最近(さいきん)は日中(にっちゅう)の陽射(ひざ)しの強(つよ)さが気(き)になるけれど、まあ、一年中(いちねんじゅう)で最(もっと)もいい気候(きこう)の月(つき)。
躑躅(つつじ)の花(はな)が鮮(あざ)やかだ。

雑草(ざっそう)というか、野(の)の花(はな)も元気(げんき)。(右下(みぎした)、ちょろっとね。(笑))

夜(よる)の散歩道(さんぽみち)。

周(まわ)りにお墓(はか)が多(おお)くて、夜(よる)はほとんど人通(ひとどお)りがない、ということで、最近(さいきん)ハマっている。(^^)
こういう道(みち)を、時々(ときどき)立(た)ち止(ど)まっては目(め)を閉(と)じて10秒間(じゅうびょうかん)ほど瞑想(めいそう)、ということを繰(く)り返(かえ)しながら歩(ある)いていると、なんとなく心(こころ)が浄化(じょうか)された気分(きぶん)になる。
しかし、一刻(いっとき)の夜散歩(よるさんぽ)を終(お)えて家(いえ)に帰(かえ)ると、煩悩(ぼんのう)の日常(にちじょう)に戻(もど)る。(笑)
このところ、過去(かこ)の黒歴史(くろれきし)から来(く)るトラウマに悩(なや)まされている。
いきなり襲(おそ)って来(く)るんだよね、トラウマ~
まったく108つ(ひゃくやっつ)の煩悩(ぼんのう)とはよく言(い)ったもの。
これまでは、死(し)ぬまではタイヘンだぞー、なんて思(おも)っていたが、最近(さいきん)は、死んだらもっと大変(たいへん)かも、と思うようになってきた。(笑)
今生(こんじょう)での解脱(げだつ)など不可能(ふかのう)なわたしとしては、もう仏様(ほとけさま)、つまり如来(にょらい)にすがるしかない。
大乗仏教(だいじょうぶっきょう)における如来(にょらい)とは、あらゆる宇宙(うちゅう)に自由(じゆう)に出入(でい)りして、生(い)きとし生けるものを救(すく)うことのできる存在(そんざい)らしい。
解脱(げだつ)を果(は)たした菩薩(ぼさつ)が、さらに大乗(だいじょう)の修行(しゅぎょう)を重(かさ)ねて、如来(にょらい)になるというのだけれど、菩薩が如来になるには、最速(さいそく)でも、宇宙(うちゅう)の始(はじ)まりから終(お)わりまでを三回(さんかい)繰(く)り返(かえ)す期間(きかん)が必要(ひつよう)なのだという。
これまた、ちょっと想像(そうぞう)の外(そと)。(笑)
それを、ナント、この生(せい)のうちに成(な)し遂(と)げよう(如来になろう)ということで、書(か)かれたのが空海(くうかい)の即身成仏義(そくしんじょうぶつぎ)。
(ちらっと読(よ)んだ。(笑))
解脱(げだつ)さえ不可能事(ふかのうじ)な、わたしら凡俗(ぼんぞく)にとっては途方(とほう)もない話(はなし)で、とにかく、わたしにできることと言えば、「お救(すく)いください」と、念仏(ねんぶつ)を唱(とな)えるなり、お題目(だいもく)を上(あ)げるなりして、如来にすがるしかない。
自分(じぶん)で煩悩(ぼんのう)を消(け)すことなど不可能(ふかのう)。
日蓮(にちれん)さんは、法華経(ほけきょう)によって、誰(だれ)でも成仏(じょうぶつ)することができると、説(と)かれているけどねえ。
いっぽう浄土(じょうど)系(けい)はこの世(よ)での成仏(じょうぶつ)はあきらめて、阿弥陀仏(あみだぶつ)にすくい取(と)られて、阿弥陀如来(あみだにょらい)の浄土(じょうど)(=宇宙(うちゅう))で成仏を目指(めざ)す、ということになっているよう。
だから、成仏ではなく、往生(おうじょう)。
まあ、どちらを選(えら)ぶかは、その人(ひと)の因縁(いんねん)によるのだろう。
煩悩だらけで揺(ゆ)れているわたしだけれど、今日(きょう)は南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)の気分(きぶん)。(^^;)
念仏和賛(ねんぶつわさん)の、このところに親鸞(しんらん)さんの底知(そこし)れない深(ふか)さを感(かん)じている。
解脱(げだつ)の光輪(こうりん) きわもなし
光触(こうそく)かふる(被る) ものはみな
有無(うむ)をはな(離)ると のべたまふ
平等覚(びょうどうかく)に 帰命(きみょう)せよ
ここでの有(う)とは、我(われ)と環境世界(かんきょうせかい)(我(われ)の周(まわ)りの物質世界(ぶっしつせかい))には実(じつ=実体(じったい))がある、とする見方(みかた)。
だから、有無(うむ)を離(はな)れるということは、自分(じぶん)と周(まわ)りの世界(せかい)には実体(じったい)が無(な)いのだけれど、しかし、何(なに)もない=無(む)なのでもない。ということになる。
そして、その後(あと)に平等(びょうどう)が続(つづ)く、というのがスゴイ。
空海の即身成仏義でも、大日如来(だいにちにょらい=毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)の宇宙に入(はい)った菩薩(ぼさつ)が如来(にょらい)となる最終段階(さいしゅうだんかい)でのキーワードが平等(びょうどう)なのだ。
千年(せんねん)以上(いじょう)昔(むかし)の日本(にほん)の仏教(ぶっきょう)のレベルはおそろしく高(たか)かった…。
ということで、これでスッキリ眠(ねむ)れるかな。
いや。(笑)
しつこいわ煩悩。
お題目でも上げようかな。(笑)
まったく定(さだ)まらないね、わたしは。(笑)
業(ごう)が深(ふか)いわ、ホント。