桜も咲きそろって、いよいよ本格的な春。

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近くにある小学校の校門から見上げた桜。

 

春の歌でわたしが真っ先に思い出すのは、なぜか「春が呼んでるよ」という歌。

 

この歌は、わたしが小学5年生に上がる前の春休みのころに、NHKの「みんなの歌」で聞いて「はまった」歌だ。

 

「はまった」きっかけになったのが

 

“あの土手に寝転んでお弁当食べたいな”♪  というフレーズ。

 

その歌を聞く少し前、わたしは両親に、市部にある百貨店に連れて行ってもらい、そこの大食堂で生まれて初めて、「カツ丼」を食べたのだが、いや、そのおいしかったことおいしかったこと!

 

それは、いまふつうにあるタマゴでとじたカツ丼ではなく、ご飯の上に薄めのトンカツをのっけて、その上にデミグラスソースをかけてグリンピースを3個ほど置いただけのシンプルなものだったのだが、このカツ丼にわたしは夢中になって、以後、その百貨店に行くと、必ず注文するようになった。

 

 その「たまらなくおいしいカツ丼」の印象が強烈だったためか、

 

「春が呼んでるよ」の歌詞の中にある、“お弁当食べたいな”♪の「お弁当」が、わたしの頭の中で“カツ丼食べたいな”に「変換」されたのだった。

 

“あの土手に寝ころんでカツ丼を食べたいな”♪

 

「春が呼んでるよ♪」はわたし的には「カツ丼が呼んでるよ♪」になった。

 

「食欲」と結びつくと、やはり強烈に心に刻まれるのか、この歌はわたしの「ソウルソング」のひとつになっている。

 

ただ、この歌はその後、テレビやラジオなどで聞くことがなく、わたしがひとりで歩いているときに、気分に応じて軽くハミングするくらいなものだった。

 

それがyoutubeで聞けるようになった。

 

ただ、わたしが「みんなの歌」で聞いていたものはなく、最近の合唱団や歌手が歌っているものばかりで、なつかしさはもうひとつ。

 

「みんなの歌」では、わたしと同い年くらいの子どもたちが土手の上や斜面を走り回っている映像があって、その、草の茂った斜面で自分が「カツ丼」を食べる光景を想像していたわたしにとっては、映像も懐かしく、ずっと探していたのだが、

 

最近、「見つけた」!

 

ユーチューバー?の方のパソコンの画面に映し出されていたものだが、画質が恐ろしく劣化していて、子どもたちがみんな「幽霊」のよう。

 

ちょっとショックだった。

 

そんな昔になっちゃうんだなあ・・・

 

たぶんNHKにも、鮮明な映像は残っていないのだろう。

 

このころやっていた「てなもんや三度笠」の財津

 一郎さんのギャグではないが

 

「サミシーーーー!」 (T^T)

 

あまりこの歌が歌われなかったのは、ちょっとメランコリーな曲調が日本の「春」とは合わなかったためであるかもしれない。

 

「歌詞がいまひとつ」

というような評価もネットのどこかで見た。

 

それでも、やはりこの歌はわたしの春のソウルソングなのだ。

 

「食欲」のほかには、小学3年生から6年生にかけて、3年4年、5年6年とそれぞれ2年間づつ担任だった二人の教師との関係が最悪であったこともあるかもしれない。

 

「みんなの歌」でこの歌が流れていたときは、ちょうど4年次が終わり、嫌な担任(女性)から逃れて、少し」ホッとしているときだった。

 

しかし、その次にはさらに強烈なの(男性教師)が来るのだった。

 

いまでもわたしは「いじめ」と聞くと、この二人の教師を思い出す。

 

それ以外の教師でとくに嫌な思いをしたことはなく、わたしは同級生からのいじめも受けたことがないので余計に強烈に記憶に残っている。

 

前の日記で、わたしは小学5年生から「初恋」が始まったことを書いたが、

わたしの小学5年生、6年生時は「初恋の女の子」という「天国」と、最悪の関係だった担任教師という「地獄」が共存した、「天国と地獄」の季節だった。

 

完全無欠の通信簿オール5の女の子の隣に、2と3が半々という落ちこぼれのわたし。

ふつうなら嫌がられるところ、彼女にはほんとうに親切にしてもらったなァ。

 

通信簿を親に渡すときは苦痛だったが、不思議と叱られたことはなかった。

 

後年、わたしが大学生になったとき、倉庫の中に、わたしの小学6年次のペーパーテストが教科別にすべて厚紙を表紙にして綴じられているのを発見したときは驚いた。

 

父が作成して保存してくれていたものだった。

 

それを見て、わたし自身が驚いたのは、

「えーーーっ?」と思うくらい、どれも点数がいい!

わたしがもっとも好きな科目だった「理科」などは、3分の2以上が100点。(通信簿はずっと「3」)

 

父がわたしの成績の悪さについて、不思議なほど「知らん顔」していたのは、そういうことだったのか、と改めて納得がいった。

 

親とはありがたいものです・・・。

 

 

 わたしの「春のソウルソング」がメランコリーな調子のものになったのには、当時のそういう状況もあったからかもしれない・・・

けど、

 

 

やはり春はほとんどの人にとって喜びの季節なのだから、

 

(わたしのように)嫌なことを思い出してはいけない(笑)

 

 

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「みんなの歌」↓ この動画が長く残っていてもらいたい・・・

https://youtu.be/TPYMu1AwKis

 

こちらが「今」の子どもたちが歌う「春が呼んでるよ」

https://youtu.be/LstnmbRIlGE

 

いつの時代も子どもは変わらない、というか、人間の「基本」は変わらないんですよね。

 

 

 ↓この動画の財津一郎さん、“異様さ”が薄れていて、ちよっぴりすべり気味?(^^)

https://youtu.be/Bz2RSbawoII

 

しかし、昔の芸人さん、役者さんが芸そのものを追及していたということはわかりますよねえ。

 

近ごろは、芸よりも力関係といいますか、権力、権力者を背景としてテレビなど「おいしい」「仕事」にありついているような人が多いように見えます。(つまり、「あちら側」のヒト)

 

昔の芸人、役者さんは「権力」とは一線を画していたんじゃないでしょうか。

権力者より、お客さん、民衆の側(がわ)にいた、と思います。

 

だから、お客さん、大衆を笑わせ、感動させるために必死だったわけで、昔の作品を見ると、それがストレートに伝わってきます。

 

この「てなもんや三度笠」もテレビという限界はあるにしても、そういう時代に属しているものでしょう。

 

だから、テレビとはいえ、出演者の皆さん、みんな必死。

プロフェッショナル芸です。

撮影はまったくの生本番、一発勝負だったそうです。