「噂の真相」の編集長をしておられた岡留安則さんが1月31日に亡くなられていたことを知った。
岡留さんに直接お会いしたことは一度もないけれど、「噂の真相」はわたしがこのようなブログを書く「きっかけ」を与えてくれた雑誌だった。
正直、影響も受けている。
わたしが始めて「噂の真相」を手にとったのは、阪神大震災の前、1992年か1993年頃だったと思う。
そのころのわたしは、この国の政治や社会、文化には無関心というか、背を向けていて、アパートの裏庭に来るノラ猫の世話や近所のノラ猫たちとの「おつき合い」にもっぱら「楽しみ」を見出していた。
当時、そのあたり一帯をシメていたボス猫(赤トラの、顔もデカけりゃ表情もいかついオス猫)とは、いい友人、といった感じだった(笑)。
テレビも新聞も雑誌も一通りの世間的な「情報」を得るくらいの存在で、特別に興味を持つものはなかった。
まあ、「へ」のようなもので、
「いちおうニオイだけは嗅(か)いどかなくてはいかんかな」
という程度。
それが、はじめて書店で「噂の真相」を読んだとき、
「え?」
と思った。
「この内容、この面白さは?・・・
こんな雑誌があったんだ・・・」
ふざけた内容に見えながらも、読者の目線に立って「真実に迫る」「真実を伝えようとする」姿勢が伝わってきた。
他の大メディアのような、偽善、おためごかし、権力・権力者を背景にした上から目線、といったようなものが全くない。
これまで「閉ざされていた」社会の一角に小さな「窓」を見出したような気持ちだった。
以来、毎月欠かさず購入するようになった。
結果、(内心)完全に絶望して背を向けていた日本社会に再び目を向けるようになり、政治や文化に対する興味も戻ってきた。
購読しているうち、
「この雑誌なら、わたしの、この日本社会では相手にされないような、“異端”的な考え、意見、を理解してくれる人もいるかな?」
と思って、
読者の意見を載せる「読者の場」に投稿「してしまう」というようなことまでやった。
学校卒業以来、文章といえば「会社への報告書」や「お客さんへの説明書、案内書」くらいしか書いたことのないわたしが、社会人になってはじめて自分の意見を書いてみた。
「こんなの採用されるわけないよなあ」
と自分でも思っていた文章が、次の月の「読者の場」で、活字になって載っているのを見たときは、嬉しさよりも不思議な気がした。
おまけに「謝礼」として図書券までが送られてきた。
以降、ぽつぽつと3回くらい投稿したのだが、すべて採用してもらい、その都度、「図書券」が送られてきた。
いやあ・・・
「有難うございました」
その言葉しかない。
面白く読ませてもらって、わたしの「世間一般からズレた?」意見まで載せてもらって、そのうえ図書券までもらえるなんて・・・
ここでも、他の雑誌や新聞では考えられないことが「噂の真相」では(私的に)起こっていたわけです(笑)
他の媒体ではわたしの文章など、「ナニこれ?」でポイ、だったでしょう。(「噂の真相」以外にはどこにも投稿したことはないけれど、それは確実(笑))
「噂の真相」はわたしにとって唯一無二の雑誌でした。
感謝の気持ちを込めて、「噂の真相」を「噂の真相」たらしめていた編集長・岡留安則さんのご冥福を祈ります。
ありがとうございました。今は安らかにお眠りください。
・・・・それにしても、まだまだ元気で活躍していただきたい人の訃報が続く。
1人去り、2人去り・・・
なぜ? なぜなんですかー? と叫びたくなる。
「ご苦労さまでした」と感謝すると同時に、「残念」「惜しすぎる」という気持ちが・・・
肺がん、乳がん、心臓疾患・・・
なんだかなァ・・・