してしまった。
[のだが・・・]
帰りに総菜屋さんで夕食用の食材を何点か買ったのだが、支払いの段になって、財布を忘れていたことに気づいた。
あわててポケットにある小銭をすべて出して数えたのだが、あと二十円ほど足りない。
「最悪!」 頭をかかえた。
ATMカードも身分証明書も何もない。・・・蹌踉(そうろう)として店員さんにお金が足りないことを告げた。
レジにいた店員さんは若い女性二人。どちらも東アジアか東南アジアの留学生のようでネームプレートは日本人の苗字・名まえではない。言葉も少したどたどしいようだ。
さぞかしイヤな顔をされるだろうと思いきや・・・
二人で顔を見合わせたあとの対応が、それまでのビジネスライクな表情から一変、とても親切な表情になり、かえって「距離」が縮まったかのような人間的な親しさが感じられるものに変わったのだ。
まったく嫌がる様子がない、というのは、これは救われた。
あれこれ考えて、けっきょくわたしは「いったんパック詰めした惣菜の一部をお返しする」ということで」どうでしょうか?と提案した。
店の立場からしたら「ええ~?」で、これも嫌な顔をされて当然なのだが、女の子は後ろのヤードに行ってわたしの話をそのまま伝えてくれた。
やがて出てきた日本人の経営者らしい中年女性は、渋い顔で「いいですよ」。
こちらも親切な人のようだったが、疲れた表情をしていて、「たまらんな~」という感じだった。
けっきょく惣菜の一部を「お返し」する(もちろん商品としてはもう並べられない)ことで、決着、お金を支払ったのだが、やっぱり恥ずかしいのでつり銭の1円をもらうのを忘れて店をそそくさと出てしまった。(われながらほんとうに困った客だ!)
その1円を女の子のひとりが追いかけてきて渡してくれたのだが、そのときもわたしの気持ちを理解したかのように、親切で嫌味のないものだった。
こんな「事態」を経験したにもかかわらず、少しも「嫌な気分」が残らなかった!
あのアジア系の女の子たち・・・ ! 「思いやりの心」か?
なるほど、これが日本人ではないアジア人の、日本人より強いといわれる?「思いやりの心」なのかな?と思った。
まあ、いつもの思い込みなのだろうけど(笑)
ただ、20数年前からずっと、日本人の若者は世界でもっとも「思いやりの心」が薄い、といわれ続けていることは注意しておかなければいけないだろう。
わたしは「移民」反対論者で、ひとは自分の生まれ育った歴史、文化の国で暮らすのが一番幸せなのだ、と考えてきたが、
そういう日本人が失いつつある「思いやりの心」をもった人が来るのなら、「移民」も悪くはないな、と、ふと思わされた次第。
ともかく、こんなことがあったにもかかわらず、心がまったく傷つかなかった、ということに、感謝!
おかげで、気持ちよく夕食が食べられた。おいしかったなあ(笑)