


言(い)い古(ふる)されてきたことだけど、ほんとうにあっという間(ま)に時(とき)が過(す)ぎる。
こちらは去年(きょねん)の12月(じゅうにがつ)に撮影(さつえい)した銀杏(いちょう)の木(き)。

そしてこちらは今年(ことし)の12月。同じ木の下に落ちていた銀杏の枯葉(かれは)だ。

春(はる)のまだ肌寒(はださむ)いころに芽(め)を出(だ)し、夏(なつ)に青々(あおあお)と茂(しげ)った後(あと)、秋(あき)に色(いろ)づき、いまは枯(か)れて落(お)ちている。
トシを取(と)って記憶力(きおくりょく)が悪(わる)くなっているせいか、そういうことが一瞬(いっしゅん)のうちに起(お)きているような錯覚(さっかく)に襲(おそ)われる。
エネルギーが過剰(かじょう)なほどあった若(わか)い頃(ころ)と、エネルギーの減少(げんしょう)を身(み)に染(し)みて感(かん)じる今(いま)とでは1年(いちねん)の量(りょう)と質(しつ)がまったく違(ちが)うように感(かん)じる。
目(め)も悪(わる)くなっていて、読書(どくしょ)も3.0(3倍)の老眼鏡(ろうがんきょう)をかけて活字(かつじ)をぼちぼち追(お)って、1日(いちにち)に本(ほん)を数(すう)ページ読(よ)むのがやっと。
それでもそうやって、このあいだカルロ・ロベッリ著(ちょ)「すごい物理学(ぶつりがく)講義(こうぎ)」を読了(どくりょう)した。
今のわたしの興味(きょうみ)、関心(かんしん)に合致(がっち)していて、かつ内容(ないよう)も充実(じゅうじつ)したいい本(ほん)だった。
まだわたしにも運(うん)が残(のこ)っているのかな。(笑)
ただ、読んでいるときは、「面白(おもし)い、面白い。」「なるほど、なるほど」なのだけど、読み終(お)わるや、内容(ないよう)の多(おお)くが記憶(きおく)から消(き)えてしまっていて、「あれ?」となるのがつらいところ。(笑)
重要(じゅうような)な部分(ぶぶん)はメモを取(と)るのが必須(ひっす)となっている。
で、メモでこの本から得(え)たものを振(ふ)り返(かえ)ってみると、
①「場(ば)とは何か」というところから始(はじ)めて「場の理論(りろん)」がとても分(わ)かりやすく説明(せつめい)されていたこと。
② 「無限(むげん)は無(な)い」ということ。
わたしは以前(いぜん)から、すべてのものは有限(ゆうげん)である、と思っていたので、物理学(ぶつりがく)の方面(ほうめん)からこういう考(かんが)えが出(で)てきていることに思(おも)わずバンザイしてしまった。(笑)
「空間(くうかん)を無限(むげん)に分割(ぶんかつ)することはできず、無限(むげん)に小(ちい)さな点(てん)は存在(そんざい)しない。」
「宇宙(うちゅう)は巨大(きょだい)であり、しかし同時(どうじ)に、有限(ゆうげん)である。」
そして、
「ほんとうに無限(むげん)なものがあるとしたら、それはわたしたちの無知(むち)だけである。」
なんとも明解(めいかい)。
・・・・・・・、
でも、わたしのような門外漢(もんがいかん)があまり本の内容(ないよう)に踏(ふ)み込(こ)んでも何(なん)なので、
とにかくとても面白いから、そちらの方面(ほうめん)に興味(きょうみ)のある人(ひと)はぜひ本を買(か)って読(よ)んでくださいということで(^^)
ひとつだけ、わたしが最(もっと)も興味(きょうみ)深(ぶか)かったところ
(2024年11月24日のブログ記事
と、2025年1月16日の記事を参照してください。)
それは、この部分(ぶぶん)(抜(ぬ)き書(が)き)
『~、ジョン・ホイーラーは、~、「イット・フロム・ビット」というスローガンを考案(こうあん)した。~、「ビット」は情報(じょうほう)の最小(さいしょう)単位(たんい)であり、~、「イット」は「あらゆるもの」を含意(がんい)している。したがって、このスローガンを分(わ)かりやすく言(い)い換(か)えるなら、このようになる。「すべては情報(じょうほう)である。」
(これだけでは、ちょっとわかりにくいと思うので、気(き)になる方(かた)は本を読んでください。スミマセン。(笑))
つまり、わたしたちのこの宇宙は「情報(じょうほう)の網(あみ)」で出来(でき)ている?

わたしはこの宇宙を情報(じょうほう)の海(うみ)と考(かんが)えた方(ほう)がイメージしやすいと思うのだが、
・・・・・・・、
ところで、これ、アーラヤ識(しき)そのものではないだろうか?(これが言いたかった。(^^))
アーラヤ識(しき)は我(われ)にありて我にあらず。
そしてアーラヤ識はすべての情報(じょうほう)を蔵(ぞう)し、われわれ人間を含(ふく)めたすべての生(い)きもの(無生物(むせいぶつ)や環境(かんきょう)も?)はアーラヤ識によって輪廻(りんね)する。
原子(げんし)などの粒子(りゅうし)がエネルギーの塊(かたまり)であるように※、わたしたち人間(にんげん)を含(ふく)めたすべてのものは情報の海の中の結節点(けっせつてん)である(つまり情報そのもの。)、と考えれば、唯識論(ゆいしきろん)におけるアーラヤ識がすごくイメージし易(やす)いのだ。
(※わたしはこの宇宙が情報とエネルギーで出来ているのではないか、と思っていたが情報に集約(しゅうやく)されるようだ。)
お気づきのようにわたしは科学をぶっ飛ばして仏教(唯識論)のことを考えているわけだけど(笑)、もしこの宇宙がアーラヤ識で出来ているとすると、そのアーラヤ識も越(こ)える如来(にょらい)はこの宇宙の存在(そんざい)ではないということになる。
実際(じっさい)、空海(くうかい)は即身成仏義(そくしんじょうぶつぎ)で、如来はこの世界では「不生(ふしょう)」としている。
つまりこの宇宙で生(う)まれるものではないと・・・。
(これって、この宇宙を有限と考えないと出てこない見方(みかた)じゃないかなあ・・・。)
・・・・・、うー、アタマが疲(つか)れた。年取(としと)ってカスカスになった頭で考えすぎると健康(けんこう)に良(よ)くない。(笑)
まあこういうことはぼちぼち考えることにして、
今年(ことし)の大(おお)みそかはどこかのお寺(てら)に参(まい)って除夜(じょや)の鐘(かね)を聞(き)きたいな。
108の煩悩(ぼんのう)の分析(ぶんせき)なんてのもスゴイことだ。

日本(にほん)の場合(ばあい)、現代人(げんだいじん)より昔(むかし)の人の方(ほう)が深(ふか)く物事(ものごと)を考(かんが)えていた。
いつから日本人(にほんじん)は深(ふか)い思考(しこう)も想像力(そうぞうりょく)も失(な)くしてしまったのだろう・・・。