グルメリポートやスポーツ番組ばかり。
すみませんねえ、わたしの「ごちそう」てのはこんなものなので(^皿^)
しかし、圧倒的多くの日本人があんなものを「報道」として見ているとは・・・
まあ、日本人みんな、おばかパッパラパーで行けているというのなら、それはそれで大らかでいいかも知れない。
けど、現代のニッポンの人々というか、世間はちっとも大らかでは・・・ないよなあ・・・(笑)
グルメといえば、このあいだ読んだ「風太郎の死ぬ話」(山田風太郎・著)と言う本に「壮絶なる大食死」として、正岡子規のある日(明治30年9月10日)の献立(こんだて)が書かれてあった。
それによると、
→ 『朝飯。
ヌク飯二椀、佃煮(つくだに)、紅茶一杯、菓子パン一ッ。
午飯(ひるめし)。
粥(かゆ)イモ入三椀、松魚(かつお)ノサシミ、ミソ汁葱(ねぎ)茄子、ツク
ダ煮、梨二ッ、林檎(りんご)一ッ。
間食。
焼栗(やきぐり)八十九個、ユデ栗三十四個、煎餅(せんべい)四十五枚、菓子パ
ン六十七個。
夕食。
イモ粥三椀、オコゼ豆腐ノ湯アゲ、オコゼ鯰(なまず)、キャベツヒタシ物、梨二
切、林檎一ッ。 』
いやあ、正岡子規さんの、あの痩せた横顔の写真からは想像もできない大食。
イメージが変わってしまう(笑)
それに、その当時の正岡子規といえば、病気でほとんど寝たきりだったはず・・・
一日中部屋で寝ていてこんな食べ方をしていれば、そりゃあ、死にますわ
(^^;)
いま特に持病のない(痛風除く)わたしでも、そんな食生活をして動かないでいれば、たぶん半年くらいで目出度くあの世に行けるんじゃないかと思う。
正岡子規は結核性の病気だったらしいので、栄養をつける、という意味もあったのかも知れないけど、
(わたしも三十代の頃、極端に食を減らしていて、そのとき栄養失調状態になったのか、ちょっとした傷が化膿する、ということはあった。
食事を普通に戻し、化膿止めの軟膏をつけることで、スグに治ったのだが、
なるほど栄養が足りなくなると、細菌性の病気にはやられやすくなる)
それにしてもこの献立は・・・
余分なお金はどうか知らないが?、栄養過多は余分どころか確かに身体に害がある。
わたしも二十代の頃けっこういいものばかり大食していて入院1ヶ月半という「大病」を患った。
が、それ以降は大食の美食などというゼイタクからは遠い生活を送ってきたためか、そう大きな病気はしていない(痛風除く)
個人的な考え、だけど、
いまの日本人は「いい物を食う」ことよりも、むしろ「食わないこと」「美食から遠ざかって質素な食事に戻ること」を考えたほうがいいんじゃないか?と思う。
そのほうが、日本人の歴史、習慣に沿っていて、アイデンティティを取り戻すのにもいいかも知れないし、
何より、今の日本人が考えなくてはいけないのは、「食」以外の生活環境、
労働環境や住環境ではないだろうか?
そして、その基礎となる、政権の政策スタンス=司法、立法、行政、国際関係といった「政治環境」(?)についても
マスコミが政府・資本家さんの宣伝機関にすぎないのはよくわかっているけど、それにしても、グルメとスポーツばかりというのはお粗末過ぎる(笑)
アホらしくも苦しくかつ危険な、コンナ状況の下で、
「日本人が本当に考えなくてはいけないこと」を、どうやって広く共有していけばいいのか?共に考えることができる状況を作り上げていけばいいのか?
(以下、乱心 ↓ 読まないでください)
ハァ・・・しんど。それにしても、どうしようもない世の中になったもんやなあ・・・(こういうときは関西風で(笑)(´д')行き詰まればオオサカ~♪ドツボのオオサカ~♪♪昔はよかったオオサカ~~~♪(意味不明。ヤケ?))
(^^;)
嗚呼、昨日も今日も、泣きべそをかいているような東京の空を見上げながら、ため息をつくばかり~
♪心うつろに東京
秋の涙雨~~~~♪♪
さて、あとで、いつものカフェに行ってコーヒーか紅茶でも飲もうかな(笑)
しかし・・・10月に入って、《嫌な予感》がする、というか、落ち着かないんだよねえ・・・わたしがスランプなだけなのかなァ。
ともかく、用心だけはしておきましょう。