「~ もう電話(ケータイ)の電源を切って ~」と言ったのは、「見捨てろ」という意味じゃない。
日記だけど、いちおう言い訳しておこう(^о^;)
とにかく、話の内容が、あまりにも「救い」がないものだったので、聞いているほうも精神が崩壊しそうな危機感に襲われたから、 ということ。
だから、彼女もたまらなくなってわたしに電話してきたのだろう。
「そうね」と言いながら、彼女はおそらく電源を切ったりはしていないはず。そういう判断・対応力はわたしなんかよりある女性だからね。
とにかく、誰かに話してストレスを減らしたかった、と・・・(笑)
それにしても女性も生き辛(づら)い世の中だよねえ。ネットにもこういう印象的な書き込みがあった
→『現代の女性の置かれた状況としては、「最貧困女史」という本がとても印象深いです。
最貧困の中にあって、「かわいそう」では片付かない、大人(おとな)しく差し伸べられた手にすがってくれるようなヤワな存在ではありません』
その「男にだまされた」と泣きじゃくっていた中年女性も、単に「若いころの夢から抜け出せないおろかな女性」というだけでは片付かない。
要は「愛」を求めてそれを得られない存在、なのだ、と考えたほうが納得がいく。
「愛したい」・・・しかし、愛したい男たちは「逃げていく」「裏切る」「冷酷な仕打ちをする」、・・・そして、「愛されたい」のだが、「誰も自分を愛してはくれない」
うーーーん。こういう場合、どうすればいいのか?女性のココロにうといわたしなんかが「慰めの言葉」をいっても「へのつっぱり」にもならないだろう。
ただ、その背後にある「女性を悲惨にする」「年を重ねれば重ねるほど追い詰められていく」つまり「年齢に応じた幸せがない」「貧困と格差の」社会を問題にしていくしかないだろう。
とにかく、どんな状態であっても、最低限の「安心」と「プライド」だけは維持できるような国にならなければ、この国の「悲惨」は量産され続けるのだ。
しかし・・・わたしはほんとうに、こういう男女関係、人間関係の「ねじれ」は苦手(にがて)。
できるのは、おとなしく話を聞いてあげることだけ(・・・なるほど)