本を見た。
戦前の社会主義者の埋もれた詩集を掘り起こす内容の本だったが、その本の1ページ目に、著者の署名のある「書き込み」のようなものがあった。
そこには細いサインペンのようなもので
“朝の来ない夜はない しかしあまりにも夜が長すぎる”
と書かれてあった。
その言葉には「うーん」とたいへん共感を覚えたのだけど、そのときは借りるところまではいかなかった。
一ヶ月ほどして、気になって、借りようかな?と思って捜したら、見つからず、そのままになっている。
その「朝の来ない・・・」の書き込み?だけが記憶に残った。
「・・・しかし、夜があまりにも長すぎる」
この言葉が、今のわたしに切実に迫ってくる。
長すぎる夜。そして朝が来るどころか闇はますます深く・・・
昨日、安倍政権の退陣を求める国会前の集会に行ってきた。
雨の中2万7千人が集まったという。
しかし、集まった2万7千人の市民はすべて歩道の奥に押し込められ、降る雨の下で身動きも移動もままならない苦しい状況に置かれていた。
つのる不愉快感、疲労感、そしてわたしは少し屈辱感も感じていた。
目の前には広く開いた「空白域」とも言うべき、国会前の車道。車は通れないようになっている。
しかし、その車道にわたしたち市民が出ることは許されない。
歩道に押し込められるか、柵で周囲を囲まれ、少し隔離感のある国会前の公園にいるしかできないのだ。(1番左の写真は公園の中から歩道を写したもの)
登壇してスピーチする人たちの訴えは切実だ。
しかし、なぜかその訴えが耳に入らなくなってきて、わたしはステージから離れた、歩道の端へと移動した。
それぞれの思いを強く持って、雨にもかかわらず国会前に来た2万7千人の市民。
その人たちが(そしてわたしも)家畜のような扱いを受けている光景。
2万7千人の市民の、それぞれの人から伝わってくる熱い気持ちもなんだか辛くなって、いちばん端でぼんやりと、スピーカーから流れてくるスピーチに耳を傾けていた。
この国の「容易ならざる」現実がひしひしと身に迫ってくるようだった。
幸いなことに、わたしの隣にいたほぼ同年代の人がいい話し相手になってくれた。
彼は東京出身、わたしは地方出身。
しかし、学生時代から現代まで同じ時代を生きてきたことで話がよく合った。
市民運動、学生運動なども含めた政治、社会に関する知識は彼のほうがはるかに上だった。
話はある程度はずんだが、現代の状況に話が及ぶと、やはり暗い話題にならざるを得なかった。
わたしが若者の右傾化について話すと、彼は「それは元をたどれば1969年に高校生の政治活動が禁止されたことから始まっているんだよ」
と言った。
(1969年)当時すごい田舎者だったわたしが首をかしげると(そんなことは知らなかった・・・)、彼は「そこから教師も変わっていったんだ」といった。
どうも絶望感でも彼のほうが上、というか先輩のようだった。(ひょっとして1969年から絶望している?・・・ホテルカリフォルニアの歌詞みたいなのだが、なるほど1969年。奥が深いかも・・・)
わたしががらんとした車道を見ながら
「これで安倍三選が阻止できますかねえ」
と言ったときは彼は口をつぐむように無言だった。
それでも、ほぼ同世代の人からいろいろな話が聞けて、集会の後半は気分が落ち込むことなく過ごせてありがたかった。集会への参加はこういうメリットもある。
新潟県知事選の「予測」についても彼は口をつぐんだが、
この国会前の様子を見て、わたしは内心、
「新潟県知事選もやられちゃうだろうな」
と、思っていた。
(いまのウヨ自公政権は何でもやる・・・)
事前のマスコミ調査では野党統一候補が自公候補を2%ほどリードしていたが、その前の反原発知事二人の「仕掛けられた失脚」を見れば、何が何でも自公は自公の官僚候補を知事にするはずだ、と考えていた。
帰って自宅近くの惣菜屋さんのイートインで軽く食事。そのあともらったパンフレットの整理。目を通す。
けっこうある。みんな頑張っている!
もらい損ねたものもかなりあるかな?
なにはともあれ、市民の皆さま、お疲れさまでした、ご苦労さまでした。「不屈の民衆」!\(^-^)/
(追)
案の定?・・・新潟県知事選、自公官僚候補が当選。
かなりの差がつくと予想していたけど、票差はそれほどなかった様子(笑)
若い層が自公官僚候補に多く投票し、年配層は野党統一候補に投票した人が多かったとか(ネット情報)
若者が右翼ファシストに投票して年配者が民主主義候補に投票する。
まったく、ナチス台頭時代のドイツそのまま。
闇はさらに深くなる・・・か