終わり。
パソコンの「フォト」を開くと、「この日」とあって、こんな写真がUPされていた。
7年前の2013年3月31日に撮ったものだった。
満開の桜と海棠(カイドウ=ハナカイドウ)。
桜は小石川から後楽園まで歩いて行く途中で写したものだと思うけど、海棠のほうはどこで写したものか、記憶がない。
たぶん小石川の公園ではないかと思うのだが・・・。
偶然、昨日(3月30日)買い物からの帰り道に満開の桜と海棠を写していた。
当然7年前とはまったく別の場所。
この時期印象に残る二つの花、とはいえ、ちょっと不思議な気持ちがする。
昨日帰ると、知人女性からの泣きながらの電話。
29日の夜、お父さんが亡くなったのだという。
なぐさめの言葉も見つからず、
「誰もが必ず死ぬんだから。」
というのがやっと。
72歳。まだまだ生きられる年齢だっただけに、親族はつらいだろう。
29日の夜といえば、コメディアンの志村けんさんも亡くなっている。
こちらは70歳。
庶民受けのするいい芸人さんで、多くの人たちが悲しみに沈んだ。
70歳、72歳といえばわたしからは先輩世代。
しかし、その時代の若者の様子をよく知っているだけに、感慨も思いも深い。
知人女性のお父さんは、若いころはバイクに遊びにギャンブル(←これで家族は少し苦労したらしい・・・)にと、活発というかやんちゃなくらいだったらしいが、仕事も一生懸命する人だったという。
志村けんさんもデビュー当時から見ていた。
ドリフターズの他のメンバーから見ても若手で、当初は、いかにも若者らしい元気すぎるくらいの芸だった。
しかし、本物のプロフェッショナル芸人の片りんは当時からあり、安心して楽しめた。
「(その死によって)新型コロナウィルスの恐ろしさを知らしめる功績が」
というような発言をして少し物議をかもした。
わたしはこの発言を
「死んでまでみんなのためになってくれた」
という意味に受けとったのだが、
「名誉の戦死」という意識が小池都知事の頭の片隅になければ幸いだ。
ターミネーターなど、近年のアメリカ映画に「自己犠牲」「名誉の死」を賛美する内容のものが多かったため、その影響を少し心配している。(アメリカの「愛国者法」=(USAパトリオット・アクト2001~2015)のようなものが作られたら大変だと思うので。)
たしかに志村けんさんの芸は唯一無二のもので、志村けんさんも唯一無二の人だ。これを失った国民の嘆きの大きいのは当然だろう。
ただ、日々亡くなっている多くの人たちもやはり唯一無二、貴重なかけがえのない人たちであるということもわたしたちは忘れてはならない。
指紋だって誰一人同じ人はいないのだから。
誰にだって父がいて母がいる。
その父母が子どもにとって唯一無二の存在だということは誰にでもわかるだろう。
そして、誰にだって愛があり悲しみがある。
人間に備わった要素は誰もが持っている。
戦後、いっとき日の目を見た「平等」という思想が消えてしまったこの国だけれど、
いま一度、「平等」ということを考えてもいいのではないだろうか?
平等性の強い社会であれば、人はその悲しみや楽しみを共有でき、
悲しみはやわらぎ、楽しみは増すのではないだろうか?
差別、選別、そして格差が増すほど、人間の不幸の総量は大きくなっていくのだと思う。
わたしもあとどれだけ寿命が残っているかわからないけれど、
最後まで現代ニッポンの格差イデオロギーに同ずることなく、「平等」を理想としたまま死んで行きたい。
今年の3月は「鎮魂」と「祈り」の月になってしまった。
知人女性のお父さん、志村けんさん、そのほか名前はわからないけれど、この三月に亡くなった人たちの冥福を祈りたい。
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海棠の 日陰(ひかげ)育ちも 赤きかな 一茶
観音の 大悲(だいひ)の桜 咲きにけり 子規
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3月の金星(宵の明星)と明け方の月。
どちらも強く光っていました。
とくに月はまぶしいほど。
月も金星も年齢が増すほどに不思議なものに思えてきます。