行ってきた。
北区西ヶ原にある殿上湯というお風呂屋さんだ
行ってみたかった理由は、昔、このお風呂屋さんに大杉栄と伊藤野枝が通っていたことがあった、と聞いたから。
「へー、そんなお風呂やさんがまだ残っていたんだー」
わたしはもともとお風呂やさんや温泉施設が大好き。
そこへもってきて、わたしが気になっている歴史的人物が通っていたとなるとたまらない。
大杉栄や伊藤野枝の在りし日の姿を想像しつつ、大正ロマンの雰囲気に浸れるんじゃないか、とやってきた。
目指すお風呂屋さんは、路地を少し入ったところにあった。少しわかりづらい。
思っていたよりこじんまりした感じ。
「歴史」を知らなければ、ごく普通のお風呂屋さん。
内部も、東京の伝統的なふつうの作り。
でも、お湯の質は良かった。
井戸水なので、温泉のようにじっくりと温まる。肌触りももちろんいい。
しかも、わたしが行ったのは8時過ぎと、銭湯がいちばん空いている時間帯だったので、途中から入浴者はわたし一人。
湯の温度もいいし、伝統的な銭湯?を独り占め\(^^)/
じつに気分がいい。
ただ、大正ロマンに浸っているという気分はない、というか忘れてしまっていた(笑)
わたしのお風呂の入り方というのは、最初お湯につけるのは心臓から下のところまでで、絶対に心臓はお湯につけない。
そして、湯から上がる直前の1分間くらいだけ、首までザンブとつかる、というもの。
これをやると、かなりの長時間、お湯につかっていることができて、じっくりと温まり、出てからもポカポカとしばらくは身体が温かい。
しかも、絶対に湯あたりしない。
わたしがこの入浴法をやりはじめたのは、二十年ほど前、新宿区にある銭湯で、元気そうな老人が、医者から聞いた効果的な温泉の入浴法として話しているのを聞いてから。
この日は他のお客さんがいない時間が長かったので、ゆっくり温まることができた。
「歴史」を感じさせるというよりも、アット・ホームな柔らかさを感じさせる銭湯だった。
帰宅してネットで「殿上湯」というのを検索してみると、そのお風呂屋さんは昔文京区にあったのを戦後、現在のところに移転してきたものだという。
うーん、大杉栄と伊藤野枝が通っていた場所ではなかったのか(笑)少し残念。
図書館から借りていた「大杉栄全集」((株)ぱる出版)の第3巻を開いて拾い読み。
憲兵隊に殺されるくらいだから相当過激な人かと思ったら、著作を読むかぎり、先進的ではあるけれど、ふつうの市民主義、民主主義者という印象だ。
一貫しているのは「個人主義」だが、これもエゴイズムのそれではなく、個人の自由を追い求めながらも他者への理解、相互扶助を強調していて、ついこの間までの日本ではあたりまえのことというか、穏健な革新派の範疇に収まっていたものだろう。
大杉栄が立脚していたのはあくまでも人民大衆。
その立場から、人民を搾取・抑圧する財閥資本家、官僚閥、軍閥などによる全体主義体制を批判する進歩的知識人だった。
それでも戦前の全体主義体制にとっては刺激的だったのだろう。
また、大杉栄の文章もなかなか「挑戦的」ではあった。
たとえば、『秩序紊乱』(ちつじょびんらん)、と題された次のような文章。
⇒ 『ぼくらは、すでに幾度か、いわゆる「秩序」を「紊乱」(びんらん)した。また幾度かいわゆる「朝憲」(ちょうけん)を「紊乱」した。そして今また本紙(平民新聞)の第一号によっていわゆる「安寧秩序」(あんねいちつじょ)を「紊乱」した。
「秩序」とは何ぞや。またその「紊乱」とは何ぞや。
ぼくらはただ、ぼくら自身の苦(にが)き生活の経験によって、その真実を知る。
人類の多数が、少数(※資本家、既得権益者)のあくなき貪婪(どんらん)と驕慢(きょうまん)と痴情(ちじょう)とを満足せしめんがために、刻苦(こっく)して労働する。これすなわち「秩序」である。
人類の多数が、物質的生活と精神的生活との合理的発達に必要なるあらゆる条件を奪われ、科学的研究(※科学の進歩)や芸術的創造によって得られた楽しみを夢だにも知らざる、その日稼ぎの駄獣(だじゅう)的生活に堕す。これすなわち秩序である。
人類の多数が、あらゆる奢侈(しゃし)品や必要品のうずたかく積みこまれたる倉庫の前に、あるいは餓死(がし)せんとし、あるいは凍死せんとする。これすなわち秩序である。
人類の多数が、男は機械のごとく働き、女は大道に淫(いん)をひさぎ、子は栄養不良のために死ぬ。これすなわち秩序である。
雇い主の貪欲(どんよく)なる怠慢(たいまん)のために、あるいは機械の破裂や、あるいはガスの爆発や、あるいは土くずれや岩くずれの下に、毎年数千数万の生命を失う。これすなわち「秩序」である。
人と人との、国と国との、たえざる戦争、
海に、山に、空にとどろく銃砲(じゅうほう)。田園の荒廃。幾世紀かのあいだの幾多の膏血(こうけつ)の累積(るいせき)よりなる(※人民の)富の破壊。
数万、数十万、もしくは数百万の若き生命の犠牲。これすなわち「秩序」である。
而(しこう)してついに。鉄と鞭(ムチ)とによって維持さるる、
動機と感情と思想と行為の束縛。したがってその(人民の)屈従。
これすなわち「秩序」である。
しからばこの「秩序」の「紊乱」(びんらん)とは何ぞや。
あらゆる鉄鎖(てっさ)と障碍(しょうがい)物とを破棄しつつ、さらによき現在と将来とを獲得せんがために、この堪(た)えるべからざる「秩序」に反逆する。これすなわち「秩序」の「紊乱」である。
~~~略~~~
真に自己のためなると同時に、また他の同類(人間)のためなる、もっともうるわしき激情の爆発。もっとも大いなる献身(けんしん)。もっとも崇高(すうこう)なる人道愛の発現。これすなわち「秩序」の「紊乱」である。
ああ、ぼくらはついに、生涯を通じてこの「秩序」の下に蠢動(しゅんどう)しつつ、その「紊乱」に従わなければならぬ。
「秩序」はぼくらの真の死であり、その「紊乱」はぼくらの真の生である。』
このように、市民的自由、個人の尊厳を主張していると、「国」が「殺し」にくるのが戦前の日本の体制?
大杉栄と伊藤野枝と、甥の子どもまで殺した憲兵隊の実行犯の一人であった甘粕大尉は、アジア太平洋戦争の敗戦時に自殺したが、自殺する前に、
「大杉栄たちを殺す命令を出したのは憲兵隊の司令官だったのか?」
と問うた人に
「もっと上だ」
と、薄笑いを浮べて言った。
「戦前の日本の体制」と書いたけど、基本的なものは戦前も戦後も同じなんだよなあ。
うーん、と思ってさらに頁(ページ)をめくると、「<種の起源>について」という題の文章があった。
大杉栄は1914年の10月から翌年の7月にかけて、新潮文庫から5分冊にしたダーウィンの「種の起源」を翻訳発刊していて、
そのダーウィンの学説である「生存競争」の人類社会に対する功罪を論じたものを「新潮の1914年12月号に載せた、その文章。
この時代に、ダーウィン学説が人類社会に悪影響を及ぼす可能性を論じているのはかなりすごいことだと思う。
たとえば
⇒ 『~ しかし、ここにただ一言しておきたいのは生存競争のことだ。
これは自然淘汰説すなわちダーウィニズムの根底になるのであるが、それと同時にまた、これほど社会現象の上に応用された生物学説はない。
そして今日では、この生存競争もしくは適者生存という言葉が、学者のあいだにもまた通俗の人のあいだにも、社会現象のほとんどすべてを説明する常套語(じょうとうご)になっている。
しかもこの言葉は、常に誤用(ごよう)され、かつ悪用されて、現代社会の欠陥(けっかん)を永遠に続けて行くことを承認する憑拠(ひょうきょ)になっている』
として、今で言う「社会ダーウィニズム」の危険性を的確に指摘している。
・・・たぶん、この時代にはまだ「社会ダーウィニズム」という言葉さえなかったのではないか、と思うのだが?
もし大杉栄が国によって殺されずに、彼の思想が一定の影響を持つことになっていれば、戦後の優生思想(社会ダーウィニズムによる)に基づく「強制断種手術」にもブレーキがかかった可能性があるのではないだろうか?
いずれにせよ、大杉栄の「先進性」は群を抜いていて、「現代」的である、とさえ言える。
それにしても、大杉栄はなぜあんな殺され方をしなくてはならなかったのか?
そして今また、甘粕大尉を満州の夜の帝王にした権力者(岸信介)の孫さんとその一党によって、民主憲法が破壊され、日本は再び暗い時代を迎えようとしているようなのだ。
・・・せっかくお風呂で温まったのに、引用文ばかりの固い文章になってしまった。
今日はぐっすり眠れると思ったのに(笑)
本日読んだお仲間ブログ
「おっさんやじいさんが過激に語り合うブログ」
の記事。身につまされました。
ほんとうに日本の支配体制は変わらない。
どうしてなんでしょうかねえ?
というか、世界全体も悪い方向に行っているような気がして、気持ちが穏やかではない。
分岐点といえば分岐点なんだろうけど。
なんとなく気持ちが穏やかではないときは、
聞きながら眠ろう。 おやすみなさい。
(引用文はごく一部読みやすいようにアレンジしました)