いまひとつパッとしない4月(しがつ)だった。
寒(さむ)っ、と思(おも)っていたら急(きゅう)に温度(おんど)が上(あ)がったりで、
「いい気候(きこう)だな~。」
と思(おも)える日(ひ)が少(すく)なかった。
今日(きょう)も朝(あさ)からどんより曇(くも)っていて蒸(む)し暑(あつ)く、まるで梅雨(つゆ)近(ちか)しを思(おも)わせるような天候(てんこう)だ。
天気(てんき)に合(あ)わせたのか、わたしの体調(たいちょう)も不順(ふじゅん)で、二週間(にしゅうかん)前(まえ)に痛風(つうふう)を発症(はっしょう)。(涙)
一昨日(おととい)まで、自由(じゆう)に歩(ある)ける状態(じょうたい)ではなかった。
午後(ごご)になって少(すこ)し晴(は)れたので、久(ひさ)しぶりに散歩(さんぽ)に出(で)かける。
痛風(つうふう)独特(どくとく)のあの頭(あたま)のムズムズ感(かん)がまだ少(すこ)し残(のこ)っていて、
歩(ある)いていても、さほど楽(たの)しくはないのだけど、
それでも、この時期(じき)特有(とくゆう)の光景(こうけい)には目(め)を奪(うば)われる。
桐(きり)の若葉(わかば)を背景(はいけい)に咲(さ)く松(まつ)の花(はな)。
タケノコ(?)もぐーんと伸(の)びていた。
竹の幹周(みきまわ)りも冬(ふゆ)に比(くら)べて太(ふと)くなっていた、
って、
竹が二次的(にじてき)に太(ふと)くなることはないので、これは、わたしの記憶(きおく)違(ちが)い?
でも、たしかに太くなっているように感(かん)じるんだよなァ。( ^ω^)・・・
野(の)っ原(ぱら)は春(はる)と初夏(しょか)が混在(こんざい)?
モンシロチョウがひらひら。そして、目(め)の前(まえ)の花(はな)にとまってくれた。
東京(とうきょう)に来(き)て、こんなに近(ちか)くでモンシロチョウを見(み)たのは初(はじ)めて。
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モンシロチョウといえば、40年(よんじゅうねん)近(ちか)く前(まえ)、H町(ちょう)にある実家(じっか)の二階(にかい)で父(ちち)の初七日(しょなのか)の法要(ほうよう)をしていたとき、
階段(かいだん)を上(あ)がったところにあるのぞき窓(まど)から一匹(いっぴき)のモンシロチョウが入(はい)ってきて、一番(いちばん)後(うし)ろに座(すわ)っていたわたしの目の前(まえ)を通(とお)り過(す)ぎると、法要(ほうよう)に来(き)てくれていた人(ひと)たちの上(うえ)をしばらくひらひらと舞(ま)って、同(おな)じのぞき窓(まど)から出(で)て行(い)った、ということがあった。
お経(きょう)をあげてもらっている最中(さいちゅう)だったので、蝶(ちょう)に気(き)づいたのはわたしだけのようだった。
それはそれだけのことだったのだが、
次(つぎ)の年(とし)、母(はは)と二人(ふたり)で父(ちち)の墓(はか)参(まい)りに行(い)った時(とき)に見た光景(こうけい)は少(すこ)し驚(おどろ)かされた。
墓(はか)は電車(でんしゃ)と車(くるま=タクシー)で一時間(いちじかん)半(はん)ほどかかるO市(し)の郊外(こうがい)(そこが父の郷里(きょうり))にあって、タクシーを降(お)りてからも畑(はたけ)の中(なか)の道(みち)を10分(じゅっぷん)ほど歩(ある)いて行かなくてはならなかった。
歩くにつれて道の左側(ひだりがわ)は小高(こだか)くなり、石垣(いしがき)になるのだけど、石垣になった少(すこ)し先(さき)のところ5~6メートルくらいの範囲(はんい)の石垣に、なんと、
100匹から200匹くらいのモンシロチョウが集(あつ)まってとまっていたのだ。
わたしは一瞬(いっしゅん)立(た)ち止(ど)まったけれど、前(まえ)を行(い)く母は何事(なにごと)もないかのように俯(うつむ)いたまま歩いていく。
わたしもそのまま母の後(あと)を追(お)ったが、そのことに触(ふ)れることはなかった。
蝶たちはわたしたちが通(とお)り過(す)ぎても、石垣にとまったままで変化(へんか)はなかった。
そして、母が亡(な)くなって約(やく)二十年(にじゅうねん)。
その時(とき)のことについて母と話すことはなかった。
はたして母にあの蝶の群(む)れは見えていたのかいなかったのか?
見えていたとしても、親子(おやこ)で話すことではないような気(き)がするので、これでよかったのだと思う。
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と、まあ、それはそれでいいとして、
ちょいと気(き)になるのは・・・・・・・。
と、父(とう)ちゃん、わたしのおむ、おむ・・・・・・は、まだまだ先(さき)だよね~。(^^;)