ず吠えた。
吠え続けた(笑)
ところがある日の夜、帰宅を急ぐわたしが閉まった店の前を通っても、犬が吠えない。
「あれっ?」と思って立ち止まっていつも犬のいるところを見ると、犬小屋の前に犬はいる。
しかし、犬は、犬小屋の横にある店(家)の方を向き、前足を立てて座った姿勢のまま、うなだれていた。
家を見ると、ガラス戸越しに、ふたつのお盆ちょうちんのようなものが立てられていて、そのあいだに壇が設えられ、ご主人の写真がおかれていた。
この家のご主人が亡くなったのだ、ということはすぐにわかった。
犬はそのご主人の写真のほうに向いてうなだれていたのだ。
いつもの、掛け合いの敵役のようなわたしがうしろで見つめていても、犬は微動だにせず写真のほうに体を向けていた。
その姿は、人間が肉親の死を悲しんでいるのと変わらないように見える、
というか
犬の背中からは、それ以上の「悲痛」ともいえる思い?さえ感じられるのだ。
わたしはしばらくその様子を見ていたが、犬はずっとそのままだった。
その日以来、犬がわたしに向かって吠えることはなくなった。
わたしが通りかかっても、こちらを見ようともせず、気だるそうに地面に寝そべっていることが多かった。
それから何週間かすると、犬はいなくなった。
多分、死んだのだろう。
空になった?犬小屋はずっとそのままだった。
・・・これはすっかり忘れ去っていたことなのだが、なぜ今頃、こんなことがまざまざと思い出されたのだろう?
脳の勝手な配慮?
たしかに気分は少し変わった。
犬も人間も不思議、
ということで、雨も止んだようなので、これから外出(^^)