夕方から雨。

深夜になっても降り続いている。

 

しかし、もう冷たい雨ではない。

どこか温(ぬく)もりを感じさせる春の雨だ。

 

このあいだまで木についていたナンキンハゼの実も、今日見たらひとつも残っていない。

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左が十日ほど前で、右の画像が今日のもの。右の画像で白く見えるのは水滴の反射。

すべて鳥が食べたのか、それとも落ちてしまったのか・・・

 

f:id:hibi333zakkan:20190307004006j:plain深夜の踏切を通り過ぎて行った回送電車。

こちらにもなぜか暖かいもの?を感じるのは、

昨日まで「ぱさついた」気分に悩まされていたわたしの感情に潤(うるおい)が戻ったからか?(べつにきっかけがあったとかではなく、自然と(笑))

 

公園横の細い道

f:id:hibi333zakkan:20190307004505j:plainタンゴの「小雨降る径(みち)」のメロディーが想い出されて、頭の中で「鼻歌」風(ふう)に歌っていた。

 

帰って部屋でテレビをつけると、日産自動車の前会長だったゴーン氏が保釈されて東京拘置所から出る様子が映っていた。

 

工事用のベストをつけた作業着に青い帽子、マスク。

 

いつもならその姿を見て、想像を逞(たくま)しくしてあれこれ考えるのだが、今夜はただ、その「面白さ」に笑っただけだった。

 

同じような人が多いのか? ネットでは「変装」というより「コスプレ」なんて言い方も(笑)

(タイヘンな思いをされているご本人には失礼で申し訳ないが)

 

こんな春の夜。

 

タンゴといえば、小学6年生の時、わたしは1学期だけ放送委員というのをやったのだが、わたしが下校時に流す音楽は必ず、タンゴの「碧空(あおぞら)」だった。

 

最初この曲を選んで流したのは、曲名が難しくて読めなかったので、「どんなんだろ?」と思ったからだった。

 

ところが、かけて見ると、子ども心にも「うわー・・・これまで聞いた曲で1番の名曲だー(?)」と感動。

以来、わたしが当番の時は、必ずこの曲をかけた。

 

今でもわたしはこの曲が大好きで、その延長でコンチネンタルタンゴをよく聞くようになった。

 

・・・小学生の頃といえば、「初恋」の思い出も。(春やなー(笑))

 

わたしの初恋は小学5年生からだった。

 

5年生になった最初、席を決めるときに隣になった女の子が「初恋」の相手だった。

 

席が決まった日の午後の休憩時間、他のクラスから数人のガキ(同級生)どもが来て、その女の子の隣に座っているわたしに向かって

「わー、○○クン○○子の隣に座ってる~、スケベ~」

とはやしたてる。

 

「え?スケベ?ナニそれ?」

そのときわたしは「スケベ」の意味がわからなかったので、隣に座っているその○○子ちゃんに聞いた。

 

「みんながボクのことスケベ、スケベって言うんだけど、どういうこと?」

すると○○子ちゃんはメモ用紙のようなものを取り出して、それに「助平」と書いてくれた。

わたしは、それをしばらく見ていたが、

「あ、なるほど。これをスケベイ、と読むんだね」

と、納得?した。(ほんとうは意味不明で「?」のまま)

 

ガキどもはわたしが「無反応(キョトンとしていた)」なので、つまらなそうに自分たちの教室に帰っていった。

 

わたしが最初、ふつうの女の子としか思っていなかった(雰囲気が柔らかいので)その○○子ちゃんこそが、その小学校(というか同学年で)で、ナンバーワンのモテモテ子というか、全男子児童のあこがれの的だったのだ。

 

わたしにもそのことが段々と分かってくる。

 

いわゆるカワイ子ちゃんタイプではないが、勉強、スポーツ、図画工作、習字、その他もろもろ、何をやらせても抜群。

もちろん成績表は完全無欠のオール5(本人はそんなことひと言もいわないが、先生が公言していたからね)。

それでいて、威張ったりそれを誇るようなことも無く、本人はいたって控えめでおとなしい。

 

ちょっと「格」が違う、という感じだったのだ。

 

いやあ、本来のわたしの性格からすれば、そういう女性(女の子)に初恋とはいえ、「恋心」を抱くことなどないのだが(・・・劣等感が先にたつ)、

その子が実にわたしに親切だった。。

 

ナンデとくに優秀でもないわたしにそんなに親切にしてくれるのだ?

と不思議だったが、わたしもそれに「甘えて」?学校に行くのが楽しくなっていった(学校に行くと彼女に会えるから←いわずもがな)

 

しかし、わたしが彼女に「好意」を示すことはなかった。

心の奥底では初恋心(?)を抱いていながらも、なにせ、すべての面でその子に劣っている、という根深い劣等感に襲われていたからだ。

 

それでも彼女はそこはかとなくわたしにやさしかった。

 

わたしは小学校での「工作」が大の苦手で、あるとき「籠(かご)」を作る授業の時、途中で行き詰まってしまい、「うぎゃー」となっていたのだが、

そのときも、隣から無言でそっと手を出して、わたしが行き詰まっている部分をやってくれたりした。

 

彼女にはそのようにけっこう助けられることが多かったのだが、わたしにとっては、それはありがたいと言うより、劣等感を積み重ねるものでしかなかった。

 

ということで、心とはうらはらにわたしは彼女と距離をとっているつもりでいたのだが、なにせ、彼女がわたしに特に親切にしてくれるものだから、いつしか周囲からは「カップル」のように見られるようになっていった。

 

が、 

これが、またタイヘン。

 

彼女とは、6年次も同じクラスになったのだが、彼女のわたしへの親切、好意は変わらず、席替えの時、女の子に好きな男子の隣に行きなさいなんてやったときも、彼女はわたしを選ぶし、それぞれが友達の家でクリスマス会などをやるときも、他のグループの誘いを断って、わたしのグループに来てくれる。

 

ということで、どうしても周囲から「カップル」と見られてしまうのだが、

 

小学生とはいえ、周囲からの「嫉妬心」は当然、ある(笑)

 

小学校卒業前のときに、はやりオール5じゃないかと言われていた、勉強、スポーツともに優秀な男の子から「決闘状」を突きつけられたときは驚いた。

「は?」

てなもんで。

 

わたしが「逃げ回って」事なきを得たが、その男の子は幼稚園のときから(?)その子のことが好きだったらしい。

 

中学校に入ってからは、彼女と一度も同じクラスになることは無く、どういうわけか三年間最も遠いクラスに「分離」されたため(9クラスほどあった)、疎遠になってしまったのだが、

 

それでも、別の小学校出身の、やはり成績優秀な生徒が、わたしの悪口を言いふらしている、と部活の後輩から聞いたときは驚いた。

その生徒とは一度も同じクラスになったことがなく、口もきいたことが無かったからだ。

彼は、二年間ほど彼女と同じクラスだった・・・

 

その頃のわたしは全然気がつかなかったのだが、わたしに対する嫉妬というか憎しみは潜在的にずいぶんあったらしい。

 

40歳を過ぎて旧友同士で1泊旅行したとき、もう結婚して子どもも3人いる、それまで親友と思っていた同級生に

「小中学生の時、実は、○○(苗字)○○子ちゃんにあこがれていて、わたしを憎んでいた」

と告白?されたときは、さすがに驚いたものだった。(へー・・・・・

 

子どもの世界も実にオソロシイ・・・(笑)

 

けっきょく、高校が遠く離れた別々のところになって、彼女とはそれっきりになってしまったが、

それにしても、なぜ彼女は、(サエナイ)わたしのような男の子にそれほど親切にしてくれたのか?

 

その謎が解けたのは、大人になってからの母との会話によってだった。

 

わたしの父が四国の鉱山で火薬を扱う仕事をしていたことは前の日記にも書いた。

 

しかし、そこでの仕事は相当キツかったようで(後に父は「頭と神経を使いすぎる仕事がいちばんカラダに悪い」なんて言っていた)、父は胃潰瘍を患って同じ系列の建設会社に移って、家が一軒空いていた母方の実家のある町に住んだ。

 

そのとき父は、自分はもうダメだと思っていて、遺書なども書いていたようだが、

その町に住んでいた○○さんという人のお兄さんが、当時その県で最も大きい病院の外科部長をしていて、名医として評判が高かったので、

 

母がわたしの手を引いて、父をその人に見てもらうよう○○さんのお家にお願いに行ったらしい(わたしは覚えていない)。

 

それで、診察を受けたのだが、そのお医者さんは弱音を吐く父に

「こんな小さな子どもがいるんだから死ぬわけにはいかんでしょう」

と励まして、自ら手術してくれたらしい。

 

結果、父は全快して仕事にも復帰できたわけだけど、

そのときお願いに行った○○さんというのが、その○○子ちゃんのお父さん。

したがって、父を手術してくれたお医者さんは、○○子ちゃんの伯父さんということになる。

 

わたしは子ども時代、そのことをまったく知らなかったわけだけど、どうも○○子ちゃんはそのことを知っていて、それでわたしに好意をもって親切にしてくれていたようなのだ。

 

そう考えれば、納得(笑)

でも、がっかりした、というより、それでかえってわたしの彼女に対する「神さま度」は上がった。

やはり彼女はわたしの永遠の初恋の「女神」なのだ(笑)

 

ただ、わたしが気になっているのが、

「どんな立派な男が彼女の夫になるのだろう」

と思っていた彼女の結婚相手が、風の噂によると、案外、それほどの人ではない、ということだ。

その後、旦那さんが病気がちで、けっこう苦労している、とも聞いた(噂)。

 

それを聞いて

「あれ?ひょっとしてわたしにも可能性があったのかな?」

なんて首をひねったりしたが、

 

むむ・・・彼女が「だめんず」※といえば失礼だが、必ずしも超エリート的な男と結婚しなかったのは、わたしにも少し責任があるのかもしれない・・・

と思って、複雑な気持ちになった。

 

小学校の時、わたしみたいな「おちこぼれ」と親しくしてしまったものだから・・・(

        f:id:hibi333zakkan:20190307040942j:plain になっちゃった?

        嗚呼・・・?

 

今なら「あんな子と親しくしてはいけません」と親が言うだろうし、子どももドライなものだろうけど・・・

 

いやあ、だから、やはり○○子ちゃんは、最高の女子なのだ。

わたしの永遠の神さまなのだ。

 

世間の価値基準など何になろう。

 

わたしは陰ながら彼女の「ほんとうの」幸せを祈っている。

 

 

ああ、いい夜だなあ・・・(笑)

 

 

 

 

※ 「だめんず」という言葉は、倉田真由美氏による漫画作品「だめんず・うぉ~か~」から。

だめんず → ダメな男ばかりを好きになってしまうような女性のこと。

 

 

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いま「碧空」のスタンダードになっているアルフレッド・ハウゼ楽団の演奏を聞くたびに、わたしが小学生の時にかけていたのと「ちょっと違うんじゃ?・・・」と思っていたら、

youtubeにその当時のレコードのジャケットが!

 

バルナバス・フォン・ゲッツィ楽団!だった!(当時、すでに相当古いレコードという感じだったもんなあ・・・)

 

ルフレッド・ハウゼ楽団の華麗な演奏に比べると素朴だけれど、今聞いてもグッと胸に迫るものがあります。

[http://:title]                (kenones12さんより)

 それにしても、こちらの動画というか画像がベタ、というかスバラしすぎる(^^;)

 

有難うございます。古い曲(演奏)が全然古く感じられなくなるというか、感動が増しました。

 

こちらも

[http://:title]                                                         (eri3musashiさんより)

わたしは「小雨降る径」は「演奏」中心で、あまり歌詞つきのものは聞かないのだけれど、菅原洋一さんの「歌唱力」があまりにも素晴らしいのでお借りしました。

あと金子由香利さんのものもいいですねえ・・・

 

 

長くなってしまいました・・・

 

さて、今日は菅原洋一さんの「小雨降る径」を聞いて眠ろうかな。

(「碧空」を聞くと、あれこれ思い出して眠れなくなりそうだから・・・(笑))