胸の奥にそっとしまっておくもので、文章にしたり他人に話すものではない、
ということに気づいた。
文章はピリッとしないし、他人に自分の幸せ話などしてもいやがられるだけ。(笑)
いや、ほんとうにそのホテルでのアルバイト時代は楽しかったから。
仕事も楽しいし、収入も満足過ぎるものだったし、余暇も映画、外食(結構お高いところ)に、ジャズのライブ、ディスコ(時代だなァ(笑))に、と遊び倒していた。
対人関係もよく、不幸のかけらも感じなかった稀有な期間だった。
(社会に出てから思いっくそバチが当たったが。)
大学は5年生(つまり1年留年)になっていたので、親は学費だけを払う、ということになったのだが、仕送りのあった時より、数倍リッチな生活になった。
大学には週に一回行けばよく、こちらも楽勝~♪
と、このころの楽しい話を始めれば、またキリがなくなるので、ここはいったん気を引き締めて?M社長の陰(かげ)の部分(と感じたもの)に触れてみたい。
(M社長、ゴメンナサイ。)
気持ちよく働かせてもらいながらも、心の片隅にちょっぴり社長に対するネガティブな気持ちがあったのは、社員の人から、M社長の容赦ない労組つぶしの話を聞いていたからだ。
これはけっこう有名らしく、今でもネットでそれに関する話を見ることができる。
4年生の時に学費値上げ阻止の闘争に参加したわたしにとってこの話はどうにも気持ちの中で解消しがたく、
じつは、卒業時に支配人からウチの会社に来ないか?と誘われたときに、心は動いたものの、断ってしまったのは、それがあったからだ。
入社したらどうせわたしは労組側についちゃうだろうから、社長にイヤな思いはさせたくないな、という気持ちだった。
しかし、実際に社会に出てみると、学生時代に抱いていた労組のイメージとはまったく違う労組の実態を見るにつけ、
うーーん、そっちの方面でも社長の気持ちがわかるかな~、と、今ではネガティブな感情は無くなっている。
実際、ホテルやレジャー施設で働く人は非正規労働者が多いわけだから、給料が保証されている社員がストをやって仕事ができなくなれば困ってしまうわけだし・・・。
ま、内側の詳しいことはわからないけれど、労組と社長の厳しい対立はかなり長く続いていたようだ。
だから左翼陣営からは嫌われていた?
のちに社会党の委員長になる、横浜市長の飛鳥田一雄さんが宿泊したことがあった。
その都市には皇族や大物政治家の宿泊する、そのホテルよりやや格式の高いホテルがひとつあったのだが、そこが満室だったため、こちらに来たようだった。
飛鳥田一雄さんは経営者と労組の対立の歴史知っていたのだろう。終始一貫、キビシイ表情だった。
朝、迎えの車が遅れて、かなりの時間ロビーの椅子に座って待っていたときも、杖を前に背筋をピシッと伸ばして口を真一文字に結んで身じろぎもしない。
近寄りがたい雰囲気だった。
ボーイの先輩は、
「オレ、あの人は尊敬しているんだよなー。」
とつぶやき、フロントも好意に満ちていたんだけど。
車が来ると、杖をついて大またで?力強く歩いて行かれたが、わたしはそのときはじめて飛鳥田さんが足に障害を持っていることを知った。
飛鳥田さんも信念の人、という感じだったなァ。
もうひとつの陰といえば、Sデパート火災だろう。