隣の駅までふらりと散歩。
若葉と花の季節。
どこの公園や、家の生垣、家先、庭にも綺麗な花が咲いている。
歩いても歩いても、若葉の緑、そして花、花、花。
こういう風景を見ていると、東京は美しい、と思う。
しかし、
かつて日本きっての思想家であった和辻哲郎氏は、それまで住んでいた京都に比べて、
「~東京の樹の葉の緑が実にきたなく感じられて、やりきれない気持ちがした。」
「いったい東京の樹木は、京都のそれに比べると、ゲテモノの感じである。」
などと書いて(「京の四季」)、東京の樹木の「不愉快さ」を嘆き、京都の「緑」を懐(なつ)かしんでいる。
けれど、
もうかれこれ30年近く東京に住んでいるわたしにはその感覚はわからない。
40年ほど前、春の季節に京都に3ヶ月ほど滞在したことがあるのだが、そのときの印象では、「緑」に関しては今の東京とあまり変わらないように思えた。
樹木はともかく、人々が花を美しく咲かせているということでは、東京も捨てたものではないと思うのだが?
ただ、東京で咲いている花は見た目はとても美しいのだが・・・
匂いというか、香り、
これが「良くない」とは感じる。
わたしが18歳まで住んでいた田舎で咲いていた花々とはその匂いが明らかに違う。
なんというか・・・東京の花の匂いを嗅(か)ぐたびに、くすんだ、というか、どこかに少し悪臭を含んだように感じるのだ。
和辻氏は、東京の樹木の「緑」が良くないことについて
「これも火山灰でできた武蔵野の地方色だから仕方ない」
として、
「土」が原因のように書いているが、
なるほど、
火山灰が降り積もってできた関東地方の「土」と、花崗岩が風化したものが多い関西地方の「土」の違いというものはあるのかもしれない。
しかし、わたしが数年間住んだ大阪の樹木、「緑」は東京と変わらず、東京よりまばらな印象で、花の匂いもそう良くなかった気がするし、
同じように数年間すんだ神戸市は、緑が豊かで、花の匂いも東京や大阪より少しは良かった気がするのだが、
やはり、わたしの田舎の緑、花の匂い、ほどではない。
都会の花の匂いが悪いのは、土のせいか、空気のせいか、肥料のためなのか、
まあ、いろんな原因があるのだろう。
両親が亡くなってからは縁が切れたようになり、一度も訪れたことのない田舎だが、死ぬまでにはもう一度、あの緑と花の匂いを思う存分嗅ぎたい、とは思っている。
わたしの価値観では、花は見た目の美しさよりも、匂い、香りの良さ、なのだ。
ちなみに、女性も都会の美しい女性よりも、田舎(育ち)の素朴な女性のほうがいい。 ← ? (わたしの苦(にが)い経験上(笑)) (^^;)
(でも、トシをとればみんな同じになっちゃうんだけど(笑))
帰路、別の道を歩いていると、こんな光景が。
アイビー(つた)系の街路樹?が歩道と車道を隔てるフェンスを一部飲み込んでしまっている。
植物のたくましさを感じると同時に、これを許している人間の優しさが・・・
と思ったら、
やっぱりね・・・
日本のお役所は甘くありません。
帰宅すると、わたしの部屋のエアコンの室外機の前に野の花がひとつ。
いつの間に?
これまで全然気がつかなかった。
最初はヒメジョオンかと思ったのだけど、この季節でこの気候だとハルジオンの可能性が高い。
背の高さも30cmくらいだし。
(ハルジオンはだいたい30cm前後。ヒメジョオンはそれよりやや高く50cmくらいらしい)
これまでそこに植物が生えているのは見たことなかったので、ポッと突然咲いた感じ。
不思議な気持ちがした。
気になってハルジオンの花言葉を調べると、ハルジオンだけの花言葉は無く、
ヒメジョオンなども含めた「紫苑(しおん)」系の花をひとくくりにした花言葉になるようで、
その花言葉は
「君を忘れない」 「追想の愛」 「追憶の愛」
とか。
このところ、追想にふけることが多かったからあんな花が咲いたのかな?
夜になって、眠ろうと横になると
すっかり忘れていた、あることを思い出した!
3月7日の日記でわたしは「初恋」について書いた。
そして3月27日の日記では、小学校3、4年次の担任だった女性教師のことに触れた。
わたしはその女教師をずっと恨んでいたのだが・・・
どうして、あんな大切なことを忘れていたんだろう?
わたしは初恋の女の子とは中学校を卒業して、それっきりだと書いたし、ずっとそう思ってきた。
しかし、高校を卒業していくばくもないころ、わたしは近所の同級生の女の子に、
「中学校時代のみんなが集まっているから」
といって誘われた。
行ってみると、7~8人の同級生が集まっていて(ほとんどが女の子だった)その中に初恋の女性がいたのだ。
そして、その同級生たちを集めたのは、あの小学3・4年次の担任だった女性教師だった。
そして、女性教師は彼女の隣にわたしを座らせた。
彼女はわたしを見て
「太っちゃって」
と、少しさみしげな様子でいった。
そこには中学時代より少しふっくらして女性らしくなった彼女がいた。
わたしは何も言えなかった。
すると女性教師が助け舟を出すように、
「○○子ちゃんは○○○音大に行くのよね」
東京の有名音大のピアノ科に行くのだそうだ。
わたしは東京ではないローカル?の私大文系。
話は弾まず、そのまま解散になって、今度はほんとうに彼女とは「それっきり」になってしまった。
そのとき、もしわたしが東京の大学に行っていれば、
「また、東京で会おうか」
という話になって、別の展開(1%くらいの可能性)になっていたかも、と夢想するのだが・・・(くくく・・・)
(じつは東京の大学も1校合格していたのだが、東京の某駅を上がっているとき、走って降りてきた30歳代くらいの女性に「ジャマ!」という感じで突き飛ばされたのがトラウマになったのと、東京の物価の高さに恐れをなして、そちらのほうを選んでいた・・・嗚呼)
男女関係も「運」なんだよなあ。
とつくづく、
このことを思い出して、眠れなくなって、起きて、コーヒーを沸かして一杯。
それにしても、あの女性教師。
なぜ、そんなことをしてくれたのだろう?
(そのことをすっかり忘れて)「恨んでいてごめんなさい」
と心の中で謝るべきか?
それにしても、そんな大事なことを忘れ去っていたわたしの記憶の不思議。
なぜ?なんで?
これは、どうにも理解できない・・・
(以前、記憶障害みたいなことがあって、MRIで脳を診断してもらったのだが、「異常なし」ということだった。
でも、やはりどこかに「欠陥」か「異常(病変)」があるのかも(怖))
みなさんも、いたずらに人を恨むようなことはしないで、よく記憶をたどったほうがいいですよ。
(しかし、5・6年次のあの男性教師への恨みはまだ残っているなァ(笑))
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今日、5月9日。
朝、窓を開けてあのハルジオンを見ると、
「まだ咲いてますよ」
と、挨拶をするように首をふっていた。
他にも何か思い出すことがあるのかな?
7日の夜から、中学一年生のとき、彼女が何かの?発表会のとき体育館で弾いたベートーベンの「悲愴」を聞いている。
「第一楽章」、「第二楽章」、「第三楽章」。
そのとき彼女がどの楽章を弾いていたかわからないし、当時のわたしは聞いていてもさっぱり理解できなかったが、
いまは、どの楽章を聞いても胸に沁みる。
小学校6年生のとき、ベートーベンとチャイコフスキーが大好きだと語っていた彼女。
案外、わたしとメンタル面では近かったのかも?
(わたしの場合大人になってからだけど)
ひょっとして、お互いに世間的なシアワセとはほど遠い感性の持ち主だった?
(違っていたらゴメン(笑))
目を閉じて聞きながら、たまに楽譜をチラ見(笑)
(半世紀も昔の)当時のイナカの中坊がこれをきいてもねえ・・・
(有名な第二楽章さえ(町の大人も含め)誰も知らなかったと思うよ)
わたしと仲の良かった(ヘアスタイルが)ベートーベン似のブラスバンド部顧問の音楽の先生も、「ホー」という感じで、ポケッと聞いていたもんなァ(笑)
小学生時代音楽が「2」だったわたしがブラスバンド部で、未熟にブカブカやっているのをバカにせず、優しい目で見ていてくれた彼女に改めて感謝。
やっぱり、彼女と出会えたのは人生の大きな財産だったなァ。
幸せな思い出をありがとう。
複雑(な気持ち)だけど(笑
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今は、ハルジオンの歌も結構あるんだなァ
↓こちらは、わたしが18歳だったこの年に、菅原洋一さんと倍賞千恵子さんがレコードをリリースして流行った、
「忘れな草をあなたに」
忘れな草とハルジオンは開花期が同じなんですね(4月~6月)。
それにしても、半世紀近い時の流れに、
やや呆然(ぼうぜん)。
ついこのあいだのことのように思えるのに、世の中も人々の意識も大きく変わっていることが実感できます。
ともかく、平和が続くことを祈るのみ。
この国と世界を平和に保つ。
これがわれわれの世代に残された最後の使命じゃないでしょうか?