夕食はおろしうどんにゆで卵。
いまダイエットの一時中断を考えている。今回はなぜだかこれまでより精神的にキツイ!
それにしても、ダイエット時にいつも気がつくことなのだが(ダイエットが終われば忘れる)、人間が欲している「うまいもの」って、結局は「油」と「塩分」と「糖分」じゃないだろうか?
外食の魅力もそこらへんにあるような・・・?
ところで、
こちらのほうはなんとか頑張って読破したいけど・・・
それにしても、ほっとしたというか、安心したのは、第1章の14~20、「天上におられるキリストの姿」が「編集者S」のものとされていること。
この部分は、わたしがこれまでどうしてもなじめなかった、というか、抵抗のあった部分だから。
これが天上のキリストの姿?
→『その頭その髪の毛は、白い羊毛に似て、雪のように白く、目はまるで燃え盛る炎、
足は炉で精錬されたしんちゅうのように輝き、声は大水のとどろきのようであった。
右の手に7つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出て、顔は強く照り輝く太陽のようであった』1.14~16(新共同訳)
この部分、今だから言うけど、イメージがあまりにも幼稚すぎる気がして、読むたびに顔をしかめていた。
田川氏は主に言語学の面から批判されているが、わたしはイメージそのものが、ダメ、たまらん。
とくに「口から両刃の剣が出て」というところなど、子どもの遊びからしか出てこない発想のような・・・
こういう表現も一言一句正しい、と考えることのできるキリスト教原理主義者の人たちは凄すぎる。恐るべき信仰心というか・・・
((注)田川氏はこの「新共同訳」の訳文じたいも厳しく批判されている(笑)が、1-14の註の冒頭でこの(自ら訳した)「原文(ギリシャ語)」について、「この表現も嘘みたいに下手くそ」と書いておられる。だいたい、訳よりも原文のほうがヒドイようだ)
それにしても、聖書、キリスト教関連ではこういう思いきった本の出版も許されるようになっている世界だが、いまだに日本語に訳されていないのがユダヤ教の重要聖典である「タルムード」。
わたしはそれを読まないとユダヤ教もキリスト教もイスラム教もほんとうには理解できないのではないか?と感じているのだが、どうも、死ぬまで読めそうにないみたいだ。
(ユダヤ教には「タルムード」を異邦人に見せてはいけない、という掟のようなものがあるらしい)
ところで、「優生学」関連の「最適者生存」のコピーの転書が中断している。
今日からまた、少しづつでも進めていこう
→『ダーウィニズムの概念には、もうひとつ暗黙の了解を得た前提が含まれている。
生存を保証するのは個々の行動力であるという考えだ。
たとえば、ナワバリ内の獲物が絶えた場合、強く、賢く、決断力と積極性に満ちたライオンが、新たなナワバリと新たな獲物を探し求めて生き残るという。
だが、旱魃、火事、洪水といった自然災害によって獲物が絶えることも多いはずだ。
ライオンが、災害の直接の影響を免れたとしても、新たな獲物がなく、どんな行動をとっても生き残れない可能性はある。
また、積極性のない臆病で愚かなライオンが、旱魃などの自然災害に見舞われなかった地域で生き残り、繁殖するかもしれない。
要するに、生き残るのは最適者ではなく最も運のよい者だ。
運が遺伝するという考えはあまり見あたらない。』
今日はここまでにしよう。(オナカがすいた(笑))
おやすみなさい