ショーケン=萩原健一さんが今月の

 26日に亡くなっていたことがわかったという。

享年68歳。

 

その早すぎる死を惜しむ声が多い。

 

わたしも残念でさみしい気持ちだが、

 

通っていたスポーツジムに行った翌日の急死。

「最後までカッコいい人だったなあ」

と、少し羨ましくもある。

 

それにしても、有名人の訃報が相次ぐ・・・

 

日本の“カッコよかった”時代を担った“カッコいい”人たちが次々と消えて行く。

 

それにしても、有名人の人たちもだが、わたしの周りでも60歳代で亡くなる人が実に多い。

 

日本人の「平均寿命」の「統計?」「も」フェイクじゃないだろうか?

とも思う今日この頃。

 

まあ、日本人が長生きなのは、戦国時代に日本に来た宣教師が書き残しているように、昔からなのだが、近年、日本人は短命化しているようにも見える。

 

それはともかく、

 

訃報を聞いて最初にわたしの頭に浮かんだのは、なぜか、映画「八つ墓村」の辰弥役を演じた萩原健一さん。

 

あの映画をわたしは封切りで見たのだが、映画も面白かったし、萩原健一さんも好演だった。

 

ともすれば陰惨に傾きがちな内容の物語を、萩原健一さんのもとから持っているカッコよさが救っていた。

金田一耕助役の渥美清さんとの組み合わせも絶妙だった。https://youtu.be/8dKNPS_2fBs

 

この映画で濃茶の尼が叫ぶ?「祟りじゃ~!」は流行語にもなって、わたしが勤めていた会社でも、女性社員が仕事でミスをした人などに「タタリじゃ~」なんてやっていたのを思い出す。

 

「タタリ」でふと頭に浮かんだのが沖縄に生息しているというジュゴンのこと。

 

長年沖縄・辺野古の海周辺に長く住み、「生活」していたジュゴンも3頭ばかりになっていて、その3頭も辺野古の軍事基地建設に伴う埋め立て工事で貴重な餌場のひとつを失い、生存が脅かされているということだったが、

 

そのうちの1頭が19日、沖縄・今帰仁の沖合で死骸となって漂流しているのが発見されたという。

 

日本の貴重なものが次々と失われていっている、という気がする。

 

動物では、すでにカワウソ、トキなどが絶滅している。

トキは中国産のトキで復活を図っているそうだが、それにしても、日本は絶滅した動物、絶滅危惧種が多い。

 

本質的に「生命」を大切にしない日本の支配体制、政治にも大いに原因があるんじゃないだろうか、と思う。

 

辺野古の軍事施設建設に反対する市民の皆さんには是非、辺野古ジュゴン墓を作って上げてほしい。

沖縄の自然を破壊しジュゴンを追いつめ、軍事基地の建設をムタイにごり押しし、利権と戦争を引き寄せようとしている政権と政権周辺の人たちに、ジュゴン墓さまの「タタリ」が降りかからないよう、「期待」?したい(ワクワク))

 

貴重なものが失われていっているのは、動物だけではない。

 

今日の「リテラ」さんの配信は

 

荒川強啓デイ・キャッチ終了の不可解

 聴取率好調なのになぜ?

政権批判できる報道番組がまた消える』。

 

ネトウヨ政権」といわれるアベ自公政権の下で「民主主義」「言論の自由」「言論の場(メディア等での)」も急速に失われているようなのだ。

 

いまの日本の支配層はウヨ化、ファシズム化がカッコいいことだとでも思っているのだろうか?

戦争ができるようになり、自由が失われ、人々の思考が画一化され、貧富の格差が拡大し、弱者を切り捨てていく国がカッコいいのだろうか?

 

20年前くらいまではそうじゃなかったよなあ。

 

・・・でも、もうこれからはわたしたちの時代ではない。

 

わたしには、わたしより若い世代の日本人がどのような「展望」や「希望」、「理想」を持っているかわからなくなっていて、

 

ただ、日本国憲法を基本として、その理想を追求しようとしていた日本人の多かった「昔」や、「現代では「追放」の憂き目にあうような」“(いろんなタイプの)カッコよかった”人たちを懐かしむばかりだ。

 

 

そのかつての、日本国憲法、民主主義の理想を追っていた時代の人たちも年をとり、次々と鬼籍に入っている。

 

「ご苦労さまでした」

と見送りたいけど、

 

今年の「国民の幸福度」ランキングで「総合」世界58位。

国の(国民の?)「寛容度」世界92位。

「自由度」世界64位。

 

という現状はあまりにもサミシく、先輩たちが気の毒に思える。

(みなさん、できるだけ長生きしてください・・・)

 

もちろん、萩原健一さんの死に政治的な意味を持たせる気はないけれど、

今のものとは違った(あるいは今では持てない)カッコよさがあったことは事実だろう。

 

「いい時代」から「厳しい時代」へ

 

わたしは萩原健一さんよりは何歳か年下だが、そういう時代を経てきたということで、ほぼ同じ時代を生きてきたと思う。

 

それにしても、「今」は、表面的なカッコよさは追及されているようだけど、本質的には「ダサく」で「恥ずかしい」時代なんじゃないかな、と脳みその前頭葉の一部で感じている(笑)。

 

 

ともあれ

「あーカッコいいなァ」「羨ましいなァ」(ハンパなくもててましたよねえ)と思っていた“ショーケン”の

ご冥福を心より祈ります。

 

こうしてひとつひとつ「時代」が終わっていく・・・

 

 

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おととい3月27日の日記。

下書きのまま抹消しようかと思っていたのだけれど、UPすることにしました。(^^)