だったとか。
かなり汗をかいて、バテてしまったので、水風呂のある銭湯へ
←いいポスターが貼られていた。
少し早い時間だったが、銭湯はおじいちゃんたちで盛況。けっこう混んでいた。
銭湯に行くと欠かせないのが、風呂上りのおじいちゃんたちの世間話。これまでもけっこう貴重な話が聞けてきた。
しかし、きょう聞いた話は寂しく悲しかった。
話題は、「住居」。70歳代から80歳くらいと思われるおじいちゃん3人
「部屋はどうだい?」
「ダメさ。火事でおん出されてそれっきり。新しい部屋も借りられそうにないし」
「そうだよなあ・・・」
聞いていると、みんな「部屋」に「深刻な」悩みを抱えている様子。
その裏には「65歳になるともう部屋を借りられない」といわれる東京の借家事情があるのだろう。
「借りられない」だけではなく、老人になると、それまで住んでいた所から「追い出される」という問題もある。
そうか、トシをとるとこういう問題も起きてくるんだなあ、と、わたしも他人事ではない。
それにしても、昔はあまりそういう話を聞いたことがなかったのだが・・・
東京の借家事情が厳しさを増しているのだろうか?
わたしも今さら田舎には帰れないし、さて困った。
先々のことを考えると、目の前が真っ暗?になってきそうだ。
それにしても、「デフレ」「人口減少」「空き家の激増」といった状況なのに、一向に住宅事情が良くならないのはなぜなのだろう?
それに、どうも借家事情が厳しくなっているのは、老人だけではないようだ。
若者、若い層の人たちも「高家賃」に耐えかねて、家賃を「滞納」する人の割合が増えているのだとか。
学校を出て働き始めてもアパートを借りられず、実家にそのまま住み着くしかない若者も多いらしい。
当然だろう。
長年の「デフレ」、逆進税の増税、実質賃金の低下、国民福祉の削減、といった庶民の困窮化(庶民階級からお金が吸い上げられている)にもかかわらず、「家賃」はバブル時代から高止まりしたままなのだから。
いくら不景気でも「家賃」が下がることはなく、むしろ「上昇」していっている。
いったい、この国は何だ!
と、商店や工場をツブした跡地に次々と建設される「集合住宅」「共同住宅」を見ながら、怒りと絶望に襲われる。
「それら」は、日本の庶民のための住宅ではないのだ!
東京を見るかぎり、とても庶民階級が安心、安定して子どもを産み、育てられる環境ではない(劣悪な住環境、労働環境、国民福祉、等々)。
東京で子どもを産み、育てることのできる人たちはむしろ「特権階級」といっていいほどなのかもしれない。
これが、戦後延々と続いた自民党政治(いまは自公政治)の帰結なんだなあ、とつくづく思う。
絶望の庶民、弱者としての老人の「悲惨」。
・・・それにしても、銭湯で耳にしたお話しの「火事」。
貧しい人たちの住むアパートや、古い建物の「火事」がやたらと多いような気もする・・・(怖い噂)
ともあれ、東京のこの住宅事情をなんとか改善しようとした美濃部都政は大昔の話。
いま、その改善を主張して都知事選に立候補した宇都宮さんは、「当選」することができない。99%のためには最も良い候補だったにもかかわらず、ね。
銭湯での世間話までが絶望的なものになるようじゃ、この国もいよいよ、どうしようもない。
このままで行けば、近い将来、この国で「生きられなくなった」“ニッポン難民”が「他国」に助けを求めて逃げ出す事態も、荒唐無稽とはいいきれない(ありうる)んじゃないだろうか?
「生存権」なき国、まともに「生存」できない国、からは逃げ出すしかないからね。
ったく何だよ!ニッポンの資本家(経団連など)、政治屋、官僚、メディア・・・! 救われんなあ・・・