肉や魚を食べなくなると

「食用の動物」が動物そのものとして見えてくる。

 

ちょっとヘンな言い方だが、「食用」のそういった動物たちを見るとき、これまでは半分は生物としての動物、半分は「食物」として見ていたことに気づくのだ。

これもそう

f:id:hibi333zakkan:20180325023638j:plainわたしの住みかから歩いて10分くらいの距離にある「ふぐ」専門店の通りに面した生けすだ。

 

正直、肉食・魚食をしていたときはこの前を通っても、「うまそうだなあ」「でも高価そうだよなあ」くらいにしか思わなかった。

 

しかし最近は、この光景を「少し残酷だなあ」と思うようになってきた。

 

生けすをしばらく見ていると、「ふぐ」一匹一匹にも個性があることがわかる。

活発なもの、ほとんど動こうとしないもの。群れようとするもの、一匹離れていようとするもの。なかには、一匹だけ生けすのど真ん中でゆうゆうとひれを動かしていて、威厳を感じさせるのもいる。

 

「でも、みんな食われちゃうんだよな」

そう、一匹残らず、確実に人間に食われることになる。

やがてまな板の上にのせられ、包丁がズブリ。どの「ふぐ」もその運命から逃れられない。

 

残酷なもんだけど、そんな「今まで生きていたもの」を食べて喜ぶ人は多い。

まあ・・・わたしも若いころはそうで、店内にさまざまな魚の泳ぐ生けすがあって、そこから泳いでいる魚をリクエストして食べる、というようなところに何回か行ったことがあった。

「狩猟本能」というのがあるんだろうなあ。たしかに、それなりに楽しく、満足した気分になったものだった。

 

しかし、自分が(自分の意思で)ひとつの生命を絶っているんだ、ということに気づいて、やめた。“生餌(いきえ)より死肉あさり”。肉食といわれている野生の動物だって“死肉あさり“”が多いんだ。

「生命を絶つ」のは「産業」にまかせておこう。「仕事」でやるのは自分が生きるためだから、罪はないわ。

なんて考えて。

 

それにしても、重症の「痛風」で動物性のものがまったく食べられなくなった当初は、この世界が灰色になったように感じられたが、慣れてしまうと、案外この状態はいい。

 

世界も色と明るさを取り戻し、なんだかもうひとつの世界が開けたような・・・。サプリを併用しているから、健康も問題なく、なんだか「病気」から遠ざかっているような気もする。

 

世の中、こんなものなのかもしれない。ひとつ絶望しても、負けずに?なんとか生きていたら、また新しい世界が開けてくる。

 

ところで、あらがえぬ運命の「ふぐ」さんたち。

キミたちを食べている人間だって、いつかは死ぬんだからね。人間の運命もキミたちとそう大差はないのかもしれない。

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わたしは無宗教だけど、今日は“ナンミョウホウレンゲキョウ”。動物の「成仏?」には法華経がいいんだって。

 

日本の大乗仏教は(中国で)道教の影響を受けているから、動物や魚はおろか、草や木にも「魂」があると考えているとか。南無・・・・・