部落差別問題について話しているのはわたしです。
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わたしは、差別を解決・解消するには、差別の歴史を正確に踏まえたうえで、現状、現実をしっかり認識・把握し、全国民の問題として議論すること、
それしかないと思っています。
問題にフタをしてタブー化するのは最もいけないことではないかと。
でないと、差別解消運動そのものがおかしなものになって行くのではないでしょうか?
アメリカやヨーロッパでは黒人差別に対する解消運動は進んでいるようですが、
アジア人差別は野放し状態とのことです。
アジア人は白人だけではなく、アジア人以外の有色人種からも差別されるそうです。
たとえ黒人差別はなくなっても、他の人種に対する差別が残るようでは、ほんとうの差別解消とは言えないですよね。
差別は人種だけではなく、他にも多くのものがあり、なかには解消の運動にさえなっていない差別もあるのではないでしょうか?
そちらの「差別」にも目を向ける必要があるかと思います。
アメリカの人種差別、日本の部落「差別」は資本主義以前から続く問題ですが、資本主義が世界を支配することによって生まれた差別もあるでしょう。
そういった問題を考えるうえでも、差別のタブー化は避けなくてはいけない、と思います。
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この問題はここまでにしておきます。
最後に、
わたしは部落解放同盟の活動には敬意を表し、尊敬もしているということを付け加えておきます。
明治以降の苦しい状況の中でここまでやりきれたのは、同じ境遇の人たちのために自らを犠牲にして戦う人たちがいたからでしょう。
その結果としての団結、成果だったと思います。
解同はまさに日本でいま弱者として厳しい立場に立たされている人たちに欠けているものを教えてくれているのです。
団結と、差別解消・解放への戦い。
それを自らの手で勝ち取ってきた。
偉大です。
ただ、一言だけ言わせていただければ、虐げられた非部落民衆との連帯、共助。
わたしのような者にはこちらがもうひとつ見えにくいのです。
もし機会があれば、その点だけ、伺いたいと思っています。