寒さが厳しかったように思う。
ホームレスの人たちは大変だったろう。
これまで多くのホームレスを見てきたが、今日はわたしが子どものころ、田舎にいた○○○さんと呼ばれていた女ホームレスのことを思い出していた。
わたしの田舎は当時2万人ちょっとくらいの町だったのだが、○○○さんはその町でホームレスをしていた。もっともその当時はホームレスと言う言葉はなく「乞食(こじき)」と呼ばれていたのだが。
しかし、乞食とはいっても○○○さんは他人に食べ物やお金を恵んでもらおうとはしないで、
他人とは距離をおいて、誰とも話をしようとはせず、いつもうつむいて歩いていて、人が回りにいないのを確認しては、家々の外にあるゴミ箱を開けて、そこにあるものを、ぼそぼそと食べるだけだった。
身なりは、すり減った下駄に素足(すあし)、ボロボロの和服で、冬も夏も同じ格好をしていた。
垢のためか顔が黒ずんでいたので、当時のわたしには60歳くらいの年齢に見えたが、実年齢は40歳くらいだったようだ。
声は聞いたことがない。いつも下駄なのに、下駄の音も記憶にない。実におとなしく静かな人だったように思う。
ゴミ箱をあさる以外、トラブルや盗みなどのうわさもなく、人畜無害の存在だった。
たまに○○○さんに小銭を与えるおばさんなどがいたが、そのときも○○○さんは、少し腰を引いてとまどった様子をして、お礼の言葉などは発しないで、ただ申し訳なさそうに頭を下げるだけだった。
それでも、悪ガキたち、子どもは残酷なもので、大人のいないような寂しい所で○○○さんを見かけると小石を投げつけたりするのだ。
いつもは最初は着物のすそで顔を覆って耐えるだけなのだが、あまりにしつこいと、やはり腹が立つらしく、一度、子どもたちに向かって、握った片手をあげて抗議の姿勢をしていたのを見たことがある。
もちろんわたしはそんなことをしたことはないわけで、そういうことをやる子どもたちとは離れていた。
○○○さんはそれがよくわかっていて、○○○さんが何かに座っている前をわたしが通と、顔をあげてにこにこした顔をした。
あるとき○○○さんがバスの停留所にぼんやりすわっている前を母親といっしょに通ったとき、やはり○○○さんがわたしを見てニコッとしたので、母親に「○○○さんはお前を見るといつも笑うね」と言われたことがある。
その笑顔が、歳を経るにつれ、なんだかとても可愛い笑顔だったように、印象が変わっているのは記憶があいまいになってきているせいなのか?
ともあれ、○○○さんはわたしが中学生になったころ町から姿を消した。
噂では、「腐ったものを食べても平気でいる○○○さんに興味を抱いた大学病院が研究のために収容した」などと言われていたが、実際のところはわからない。どこかの施設に収容されたのは間違いないのだろうけど。
「収容されてから、少しして死んだ」などという噂も聞いたけど、もしそれが事実なら、ゴミ箱をあさって腐ったものなどを食べていた○○○さんが(おそらく)まともなものを食べはじめて死んだわけで、それは不思議な気がする。
同級生の中には、「解剖されて死んだんだ」なんていうのもいたが、当時はわたしなんかも半分それを信じていた。
そういう時代だった。子どもながら、日本社会の「恐ろしさ」のようなものを感じていたのかもしれない(笑)