2022年も、もう九月。

エノコログサ(猫(ねこ)じゃらし)の穂(ほ)が伸(の)びている。

どこにでもある雑草(ざっそう)だけど、粟(あわ)の一種(いっしゅ)なので、実(み)は食べることができるらしい。

将来(しょうらい)飢饉(ききん)があったときの備(そな)えとして頭の片隅(かたすみ)に置(お)いていいかもしれない。(どの程度(ていど)役(やく)に立つかはわからないけど。(笑))

 

逝(ゆ)く夏。

でも、子どものときや若いころのように、夏を惜(お)しむ気持ちはない。

トシをとると暑さがとりわけツラく感じられて、早く涼(すず)しくなってくれと願(ねが)うばかり。

 

だいたい老人(ろうじん)が〇ぬのは夏か冬で、わたしの祖父母(そふぼ)や両親(りょうしん)、近(ちか)い親戚(しんせき)の命日(めいにち)を見ても夏と冬に集中(しゅうちゅう)している。

 

わたしの父などは、お医者さんから余命(よめい)を告(つ)げられて、

「暑いときに〇ぬと葬式(そうしき)や法事(ほうじ)に来てくれる人が気(き)の毒(どく)だから、秋まで頑張(がんば)らないとなァ。」

と言っていたのだけど、〇んだのは茹(う)だるような暑さの7月16日だった・・・。

 

今年(ことし)は6月から暑く、アジサイも立(た)ち枯(が)れしているような状態(じょうたい)だったので、

 

 

とりわけ多くのお年寄(としよ)りが亡(な)くなったのではないだろうか?

 

火葬場(かそうば)が一週間(いっしゅうかん)待(ま)ちなんて話も聞(き)こえてくる。

 

この国で加速度的(かそくどてき)に人口減少(じんこうげんしょう)が進(すす)んでいることを切実(せつじつ)に感じることができるような状況(じょうきょう)が続(つづ)いている。

 

“日本人の寿命(じゅみょう)が短(みじか)くなっているんじゃないか?“

と、政府などが発表する「日本人の平均寿命(へいきんじゅみょう)」に疑問(ぎもん)を抱(いだ)く人も少(すく)なからずいるようだ。

 

まあ、最近(さいきん)の日本の統計(とうけい)はどれも信用度(しんようど)が低(ひく)いからねえ。(笑)

 

寿命が長いのはいいことだとは思うのだけど、現代日本(げんだいにほん)のように老人(ろうじん)が政府(せいふ)から邪魔者(じゃまもの)扱(あつか)いされ、世間(せけん)から厳(きび)しい目(め)を注(そそ)がれるようになってくると、長生(ながい)きをすることが果(は)たして幸福(こうふく)なのかどうか、わからなくなってくる。

 

気候(きこう)や経済状況(けいざいじょうきょう)などが厳(きび)しい地方(ちほう)では長生きがネガティブに受(う)け取(と)られる傾向(けいこう)があって、そこでは生産(せいさん)に役立(やくだ)たない老人は生存(せいぞん)さえ許(ゆる)されなくなるようだ。

 

江戸時代(えどじだい)に難破(なんぱ)、漂流(ひょうりゅう)して大陸北部(たいりくほくぶ)に上陸(じょうりく)した日本の商人(しょうにん)の語った話が残(のこ)っていて、それによると、

酷寒(こっかん)で大地(だいち)のやせ細(ほそ)ったその地域(ちいき)では、人は12歳(さい)から13歳くらいで結婚して子供(こども)をつくり、30歳代まで必死(ひっし)に働(はたら)いて子どもを育(そだ)て、40歳を越(こ)えて体力が衰(おとろ)えると飢(う)え死(じ)にしてゆく、のだとか。

 

いまの日本を見ていると、軽(かる)く?そういう社会(しゃかい)へとベクトルを向(む)けているような気もする。

 

ここ30年くらいの日本の凋落(ちょうらく)ぶりが、「ひとの手による」残酷(ざんこく)な社会の到来(とうらい)を暗示(あんじ)しているようにも思えるんだよね。

 

ぶっちゃけ、

強いもの、大金持ち(おおがね)持ち(資本家(しほんか))権力者(けんりょくしゃ)の利己主義(りこしゅぎ)、エゴイズムの徹底(てってい)が「正(ただ)しいこと」、それこそが「道徳(どうとく)」だとするイデオロギー※が支配(しはい)する世界では、資本家でもない身(み)、ましてや貧(まず)しいわたしのような人間が年老(としお)いてまともに生きて行ける余地(よち)は限(かぎ)りなく狭(せま)くなって行くだろう。

 

資本家と資本家の役に立つ人以外は生存権(せいぞんけん)がない、とするそのイデオロギーについては、また別(べつ)のブログで語ろうと思う。

 

ともあれ、虐待(ぎゃくたい)された悲惨(ひさん)な状態(じょうたい)で〇ぬのはイヤなので、わたしも自分の〇に方(かた)についてそろそろ考えなくてはいけない。

 

いま考えている理想(りそう)は、

元気(げんき)なうちにテントを担(かつ)いで富士山(ふじさん)の樹海(じゅかい)に行き、食(しょく)を断(た)って、お星(ほし)さまを見ながら幸(しあわ)せに逝(ゆ)く~

                                 \(^^)/

というものだけど、

親(した)しい知人(ちじん)にその話をすると、

「そんなにうまく行くわけないでしょ!」

 

たしかにそうだ。

 

いやー、人間(にんげん)、トシを取(と)るのも〇ぬのもタイヘン。

若いころは老人になったら悩(なや)みなんて無くなるのだろうな、と思っていたけど、いざ老人になってみると全然(ぜんぜん)違(ちが)う。

 

けっきょく悩(なや)み苦(くる)しみにトシは関係ないということだ。

               (いまごろ気がついている。(^^;))

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

※ アイン・ランドというアメリカに移住したユダヤ系ロシア人小説家のイデオロギー

ブルジョアであったため、ロシア革命で迫害された。

そのため?社会主義共産主義への憎悪、完全否定がそのイデオロギーの核となっている。

その著作はアメリカでは聖書の次に読まれていて、その影響力は計り知れないほど大きいという。

小さな政府の主張、自由放任の市場経済主義、福祉・社会保障、終身雇用の否定など、新自由主義の基本イデオロギーとなった。

キーワードはアインランド自身が使う「セルフィッシュネス」(利己主義)、「オブジェクティズム」だが、「オブジェクティズム」をアインランドが言うとおりの「客観主義」として翻訳、日本で通用させているのは不適切だろう。

わたしは「(心なき)物体主義」とでも呼んだらいいのではないかと思っている。(^^;)

 

なにせこれがアメリカを中心とする現代世界(先進国?)と日本(政・財・官)の支配イデオロギーなのだ。

 

(ただ、アイン・ランドの極端なイデオロギーは問題多き社会主義共産主義運動の裏返しと考えれば、一部理解?はできるかも。

たとえば、徹底的な「利己主義」の主張は共産主義運動の一部にあった「自己否定」の否定と考えられなくもないように。)

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

・・・自己否定。

たとえば、裕福な銀行家の出身で共産主義者だったルカーチ(この人はユダヤハンガリー人)は 

「自分たちブルジョア階級にいるものは、自分の立場を全否定して労働者階級に奉仕するべき」と主張していた。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

追記9/9

ここでアイン・ランドイデオロギーについて書いても仕方ないのだけど、アイン・ランドの著書にあった、

「人間が人間だからという理由で生きていることを当然、と考えるのは間違いだ。」

という一節が頭に残って消えないので、書いてしまった。

無理して読んだアイン・ランドの著作はトラウマ級だった

 

アメリカでは有名人を中心に信奉者が多く、

サッチャー元英首相やレーガン米大統領、ブッシュ元米大統領グリーンスパンFRB議長、経済学者のハイエク教授、ミルトン・フリードマン教授、などからハリウッドスターまで数え上げたらキリがないほど。

 

しかし、わたしは精神的に耐えられず、「読むんじゃなかった~」と後悔している。

 

わたしには想像力を欠いたサイコパスさんの姿しか著書の向こうに見えなかった。

 

昨日は英国のエリザベス女王が死去したという大きなニュースがあった。

その関連で、ふと

ジョンレノンがエリザベス女王に勲章を返した理由を書いた手紙が、数年前に発見されていたことを思い出した。

そこには勲章返却の理由としてベトナム戦争をはじめとした戦争への英国の協力があげられていたとか。

 

今も続く戦争。そして戦争の危機。

 

ジョンレノンは世界の指導者が豊かな想像力を取り戻し、戦争をすることなく人々の幸せのために仕事をしてくれることを願って、この曲を作ったのだと思う。

 

www.youtube.com

ということで、アイン・ランドについては、この日記ではここまで。

 

じつはいま「毒消し」のために岩波文庫の「法華経」を読んでいるのだけど、そのサンスクリット語からの現代語訳がスゴク面白い。

 

この次はそれについて少し書きたいと思っている。(^^)