いた、「コピー」の転写。
ラスト!
『サー・ジュリアン・ハクスリーにとって、生物の競争は大した意味をもたぬ陳腐な所見にすぎない。
1963年、ハクスリーはこう書いている。
「生存競争は単に、各世代の一部が子を残せぬまま死ぬ運命にあることを示しているだけだ」
つまり現代の立場としては、自然選択と適者生存は毒にも薬にもならないトートロジー(※)にすぎず、生存競争は進化に関して重要な役割を演じてはいないのである。
では、総合進化論の見地はどうなるのか。
ジョージ・シンプソンが次のように述べている。
「遺伝的に赤毛の親が金髪や黒い髪の親よりも平均して多くの子どもを生むとしたら、進化は赤毛に向かって進む。
また、遺伝的に左利きの親のほうが多くの子どもを生むとしたら、進化は左利きに向かって進む。
形質そのものは問題ではない。問題なのは、何世代にもわたって誰がより多くの子孫を残すかである。
自然選択が適者に有利にはたらくというのは、多くの子孫を残す者を適者と定義した場合のみ言えることだ。
実際に遺伝学者はそのように定義しており、他の者にとっては紛らわしいかもしれない。
遺伝学者のいう適性は、健康や力強さや見た目のよさなどとは無関係で、生殖効率のよさだけが関係している。」
これはたしかにしっかりとした考えのように思えるし、従来の落とし穴をすべて回避している。
自然選択とは、それぞれの形質がどうであれ、多くの子孫を残す者が世界を占め、あまり子孫を残せないものが死滅していくプロセスである。 』
※ トートロジー = 同義語反復。
同じ意味の言葉を繰り返すこと。詭弁のテクニックとしてこれをやられると、議論が循環して真偽を問うことなく終わってしまう。
欧米ではよく知られたもので、あるレベル以上の場所でこれが詭弁として使われることはないが、日本では、「国権の最高機関」=国会でこれが使われた。
いまや「歴史的」となった、イラク派兵をめぐる野党の質問者と小泉首相(当時)のやりとり
↓
質問者「戦闘地域とはどこか」
質問者「では、自衛隊はどこに出動しているのか」
質問者「では非戦闘地域とはどこか」
・・・
戦闘地域 = 自衛隊が出動していない地域
見事な「循環話法」(詭弁)。まさにこれによって憲法違反のイラク派兵という真実が隠蔽されてしまったわけで、まさか、こんなものが国会で行われようとは!?という、「トンデモ」の世界。
わたしは恐らくこれは、ニッポンのレベルを見越したCIAあたりの外国機関の脚本だろうと思っている。
一度バカにされたらオシマイで、
安倍政権においては、公然とウソやゴマカシがまかり通るようになってしまった。
・・・日本人のレベルが見抜かれてしまった?・・・
市民運動のみなさん頑張って!(>-<)
閑話休題(それはさておき)
ダーウィンにおける「自然選択」と「適者生存」がトートロジーであることは、今西錦司博士も、いまから40年以上前に書かれた「ダーウィン論」(中公文庫)ですでに指摘していた
→『さてこうなると、「自然淘汰」(※自然選択)という言葉と、「適者生存」
(わが国では習慣上 the Survival of the Fittest に対する訳語として、最適者生存とはいわないで、これを適者生存と呼んできた)
という言葉とは、同義語ともとれるし、あるいは適者の生存することを自然淘汰というのであるならば、適者の生存しない場合は自然淘汰でない、あるいは自然淘汰のはたらかなかった場合と解してもよいであろう』(第二章 ダーウィニアン・ドクトリン)
「(最)適者生存」については「[図説]偽科学・珍学説読本」グレイム・ドナルド 著
にこう書かれている。
『チャールズ・ダーウィンは自分の著書が後々にまで影響をおよぼすことになるとは思ってもみなかっただろう。早い話、その予想外の影響はひどいものだった。
~(中略)~
~ さらに長い目で見ると、その影響ははるかに破壊的だった。(中略) 「(最)適者生存」は専横的な輩(やから)に利用され、さまざまな差別政策のなかでも特に優生学という新しい「科学」を正当化するために引き合いに出された。』
ともかく、転記終了\(^^)/
ほっ
これからは本のコピーをとるときには必ず書名を記入するようにしなければ。。