何を食べたら良いのかわからず、

おなかペコペコな日曜日のお昼。

 

というのが、肉や魚をほとんど食べず、つらいほどに食事に注意していたにもかかわらず、また痛風がやってきた件で、

 

いくら最近少しずつ魚や鶏肉を食べ始めていたとはいえ、

その程度でこれはないでしょー、

 

ということで、ネットでその原因を探るべく検索を重ねていたら、

youtubeで、お医者さんがこんなことをおしゃっている動画を見つけた!

/:

 

つまり、プリン体の8割は体内で作られるので、いくら食事制限をしても糖質を多く摂取しているとそれが尿酸の排出を妨(さまた)げ、痛風になってしまうこともある、ということ。

 

なるほど。

 

そういわれてみれば、動物性の食物を食べない分、炭水化物の摂取量が増えていた。

 

ごはん、パン、イモ類、小麦粉を使った料理(お好み焼きなど)、スナック菓子・・・。

 

たんぱく源が卵と大豆製品、あるいは乳製品だけなので、つい炭水化物を多くとる結果になっていた。

 

のだけど、

じゃ、

どうすりゃいいんだ!!って話。

 

魚も、肉も、ごはんも、パンも、イモ類も、果物も、小麦粉を使った料理も、み~んな危険食品!。(わたしにとっては)

 

ははははは。

笑うしかない。(目には涙・・・)

 

 

さて、どうするか、はわたしのこれからの課題として、

 

おなかがすいた頭にぼんやりと浮かんだのが、前回の日記で思いつきに書いた肉体的(身体的))二律背反という言葉。

 

それってやっぱり、

「正」 → 「反」 → 「合」の弁証的発展で解消されなくてはいけないんじゃないだろうか?

 

「正」と「反」のどちらかが一方的に片方を消滅させて、片方だけが「すべて」となると、それは滅びに至るんじゃないかなァ・・・と。

 

涙ぐみつつ、

漠然とそんなことを考えた。

 

 

前の日記では武谷三男さんについて触れたのだけど、

ほんとうに卓越した人だったと思う。

しかし、いま「危ない科学技術」を読むと、武谷さんが亡くなって以後の約20年間で、日本も世界も大きく変わった。

 

日本も世界もより科学技術が進み、独占企業がその支配力を強め、民主主義は後退しつつある。

 

こういう時代が来ることを恐れて、死の直前でも、武谷さんはわれわれ(後の世代)に「いっしょに考えよう」と呼びかけたのだと思う。

 

が、はたしてそういった「後継者」たちは現れたのか?

 

こういう卓越した人については、どうしても、絶対化、崇拝、の問題が起きてくる。

その人の思考の範囲内に留まって、それを良しとするような。

そして、行動もその範囲内でやろうとする。

 

武谷さんの「いっしょに考えよう」というのは、そのことを暗に踏まえて言っているのだと思う。

 

立場はまったく違って、こちらは「保守」の人なのだが、

安岡正篤(やすおかまさひろ)という、自民党に大きな影響力を持ったという陽明学者さんがいて、

その人は

「原木は永久に残すことはできない。原木の形態を無理して残すようなことはするな。」

という遺言を残して、

それで、安岡さんの作った協会(師友協会)は解散した、といわれている。

 

これはこれで立派なことではないだろうか?

 

要は、師の、あるいは偉大な先達の一言一句に縛られるようなことではいけない。

継承されるべきはその精神であって、それはのちの世に生きるわれわれ自身の問題だ、ということなのだろう。

 

「革新」と「保守」の違いはあっても、お二人とも、自分の頭でしっかりと考えることのできる「後継者」を期待していたのだと思う。