今日は少し足を伸ばして茗荷谷に

行ってきた。

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文化の日

休日にこうしてテニスを楽しむ人たちを見ると、“リッチ~”とか、“生活に余裕がありそー”なんて思ってしまうのはなぜなのか?

他のスポーツではそんなこと思わないのに。

やはり、皇室(現天皇&皇后)、軽井沢、といったイメージからかな?(あれ?ひょっとしてわれわれ年配世代だけかも・・・)

 

f:id:hibi333zakkan:20181104062631j:plain 秋の公園はいい。

f:id:hibi333zakkan:20181104063722j:plainしかし、どこまで行っても“アンチホームレス”の仕切りが・・・

心の片隅に暗い影が射す。

 

こういうことを“徹底してやる”という国の“思想?”とはどういうものなのだろうか?

 

「不寛容」「偏狭」「偏見」「差別」というような言葉が次々に浮かんできてしまうのだが、そういう考え方をしてしまうわたしは、今の日本では少数派なのだろう。

 

「偏狭」ということでは、この国の「改憲派」の人たちにもそれを感じることがある。

これまで「改憲」を主張してきた人たちの主要な主張というのは、それが敗戦によって「外国」から与えられたものである、というものだが、

世界の知識人からは、それも「偏狭」な精神と思われるのではないだろうか?

 

「外国人」が作ろうが日本人が作ろうが、要はその内容だ。クオリティだ。

ほとんどの日本人がこれまで不都合を感じることなく、国際的にも立派な憲法として通用してきたものを、「そんな理由」で変えるのか?と。

 

しかも、「改憲派」の人たちというのは現憲法の「民主主義」「平和主義」「基本的人権の尊重」※という三原則を理解しないで、公然とそれを否定する発言をしたり、先の敗戦を反省することもなく再び兵力(自衛隊)を海外に出そうとする人たちなのだ。

 

そういった改憲というのは、われわれの世代の大部分では理解の外にあるものなのだが、現代の若者たちにはけっこう支持されているらしい。

 

これも時代の流れ、というものなのだろうか?

 

わたしはまた、「特攻」という元祖自爆テロ(テロという言葉に抵抗があれば「作戦」)に多くの若者が何の疑問も抱かずに、自らの命を捨てていったことが理解できず、これを「美化」する「右翼」というのも理解できない。

 

わたしは「特攻」で命を捨てさせられた日本人の若者たちは「犠牲者」としか思えないのだが。

 

そして、若者たちにそうやって「死」を強いた、軍や政府の幹部たちのほとんどは生き残り、戦後の経済成長と保守権力の恩恵も被り、恵まれた人生を送ったのだ。

 

まあ、「美化」は、そういった戦前からの権力者にとって都合のいいものではあるだろう(笑)

 

そういった人たちの流れが今の日本の主流となっている。

 

わたしは、最近では、日本人とは、そういうものであるのかもしれないと、少し諦念を抱くようになってきている(笑)

 

いまの「世界」もそう立派なものではないようだし。

日本の改憲派を支持し、利用しようとしている外国の有力勢力もあるようだ。

 

ともあれ、秋晴れの下、テニスに興じる人たちの姿というのは素晴らしい。

 

この世の中、「陽」もあれば「陰」もある、ということか。

それだけにこの世の「犠牲者」となった(なってしまった)人たちが傷ましい。

 

この日、自民党などの「改憲」に反対する人たちが約1万8千人国会前で集会を開いたとか。

わたしはyou tubeで見させてもらっただけだが、正直、参加者の方々は高齢の人が多い。

しかも警察の完全コントロール下、というか、みなんさん、区切られた身動きもままならないような狭い空間に押し込められている。

こういうことを見ても、時代の大きな流れを感じる。

(厳しい環境の中、そうやって抗議の声を上げてくださる人たち(=市民)には感謝と尊敬の気持ちしかない)

 

反面、いま政府は(国民に内緒で)大量の移民政策を行っているそうで、東京の外人さん占有率もハンパじゃないものになっている。

 

わたしは、いまの日本では移民というか外国人労働者の受け入れは仕方ない、というか、肯定的に受け止めるべきだと思うが、

そういった、移民、外国人労働者に対してのケアというか、とくに「教育」は絶対に必要だろう。

日本の「言葉」「習慣」「文化」を理解してもらうには「教育」が不可欠だと思う。

そういった「教育」さえしっかりできれば、「移民」「外国人労働者」というのもそう大きな問題ではない。(後注)

 

むしろ問題は日本政府だろう(笑)

日本人の間だけでも、凄まじい「差別」があるのだから。

 

生まれたときから日本語で生活し、日本の習慣、文化のなかで生活してきた人たちさえ差別するのが日本政府なのだから=朝鮮学校の問題とかも。

これ、あからさまな「国籍」「思想」「信条」に対する差別だろう。

わたしは、日本国憲法の枠内にある「朝鮮学校」を平気で差別しているのも、「改憲派」が「権力」を握った結果だろう、と思っている。

やはり、「不寛容」「偏狭」「偏見」「差別」という言葉が浮かんでくる。(笑)

 

そんな「差別」をしているうちに日本もずいぶん恥ずかしい国になっていっているようだ(笑)

 

※わたしの「護憲」はこの「民主主義」「平和主義」「基本的人権の尊重」の三原則を堅持するという意味での護憲であって、何が何でも憲法改正をしてはいけない、ということではない。

いまの「改憲派」(=安倍政権など)による改憲には絶対に反対、という立場なのだ。

条文については、ひとつだけ、「間違っている」「矛盾している」とわたしには思われるものがあって、それは将来、日本が社会的・思想的健全性を実現したときに変えてほしいと思っている。

ちなみに、その条文はアメリカ案にはなく、日本側の考えで入れられたもので、当時の日本社会の支配的な考えを反映したもの。

(わたしは、いまは「絶対護憲」で通すので、あえてその条文のことについては語らない)

 

(後注)

 ただし、これは大問題

→ 『外国人労働者流入で、賃金25%減!?』

 『現在でも劣悪な労働環境(条件)がさらに悪化?』

 

「問題」の日本政府、日本支配層、いま何を考えている?