あっという間に今年ももう12月下旬。

去年の年末がついこのあいだのことのように思えるのに。

 

年の暮 財布(サイフ)の底を 叩きけり      子規

 

うーん、わたしもなんだか今年は苦しい。(笑)

去年はちょっぴり余裕だったんだけどなァ。

 

消費税が増税になり、物価も上がっているとなれば、生活が苦しくなるのは当然だろう。

 

トシ食ったものには増収の目途(めど)などないわけだし。

 

それにしても、トシを取る楽しみがな~ンにもないこの国でこの先老いていくかと考えると、心が深海1000メートルに沈み込んでいく心地がする。

 

いま株(かぶ)でウハウハいってるじいさんたちだって、来年からはわからんぞ~。

 

などと、好調らしい?人たちへの嫌味(いやみ)を心の中でつぶやいて、ささやかながら?自分を慰めているが(笑)

 

それにしても、貧富の差は広がる一方。

 

わたしらみたいな貧乏人はたまりません。

 

昨日、ワイド版岩波文庫の「仰臥漫録(ぎょうがまんろく)」(正岡子規 著)を読了。

 

死の前年から死の直前まで、俳句、水彩画などを交えて日記風に書かれた読み物。

 

『「仰臥漫録」の筆を起こした明治34年、子規は35歳、すでにその肺は左右ともに大半空洞になっていて、医師の目にも生存自体が奇跡とされていたという・・・』(解説)

 

という状態で、凄まじい病苦に苛(さいな)まれながら、よくこんな文章が書け、絵が描け、俳句が作れるものだと、感心してしまう。

 

あと、食欲、

というか、食べることへの執念。

 

たとえば、

 

【 秋もはや 塩煎餅(しおせんべい)に 渋茶(しぶちゃ)かな 】

 

の句のある、明治34年9月2日の食事。

 

朝 粥(かゆ)四椀(わん)、はぜの佃煮(つくだに)。梅干砂糖つけ

 

昼 粥四椀、鰹(かつお)のさしみ一人前、南瓜(かぼちゃ)

 

夕 奈良茶飯(ならちゃめし)四椀、なまり節(煮て少し生にても)、茄子(なす)一皿

 

二時過ぎ牛乳一合(いちごう)ココア交(ま)ぜて

煎餅(せんべい)菓子パンなど十個ばかり

 

昼飯後梨(なし)一つ

夕食後梨一つ

 

といった具合。

 

過食を原因とする苦痛を訴えつつも、この大食ペースは死の少し前まで続いている。

 

病気によって全身が苦痛に苛まれているのに、さらに過食の苦しみまで背負って創作を続けた正岡子規という人のすごさ、すさまじさに圧倒されてしまうが、

「仰臥漫録」はその苦しみさえ対象化、客観化されていて、ほとんど読み辛さがなく、むしろユーモラスにさえ感じさせるのはさすがというしかないだろう。

 

途中、苦しみのあまり家人が留守の間に自殺を考えるような記述もあるが、子規は自分に自殺を考えさせた小刀と千枚通しをスケッチするだけで終わらせている。

f:id:hibi333zakkan:20191220170904j:plain ピンボケ御免・・・

 

明治三十五年九月十九日未明に子規は絶命するが、わたしは、最後まで「生」に徹したその生き様に感動と尊敬の念を抱く。

 

もし子規が自殺をしていればこの「仰臥漫録」も存在していなかったわけだし。

 

看病の肉親(母親と妹)の苦労も並大抵ではなかったようだけど、子規を助けて最後まで病と闘いぬいたことで大きな達成感と救いがあっただろうと思う。

 

肉親に自殺されては死ぬまで悔いが残る。

 

ということで、本(仰臥漫録)を閉じ、

ネットを見ていたら、こんな記事。

 

http://dpi-japan.org/blog/demand/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%87%AA%E7%AB%8B%E7%94%9F%E6%B4%BB%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%EF%BC%88jcil%EF%BC%89%E3%81%8Cnhk-%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%80%8C%E5%BD%BC%E5%A5%B3/

 

安楽死」ねえ・・・。

 

まあ、いまのこの国の「公共?放送」らしい、というべきか。※

 

しかし、傲慢(ごうまん)な。

この国の(世界の?)エリートさんたちは他者の生命をも支配しているような気持になっているのだろう。(無意識的にでも)

 

わたしに言わせれば、

 

「他人の生き死ににごちゃごちゃ干渉するんじゃねえ。

 

学閥とコネのエリート公共放送さんよ、偏差値エリートの官僚さんたちよ、世襲のエリート政治屋世襲のエリート資本家さんたちよ。」

 

ということ。(^^)

 

「あんたら、(その程度で)人間の生と死を極めつくしたつもりなんか?」

 

(ホント、権力が固定化したカネがすべての世の中というのは困ったものです。()

 

その人の「生」はあくまでその人のもの。

他者がその人の生に関わるとしたら、あくまでその人の生を助ける、救う、補助する、(生きるために)障害を取り除いてあげる、苦痛を軽減してあげる、

くらいのもののはずではないか?

 

それが・・・。(底流にある「役立たずは死ね」)

 

・・・でも、それが現代社会、現代ニッポンというものなのだろう。

 

どこに救いがあるのやら。

 

 

 

ともかくも あなたまかせの 年の暮        一茶

 

「あなた」とは仏様(ほとけさま)のことだとか。

 

 

 

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※ スタップ細胞騒動の時もNHKの工作報道にはメチャクチャ腹がたちました    よ・・・。

 

 

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