薄い雲がかかっているくらいがちょうどいい。
満月あるいは満月に近い月がむき出しで夜空に浮かんでいるのは、不気味というかあまりいい気持がしない。
わたしが好きな月は新月から半月までで、それよりふくらんだ月はどうも・・・。
まるで半月をゼロとしてそれよりもかけた月がプラスの領域で半月からふくらむにつれてマイナスの度数が増えて行く感じ。
でも、満月を良くないものに感じはじめたのは中年期からで、子どものころは満月が大好きだった。
この感覚の変化は不思議で、
もしかしたら、月は人に人間の運命を感じさせているのかもしれない、と思うようになってきた。
新月を誕生としたら満月は死、というわけだ。
(あるいは死の直前の状態?)
わたしも満月に自分の寿命の残りを想(おも)う年齢になってきた、ということなのだろうか。
(むき出しで強い光を放っている月を見ると、月に「おまえの寿命教えたろか~。」と言われているようでイヤ。(笑))
それにしても、政府の発表する日本人の平均寿命は怪しいな。
少なくとも十歳は上乗せしているような気がする・・・。
死にかけといえばカブトムシ。
二本半の足ではそう長く生きられないだろうと考えて、外出した時はカブトムシの埋葬場所になりそうなところをそれとなく注意してさがしていた。
適当な場所が三か所ほど見つかったので、
4~5日前だったか、「もういつでも安心して死ねるよ~?」なんて声をかけつつケースのフタを開けたら、
エサ皿の上に足を丸めてひっくり返っていてぴくりとも動かない。
「あ、死んだ。」
と思ってひろいあげようとすると、
ガシッ、という感じでわたしの指にしがみついた。
「え?」
かなり強い力だったので驚いた。
指を振(ふ)って離れさせようとしたのだけど離れない。
仕方なく、すこし強い力でひっぺがしてケースに戻した。
のだけれど、
それがカブトムシちゃんのココロ?をいたく傷つけたのか???それからまる二日ほど昆虫マットにもぐりこんだまま姿を見せなかった。
エサもそのまま手つかず。
やっと機嫌を直して?出てきたとき、
「悪いことをしたね」
といって、少し大きめのリンゴの切り身と昆虫ゼリーを木の皮の上に置いてやった。(大きなエサ皿は三本足のカブトムシには危険だということがわかったので撤去。)
そのときはケースのスミにじっとしていてエサに近づこうとはしなかったのだけど、一夜あけて驚いた。
リンゴは小さな破片が3~4個のこっているだけ昆虫ゼリーも3分の2ほど平らげていた。
どうやったらこんなに食べれるんだ?
ともあれこのカブトムシ、カラダの損傷が大きい分注意力が増している。
エサを食べに出てこなかったのはエサ皿の上でひっくり返ったことで警戒したためかもしれない。
いまはエサを木の皮の上に置いてやり、周りに転倒防止の木の枝や針葉樹の小枝を置いているのだが、それでもたまにエサを破片にして、より安全な?場所に移して?食べていたりする。
(もとはリンゴの切り身。)
意外と長生きするかもしれないなァ・・・。
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人間界はコロナ騒動でサエナイけれど、セミは例年以上に元気。
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ここはカブトムシの埋葬候補地のひとつなんだけど、(笑)
人類が滅亡してもセミはこうやって鳴き続けているのかもしれない。
なんてフト思った。
人間が滅亡しようがどうしようがセミにとって、いや地球にとってはどうでもいいことだろう。
なんだか、人間が存在する意味がどんどん失われて行っているように感じる今日このごろ。