2024年、冬(ふゆ)2月(にがつ)。

東南(とうなん)の夜空(よぞら)で青白(あおじろ)く瞬(またた)いているシリウス

 

中国(ちゅうごく)では天狼星(てんろうせい)と呼(よ)ばれていて、たしか「革命(かくめい)の星」あるいは動乱(どうらん)を引(ひ)き起(お)こす星、なんて言(い)われていたような記憶(きおく)があるのだが・・・・、

 

いま調(しら)べたら、どこにもそんな話(はなし)はない。

 

天狼星、天(てん)の狼(おおかみ)の星なんて言葉(ことば)から、わたしが勝手(かって)に革命と結(むす)びつけるイメージを作(つく)り上(あ)げていたのかな?

 

シリウスさんごめんなさい。(^^;)

 

それでも、白色(はくしょく)あるいは淡(あわ)い黄色(おうしょく)で柔(やわら)らかく光(ひか)っている木星(もくせい)に比(くら)べて、

凛(りん)として青白(あおじろ)く瞬(またた)くシリウスは鋭(するど)く感(かん)じられて、厳(きび)しい革命家(かくめいか)を思(おも)わせるものが、ある、と

思えないかなァ。(笑)

 

木星さんとシリウスさんを見ていると。星の光(ひかり)も一様(いちよう)ではなく、それぞれに違(ちが)った光を地球(ちきゅう)に届(とど)けているのだ、ということがよくわかる。

 

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一昨日(いっさくじつ)の2月5日(にがついつか)、雪(ゆき)が降(ふ)った。

 

落(お)ちたらすぐに溶(と)けるようなふわふわした淡雪(あわゆき)だったので、それほど積(つ)もらないだろうと思っていたのだけど、質(しつ)より量(りょう)?で、夜(よる)、帰宅(きたく)する頃(ころ)には東京(とうきょう)では珍(めずら)しいほどの積雪(せきせつ)になった。

 

 

水分(すいぶん)を多(おお)く含(ふく)んだ雪(ゆき)だから積(つ)もると重(おも)い。

 

立木(たちき)に積(つ)もった雪が落(お)ちてピシャッと手(て)に当(あ)たった時(とき)の衝撃(しょうげき)はかなりのものだった。

 

風も強かった。

   

  


それでも、

まだ誰(もだれ)も歩(ある)いていない雪の上(うえ)を歩(ある)くのは気持(きも)ちがいい、

   

 

が・・・。

雪を踏む音(おと)って、どう表現(ひょうげん)したらいいのだろうか。

 

当然(とうぜん)、雪の質(しつ)によっても違(ちが)うだろうけど、今回のように水分の多い雪の場合(ばあい)、

 

サクサク、ではない。ザクザクでもない。

キュッキュッ? ちょっと違う。

うーん。

クックッ、あるいはククッククッ。

いや、やっぱり違うかなァ。

 

ふつうに使(つか)われているオノマトペで表現(ひょうげん)できないというか、満足(まんぞく)できなくなると、

難(むつか)しい。(笑)

 

そういうときはアタマの中(なか)をガラガラと。(笑)

 

ガラガラポンでいい考(かんが)えが浮(う)かぶか、

それともガラガラ、ガラガラでこだわりも無(な)くなって、あっけらかん、か。(笑)

 

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日本(にっぽん)もガラガラが始(はじ)まったようで、

これはとてもいいことだと思う。(笑)

 

いや、ほんとうにこれ大問題(だいもんだい)。

www.youtube.com

ここで言(い)われている違法(いほう)、脱税(だつぜい)、特権(とっけん)議員(ぎいん)さんたち、庶民(しょみん)には大災害級(だいさいがいきゅう)の災厄(さいやく)だ。

庶民(しょみん)を締(し)め上(あ)げ苦(くる)しめておいて自分(じぶん)たちは・・・、ね。

 

長年(ながねん)勤(つと)めた校長先生が(どんな事情(じじょう)があるのか)コーヒー代(だい)を70円(えん)ごまかしただけで懲戒(ちょうかい)免職(めんしょく)だよ。

 

ガラガラ、ガラガラ、特権(とっけん)悪党(あくとう)は刑務所(けいむしょ)へ。

こういう人たちが政治家(せいじか)だなんて言って好(す)き勝手(かって)やっているから天災(てんさい)も頻発(ひんぱつ)するんだよ。

 

 

 

 





     

 

 











 

 

去年きょねん=(先月せんげつ)

12月(じゅうにがつ)初旬(しょじゅん)の空(そら)。

 

 

 

 

同(おな)じく12月、中旬(ちゅうじゅん)に現(あらわ)れた雲(くも)。

 

そして、今年(ことし)1月2日の夕暮(ゆうぐ)れ時(どき)。

西(にし)の空を撮影(さつえい)した動画(どうが)。

 

[http://:title]

  

悪政(あくせい)が世間(せけん)だけでなく空(そら)の「気(き)」もおかしくさせているのか?

 

と、

 

フト思(おも)う。

 

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岸田首相が震災直後(しんさいちょくご)とも言っていい時期(じき)に「許(ゆる)せない?」みたいなことを言っていて、

「何のことだろう?」と思った「風説(ふうせつ)の流布(るふ)」というのは、

志賀原発(しかげんぱつ)のことだったのかな?

www.youtube.com

 

今回、7という最(もっと)も激(はげ)しい震度(しんど)に見舞(みま)われた…

 

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1/7 追:

 

なんだかモヤモヤするなあ・・・。

 

日本の支配層(しはいそう)に信頼(しんらい)できる人材(じんざい)がいない、ということがこれほど応(こた)えるとは。

 

(おまけに政府の災害、事故に対する対応(たいおう)がおかしすぎて・・・。)

 

うーん。

東京の「気(き)」、「大気(たいき)?」が乱(みだ)れているように感じられて落ち着かない、というのは、わたしの「精神(せいしん)」が不安定(ふあんてい)になっているからだろうか?

 

いま日本列島(にほんれっとう)で生活(せいかつ)している人たち、いつ何があっても素早(すば)く対応(たいおう)できるように必要(ひつよう)なものは身(み)につけておく、あるいは身近(みじか)に置(お)いておいておくようにしたほうがいいかもしれない。

 

他人様(ひとさま)にこんな不安感(ふあんかん)を与(あた)えるようなことを言うと叱(しか)られそうだけど、

災害に遭(あ)った地(ち)、人たちに心を寄(よ)せつつ、わたしたちも今しばらく、用心(ようじん)、警戒(けいかい)をしおておいたほうがいい。

 

ちなみに、わたしはやや高層階(こうそうかい)に住(す)んでいるので、昨日(きのう)から入口(いりぐち)ドアを開(あ)けて寝(ね)るようにしている。

 

(こういうとき、カネも金(かね)めの物(もの)もない貧乏人(びんぼうにん)は便利(べんり)だなァ。(^^;))

 

皆(みな)さんも危険(きけん)な箇所(かしょ)をチェックして対策(たいさく)をされますよう。

 

 

 

 

 

 

 

            

なんと淋(さみ)しい年(とし)の暮(く)れ

なんと淋しい大晦日(おおみそか)。

 

と、夕暮(ゆううぐ)れ時(どき)のスーパーへの道(みち)を迷(まよ)いながら思(おも)った。

 

空(そら)は分厚(ぶあつ)い雲(くも)に覆(おお)われ、

いつ雨(あめ)が降(ふ)ったのか、道路(どうろ)が濡(ぬ)れている。

 

実(じつ)は年末(ねんまつ)から風邪(かぜ)をひき、夕方(ゆうがた)まで寝(ね)ていたのだけど、

年越(としこ)し蕎麦(そば)くらいは食(た)べないと、と無理(むり)をして家(いえ)を出(で)たのだ。

 

そして、風邪でアタマがぼんやりしていたせいだろう、

近道(ちかみち)をしよう、なんて考(かんが)えていつもは通(とお)ることの無(な)い路地(ろじ)に入(はい)ったのが悪(わる)かった。

 

歩(ある)けども、歩けども目的(もくてき)のスーパーどころか、見覚(みおぼ)えのある場所(ばしょ)にも行(い)けない。

鈍痛(どんつう)のする頭(あたま)と痛(いた)む関節(かんせつ)。

絶望的(ぜつぼうてき)な気分(きぶん)で重(おも)い身体(からだ)を引(ひ)きずって歩いていると、川沿(かわぞ)いの道に出た。

上流(じょうりゅう)を見ると、車(くるま)の行(い)き来(き)する橋(はし)が。

それでだいたいの位置(いち)がわかった。

 

その橋を渡(わた)って、最初(さいしょ)の目標(もくひょう)とは違(ちが)うスーパーへ。(笑)

 

ひどい遠回(とおまわ)りをしたけど、なんとか年越(としこ)しそばをゲット。

 

疲(つか)れ切(き)ってしまったけど、

帰(かえ)って食べた蕎麦は美味(おい)しかった。(^^)

 

で、年越しそばは食べたので、あとは風邪薬(かぜぐすり)を飲(の)んで寝(ね)る、と。

 

・・・、やっぱりね、年末年始(ねんまつねんし)は元気(げんき)で迎(むか)えたいもの。

 

元気だったら、YOUTUBEを見て、Eテレの「年越しをご一緒(いっしょ)にスペシャル」から「明(あ)けましてねぽりんぱほりん」のコースだったのだけど、

ちょっと残念(ざんねん)。

 

テレビだと、お年寄りは紅白(こうはく)よりもテレ東(とう)の「年忘(としわす)れ日本(にほん)の歌(うた)」だろうな。

いまの紅白ってどんな人たちがみているんだろうな、って思う。

 

まったく見ないのにこんなことを言(い)っちゃ悪いな。(^^;)

ゴメンナサイ。(笑)

 

YouTube動画では、さっきちょっと見た吉幾三(よしいくぞう)の「歌い納(おさ)めだよ!おっとちゃん」の津軽三味線(つがるじゃみせん)と尺八(しゃくはち)の合奏(がっそう)がとてもよかった。

風邪で重い頭にも新鮮(しんせん)に響(ひび)いたからたいしたもの。

地道(じみち)に芸(げい)を磨(みが)いている人たちもいるんだよね。

 

ということで、さて

 

寝よ。(笑)

 

おやすみなさい。

 

みなさまは栄養(えいよう)などにも気(き)をつけて、病気(びょうき)になどなりませんように。

 

いや、ホント。

カゼ一つ(ひとつ)ひいてもつまらないから。

 

元気(げんき)で新年(しんねん)をお迎(むか)えください。

 

 

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朝、友人からの電話で目が覚めた。

あけましておめでとう、の挨拶、の後、、、、、

あきれたようなお言葉。

 

わたしがおススメしていたEネテレの「ねぽりんはぽりん」。

「あれ、ネトウヨ系、2ちゃんねる系みたいなもんじゃないか?」

という指摘。

うーーーーーん。

言われてみれば・・・・・、なるほど。

そういう危険性はあるだろうね。

 

2355も、ちっとも面白くなかったとか。

 

・・・・・・・、

 

まあ、とにかくテレビはもうダメだということだね。

NHKテレビ朝日をはじめ、テレビは弱者庶民を滅ぼそうとする害悪でしかないのかもしれない。

毒を持った汚物くらいに思って、触れちゃいけないものでした。

(まだ少し熱があるので、過激な表現になってるかもしれない(^^;)。

ーーさんはそんなこと言ってないもんね(笑)。)

 

来年、もしまだ生きていたら(笑)、年越しはyoutube動画で。

ということで、

ごカンベンを(笑)。

 

風邪薬が効いてだいぶよくなってきた。

 

いまはうつらうつらといい気持なので、寝ていて、

夕方になったら起きて雑煮を作ろう。

 

なにはともあれ、

 

あけましておめでとうございます。

 

きびしい状況だけど、生きている限りはね、よりいい状態、状況を目ざしてがんばらなくては。

 

今年もよろしくお願いします。(^^)

 

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今年の終わりから来年にかけての大晦日、新年は(気が早すぎる?(笑))、youtube動画もいいけど、お寺に出かけて、除夜の鐘を撞く、というのもいいですねー。

 

去年から今年にかけては不景気きわまりない年末年始のようだけど、もし今年一年無事なら、今年の大晦日は(笑)お寺に行って鐘を撞こう。(^^)

 

(あれ?・・・・、東京に鐘をつかせてくれるお寺ってあるのかな?・・・・・。)

 

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16時過ぎ、東京で少し揺れたからテレビを見たら、石川県を中心に激震?

すでに津波が到達しているってどういうことだ???

揺れと津波が同時?

しかも、3メートルとか5メートル?とか?

どういうことだ?・・・・・・・

 

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石川県、富山県ライブカメラを見ているが、

海、地震津波、そして原発

寒さ。

東日本大震災ときれいに重なる。

 

防災対策はしっかりできているだろうか?

津波が来る地域の人たちは今晩ひと晩は高台で過ごすしかないね。

寒さ対策をしっかりして。

 

自衛隊の対策っぷりも試されるぞ。

 

それにしても、原発はやはり危険・・・・・。

 

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震源が「ごく浅い」ということで、地震の被害がひどいようだ。

旅行者の撮った映像を多く採用しているためか、外国の放送局や報道機関のyoutube動画のほうが国内のテレビより地震の深刻さをより鮮明に伝えている。

地震とほぼ同時の津波、ということでは、水が川を逆流している映像もあった。

 

日本の報道はまったく進歩していない、というか進歩しないんだな、と思う。

 

政府機関も、

被害状況や人々の避難状況などはドローンを使えばより的確に把握でき、救援対策や情報提供にも役立つと思うのだけど、今のところ、そういったこともやっていないように見える。

 

こういうところからも、日本の衰退ぶりがうかがえて悲しい。

 

自衛隊は明日から動くのだとか。

自衛隊も被災状況を把握するためにあらかじめドローンを使うなどということはないのだろうか?

 

被災者の人たちはもちろん、いつ同じような災害に合うかもしれないわれわれも心細い限りだ。

 

日本のメディアを見ていると、もどかしさで心苦しい。

 

(やはり、災害を専門にし、すぐに動ける災害対策、救助機関、救助部隊が必要だ。

なぜ日本のような災害超大国にそのような専門機関がないのか?

ほんとうに、日本の政治家、官僚はダメ。なにやってんだ、と思う。

 

国民の命が先か、人*し兵器が先か。

国民の立場からは、答えは明白だと思うのだが。)

 

テレビでは放送しないけど、まだ燃えている・・。

 

www.youtube.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年12月もあとわずか。

      

 

気候(きこう)も政治(せいじ)もヒドかった1年だけど(笑)、いまのところなんとか来年(らいねん)は迎(むか)えられそう。

 

夏(なつ)の暑(あつ)さで葉(は)が半枯(はんが)れになってしまった、みたいな木が多い中(なか)で、ツタの紅葉(こうよう)が見事(みごと)だ。


あと1週間(いっしゅうかん)くらいでクリスマスだけど、今年(ことし)は、ガザでジェノサイドが行(おこな)われているので、素直(すなお)に祝(いわ)う気(き)にはなれない。

                                          日本でクリスマスの星(ほし)と呼(よ)ばれているベツレヘムの星。

  

           

   ベツレヘムは、パレスチナヨルダン川(がわ)西岸地区(せいがんちく)にある。イスラエルとは高(たか)い壁(かべ)で隔(へだ)てられているそうだ。

 

それにしても、公然(こうぜん)たるジェノサイドを止(と)めることができない「現代(げんだい)世界(せかい)」の姿(すがた)にはショックを受(う)けた。

 

日本だけではなく、世界も絶望的(ぜつぼうてき)なのか・・・・・。

 

夜(よる)の帰(かえ)り道(みち)。

暗(くら)い気持(きも)ちでやはり半枯れの紅葉(もみじ)を見上(みあ)げると、その先(さき)にまた木星さん。

   

柔(やわ)らかな光(ひかり)で

「元気(げんき)をだせよ」と

励(はげ)ましてくれているよう。

 

前(まえ)に、わたしはベツレヘムの星は金星(きんせい)ではないか、と書(か)いたが、

どうやら、木星土星(どせい)が接近(せっきん)して一(ひと)つの星のように輝(かがや)いたものらしい。

 

二年前の2021年の12月22日、冬至(とうじ)の日にも木星土星がひとつに見えるほど接近したそうなのだけど、

わたしは知(し)らなかったので見逃(みのが)した。

 

この次(つぎ)の大接近(だいせっきん)のときまでわたしが生きている確率(かくりつ)はゼロなので、少(すこ)し残念(ざんねん)。

 

でも、今年(ことし)はいいシチュエーションで何度(なんど)も木星を見(み)ることができたので、満足(まんぞく)している。

 

星にやさしさを感じることができたら、それだけで幸(しあわ)せだ。

 

 



 



 

消費税(しょうひぜい)の負担(ふたん)と、

食料品(しょくりょうひん)をはじめとした諸物価(しょぶっか)の高騰(こうとう)で、いやあ、苦(くる)しい苦(くる)しい。

ニッポン国(こく)から見捨(みす)てられたみたいになっている、可処分(かしょぶん)所得(しょとく)が著(いちじる)しく低下(ていか)した老(ろうじん)人としては、外出(がいしゅつ)、外食(がいしょく)もままならないので、引(ひ)きこもって図書館(としょかん)から借(か)りて来(き)た本(ほん)を読(よ)んでいる。

 

いま読(よ)んでいるのは、宗教(しゅうきょう)学者(がくしゃ)の島田裕巳(しまだひろみ)さんが書(か)いた「捨(す)てられる宗教(しゅうきょう)」。

読(よ)みはじめたばかりだけど、興味(きょうみ)深(ぶか)い内容(ないよう)で面白(おもし)く読(よ)み進(すす)めそうだ。

 

もう一冊(いっさつ)、同(おな)じ著者(ちょしゃ)で「宗教消滅(しゅうきょうしょうめつ)」という本(ほん)も借(か)りてきているので、いま読(よ)んでいる本(ほん)を読(よ)み終(お)えたら、続(つづ)いて読むつもり。

こちらは、“資本主義(しほんしゅぎ)は宗教と心中(しんじゅう)する“”という副題(ふくだい)がついている。

わたしは、従来(じゅうらい)の宗教を滅(ほろ)ぼしているのはマルキシズムに基(もと)づいた社会主義(しゃかいしゅぎ)や共産主義(きょうさんしゅぎ)というより、資本主義そのものだと考(かんが)えているので、どのような内容(ないよう)なのか、気(き)になるし楽(たの)しみでもある。

 

どちらも大活字本(だいかつじぼん)なのでありがたい。

 

読書三昧(どくしょざんまい)、とはいっても引(ひ)きこもってばかりでは健康(けんこう)に悪(わる)いので、たまには外(そと)の空気(くうき)を吸(す)うために散歩(さんぽ)に出る。

 

一昨日(おととい)の夜(よる)6時(ろくじ)頃(ごろ)、図書館(としょかん)近(ちか)くの公園(こうえん)を散歩(さんぽ)していて目(め)についたのが、伐採(ばっさい)された樹木(じゅもく)の古(ふる)い切(き)り株(かぶ)。



公園(こうえん)に限(かぎ)らず、   このところ道(みち)を歩(ある)いて

いると、伐採(ばっさい)された木(き)の多(おお)いことに気(き)づく。

 

伐採(ばっさい)された木の株には切(き)り込(こ)みが入(い)れられたり、除草剤(じょそうざい)が塗(ぬ)られたりして再(ふたた)び芽(め)が出ることのない処理(しょり)がほどこされている。

 

伐(き)った木の切り株というのは、けっこう厄介(やっかい)なものらしい。

 

しかし、わたしみたいな老人からすれば、何十年も生きてきた木が切られるのはチト悲(かな)しい。

いま切り倒されている公園の木や街路樹(がいろじゅ)は、わたしくらいの年齢(ねんれい)なのかなァ、それとももっとお年寄(としよ)りかな、と。

 

メディアやSNAで老人バッシングがあたりまえのように行(おこな)われ、それに応(おう)じて老人を冷遇(れいぐう)する政治(せいじ)が行われている昨今(さっこん)のこの国(くに)の状況(じょうきょう)であってみればなおさら。(笑)

 

生命(せいめい)よりも何(なに)よりも資本主義的(しほんしゅぎてき)合理性(ごうりせい)が優先(ゆうせん)する現代(げんだい)にあって、

年老いて生産性のなくなったわたしなどは、お役所(やくしょ)に伐採(ばっさい)された木々(きぎ)にも自分(じぶん)の運命(うんめい)を思(おも)ってしまうのだ。

 

そんな沈(しず)んだ気持ちで公園を歩いていたら、

 

お、

 

 

かなり前(まえ)に切られて、完全(かんぜん)に死(し)んでいたような古(ふる)い切り株から芽(め)が出て成長(せいちょう)している・・・。

 

人間は心臓(しんぞう)が止(と)まって〇んでしまえば、二度(にど)と生命(せいめい)が戻(もど)ることはないが、樹木(じゅもく)はすべての機能(きのう)が停止(ていし)したように見えても、こんな再生(さいせい)した姿(すがた)を見せることがある。

 

人間にも〇から生(い)き返(かえ)った話(はなし)が伝(つた)えられてはいるけれど、それらはまさに宗教(しゅうきょう)の領域(りょういき)の話(はなし)だろう。

 

帰(かえ)り道(みち)、家(いえ)の近(ちか)くの小(ちい)さな公園(こうえん)を通(とお)ったら、白(しろ)い山茶花(さざんか)の花(はな)が満開(まんかい)だった。

木(き)の上(うえ)にはこのところひときわ鮮(あざ)やかに輝(かがや)いている木星(もくせい)。

 

46億歳(よんじゅうろくおくさい)の木星(もくせい)と71歳のわたし、そしてたぶんわたしより年下の(^^)山茶花の木が、いま同(おな)じ空間(くうかん)に存在(そんざい)している。

 

木星もわたしも、山茶花もこの宇宙(うちゅう)の歴史(れきし)の結果(けっか)としてここにあるのだ、と考えると、気持(きも)ちが少(すこ)し安(やす)らぐ。

 

現代(げんだい)において"神(かみ)"のようにふるまっている資本主義、資本主義社会(しほんしゅぎしゃかい)、そしてよしんば世界(せかい)の富(とみ)の大半(たいはん)を握(にぎ)っているような大資本家(だいしほんか)がいたとしても絶対的(ぜったいてき)なものではなくいずれ滅(ほろ)ぶのだ。

 

無常(むじょう)の一瞬(いっしゅん)の美(うつく)しさ、静寂(せいじゃく)、安(やす)らぎ。

それ以上(いじょう)のものがどこにあるだろうか。

 

希望(きぼう)があるわけではないが、絶望(ぜつぼう)もない。

そして、生命はどこまでも平等(びょうどう)。

 

そんなことを木星さんが教(おし)えてくれた(?)ような気がする。

 

 

・・・・・・・・、

それにしても、政治家(せいじか)、官僚(かんりょう)、資本家(しほんか)といった今(いま)の日本(にほん)の支配層(しはいそう)の人たちを見て思うのだけど、

 

人間(にんげん)、傲慢(ごうまん)になるほどつまらないことはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10月(じゅうがつ)に入(はい)って

ぐっと涼(すず)しくなった。

10月らしい気候(きこう)になっている。

 

今年(ことし)は9月(くがつ)らしい気候が無(な)かった。

このまま晩秋(ばんしゅう)から冬(ふゆ)へと移行(いこう)して行くのだろうか。

 

夜(よる)、人気(ひとけ)のない公園(こうえん)を散歩(さんぽ)する。

 

ブランコがあった。

          

 

年がいもなく乗ってみる。(^^;)



ゆっくり揺(ゆ)られていると、子どものころに戻(もど)ったようで、ときの間(ま)、イヤなことを忘(わす)れることができる。

でも、昼間(ひるま)ならとてもできないなァ。

とても他人(ひと)に見(み)せられる姿(すがた)ではない。(笑)

 

占(うらな)いでは今年(ことし)は大吉(だいきち)ということだったが、これまでのところ大凶(だいきょう)とまでは言(い)わないけど、まあ、凶(きょう)。

 

ツライことが連続(れんぞく)して気持(きも)ちも大(おお)きく落(お)ち込(こ)んでいる。

今(いま)も、ちょっと身動(みうご)きのとれない状態(じょうたい)だ。

でも、つらいのはわたしだけではないだろう。

とくに、昨今(さっこん)は政治(せいじ)がよくないので、苦(くる)しい思(おも)いをしている人が多(おお)いのではないだろうか。

街(まち)を歩(ある)いていても、そのことを強(つよ)く感(かん)じる。

 

だから、夜(よる)の散歩(さんぽ)がいい。

 

夜の道(みち)、夜の公園(こうえん)には非日常的(ひにちじょうてき)な楽(たの)しさがある。

そして何(なに)よりやさしさがある。

年(とし)を取(と)っても、まだ何(なに)か小(ちい)さな希望(きぼう)、小さな幸(しあわ)せはあるような気持(きもち)にさせてくれる。

 

歩(ある)いていて、これほどリラックスできることはないだろう。

 

そして、夜の空(そら)もなかなか味(あじ)わい深(ぶか)いのだ。

  

 

 同(おな)じ占いでは、来年(らいねん)は大凶(だいきょう)、最悪(さいあく)の年(とし)、なんて書(か)かれてあったが、大吉の今年がこれなら、大凶といっても、それほど心配(しんぱい)することはないんじゃないか、と、思えてきた。(笑)

 

これも、夜の散歩のリラックス効果(こうか)か。

脳(のう)みそが落(お)ち着(つ)いたのだ。(笑)

 

運(うん)の悪(わる)いときは、慎重(しんちょう)に、用心(ようじん)深(ぶか)く、目立(めだ)つようなことをしないで生活(せいかつ)して行(い)けばいい。

そして何(なに)より忍耐(にんたい)。

 

ちょっとしんどいけど、それしかない。

 

耐(た)えていれば、いつか不運(ふうん)、悪(わる)いことどもも過(す)ぎ去(さ)っていく。

 

最悪(さいあく)が永遠(えいえん)に続(つづ)くことなどないのだ。

それが、この世(よ)が地獄(じごく)ではないことの証明(しょうめい)なのだろう。

 

限(かぎ)りなく地獄的(じごくてき)ではあるけども。(笑)

 

 

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わたしは占(うらな)いをいを信(しん)じているわけではないが、昔(むかし)、東京の某(ぼう)駅前(えきまえ)で冷(ひ)やかし半分(はんぶん)で占ってもらったとき、“一生(いっしょう)で最(もっと)も不運(ふうん)な時期(じき)“の「予言(よげん)」めいたものがモロに当(あ)たったため、それ以来(いらい)、用心(ようじん)のために占いを「参考(さんこう)」程度(ていど)には利用(りよう)することにしている。(笑)

まァ、的中率(てきちゅうりつ)は「よく当たるもの」で30%くらいかな?

当たるも八卦(はっけ)当たらぬも八卦(はっけ)、とはよく言ったものだと思う。

わたしの場合(ばあい)、「悪(わる)いこと」はよく当たり、「いいこと」はまず当たらない。(笑)

 

・・・・・・・・、

(このあたりがこの世(よ)で運(うん)のある人間と運のない人間の分(わ)かれ目(め)かなァ。

若(わか)いころに自分(じぶん)には運がない、という自覚(じかく)を持(も)つことができれば、人生(じんせい)はもっといいものになっていたかも。

て、もう遅(おそ)い。(笑))

 

 

 

 

 

 

 


              

             

 

 

 

 

 

 



 








 

 

毎年(まいとし)、真(ま)っ赤(か)に紅葉(こうよう)し

わたしの目を楽しませてくれていたドウダンツツジだったのだけれど、今年は半分くらいが夏枯(なつが)れしていて、淋(さみ)しいものになりそうだ。

      

 

それほど今年の夏の暑さが異常(いじょう)だった、ということなのだろう。

 

暑さも行(い)き過(す)ぎると人間(にんげん)だけではなく動物(どうぶつ)にとっても厳(きび)しいようで、一昨日(おととい)、駅前(えきまえ)の歩道(ほどう)ではじめてカラスの死骸(しがい)を見た。

        

死骸といっても見ての通り、羽(はね)と足(あし)だけ。他(ほか)の部分(ぶぶん)は食(た)べられてしまったのだろう。足を見ると幼鳥(ようちょう)から少し大きくなったところといった子どもの鳥?だったので、骨も食べつくされてしまったのかもしれない。

昔、ハトが食べられてしまったものを見たことがあるのだけれど、それは骨がけっこうしっかり残っ(のこ)ていた。

・・・、このカラスを食べたのはカラスかな?周(まわ)りにいくつかのカラスの糞(ふん)の痕跡(こんせき)があった。

 

街中(まちなか)では滅多(めった)にみることのできないものだと思うのだけど、ほとんど、というか全(すべ)ての人が関心(かんしん)も示(しめ)さず通り過ぎて行く。

 

なんだかとても殺伐(さつばつ)とした景色(けしき)に見えたのはわたしだけか?

 

ふと、以前(いぜん)読んだ手塚治(てつかおさむ)さんの、

戦後(せんご)すぐの頃(ころ)、復員(ふくいん)した兵隊(へいたい)さんが餓死(がし)して、その死骸が放置(ほうち)され、骨になってもそこにあって、それをなんとかしようとする人もいなかった、という実(じつ)体験(たいけん)に基(もとづ)づいた漫画(まんが)を思い出した。

 

まあ、人間とカラスでは比較(ひかく)にならないだろうけど、日本人に余裕(よゆう)がないのは敗戦時(はいせんじ)も今もあまり変わりがないのかもしれないな、とフト思った次第(しだい)。

 

戦後(せんご)78年。

今なお日本人が幸(しあわ)せでない、ということは否定(ひてい)しうべくもない事実(じじつ)であって、一部(いちぶ)のカネと利権(りけん)、権力(けんりょく)によって人間性(にんげんせい)の麻痺(まひ)した者(もの)たち以外(いがい)の人にはよくわかることだろう。

 

この絶望(ぜつぼう)の国で急速(きゅうそく)に数(かず)を減(へ)らしながらも、日本人はよくやっているなァ、とは思う。