今年は初秋(しょしゅう)中秋(ちゅうしゅう)がなくて、夏からいきなり晩秋(ばんしゅう)になってしまった、という感じで、頭も体(からだ)も気候に追いついていない。
気分も体調も今一つ優(すぐ)れない日常が続いている。
それでもさすがは秋の夜長(よなが)?
読書欲は湧(わ)いてきて、いくつかの本を気分に合わせて並行して読んでいる。
その中でもとくに面白くて、読み始めるとすぐにその本の世界に入って行けているのが、
田村芳朗・著「法華経」(中公文庫ワイド版)と 魚返(おがえり)善雄・著「漢文入門」(社会思想社) だ。
読みやすくわかりやすい「漢文入門」は最初からコツコツ読んでいるが、「法華経」の方は読みたいところから読んでいる。
そのため、最終章の「法華経と日蓮主義」を読み終わったのだけれど、そこで触れられていた日蓮系宗教最左派?ともいえる妹尾義郎(せのうぎろう)の思想に少しばかり衝撃(しょうげき)を受けた。
妹尾義郎は限定的ではあるけれど、マルクス主義も受け入れていた。
しっかりとマルクス主義に踏み込んだ宗教家が戦前の日本に存在したとは!?
「法華経と日蓮主義」(終章)からその部分の一部を抜粋しておこう。
『昭和六年(1931)、意見のくいちがいを生じた二、三の同志とたもとをわかち、(妹尾義郎は)あらためて「新興仏教青年同盟」を組織した。同盟結成にさいして三綱領(さんこうりょう)を立てたが、そこには釈尊(しゃくそん)を鑚仰(さんごう)しつつ同胞信愛(どうほうしんあい)の仏国土(ぶっこくど)を建設すること、資本主義体制は仏教精神に反し大衆の幸福を阻害(そがい)するものとして革正(かくせい)されるべきことがうたわれている。
すすんでは、天皇制をも批判し、その打倒を思うようになった。それにはレーニンの「国家と革命」などの書が刺戟(しげき)となったというが、信仰上からは、日蓮の「諌暁(かんぎょう)八幡鈔」などに見える国王批判が支えとなったという。
かれ(妹尾義郎)は唯物論(ゆいぶつろん)にたいしては仏教の物心一如(ぶっしんいちにょ)の思想をもって対したが、暴力革命については仏国土のすみやかな実現のためには例外的手段として認め、プロレタリア独裁も一時期はやむをえないと考えた。
また国際主義を旗(はた)じるしとした。
それについては、日蓮が蒙古襲来(もうこしゅうらい)をもって隣国(りんごく)の聖人の日本治罰(にっぽんちばつ)と見なしたことをとりあげ、これ、国際主義の典型であるとし、ひいては日蓮を国家主義にまつりあげることは日蓮を冒涜(ぼうとく)するものであると非難(ひなん)した。
なお、シャカ当時の僧団が共同・共有の生活を営んだことや、無我(むが)・空(くう)・相衣相関(そういそうかん)・縁起(えんぎ)などの仏教の根本教理(こんぽんきょうり)は、社会主義的な協同体(きょうどうたい)が理想であることを暗示しているという。』
これ付け加えておこう。
『仏教そのものについては、「法華経」の開経(かいきょう)である「無量義経」(むりょうぎきょう)の「無量義とは一法より生ず」(説法品第二)のことばを引きつつ、時代・社会の変化に即応して仏教も無限に進展していくべきであるとし、そこから固定化した既成仏教界に反省を求めた。』
現代日本人からは少し引いてしまうくらいの仏教過激主義?かもしれないが、かれらがこういう思想に至った背景には、戦前日本の労働者・大衆の悲惨な生活があったことを思うべきだろう。
もちろん、当然、戦前日本のことなので、
『昭和十一年、検挙(けんきょ)され』、『「新興仏教青年同盟」も解散させられた。』
妹尾義郎について触れられているのはこの本のこの章のごく一部で、この最終章には右から左までの「日蓮主義」がポイントを押さえて書かれてある。
もちろん、「法華経」そのものの解説、説明も、難(むずか)しいこと深い事柄なども平易にわかりやすく解釈、説明されていて最良の「法華経」入門になっている。
こういう本にめぐりあうと、「あー、生きててよかった。」と思えて嬉(うれ)しくなる。
もう世の中の役に立つ年齢、体力ではなくなったかもしれないが、
もう少しは生きていたいな、と思うのはこういうことがあるからだろう。
生産性がすべての日本政府や資本家さんたちからは目くじらを立てられるかもしれないけれど。