日本の8月15日(敗戦日)を狙ったかのような台風。

東京では前日14日に断続的豪雨。(降雨時間は短かった)

 

15日も雨と晴天が交互するおかしな天気で、一日中風が強く吹いたのだけど、

 

それにしても、おかしな空だった。

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上の青空に浮かぶ白い雲が北から南へ、下の黒い雲は南から北へと逆方向に流れていた。

(白い雲はゆっくりと。黒い雲(雨雲?)はかなりの速さで。)

 

気象のことはよくわからないのだけど、こんな景色は今まで見たことがないので、かなり珍しい現象なんじゃないだろうか?

 

と思ってネットで検索したら、こういうことはは台風の近辺ではよくあるらしい。

 

台風の風は高空までは影響が及ばないから、

ということのようなんだけど、

 

うーん、

あの白い雲、そんなに上空のようには見えなかったんだけどなあ・・・

 

ひょっとして、

 

この台風、

 

改憲をもくろむ陰謀屋・戦争屋さんたちが、

 

敗戦記念日に日本国民が平和と民主主義への思いを新たにすることがないように、と「仕立て」た「気象ヘーキ?」なのではないだろうか?・・・

 

なんて、想像しちゃっている。(^^;)

 

 

まァ、戦後、おそらくは国民大衆が最も無力さを思い知らされているこの時代、

 

あれこれ考えてしまうのも仕方ないことだろう。(笑)

 

 

 

ところで、前回ふれたあの“ダイ・ハード”なカブトムシのメスちゃん。

 

玄関に入れて、リンゴをやったら、かなり食べて少し元気になり、ゆっくりとだけど、動き回れるようになってきた。

 

一日は玄関から出ようとしなかったのだけど、その次の日の夕方、わたしがカブトムシ用の昆虫ゼリーと木株のエサ皿を買ってくるといなくなっていた、

 

いくら探しても見えなかったので、

少し開けていたドアから出たんだなと思って、

(少し心配ではあったけど、)

自然にもどったんだァ、 とそれなりに納得していた。

 

すると、次の日、

わたしがゴミを出そうと朝の6時過ぎにエレベーターに乗ると、

 

エレベーターの床にあおむけに転がって、もがいているカブトムシのメスが・・・

 

()・・・・・・・

 

ということで、またわたしの部屋の玄関へ

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             なぜか、反省?のポーズ(笑)

   

そのあと、迷わずリンゴにかぶりつく・・

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ということで、けっきょく・・

     f:id:hibi333zakkan:20190818185533j:plain 飼うことになってしまった・・・

 

これまで昆虫にはほとんど興味がなく、虫かごや捕虫網も買ったことのないわたしが。。

 

いやあ、世の中、なにがどうなるやら・・・

 

 

 

人生も、動物生?も、昆虫生?も先のことなんてワカラナイ、ということが、

 

よくわかりますなァ。(笑)

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

あと、どうも、このカブトムシちゃん、カラスに追い掛け回されていたようで、非常におびえている様子がありました。

 

ヘンな話、わたしが机に座っていると、ドアの外側から

「オレの獲物(餌?」を取ったね~~~」

というようなカラスの「怨念」?のようなもの(笑)を感じました。(←皆様は暑さで脳がやられないよう、くれぐれも用心してください(笑))

 

そして、今日、ドアを開けると、ドアの真ん前にカラスのフンが一個・・・

 

カラスはしつこいからなあ・・・

(エサへの執念は相当なものです。)

 

それで、魚肉ソーセージを半分に切ってやって、

「ほら、これがカブトムシの代わりだよ」

と、ドアの外に置いてやりました。

 

すると、しばらくして、ドアのすぐ外でカラスが二声鳴き、

ドアを開けると、ソーセージがなくなっていました。

 

わたしとしては、

「もうこれで来るなよ」

 

なんですけど、

 

カラスは

「またくるよ」

でしょうねえ。(笑)

 

でも、もう絶対にやんないからな!(笑)

 

           

 

                    ・・・暑いですねえ、(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

チョウチョにしろ、セミにしろ、ゴキブリにしろ、

「自然死」した昆虫はなぜみんな仰向けになっているのだろう?

(クモは昆虫ではないけれど、やはり「あおむけ「」で死んでいるものが多い。)

 

そういえば人間も死ぬときはだいたい「あおむけ」だよなァ・・・

 

などと考えたのは、おとといの朝、出かけようとするとき、わたしの部屋の玄関、ドアの内側でカブトムシ(メス)があおむけになって死んでいるのを発見したとき。

 

 

その前の日、ドアを半開きにしたまま寝たため、夜の間に?入り込んだようだ。

 

「なにも、こんなところを死に場所に選ばなくても・・・」

 

と思いつつ、ゴミ箱に捨てようと思ってつまみあげると、

 

足がかすかに動く。

 

「え?まだ生きているの?」

 

ちょっと驚いたが、ご臨終間近なのは確かなので、部屋の外の通路にある排水溝に移して、さっと水を流してやった。

 

すると、なんだか水を飲んでいるような様子。

 

「末期(まつご)の水だね」

 

そう声をかけて、そのまま出かけた。

(排水溝の少し先にはあおむけになったセミも。

f:id:hibi333zakkan:20190814110226j:plain こちらは完全にご臨終。夏は旺盛な生と死の季節なんですねえ。)

 

 

夕方、帰ると、カブトムシは朝移した、その場所で足を広げて死んでいた、

 

と思って、やはりゴミ箱に捨てようと思ってつまむと、

 

また少しもぞもぞと足を動かす。

 

「えー???」

 

今度も少し驚いた。

 

でもまあ、時間の問題だろう、と思ってそのままにしておいて、夕食を食べた後、部屋の外に出て、

 

「死んだかなー?」

 

と、背中をつつくと、少しカラダを持ち上げて反応する。

 

「しぶといなァ・・・」

 

気になるので、スイカの皮を置いてやる。

 

「まだ食べることができるなら食べなよ」

 

ま、明日になったら死んでいるだろう・・・

 

で、次の日の朝(昨日)、見ると、スイカの皮が置いたところからわずかだけど、移動している。

 

しかも、スイカを食べているような・・・

f:id:hibi333zakkan:20190814105204j:plain いや~、なんなんだ?このカブト虫ちゃん。

 

けっきょく、昨日も一日生きのびて・・・

 

今日は朝から台風の影響で、はげしく雨が降ったりやんだりの繰り返し。

 

出てみると、排水溝には水が流れていて、カブト虫はそのまま水につかっていた。

 

「あーあ、老衰(ろうすい)死のはずが溺死(できし)か」

 

そう思ってつまみあげると、

 

「・・・・・・・」

 

もぞもぞ。

 

「なんだよ~~~!!!????」

 

仕方なくカラのジュースパックで臨時のシェルターを作ってやって、ドアの内側へ。

 

f:id:hibi333zakkan:20190814111543j:plain バナナにむしゃぶりついている・・・

 

ということで、今現在、まだ生きている。(笑)

 

 

 

うーん、どこまでも生きられる限り生きようとする生き物の姿は、すごいというか、尊(とうと)ささえ感じてしまうなァ。

 

それにひきかえ、この国の一部の者たちは、「生産性のない人間は生きていても仕方がない」と言ったり、障がい者(生きている人間)を殺したりとか、

 

どういう存在なんですかねえ、そういう人たちは・・・

 

 

 

7月も終盤になって、やっと夏空。

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白い雲。

空の青も木や草の緑も濃い。

 

心に沁みる色彩。

 

 

しかし ・・・・・・ 暑い! 暑すぎる。気温急上昇!(笑)

 

 

子どものころ夏は暑ければ暑いほど、太陽が照りつければ照りつけるほど、うれしかったものだが、

いまは、日本の夏の気温が、せめて3℃~4℃下がってくれないかと願うのみ。

 

トシ食うと夏はキツイ(笑)

 

 

で、熱帯夜。

横になっても深夜まで眠れず、悶々とのたうちまわっていると、なんだかこの国が地獄と隣り合わせであるような気がしてくる。

f:id:hibi333zakkan:20180808174558j:plain 実際、そうなのかもしれない。(笑)

 

それにしても、地獄絵図というのは東洋も西洋も似ている。(前にも書いたけど。)

 

昔の人はこういった地獄を思って自らの行いを改めようという気持ちを持っていたのだろうけど、

現代人で地獄の存在を信じている人はあまりいないようだ。

 

わたしは、どちらかと言えば、信じているほう。(笑)

というか、

地獄はあってほしい、と思っている。

 

ただ、その場合の地獄は、自分に都合のいい地獄なのだが。(笑)

 

地獄に落ちる基準は世間一般のそれではなく、自分が思っている、考えている基準。(^皿^;)

「クッソー、あんな奴は地獄に落ちろ~」

という感覚を観念化したもの、のような。(笑)

 

まァ、人間なんてそんなもんです。

 

 

それでも、

2012年9月11日(!?)に学研パブリッシングから出た某書(藤巻一保・岡田明憲共著)

の中で紹介されているゾロアスター教の「あの世観」は、かなりわたしの「地獄支持」の考え方に近い。

 

というか、これはゾロアスター教徒だけではなく、地獄の存在を信じる多くの人が共有している気持ち、心情ではないだろうか?

     

  冒頭部抜粋  ↓

 

 『ゾロアスター教徒は、肉体は滅びても、霊魂は不滅であると信じていた。

 そして、死後の審判があり、生前の善・悪業に応じて、天国や地獄の運命が割り当てられると考えた。

 

 もし、あの世に天国や地獄がないなら、彼らの最も重んじた正義が失われることになるからである。

 

 この世では悪が栄え、善が滅ぶのは日常茶飯事(にちじょうさはんじ)だ。

 

善人が苦しみ悪人が楽しむこの世がすべてなら、どこに正義があるのか。

 

しかし、神は正義とともにある。

そう彼らの教祖はいった。

なぜなら、この世がすべてではないからだ。

あの世があって、そこでこの世の不公平は清算(せいさん)されるのだ。

 

それでも、実際にあの世を見たり、聞いたりした人間はほとんどいない。

 

そのため、「天国や地獄など存在しないのだ」と主張する人々が増え、政治的無秩序(せいじてきむちつじょ)と道徳的退廃(どうとくてきたいはい)が蔓延(まんえん)することになる。

 

これは、現代の日本だけではなく、古代のイランでも同じ状況だった。・・・  』

 

 

天国はそれぞれの宗教ごとにかなり差異があるけれど、地獄はどこも似通っているのは、この世のそういった構造に理由があるのだろう。

 

仏教、キリスト教イスラム教・・・

昔から続いている宗教のほとんどは「あの世」の存在を説いていて、地獄も天国もある。

 

 

ただ、大昔からある有名な宗教の中にも

「あの世なんてあるわけないだろ。人間は死ねばそれまで。あとは何~んにもない。土に還るだけ~」

なんて、身もふたもないことを言っている宗教があるらしく、

 

それが「ユダヤ教」なのだという。

 

???

それが本当なのかどうか?

異教徒たるわたしにはわからない。

 

だいたい、ユダヤ教の教義の全体像も見えない、ワカラナイ。(ほとんどの日本人がそうなんじゃないだろうか?)

 

もし、ほんとうに「ユダヤ教」に「あの世」がないのなら、近・現代社会の「科学教」ともいうべき科学万能主義、宗教否定?のマルクス主義(資本主義も?)とも、どこか底流でつながっているんじゃないかな?

 

なんて、想像してしまう。

 

キリスト教に改宗したユダヤ人の家に生まれたマルクスが宗教を否定しつつ、キリスト教の理想を説いている?

ように思えるのはわたしの知識の浅さのためかな?

19世紀科学の進歩主義に基づいた、「あの世」なきキリスト教の理想世界。

 

           違うか(^^;)

 

ともあれ、資本主義は克服されるべし!   ですよね、マルクスさん(笑))

 

 

うーん、「地獄」や「あの世」を考えると、どうしても「宗教」がからんで、ややこしくなってくるなァ。

 

でも、やはり、「地獄」はあってほしい。 少なくとも、多くの人に信じてほしい。

と思う。

 

この世界、この社会が少しでも良くなるために。

 

 

「地獄さ~~~~ん。頑張って~~~~~~~~」(笑) ←暑さでちょっと脳みそが・・・(笑)ゴメンナサイ。

 

 

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日本でも多くの名監督が「地獄」を描こうとしているんだけど、いまひとつ決定的なものがない、という感じなんですよねえ。

 

こちらは1960年の新東宝作品。

youtu.be

「地獄」はタイヘンなテーマです。

いま話題の映画「新聞記者」の後はぜひ「地獄」を(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長引く梅雨。

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空も曇りなら心も曇り、っと。      ・・・ ハァ

 

昨日は参院選の投開票日。

 

で、結果は相変わらず。

2012年以降の恒例となった、わたしを「鬱」(うつ)にするもの。

 

今回はとくに。逆進税である消費税を10%にすることと、改憲がテーマであっただけになおさら。

 

(逆進)消費税肯定派、改憲派(=自民党公明党、維新)が順調に議席を獲得。

 

野党はなんとか共闘を組んで健闘し、与党の圧倒的勝利は阻(はば)んだものの、伸び悩みの印象は免れがたい。

 

とくに立憲民主党

2012年の総選挙の時にも痛いほど思ったのだけど、

貴重な人たちを落選でツブさないでくれ!

 

今回、立憲民主党議席を伸ばしたというけれど、その裏で、これからが期待される市民派のいい人たちがずいぶん落選している。

 

これらの人たちがさらに力をつけて再チャレンジできる体制が立憲民主党にはあるだろうか?

 

せっかく、野党を支持してくれている人たちを使い捨てるようなことはしてほしくないものだ。

 

わたしは、これまでの日本の「野党」の悪いところは、自分たちの仲間、自分たちの支持者を大切にしないことだと思っている。

 

政治は「包容力」も大切だと思うのでね、自分たちの仲間や支持者がひどい目に合わないように、よろしくお願いしたい。

 

 

と、まあ、ずいぶんとひどい「鬱」(うつ)の人間が鬱々(うつうつ)と語っているわけだけど(笑)ハァ

( また、ため息。ため息は命を削るなんて言われるように、いいものではないのだけれど、出るときは出る(笑))

 

逆進(ぎゃくしん)消費税のムチャな増税と99%の国民の立場に立って作られた日本国憲法を1%派によって変えさせてしまうことを容認したかのような、今回の選挙。

 

日本て、こんな国だったっけ?

と、落胆(らくたん)しつつも、

今回、唯一「ほっ」とさせられたのが、「山本太郎」氏の「れいわ新選組」の躍進。

 

密閉された空間に小さな穴が開き、そこからかすかに風が吹いてきたような気分だった。

 

重度の身障者の代表が二人、はじめて国会議員として国会に乗り込む。

日本史上初。

世界的にも誇るべきものだ。

 

まさに

(国会に)参加することに意義がある

その「当事者」としての存在が、膠着(こうちゃく)した国会に風穴を開けるだろう。

 

ちょっぴり、日本国民としてのプライドが戻ってきたような気がする(笑)

 

とてつもなく、しんどい状況ではあるけれど、希望がすべて絶たれたわけではない。(と信じたい)

 

99%の政党である共産党社会民主党も、必死で頑張っている。

 

諸行無常の風はいかなる強大権力にも吹くだろう。(日本も世界も)

 

れいわ新選組によって、新たな展望が開かれつつある。

(と信じたい)

 

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7月18日。

またしても、とんでもない惨事が日本を襲った。

                    =京都アニメーション放火事件。

 

この件については、わたしも参加した「おっさんやじいさんが過激に語り合うブログ」で語り合っているので、よければ、そちらも見てください。

 

 

 

 

 

去年の今日、2018年7月6日といえば?

そう、地下鉄毒ガス事件などの一連のオウム真理教事件といわれるものの件で、麻原彰晃氏とオウム真理教の中心メンバー7人が処刑された日。

 

早いもので、

もう一周忌。

 

7人同日処刑のショックも生々しい、去年の7月8日のわたしの日記

 

hibi333zakkan.hatenadiary.jp

日付をクリックすると全文が読めます。

 

去年のその当時に比べると、わたしの感受性もかなり鈍(ニブ)った、と自分自身感じるのは、

 

どうやらトシのせいだけではなく、お医者さんからいただいて飲んでいるクスリのせいのよう?

 

痛み止めと筋肉の緊張を緩(ゆる)める薬が実によく効いて、おかげでクビの痛みはほとんどなくなったのだけど、

筋肉や神経の緊張がなくなったのに比例して、精神の緊張感も緩んでしまったようで?

ダラ~ン(笑)

じつにシアワセな気分。

 

いつもなら、部屋にゴミがいっぱい散らかっていると、

うわあ~、となって掃除するのだけれど、

今は、ごろんところんだまま、(たぶん)にこやかな表情で、

 

「あー、ゴミがいっぱいちらかっているなあ。あはは」

 

と何のストレスもなく、ゴミをながめているだけ。

掃除をする気はまったくおきない。

 

クスリの効力というのは、考えている以上にスゴいのかもしれない。

 

そういえば、麻原彰晃氏は刑務所でクスリ漬けにされていたとか。

 

あの宮崎勤氏にもそんな話があったよう。

 

どちらも、背後の闇が深い事件だった。

 

それにしても、事件の真相をもみ消すための処刑や、えん罪処刑はやめてもらいたいものだ。

 

この国が死刑を廃止できるレベルまで高められるのはいつのことだろう?

 

いま、激痛から解放され、薬のおかげで緊張感なくのんびりとした気分に浸(ひた)

っているわたし(ばか状態)だけど、

この国の現状、将来のことなどを考えたら、

絶望、絶望、絶望。

緊張感も切迫感もないのだけれど、やはり

絶望。

 

絶望というのがこの国のキーワード、本質なのかな?

 

今日の新聞朝刊を見ても、来る参院選

【自公で過半数を越える勢い】

なのだとか。

 

どこまで行っても 絶望。

 

消費税に象徴されるような「逆進性」の時代と言うのかな?

 

年金問題改憲も、

1%の利益、利得のために99%の人民が弱い部分から順々に、切り刻まれて行く時代。

 

今日の東京新聞の漫画は傑作、秀逸だった。

 

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できれば、赤ちゃんを背負った若いお母さんの隣に杖をついた老人も加えてほしいところ(笑)

 

そういえば、明日は七夕。

天気予報は?

雨(笑)  降水確率90%!(笑)

 

 

 

 

 

六月を

綺麗(きれい)な風の 吹くことよ     子規

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わたしの大好きな俳句のひとつ。

 

しかし、今のわたしは季節の風を楽しむどころではない。

 

ブログにも書いた通り、

これまで快適に使っていたパソコンが「オシャカ」になった。

パソコンが身代わりになってくれた?

 ことで、「危機」「不運」は回避されたかな?と思っていたら、

 

先週の土曜日の朝からクビが動かせなくなってしまった。

 

最初は、単なる寝違いかな?

と思っていたが、首を動かしたときの激痛が半端ではない。

これまで経験したこのない痛さ。

 

しかも、三日たってもひどくなる一方で、呼吸も深くできなくなってしまった、

ということで、

仕方なく整形外科のある病院へ。

 

だいたい、わたしは最近のお医者さんが苦手で、こういう、にっちもさっちもいかなくなってしまった時以外は病院に行かないのだが、

今回のお医者さんは、昔ふうの、わたしが若いころにお医者さんに抱いていたイメージに近いお医者さんで、しっかり対応してくれたので、助かった。

(どうやらわたしよりは4~5歳年長のよう。こういうお医者さんが頑張ってくれているのは助かる。)

 

レントゲンを撮って、薬を出してもらったが、その薬はよく効いた。

見立てが的確だということだろう。

 

昨日は紹介された検査病院でMRI検査。

こちらも、非常に親切で、撮られた画像を懇切丁寧に説明してくれた。

 

しかし、わたしの首の骨(頸椎)、けっこうイカレテ来ているなあ(笑)

レントゲンの段階で指摘されたとおり、頚骨の下の二つの骨が圧縮?されていて、出ているはずの神経が出ていない?

って?

 

わたしの聞き取りが正確かどうかはわからないが、もし、神経が2本?ほどやられていたのなら、

 

なるほど、

それが、わたしが時々、「無神経だ」といわれる原因だったのか?

なんて一瞬思ったりしたが、それはたぶん違うだろう。        (←おバカ)

 

ともあれ、しばらくそちらの病院に通わせてもらおうと思っている。

 

(どうやら生協系(医療生協?)の病院のよう。わたしのように「利潤第一」のものに不信感を抱くタイプの人間には、こちらのほうが合っているかもしれない。

これからも、「困った」ときは、「医療生協」系のお医者さんを捜すようにしよう。)

 

 

だいぶ気分もよくなったので、夜、TBSのnews23を見る。

(クビがひどく痛んでいる間は、テレビもラジオも「たまらな」かった。)

 

女性キャスターさん、頑張っているね。

 

でも、安倍首相の「報道」には気をつけたほうがいい。

 

安倍首相に関して、少しでもまともに取り上げようとすれば、たいへんなリスク、危険を冒すことになるからだ。

 

安倍首相自身が「大きな」人でないこともあるが、なにより「危険」なのは、その取り巻きだ。

 

わたしは、安倍政権の「構造」は大きな「暴力団」のようなもの、と考えている。

 

安倍首相を「親分」として担ぎ上げている「暴力団

 

もしその「親分」が批判されたり、悪口を言われているなんて思われたら、

「若いもの(子分)が黙っちゃいない」

という、“構造だ。

 

論理も倫理も道理もありゃしない。

 

それが今のニッポン。

 

なにより、彼と我の力(権力)の差は絶望的に大きい。

 

そしてもうひとつ、「野党」の問題。

昔、社会党が曲がりなりにも、自民党の二分の一の議席を持ち、しっかり自民党と対峙できていた時とは、時代が違う、ということだ。

 

いまの権力から理不尽な「ツブシ」を受けても、いまの野党は守れない、というか、「守らない」。

これは、小沢ー鳩山体制が崩れてからの旧民主党を見ていてもわかることだろう。

 

さすがに共産党はしっかりと(まともな)野党としての立場を堅持しているけど、いかんせん、かつての社会党と比べ、その数が少なすぎる。

そういう意味で頼りにならない。(ごめんなさい。)

 

・・・だからこそ、まともな報道番組が必要とされるのだけど、いまのニッポン、「まともであろう」とすれば「やられて」しまう。

 

ともあれ、「心」があり、「誠意」も感じられる、わたしのようなうるさいおじさんが見てもストレスの少ない貴重な番組となっているので、

「直球」もいいけど、「変化球」も多彩に投げ分けて、暴力団員、もとい、安倍政権周辺の人や政権に上げ足を取られないように、したたかに番組を継続させていってもらいたいものだ、と思っている。

 

あと、番組キャスターに過重な負担がかからないように、スタッフの人たちも工夫が必要になってくるんじゃないかな?

 

ともあれ、いまの日本の支配体制は、ひとつの暴力団による「完全支配」に近いもの、という認識が必要だろう。

 

見えているものより。隠れているもののほうが「危険」なのだ。

 

 

・・・いてて。

また首の痛みが出てきた。

薬を飲んで眠ろう・・・

 

それにしても、苦しい病床にあってあんな句のよめる正岡子規というのは、すごい、というか、やはり偉大だなァ・・・

 

(今日のNEWS23での石川真生さんの「写真」特集。

あれは、石川真生さんがどういう人か、その生きざまを知らなければ、よく理解できないんじゃないか、と思う。

まず伝えるべきは、がんとも闘いながら写真を撮り続ける石川真生さんのことではなかったか?

悲しいかな、いま石川真生さんのことを知る(沖縄以外の)人は1%くらいではないだろうか?)

 

 

 

 

 

 



 

「この頃、やたらと昔のことが思い出されて」

と、

長年お付き合いをいただいている知人女性に話すと、

 

「そろそろ死ぬんじゃない?」

 

「げ」

 

その女性、カンが鋭くて、言うことがよくあたるんだよなあ・・・(コワイ)

 

でも、わたしがいま「確実に死ぬ」?ような病気を抱えているわけでもなく、彼女も冗談で言っているようだったので、

 

「いや、たしかに目や耳はダメになってきているようだけど、ガンとかそういう病気はないみたいだよ。

わたしは死ぬより前にアタマがダメになるんじゃないかと思うんだ。」

 

というと、

 

「あ、なるほど・・・」

 

「・・・・・・」

 

 

という話は、閑話休題(さておいて)(^^;)

 

どうも

「昔の思い出」が次々と蘇(よみがえ)ってきて止まらない。

 

・・・・・・・ 

わたしは、大学に5年間行ったのだが、(つまり1留)

その前年に学費値上げ問題があり、サークルや自治会などの仲間と、学費値上げ阻止闘争をかなり激しくやってなんとか成功(阻止)し、

5年生(?)の時は、少数の後輩を残して、そういった活動からも「引退」していた。

 

大学には週に1日だけ行けばよかったので、思う存分アルバイトができた。

 

このときはアルバイト先の勤務条件(収入)にも人間関係にも恵まれ、リッチ~♪というか、一生のうちで最も幸福だったんじゃないか?という生活を送らせてもらったのだが、

 

遊んでばかりでも気が引けるので、

シナリオライター養成」の通信講座を受けることにした。

 

たしか半年くらいの期間だったと記憶しているのだが、教程?の最後に、「自分が映画にしたいと思っているストーリーを書け」というのがあって、

それなりにアタマをひねって、原稿用紙20枚くらいのものを書いて提出した。

 

他の人に自分が書いたそういうものを読んでもらうのは初めてだったので、

「どんなかなー」

と思っていると、

 

しばらくして、講師の映画評論家の人から、市販のものではない?升目が大きめの原稿用紙に書かれた講評が送られてきた。

 

原稿用紙何枚だったかは忘れたが、かなり長く詳細かつ丁寧なもので、

 

内容は、

「批判」的なことはまったく書かれていなくて、「肯定」というか、かなり高く評価してくれていて、わたしが「意外」と感じるくらいのものだった。

 

ただ、「映画化」は難しい、とのことで、その理由は

アメリカの映画にこれとそっくりのストーリーのものがある」

とのことだった。

 

そのアメリカ映画は「アメリカの悲劇」というものだったのだが、わたしはその映画を見たことがない、というか存在自体を知らなかったので、

「ふーん」

という程度で受け取った。

 

「悲劇か・・・たしかに暗い内容だったものナ」

 

と、ほめて?はもらったものの、自分が書いた内容に少し気恥ずかしいものを感じた。

暗い想念、というか、あまりにも暗い「妄想」に引きずられていた、と思ったのだ。

 

「映画はやはり他者を楽しませるものでなくてはなァ。

よく考えたら、こんな暗い内容の映画、わたしも見に行かないな。

やっぱり才能無いワ。」

 

 ということで、わたしの「創作」指向はそれで終わり、

大学卒業後は、そんなものとは無縁なサラリーマン、社会人生活に突入することになる。

(サラリーマンになった当初の「人生オワタ」感はけっこうなものだったなあ・・・)

 

 ところで、

アメリカの悲劇」という映画はyoutubeでもUPされてなくて、いまだに見ることができないでいるのだが、※

 

その映画評論家さんが「講評」のなかで、

アメリカと日本でこれほど似た内容のものが出てくるとは」

と、「驚いた」ように書いていたことも思い出した。

 

 

これで、ふと頭に浮かんだのが、

このあいだ起きた、名門私立小学校(カリタス学園)児童保護者殺傷事件

と、

米国バージニア州で起きた銃乱射事件(12人死亡)。

 

日本の事件は、犯人が行けなかった?名門小学校が狙われ、

(犯人は公立小学校で嫌われ、いじめられていたらしい)

 

米国の銃乱射では、犯人をクビにした市役所がターゲットになった(犠牲者のうち11人が市役所職員)。

 

このアメリカの事件と日本の事件を関連づけて考える人はあまりなかったようだが、

 

ネットの書き込みに

アメリカは銃、日本は包丁」

というのがあって、

これが、今回のふたつの事件に関する書き込みで、最もわたしの心を捕らえた。

 

今回の日本の事件もアメリカの事件も、その底流に流れるものは同じではないか?

 

アメリカで銃の乱射事件が起きるたびに、日本のマスメディアは「銃」の所持が認められていることが悪い、との論調一辺倒で、「銃」さえ持てなくさせれば、それで「アメリカの悲劇」はなくなる、と言わんばかりなのだが、

はたして、それで大量殺人事件、無差別殺傷事件はなくなるのか?

 

それはあまりにも支配者の側の「都合」に沿った見方ではないだろうか?

 

と感じるのだ。

 

じっさい、銃規制が世界で最も厳しいこの国でも、大量殺人事件、無差別殺傷事件は起きている。

 

そういった事件が起きる要素は、日本とアメリカの社会に常に内在しているように、わたしには思われるのだが。

 

アメリカと日本に共通しているものがあって、それが「悲劇」を生んでいるのではないか?

 

といっても、マスメディアがそんな「本質的」なことに触れることはないわけで、

そのあたりにも、日本とアメリカの「絶望」の深さがある。

 

このまま行けば、日本とアメリカ、

両国の国自体が「強制収容所」体制になるしかないように思えるのだが・・・

 

・・・と、これはちょっと話が飛躍し過ぎてしまった。

 

ネットでの反応を見ると、日本とアメリカの違いはあって、

日本では「ひとりで死ね」という書き込みが多く、マスコミのアンケートでは、過半数の人がその意見に賛成しているのだとか。

 

日本人の想像力の欠如、ここに至れり、と言うべきかな?

 

アメリカではさすがに銃乱射犯人に対してそんなことを言う人は極少数派だろう。

 

(日本人には事の深刻さがまだ十分に認識されていない、ということなのかもしれない)

 

ともあれ今は、

わたしが自分でも「?」と思うほど暗い内容のストーリーを書いてしまったのにもそれなりの「理由」「原因」があったんだよなァ、

と、少しは自分を肯定する気持ちになっている。

 

アメリカの悲劇」を追いかける「日本の悲劇」?

 

しかし、日本ではそのアメリカの悲劇は理解されていないようだ。(「日本の悲劇」も)。

 

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※それでもDVDは発売されていたようで、それを見た人の感想と評価をネットで見ることができたが、

いずれも、

「最悪の映画」「ほとんど理解できない」

ということだった。(^^;)

 

まあ、古い映画だから意識のズレもあるのだと思う。

(当時(1931年!?)のアメリカではある程度の反響があったようだけど)