出かけようとすると、入口の前に少し大きなゴミのようなものが。
目を近づけて見ると、何(なに)かの虫の残骸(ざんがい)のようだった。
気になったのでひろいあげて机(つくえ)の上に置(お)いておいた。
帰ってそれをよく見ると、やはり?、ゴミムシの残骸というか〇体(したい)の一部のようだ。
お腹(なか)の下部(かぶ)と、あと、どの部位(ぶい)かわからない破片(はへん)が二(ふた)つ。
あのゴミムシ君が、またウチに来(こ)ようとしてドアの前にいたところを、シオヤアブに襲(おそ)われた?
うーん。
どうしても、
そう考(かんが)えてしまうなァ。
他(ほか)の虫の可能性(かのうせい)も高いと思うのだけど、残骸が転(ころ)がっていた場所(ばしょ)が場所だけに、ねえ。
〇体(したい)?は殻(から)だけで中身(なかみ)は何も残っていなくて、少し風(かぜ)が吹(ふ)いただけでどこかに飛(と)んで行ってしまいそう。
こういうのを見ると、
あのままケースで飼(か)ってやっておいたほうがよかったのかな~、なんて思ってしまうけど、野生(やせい)の?虫をケースに閉(と)じ込(こ)めておくというのも虫にとっては迷惑(めいわく)な話(はなし)だろうから、どちらがよかったか、などと考えるのは無駄(むだ)というものだ。
しかし、こんなとき、どうしても虫を擬人化(ぎじんか)して考えてしまって、
組織(そしき=この場合ケースという閉(と)ざされた環境(かんきょう)。)から自由(こ)と可能性を求めて個(こ)の立場で生きて行こうとした人が、個というある意味(いみ)孤立(こりつ)した、あるいは無防備(むぼうび)な立場になったために、人間社会(にんげんしゃかい)に潜(ひそ)む、そういう孤立した人を食い物にする悪人(あくにん)たちの犠牲(ぎせい)になったアワレな人のようにも感じられて、
シオヤアブめー、という気にもなってしまうのだけれど、
(あのシオヤアブの犯行(はんこう)と決まったわけではない。(笑))
シオヤアブにとっては他の昆虫を狩(か)って食べるのは生まれつきの本性(ほんしょう)であって、人間が漁(りょう)をして魚(さかな)を食べたり、狩猟(しゅりょう)をしたり、牛や豚を飼育(しいく)して食べるのと何ら変わりはなく、
シオヤアブめ~、なんて言っているわたしのほうが間違(まちが)っているのだ。
ただ、もし、シオヤアブの世界(せかい)が同じシオヤアブを襲(おそ)って食べるのを常習(じょうしゅう)としているのなら、顔(かお)をしかめていい、と思う。
“なんて邪悪(じゃあく)な虫なのだ“、と。
もっとも、同種(どうしゅ)※のものを食い物にするのが主要(しゅよう)な目的となっている動物や虫などはあまりいないだろうけど。
そういう意味では、人間が人間を狙(ねら)う、襲(おそ)う、食い物にする人間社会とは恐(おそ)ろしいものだ、と思う。
え?違う?
人間社会はそういうものではない?
いやいや、過去(かこ)はいざ知らず、現代のこの国と世界の主要国(しゅようこく)といわれている国々(くにぐに)が向かっているのは、そういう方向(ほうこう)なのだ。
小(ちい)さな政府、新自由主義(しんじゆうしゅぎ)。
そこでは、資本家(しほんか)=支配階級(しはいかいきゅう)と権力者(けんりょくしゃ)が「利己主義(りこしゅぎ)」を徹底(てってい)させて利益(りえき)や利得(りとく)を独占(どくせん)して、カネも力(ちから)も奪(うば)われた人間=民衆(みんしゅう)を支配する。
そこで支配された民衆が生き延(の)びるには、支配階級、権力者に「役(やく)に立(た)つ存在(そんざい)」と認められるしかない。
いまの日本はまさにそういう社会に向かって驀進(ばくしん)しているのだ。
小泉、安倍、菅、岸田、と続いてきた自民党政権、自公政権とはそういうものなのだ。
え?違う?
たとえば、お金持ち階級や正規公務員、大企業の正社員だけの収入を上げて、それ以外の民衆の収入を下げて弱い立場の人たちを悲惨な境遇に陥(おとしい)れた安倍政権や、その路線を引き継(つ)いだだけの菅、岸田政権、
そこでは、オレタチに役に立つものは優遇(ゆうぐう)してやるが、それ以外の者は切(き)り捨てる、という方針が徹底されているではないか。
まあ、逆進消費税(ぎゃくしんしょうひぜい)を認めた、あるいは推進(すいしん)していった旧民主党(きゅうみんしゅとう)の面々(めんめん)、菅、野田政権からの流れの立憲民主党なんて疑似野党(ぎじやとう)も同じ穴のムジナなんだけどね。
ところで、その一角(いっかく)の安倍元首相が、彼と特に親しい、というか、軌(き)を一(いつ)にして活動(かつどう)していた宗教団体(しゅうきょうだんたい)に家族がカネを巻(ま)き上げられ、人生(じんせい)をムチャクチャにされたという人に狙撃(そげき)されて〇(し)ぬ、ということがあった。
そのことに対して、今の岸田政権と官僚(かんりょう)がやったことは、
狙撃した人物と同じ、就職氷河期世代(しゅうしょくひょうがきせだい)の死刑囚を(庶民への)報復(ほうふく)として処刑(しょけい)したこと。
(同じ非正規労働者(ひせいきろうどうしゃ)でもあった。)
そして、安倍元首相をあがめることを民衆に強制(きょうせい)するために安倍首相の葬儀(そうぎ)を「国葬」(こくそう)とすることを決めた、
だけだった。
権力者側(けんりょくしゃがわ)の人間である、当事者(とうじしゃ)というか責任者(せきにんしゃ)であった、警察庁長官(けいさつちょうちょうかん)、警視総監(けいしそうかん)、奈良県警本部長(ならけんけいほんぶちょう)などは誰(だれ)も処分(しょぶん)されていない。
(それどころか、国民に対する説明(せつめい)、釈明(しゃくめい)、ひとつない。)
これが、わたしたちがなんとか生きている日本の現状(げんじょう)なのだ。
そこには、シオヤアブの狩(か)りなどとは異次元(いじげん)の邪悪(じゃあく)さが現(あらわ)れていないだろうか?
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後半、少し話がズレた、かな?(笑)
いま、一部の権力者による好き勝手、やりたい放題(ほうだい)、醜(みにく)い利己主義(りこしゅぎ)があまりにもあからさまになっているのでね。
つい。(笑)
それにしても、
書(か)いても、腹(はら)の虫(むし)はなかなか治(おさ)まらないわあ。(笑)
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ということで、ちょっと自分自身(じぶんじしん)に口直(くちなお)し。(笑)
少し前のことだけど、
火傷(やけど)しそうな太陽の光が降り注ぐ36℃越えの猛暑日(もうしょび)の真昼(まひる)に、陽(ひ)の照(て)りつける公園(こうえん)沿(ぞ)いの小道(こみち)を歩いていたら、道の真ん中に少し大きめのセミが落ちていた。
足がかすかに動く。
まだ生きているんだ、と思って、セミを道の脇(わき)の草の陰(かげ)に移(うつ)してやった。
すると、
不思議なことに、それまでうるさいほどに鳴いていたセミの声が、一瞬(いっしゅん)ピタリと止まったのだ。
え?逆幻聴(ぎゃくげんちょう)?気のせい?と思ったけど、先ほどよりはセミの声がかなり静(しず)かになっているのは確かだった。
まあ、偶然(ぐうぜん)だったのだろうけど、
(おさ)昨日(きのう)その公園に行くと、わたしの周(まわ)り、手の届(とど)くようなところで何匹(なんびき)かのセミが鳴いていて、近づいても逃(に)げない。
わたしはここのセミに信用されたのかな?なんて一瞬(いっしゅん)思ったのは別として(偶然に対する思い込み。(笑))、
しかし、後で見ると、巧妙(こうみょう)に姿(すがた)を隠(かく)しているというか、はっきりと写(うつ)った写真(しゃしん)がほとんどない。
これには少し首(くび)を捻(ひね)った。
しかし、よく見れば、はっきりと写っているものもある。
たとえば、これ。
どこにセミがいるか、わかる?(笑)
すぐにわかるかどうかは、その人(ひと)次第(しだい)。(^^)
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※ → ちなみに、「人種」という言葉を(白人、黒人、黄色「人種」?といった)人間集団の区別として使ってきたのは間違いで、最近その使い方の見直しが進んでいる。