2020年12月31日の夕日。

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そしてこちらが2021年1月1日、夕日直前の太陽。

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朝日じゃないのは、昼過ぎまで寝ていたから。(笑)

 

今年の大晦日(おおみそか)、元旦(がんたん)は寒かった。

 

で、スーパーに年越しそばを買いに行く予定が、外出できず(横着(おうちゃく)・・・。)、年越しインスタントラーメンになってしまった。

 

夕食後、年が変わる直前まではインターネットでyoutube三昧(ざんまい)。

 

これは大正解で、

初(はじ)めてバレー「くるみ割り人形」をすべて通(とお)しで見た。

 

なるほど、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」はこうやって聞くものだったのか・・・。

 

これまでバレーにはまったく無知だったけど、バレーの技術の高さと表現に感心し、久々にヨーロッパの重厚な文化に触れた気もして大満足。

 

23時過ぎからは「除夜の鐘」をハシゴしながら聞いていた。

 

そして、Eテレの「2355」で年を越してから、お待ちかねの「ねほりんぱほりん」。

わたしにとって、外(はず)せないテレビ番組というのはこれだけ。

 

今年もいい内容だった。

途中で寝落ちして最後まで見ることができなかったのが残念。

トシだなァ。

(そのくせ、昼過ぎまで爆睡していたという・・・。)

 

ということで、さえないながらも平穏な年越しをさせてもらっている。

 

一方(いっぽう)この厳寒の年末年始、住居の無い人や食べるものに事欠いている人も多くいるわけで、大人食堂(おとなしょくどう)などが設(もう)けられたりしている。

 

厳しい環境の下で、困窮し、追いつめられた人たちを救おうと奔走(ほんそう)している人たちにはほんとうに頭が下がる。感謝と尊敬の気持ちしかない。

 

そういった行為の尊(とうと)さに気づいたのが年を取ってから、というのがわたしの迂闊(うかつ)なところでね。

もし、若くて動けるときにそういう活動に参加していたら、人生を振り返ったときの自分自身への評価も違ったものになっただろうに、と臍(ほぞ)をかんでいる。

 

何といっても他者のためになった、他者のために何か役立つことができた、というのが人間の最大の喜びなのだから。

 

そうかと思えば、ネットの書き込みなどで、困窮した人たちや貧しい人たち、果てはそういった人たちを救う活動をしている人までも攻撃するネトウヨネトウヨインフルエンサー(有名人のネトウヨ)なんてのもいる。

そういった者たちが一定数いるというのもこの国の現実なのだ。

 

まるで、善悪二元論(ぜんあくにげんろん)の世界にいるよう・・・。

 

アブないんだけどね、善悪二元論

 

ともあれ、無事新年を迎(むか)えさせてもらったのはありがたいこと。

初詣(はつもうで)にはそういう意味もあるのかな?

 

今年はどこかの神社かお寺に行こう。

 

ということで、

 

明けましておめでとうございます。(^^)