長引く梅雨。

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空も曇りなら心も曇り、っと。      ・・・ ハァ

 

昨日は参院選の投開票日。

 

で、結果は相変わらず。

2012年以降の恒例となった、わたしを「鬱」(うつ)にするもの。

 

今回はとくに。逆進税である消費税を10%にすることと、改憲がテーマであっただけになおさら。

 

(逆進)消費税肯定派、改憲派(=自民党公明党、維新)が順調に議席を獲得。

 

野党はなんとか共闘を組んで健闘し、与党の圧倒的勝利は阻(はば)んだものの、伸び悩みの印象は免れがたい。

 

とくに立憲民主党

2012年の総選挙の時にも痛いほど思ったのだけど、

貴重な人たちを落選でツブさないでくれ!

 

今回、立憲民主党議席を伸ばしたというけれど、その裏で、これからが期待される市民派のいい人たちがずいぶん落選している。

 

これらの人たちがさらに力をつけて再チャレンジできる体制が立憲民主党にはあるだろうか?

 

せっかく、野党を支持してくれている人たちを使い捨てるようなことはしてほしくないものだ。

 

わたしは、これまでの日本の「野党」の悪いところは、自分たちの仲間、自分たちの支持者を大切にしないことだと思っている。

 

政治は「包容力」も大切だと思うのでね、自分たちの仲間や支持者がひどい目に合わないように、よろしくお願いしたい。

 

 

と、まあ、ずいぶんとひどい「鬱」(うつ)の人間が鬱々(うつうつ)と語っているわけだけど(笑)ハァ

( また、ため息。ため息は命を削るなんて言われるように、いいものではないのだけれど、出るときは出る(笑))

 

逆進(ぎゃくしん)消費税のムチャな増税と99%の国民の立場に立って作られた日本国憲法を1%派によって変えさせてしまうことを容認したかのような、今回の選挙。

 

日本て、こんな国だったっけ?

と、落胆(らくたん)しつつも、

今回、唯一「ほっ」とさせられたのが、「山本太郎」氏の「れいわ新選組」の躍進。

 

密閉された空間に小さな穴が開き、そこからかすかに風が吹いてきたような気分だった。

 

重度の身障者の代表が二人、はじめて国会議員として国会に乗り込む。

日本史上初。

世界的にも誇るべきものだ。

 

まさに

(国会に)参加することに意義がある

その「当事者」としての存在が、膠着(こうちゃく)した国会に風穴を開けるだろう。

 

ちょっぴり、日本国民としてのプライドが戻ってきたような気がする(笑)

 

とてつもなく、しんどい状況ではあるけれど、希望がすべて絶たれたわけではない。(と信じたい)

 

99%の政党である共産党社会民主党も、必死で頑張っている。

 

諸行無常の風はいかなる強大権力にも吹くだろう。(日本も世界も)

 

れいわ新選組によって、新たな展望が開かれつつある。

(と信じたい)

 

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7月18日。

またしても、とんでもない惨事が日本を襲った。

                    =京都アニメーション放火事件。

 

この件については、わたしも参加した「おっさんやじいさんが過激に語り合うブログ」で語り合っているので、よければ、そちらも見てください。

 

 

 

 

 

去年の今日、2018年7月6日といえば?

そう、地下鉄毒ガス事件などの一連のオウム真理教事件といわれるものの件で、麻原彰晃氏とオウム真理教の中心メンバー7人が処刑された日。

 

早いもので、

もう一周忌。

 

7人同日処刑のショックも生々しい、去年の7月8日のわたしの日記

 

hibi333zakkan.hatenadiary.jp

日付をクリックすると全文が読めます。

 

去年のその当時に比べると、わたしの感受性もかなり鈍(ニブ)った、と自分自身感じるのは、

 

どうやらトシのせいだけではなく、お医者さんからいただいて飲んでいるクスリのせいのよう?

 

痛み止めと筋肉の緊張を緩(ゆる)める薬が実によく効いて、おかげでクビの痛みはほとんどなくなったのだけど、

筋肉や神経の緊張がなくなったのに比例して、精神の緊張感も緩んでしまったようで?

ダラ~ン(笑)

じつにシアワセな気分。

 

いつもなら、部屋にゴミがいっぱい散らかっていると、

うわあ~、となって掃除するのだけれど、

今は、ごろんところんだまま、(たぶん)にこやかな表情で、

 

「あー、ゴミがいっぱいちらかっているなあ。あはは」

 

と何のストレスもなく、ゴミをながめているだけ。

掃除をする気はまったくおきない。

 

クスリの効力というのは、考えている以上にスゴいのかもしれない。

 

そういえば、麻原彰晃氏は刑務所でクスリ漬けにされていたとか。

 

あの宮崎勤氏にもそんな話があったよう。

 

どちらも、背後の闇が深い事件だった。

 

それにしても、事件の真相をもみ消すための処刑や、えん罪処刑はやめてもらいたいものだ。

 

この国が死刑を廃止できるレベルまで高められるのはいつのことだろう?

 

いま、激痛から解放され、薬のおかげで緊張感なくのんびりとした気分に浸(ひた)

っているわたし(ばか状態)だけど、

この国の現状、将来のことなどを考えたら、

絶望、絶望、絶望。

緊張感も切迫感もないのだけれど、やはり

絶望。

 

絶望というのがこの国のキーワード、本質なのかな?

 

今日の新聞朝刊を見ても、来る参院選

【自公で過半数を越える勢い】

なのだとか。

 

どこまで行っても 絶望。

 

消費税に象徴されるような「逆進性」の時代と言うのかな?

 

年金問題改憲も、

1%の利益、利得のために99%の人民が弱い部分から順々に、切り刻まれて行く時代。

 

今日の東京新聞の漫画は傑作、秀逸だった。

 

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できれば、赤ちゃんを背負った若いお母さんの隣に杖をついた老人も加えてほしいところ(笑)

 

そういえば、明日は七夕。

天気予報は?

雨(笑)  降水確率90%!(笑)

 

 

 

 

 

六月を

綺麗(きれい)な風の 吹くことよ     子規

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わたしの大好きな俳句のひとつ。

 

しかし、今のわたしは季節の風を楽しむどころではない。

 

ブログにも書いた通り、

これまで快適に使っていたパソコンが「オシャカ」になった。

パソコンが身代わりになってくれた?

 ことで、「危機」「不運」は回避されたかな?と思っていたら、

 

先週の土曜日の朝からクビが動かせなくなってしまった。

 

最初は、単なる寝違いかな?

と思っていたが、首を動かしたときの激痛が半端ではない。

これまで経験したこのない痛さ。

 

しかも、三日たってもひどくなる一方で、呼吸も深くできなくなってしまった、

ということで、

仕方なく整形外科のある病院へ。

 

だいたい、わたしは最近のお医者さんが苦手で、こういう、にっちもさっちもいかなくなってしまった時以外は病院に行かないのだが、

今回のお医者さんは、昔ふうの、わたしが若いころにお医者さんに抱いていたイメージに近いお医者さんで、しっかり対応してくれたので、助かった。

(どうやらわたしよりは4~5歳年長のよう。こういうお医者さんが頑張ってくれているのは助かる。)

 

レントゲンを撮って、薬を出してもらったが、その薬はよく効いた。

見立てが的確だということだろう。

 

昨日は紹介された検査病院でMRI検査。

こちらも、非常に親切で、撮られた画像を懇切丁寧に説明してくれた。

 

しかし、わたしの首の骨(頸椎)、けっこうイカレテ来ているなあ(笑)

レントゲンの段階で指摘されたとおり、頚骨の下の二つの骨が圧縮?されていて、出ているはずの神経が出ていない?

って?

 

わたしの聞き取りが正確かどうかはわからないが、もし、神経が2本?ほどやられていたのなら、

 

なるほど、

それが、わたしが時々、「無神経だ」といわれる原因だったのか?

なんて一瞬思ったりしたが、それはたぶん違うだろう。        (←おバカ)

 

ともあれ、しばらくそちらの病院に通わせてもらおうと思っている。

 

(どうやら生協系(医療生協?)の病院のよう。わたしのように「利潤第一」のものに不信感を抱くタイプの人間には、こちらのほうが合っているかもしれない。

これからも、「困った」ときは、「医療生協」系のお医者さんを捜すようにしよう。)

 

 

だいぶ気分もよくなったので、夜、TBSのnews23を見る。

(クビがひどく痛んでいる間は、テレビもラジオも「たまらな」かった。)

 

女性キャスターさん、頑張っているね。

 

でも、安倍首相の「報道」には気をつけたほうがいい。

 

安倍首相に関して、少しでもまともに取り上げようとすれば、たいへんなリスク、危険を冒すことになるからだ。

 

安倍首相自身が「大きな」人でないこともあるが、なにより「危険」なのは、その取り巻きだ。

 

わたしは、安倍政権の「構造」は大きな「暴力団」のようなもの、と考えている。

 

安倍首相を「親分」として担ぎ上げている「暴力団

 

もしその「親分」が批判されたり、悪口を言われているなんて思われたら、

「若いもの(子分)が黙っちゃいない」

という、“構造だ。

 

論理も倫理も道理もありゃしない。

 

それが今のニッポン。

 

なにより、彼と我の力(権力)の差は絶望的に大きい。

 

そしてもうひとつ、「野党」の問題。

昔、社会党が曲がりなりにも、自民党の二分の一の議席を持ち、しっかり自民党と対峙できていた時とは、時代が違う、ということだ。

 

いまの権力から理不尽な「ツブシ」を受けても、いまの野党は守れない、というか、「守らない」。

これは、小沢ー鳩山体制が崩れてからの旧民主党を見ていてもわかることだろう。

 

さすがに共産党はしっかりと(まともな)野党としての立場を堅持しているけど、いかんせん、かつての社会党と比べ、その数が少なすぎる。

そういう意味で頼りにならない。(ごめんなさい。)

 

・・・だからこそ、まともな報道番組が必要とされるのだけど、いまのニッポン、「まともであろう」とすれば「やられて」しまう。

 

ともあれ、「心」があり、「誠意」も感じられる、わたしのようなうるさいおじさんが見てもストレスの少ない貴重な番組となっているので、

「直球」もいいけど、「変化球」も多彩に投げ分けて、暴力団員、もとい、安倍政権周辺の人や政権に上げ足を取られないように、したたかに番組を継続させていってもらいたいものだ、と思っている。

 

あと、番組キャスターに過重な負担がかからないように、スタッフの人たちも工夫が必要になってくるんじゃないかな?

 

ともあれ、いまの日本の支配体制は、ひとつの暴力団による「完全支配」に近いもの、という認識が必要だろう。

 

見えているものより。隠れているもののほうが「危険」なのだ。

 

 

・・・いてて。

また首の痛みが出てきた。

薬を飲んで眠ろう・・・

 

それにしても、苦しい病床にあってあんな句のよめる正岡子規というのは、すごい、というか、やはり偉大だなァ・・・

 

(今日のNEWS23での石川真生さんの「写真」特集。

あれは、石川真生さんがどういう人か、その生きざまを知らなければ、よく理解できないんじゃないか、と思う。

まず伝えるべきは、がんとも闘いながら写真を撮り続ける石川真生さんのことではなかったか?

悲しいかな、いま石川真生さんのことを知る(沖縄以外の)人は1%くらいではないだろうか?)

 

 

 

 

 

 



 

「この頃、やたらと昔のことが思い出されて」

と、

長年お付き合いをいただいている知人女性に話すと、

 

「そろそろ死ぬんじゃない?」

 

「げ」

 

その女性、カンが鋭くて、言うことがよくあたるんだよなあ・・・(コワイ)

 

でも、わたしがいま「確実に死ぬ」?ような病気を抱えているわけでもなく、彼女も冗談で言っているようだったので、

 

「いや、たしかに目や耳はダメになってきているようだけど、ガンとかそういう病気はないみたいだよ。

わたしは死ぬより前にアタマがダメになるんじゃないかと思うんだ。」

 

というと、

 

「あ、なるほど・・・」

 

「・・・・・・」

 

 

という話は、閑話休題(さておいて)(^^;)

 

どうも

「昔の思い出」が次々と蘇(よみがえ)ってきて止まらない。

 

・・・・・・・ 

わたしは、大学に5年間行ったのだが、(つまり1留)

その前年に学費値上げ問題があり、サークルや自治会などの仲間と、学費値上げ阻止闘争をかなり激しくやってなんとか成功(阻止)し、

5年生(?)の時は、少数の後輩を残して、そういった活動からも「引退」していた。

 

大学には週に1日だけ行けばよかったので、思う存分アルバイトができた。

 

このときはアルバイト先の勤務条件(収入)にも人間関係にも恵まれ、リッチ~♪というか、一生のうちで最も幸福だったんじゃないか?という生活を送らせてもらったのだが、

 

遊んでばかりでも気が引けるので、

シナリオライター養成」の通信講座を受けることにした。

 

たしか半年くらいの期間だったと記憶しているのだが、教程?の最後に、「自分が映画にしたいと思っているストーリーを書け」というのがあって、

それなりにアタマをひねって、原稿用紙20枚くらいのものを書いて提出した。

 

他の人に自分が書いたそういうものを読んでもらうのは初めてだったので、

「どんなかなー」

と思っていると、

 

しばらくして、講師の映画評論家の人から、市販のものではない?升目が大きめの原稿用紙に書かれた講評が送られてきた。

 

原稿用紙何枚だったかは忘れたが、かなり長く詳細かつ丁寧なもので、

 

内容は、

「批判」的なことはまったく書かれていなくて、「肯定」というか、かなり高く評価してくれていて、わたしが「意外」と感じるくらいのものだった。

 

ただ、「映画化」は難しい、とのことで、その理由は

アメリカの映画にこれとそっくりのストーリーのものがある」

とのことだった。

 

そのアメリカ映画は「アメリカの悲劇」というものだったのだが、わたしはその映画を見たことがない、というか存在自体を知らなかったので、

「ふーん」

という程度で受け取った。

 

「悲劇か・・・たしかに暗い内容だったものナ」

 

と、ほめて?はもらったものの、自分が書いた内容に少し気恥ずかしいものを感じた。

暗い想念、というか、あまりにも暗い「妄想」に引きずられていた、と思ったのだ。

 

「映画はやはり他者を楽しませるものでなくてはなァ。

よく考えたら、こんな暗い内容の映画、わたしも見に行かないな。

やっぱり才能無いワ。」

 

 ということで、わたしの「創作」指向はそれで終わり、

大学卒業後は、そんなものとは無縁なサラリーマン、社会人生活に突入することになる。

(サラリーマンになった当初の「人生オワタ」感はけっこうなものだったなあ・・・)

 

 ところで、

アメリカの悲劇」という映画はyoutubeでもUPされてなくて、いまだに見ることができないでいるのだが、※

 

その映画評論家さんが「講評」のなかで、

アメリカと日本でこれほど似た内容のものが出てくるとは」

と、「驚いた」ように書いていたことも思い出した。

 

 

これで、ふと頭に浮かんだのが、

このあいだ起きた、名門私立小学校(カリタス学園)児童保護者殺傷事件

と、

米国バージニア州で起きた銃乱射事件(12人死亡)。

 

日本の事件は、犯人が行けなかった?名門小学校が狙われ、

(犯人は公立小学校で嫌われ、いじめられていたらしい)

 

米国の銃乱射では、犯人をクビにした市役所がターゲットになった(犠牲者のうち11人が市役所職員)。

 

このアメリカの事件と日本の事件を関連づけて考える人はあまりなかったようだが、

 

ネットの書き込みに

アメリカは銃、日本は包丁」

というのがあって、

これが、今回のふたつの事件に関する書き込みで、最もわたしの心を捕らえた。

 

今回の日本の事件もアメリカの事件も、その底流に流れるものは同じではないか?

 

アメリカで銃の乱射事件が起きるたびに、日本のマスメディアは「銃」の所持が認められていることが悪い、との論調一辺倒で、「銃」さえ持てなくさせれば、それで「アメリカの悲劇」はなくなる、と言わんばかりなのだが、

はたして、それで大量殺人事件、無差別殺傷事件はなくなるのか?

 

それはあまりにも支配者の側の「都合」に沿った見方ではないだろうか?

 

と感じるのだ。

 

じっさい、銃規制が世界で最も厳しいこの国でも、大量殺人事件、無差別殺傷事件は起きている。

 

そういった事件が起きる要素は、日本とアメリカの社会に常に内在しているように、わたしには思われるのだが。

 

アメリカと日本に共通しているものがあって、それが「悲劇」を生んでいるのではないか?

 

といっても、マスメディアがそんな「本質的」なことに触れることはないわけで、

そのあたりにも、日本とアメリカの「絶望」の深さがある。

 

このまま行けば、日本とアメリカ、

両国の国自体が「強制収容所」体制になるしかないように思えるのだが・・・

 

・・・と、これはちょっと話が飛躍し過ぎてしまった。

 

ネットでの反応を見ると、日本とアメリカの違いはあって、

日本では「ひとりで死ね」という書き込みが多く、マスコミのアンケートでは、過半数の人がその意見に賛成しているのだとか。

 

日本人の想像力の欠如、ここに至れり、と言うべきかな?

 

アメリカではさすがに銃乱射犯人に対してそんなことを言う人は極少数派だろう。

 

(日本人には事の深刻さがまだ十分に認識されていない、ということなのかもしれない)

 

ともあれ今は、

わたしが自分でも「?」と思うほど暗い内容のストーリーを書いてしまったのにもそれなりの「理由」「原因」があったんだよなァ、

と、少しは自分を肯定する気持ちになっている。

 

アメリカの悲劇」を追いかける「日本の悲劇」?

 

しかし、日本ではそのアメリカの悲劇は理解されていないようだ。(「日本の悲劇」も)。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※それでもDVDは発売されていたようで、それを見た人の感想と評価をネットで見ることができたが、

いずれも、

「最悪の映画」「ほとんど理解できない」

ということだった。(^^;)

 

まあ、古い映画だから意識のズレもあるのだと思う。

(当時(1931年!?)のアメリカではある程度の反響があったようだけど)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日で5月も終わり。

梅雨入り前のこの時期の曇り空を「卯の花曇り」というらしい。

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(・・・ というところまで昨日は打ち込んで、眠くなってそのまま眠ってしまったので(-~-)、今日はその続き・・・)

 

入梅(つゆ)入り前のこの時期の曇り空を「卯の花曇り」というらしい。

 

卯の花(ウツギの花)は日本の初夏を代表する花とされていたようで、それを詠んだ俳句や短歌も多い。

 

しかし、近年は色鮮やかな花々が増えていて、花が地味なウツギは存在感が薄れ、街や公園でもあまり見なくなった。

 

だいたい、最近の日本人は、「卯の花」がどんな花なのかも知らない、という人が多いんじゃないだろうか?

 

f:id:hibi333zakkan:20190601133812j:plain ← こんな花。(画像は他のサイトからの借り物です)

 

現代人が卯の花と聞いて、真っ先にアタマに浮べるのは童謡「夏は来(き)ぬ」だろう。

 

卯の花の 匂う垣根に   時鳥(ほととぎす) 早も来鳴きて

 

忍音(しのびね)もらす   夏は来ぬ♪

             (作詞 佐佐木信綱

 

とまあ、わたしも5月が来ると、必ず思い出す歌なのだが、こうして歌詩を書いてみると、わからないものが出てくる。

 

「忍(び)音」?シノビネ?   ナニそれ?

 

ネットで調べると、

「その年はじめて聞くホトトギスの鳴き声」。

 

 もともとは、「ひそひそ声」「小声」のことなのだとか。

 

うーん。ホトトギスの声ってこんなんらしいけど

[http://:title]

この国では、「トッキョキョカキョク(特許許可局)」とか「テッペンカケタカ」と聞こえる、なんていわれている鳴き声で、

「忍び音」と表現されるような優雅なものであるかどうか?

 

ホトトギスカッコウの仲間で、鶯(ウグイス)に託卵(たくらん)する、ちょっと(ウグイスにとってはとんでもない)悪い奴でもあるし。

 

ま、どう感じるかは、あなたしだい(笑)。

 

ちなみに、作詞の佐佐木信綱さんは明治5年生まれ、戦前の帝国ニッポンの短歌と古典の「権威」で「正三位文学博士」「文化勲章受章者」という人。

 

作曲の小山作之助さんは文久3年(江戸時代)生まれで昭和2年に亡くなっている。

この歌のほかにも「敵は幾万」など、多くの軍歌を作曲し、作曲者不明と言われる童謡のいくつかも作曲したのではないか?と考えられているそう。

 

で、この「夏はきぬ」が作られたのは明治29年。

 

前年明治28年に日清戦争終結し、「次の」日露戦争(明治37年~明治38年)に向けて「軍国主義」が高揚していった時代だ。

 

そういう時代を「いい時代」ととらえるか、「悪い時代」ととらえるかも

「あなたしだい」だが、

(まあ、そう単純じゃないと思うんだけどね(笑))

 

こういう歌を聞くと

「いい時代だった」

と思う人も多いのではないだろうか?

 

たしかに、この歌は「美しいニッポン」を思わせ、かなりいい気持ちになる。

 

しかし、当時の日本のリアルな現実は、そんなにのんびりしみじみしたものではなかっただろう。

 

この頃の日本は富国強兵のスローガンの下に軍備が増強され産業が発展していく反面、財閥に富が集中し、貧富の差が絶望的に拡大、多くの民衆は悲惨な生活を強いられていた。

自殺者の割合は間違いなく世界のトップだっただろう。

徴兵制もあった。

 

この「夏は来ぬ」の歌詩も、

リアルな現実を歌ったものというより、豊かな古典と短歌の教養をもとに作られた観念的なもの、とわたしには思われる。(それだけに完成度が高い?)

 

ホトトギス卯の花も昔からよく歌に詠われる題材だ。

 

ホトトギスは40近くの漢字が当てられていることでも有名。日本では不如帰、子規あたりがよく知られている?。

 

ホトトギスでは江戸時代中期の俳人、山口素堂の

“目には青葉 山ほととぎす 初鰹(はつがつお)”

も、よく知られているが、

痛風で)もうカツオを食べることのできないわたしには毒な句となっている(笑)

 

食べたいけど、絶対に食べないぞー!(悲))

 

あと、この明治29年には東日本大震災の前例となる「明治三陸津波」も起きていて2万人を越える犠牲者が出ている。

 

この「前例」を「前例」とできずに、東日本大震災では死者1万5897人、不明者2533人の犠牲者を出している。こちらも約2万人だ。

 

いったいこの国の政府、支配層は何をしていたのだ、と思う。

 

そしてさらに、改憲軍国主義の復活?再び海外派兵?

 

貧富の差もやはり絶望的なレベルまで拡大していて、社会保障、福祉、年金も大幅後退。消滅もささやかれる。

 

そんな「改憲」を推し進める支配層が美化しているのが明治時代。

 

たしかに明治時代に作られた「童謡」は美しい、というか、われわれ日本語を母国語としている者の胸に染入る。

われわれの精神のある部分を作り上げているといっていいかもしれない。

 

しかし、民衆が貧困、生活苦、戦争苦(戦死、傷害)、災害にあえいでいたリアルな明治時代と、童謡を通じて幻想する美しい明治時代はしっかりと区別をつけておく必要があるだろう。

 

日本人は(支配層によって与えられた)妄想に支配されやすい民族だと思うので、とくにこの点は気をつけていたいものだと思う。

 

でも、音楽は音楽として十分に楽しもう。童謡に罪はないのだから。

危ないのはそれを利用して妄想に引き込もうとする人たち。\(^^)/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なるほど。

渡り鳥であるホトトギスの第一声として自分に聞こえる鳴き声のことね・・・

 

といちおう納得はしたものの、

ナンデそれを「忍び音」というのかはちょっとわからない。

 

 

 

 

 

 

 





 

おとといは日暮里の知人宅を訪ねたあと

立ち食いの「六文そば」へ

f:id:hibi333zakkan:20190530011753j:plain わたしは日暮里に来たときは必ずといっていいほど、この店に立ち寄る。

 

お目当ては、これ

f:id:hibi333zakkan:20190530012111j:plain 「五目かき揚げそば」300円。

‘脅威’の「安さ」といっていいだろう。

 

しかも、

これほど安いと、味のほうは犠牲にされて、「マズイ」というのが相場だが、

 

天ぷらは桜海老イカ、野菜などがしっかり入り、スープ(おつゆ)ともマッチしていて、ちょっとクセになるほどのものなのだ。

 

消費税8%、政府による物価値上げ路線下でこの値段と内容を維持しているのは、

 

「庶民栄誉賞」? ものではないだろうか?

 

消費者密着の中小、個人商店さんはほんとうにがんばっている。

 

それでも、消費税が10%に上げられれば、もうこの値段は維持できないだろう。

 

わたしは、この「五目かき揚げそば」を守るためだけでも、消費税増税反対のデモに参加する意味があると思っている(笑)。

 

庶民のために必死の努力で利便をはかってくれている商店(あるいは企業)を助ける、守るためにも、消費税は「廃止」すべき。

 

山本太郎さん、共産党さん、社民党さん、頑張って~~~。

 

ということで(笑)。

わたしも護憲と消費税廃止のために、頭数(あたまかず)の一人となって(できる範囲で)がんばる。

 

 

 

今日はやむを得ない?用事で渋谷に。

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じつは、わたしは渋谷が苦手。

 

東京に来た最初からそう。

 

駅も苦手だし、街も。

歩いているだけでヒドく疲れる。

 

理由はわからない。

 

渋谷といえばNHKがあるから、街(まち)じたいが排他的かつ「ウソつき」に見えるからかな?

(さすがにこれは(半分?)ウソ(笑)

しかし、東京きってのハイソな繁華街といいながら、植え込みや歩道はかなり荒れたりしているんだよなあ。

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こういうのは街の人々の(やや荒れた)心を反映しているんじゃないだろうか?

左端、目立つところはキレイにしているけど、少し坂を下るとねえ・・・。

右端、まだ「秋」(の紅葉の季節)ではないと思うんだけど。)

(予断と偏見、ゴメンナサイ) ← あらかじめ謝っておこう(^^;)




朝からの体調の悪さもあって、帰ったらくたくた。

 

ちょっと横になって休んだあと、

野菜ジュースと丸美屋の「とり釜めし」で夕食。

(五目釜飯がほしかったのだが、お店になかった)

食後にホットミルクとバナナ一本。

 

1日1本と決めているタバコをふかしながら、昨日起こった川崎の通り魔事件の情報をネットで検索。

 

うーん。

 

あの大教大(国立)付属池田小学校の事件と今回の名門私立小学校児童&保護者殺傷事件の類似性は多くの人が指摘していて、

わたしも、それは同感なのだが、

 

もうひとつ、相模原の障害者大量虐殺事件も、内容は180°正反対に見えるものの、「根っこ」は同じなんじゃないだろうか?・・・

 

ともあれ、この何十年間かの間、政府がろくなことをやってこなかったツケが出てきているのだろうと思う。

 

富の一極集中、格差の拡大。

 

そして、追いつめられていく、貧者、弱者、

 

さらには、(差別・選別、排除の論理の)日本政府・企業・社会から「排除」され、とことん追いつめられて行く人々。

(悪質な棄民(きみん)路線・・・)

 

団結(結託=けったく)している1%派の権力者、利権屋。

バラバラにされ、富を奪われ、互いに助け合うこともままならない99%の民衆。

 

・・・いやあ、

ほんとうに今日は疲れた。

これ以上は考えられない。(眠気)

 

アタマをからっぽにして、とりあえず、とにかく、眠ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5月だというのに気温30°越え。

ついこのあいだまで「寒(さむ)~」なんて言っていたのに。

 

今年の春、「いい気候」を実感できたのは実質1ヶ月くらいかな?

 

春夏秋冬。四季ということにいちおうなっているわけだから、3ヶ月(=1年の4分の1)とは言わないまでも、2ヶ月くらいは「春」のいい気候でいてもらいたいもの。

 

昔はそうだったと思うんだけどねー?

 

春と秋が短くなって、夏の暑さと冬の寒さが長く厳しくなる。

これは、近年の人間社会に自然が「反応」しているのかも?

 

なんちゃって(笑)

 

でも、案外、そういうこともありそうな気がする今日この頃の気候と人間(日本)社会。

f:id:hibi333zakkan:20190525022938j:plainやっとアジサイの花が開きかけたばかりだというのに、エアコンを「除湿」or「冷房」にしてうちわを使っているという・・・。

 

それにしても、年を重ねるにつれ暑がりになってきたなァ。

 

子どもの頃は夏がいちばん好きな季節だったんだけど。(夏休みがあったからかも(笑))

 

暑くなる直前、数日前に、5月の「街角の花」を見ておこうと、文京区まで「遠足」?をしていたのはよかった。

もう出歩く気はしないものねえ。

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左の2つの画像は、やや暑さを感じさせるタチアオイ。右の3つの画像は「卯の花」(うのはな)?。中側のふたつの花はたぶん(ウツギ=卯の花)、いちばん右側の画像は間違いなく「卯の花」(うのはな)(笑)(※①)

 

仕事やゼニカネのことを忘れてのんびり歩くと、東京もけっこう「見るところ」があって楽しい。

普段は人間性を喪失しているように見える東京の人々も、心の奥底には花を愛する気持ちがあるんだなあ、

と思えるほど?(笑)5月の東京の街角にはいろんな種類の花が溢(あふ)れている。

 

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花屋さんの店先も賑(にぎ)やか

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今は「ヒアルロン酸」くらいでしか注目されないニワトリの鶏冠(とさか)から花名をとった鶏頭(ケイトウ)も、最近では小さく可愛いものに変わってきているよう。

 

空き地の草花(雑草?)も東京で生きようと必死で?頑張っている。

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右端なんて、まるで誰かが意図的に植えたかのように三種類の雑草が整然と並んでいる。

 

 

f:id:hibi333zakkan:20190525023009j:plain 花ではないけど、途中にあった美しい庭の禅寺。人影は無し。江戸時代そのままのような風情・・・

 

f:id:hibi333zakkan:20190526012137j:plain いいなあ・・・

 

この日が今年最後の春、あるいは「初夏」だったのかな?

今年は初夏がなくて、いきなり「夏」という感じだものナァ。

 

菊坂あたりへ

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蔦(つた)のからまる銭湯(この日はお休み)と、うれしくなってしまう建物の柱(笑)。

がんばりましょう\(^0^)/

 

菊坂では樋口一葉ゆかりの井戸を見たいと思っていたのだけど、見つけられず。残念。

後で調べると、路地の奥にあって、案内板も表示もない、とのこと。

 

樋口一葉が死んだ年に発表された「たけくらべ」は、伊勢物語の筒井筒(つついずつ=丸く囲った井戸)から着想を得ているそうなのだけど、

 

平安時代初期に書かれた伊勢物語では井筒で背比べをしていた幼馴染(おさななじみ)が成長して、やがて一緒になる(結婚する)という、いわば初恋が実る話になっているのが、

 

樋口一葉が書いた「たけくらべ」では、女の子が「遊女」になることを運命づけられていた、という、悲恋物語になる。

 

平安時代よりも明治時代のほうが人間にとって残酷な社会になっている、ということなんだろうなあ、

と、考えさせられてしまう。

 

伊勢物語は高校の「古典」教科書の定番で、わたしも学んだことがあるのだが、その内容はほとんど覚えてなく、ただ「文法」やらなにやら、テスト用のものとしての枝葉末節のことばかりが授業でやられていたように記憶している。

伊勢物語に限らず、古典はすべてそんな感じ。

 

まあ、日本の「古典」を「内容」中心のものにすれば、やたら「惚れたはれた?」の男女関係のものばかりなので、

 

内容に深く立ち入ることを避けて、そうなるのかもしれないが?(笑)

 

伊勢物語も、プレイボーイ(在原業平)の一代記のようなもんだし。

(筒井筒の段は在原業平は関係ない)

 

 

・・・・・最近、なんだか初恋にこだわっているなあ(笑)

 

これまで、過去は振り返らずのハードボイルド人生を送ってきたわたしなんだけど、トシをとると、やはり人並みに人生を振り返るようになってくる。

 

それではじめて、わたしはわたしの人生における初恋の影響の大きさに気づいた、というわけ。

 

単なる淡い思い出と思っていたものが・・・

 

そう、振り返ってみると、高校時代、大学時代を通じて、わたしはどんな女性にもほんとうの恋愛感情を抱くことができなかったようなのだ。

 

けっこう素晴らしい女性が回りにいたし、女性の「友人」や可愛がっていた後輩もいたし、(軽い?)おつき合いをした女性もいた。

 

しかし、どんな女性を見ても、初恋の彼女「以下」と思っていたようなのだ。

 

だから、どんな女性もでもわたしの心にぽっかり開いた穴を埋めることはできず、

お付き合いも深まることは無かった。

たぶん、わたしは周囲の女性たちからは、ずいぶんヘンな男と見られていただろうと思う。

 

わたしはなんともいえない「空しさ」に捕われていた。

(しかし、当時のわたしにはその原因がまったくわからなかった!)

 

わたしが一時過激な学生運動に走った(※②)のには、いろいろな動機があるのだけれど、まったく気がつかない潜在的かつ最大のものがそれだった!

 

と、やっとこのトシになって理解できた次第。

 

そして、この「後遺症」は30歳を過ぎるころまで続いていたようなのだ。

 

うーん、人生を振り返るというのはやはり大事なことなんだなあ

 

すべてのことに「原因」があり、その「結果」があるのだ、ということがよくわかってくる。

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(複雑にからみあっているけれど・・・)

 

 

目的地の文京区立真砂図書館に到着。

f:id:hibi333zakkan:20190526024716j:plain ありゃー・・・・・・

以前来たときには、何本かの古い木があって、緑に囲まれていた公園が・・・

 

暑い日に日陰を提供してわたしを癒(いや)してくれたあの木は切られてしまった?

 

もしそうなら・・・

 

文京区いや東京、いや、日本社会は人間にも植物にもキビシイのだなあ、と改めてしみじみ・・・

 

 

図書館で本を読み、外に出ると日が暮れかかっていた。

図書館のある台地?から見る夕暮れの景色はちょっと絵画のよう。

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初夏の終わり?

 

 

 

 

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※①

わたしら、それをふつうに「卯の花」と言っているんですけど、正確には「卯の花あえ」とのこと。

卯の花」はこちら↓

 

         f:id:hibi333zakkan:20190527033442j:plain 調理前の「おから」。

その「白さ」がウツギの花=卯の花を思わせたので、「卯の花」と言われるようになったようです。

 

 なるほど。。

 

 ※②

hibi333zakkan.hatenadiary.jp