四日ほど前、図書館に本を返す途中、

とあるお家(うち)の庭先にある桜の木が、ぽそぽそという感じで花をつけているのを見つけた。

f:id:hibi333zakkan:20190218220058j:plain この時期に、こんな花のつけ方をしているのは珍しい。

なんだか桜の木が焦っているよう?

 

そういえば、去年の秋から今年にかけて公園や歩道の植え込みなどで、「狂い咲き」した花を結構見かけた。

f:id:hibi333zakkan:20190218220552j:plain 去年の年末に公園で発見した「狂い咲き」のツツジ。(2018年12月28日の日記参照)

久しぶりにその公園に行ってみたら、なぜか「木」自体が無くなっていた!

WHY?・・・

(モーニング・・・の奥さんが天国に持っていかれたのならいいのだけれど(^^))

 

ともあれ、「狂い咲き」が目立つというのは何か「災害」の予兆のようで気味が悪い。

 

わたしもヘルメットと予備の食料、水くらいは備えておこうかな?

 

災害といえば、2011年の東日本大震災のとき、このビルの屋上にある避雷針が、揺れが収まってからも、何かに引っぱられているかのように左右に大きく振動していたのを憶(おぼ)えている。

f:id:hibi333zakkan:20190218223222j:plain

 

あれも不思議な光景だった。

 

それにしても、1995年の阪神大震災以降の、この国が災害に見舞われる確率は異常だと思う。

 

もういい加減に安定した状態に戻ってほしいものだ。

 

1995年の阪神大震災のときの首相が社会党村山富市氏で、2011年の東日本大震災時の首相が民主党管直人氏というのも非常にいやな気持ちがする。

災害のたびにこの国の民主主義が後退していっている、と感じているのはわたしだけではないだろう。

 

この「いやな感じ」に拍車をかけているのが、日本の政界・官界・経済界・マスメディアという日本の「支配」層。

彼らには国民に対する「誠意」というものが欠落している(と、わたしには感じられる)。

 

とくに官僚とメディアには、

たとえば津波が10キロメートル先に迫っていても国民に知らせず(報道せず)、津波が襲ってしばらくたってから「報道する」ようなことをやるんじゃないか?

というくらいの不信感を持っている。

(ex.福島第一原発事故での一連の「報道統制」)

 

政・官・財・メディアが国民に対して不誠実であれば、われわれ国民はなすすべがない。

 

 

 ということで、(彼らから見ての)愚かなる庶民であるわたしは、最近「占い」に凝りはじめた。

 

笑わば笑え(笑)

 

そういった日本の「お上」連中より、占いや直感のほうが頼りになるんじゃないか?と思ったからだ。(迷信はそこ(目隠しされた庶民の支配者に対する不信)から始まる?のかも)

 

ところで、この「魔方陣

 

          4 - 9 - 2

          |\  |  /|

          3 - 5 - 7

          |/  |  \|

          8 - 1 - 6

 

               ↑

             「九宮魔方陣」といって、これが易占いや九星占星術などの東洋の占いの基本になっているそうな。

 

数字で説明されれば、とても「科学的」に思えて信用してしまうのは、「文系」の弱いところだ(笑)

 

ただ、この魔方陣には多少なりとも不思議なものがあるのか、これを初めて見た日の夜、わたしはこの「魔方陣」の中に閉じ込められた夢(悪夢に近かった)を見た。

(四方八方を火(大火)に囲まれ、人々が火の塊のようになって焼け死んでいく、という場面もあった・・・)

 

ということで、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」。

 

読み始めた「易」の本の前半をすっ飛ばして、拙(つたな)くも、試しに「この国」の今年の「運命」を占って見た。

 

すると、

出た「卦」が、 [大過]。

 

易経の本来の専門的な解釈はいざ知らず(まだ「爻辞」はよくわからないので「卦辞」だけで判断)、わたしには「大過」というのは「大きな過ち」という意味にしか受け取れない。

 

「お、当たっているではないか!」?(笑)

 

これはまた、いまの日本の支配層(政・官・財・メディア)が日本の「運命」を背負うには荷が重過ぎる、という意味にも取れるのかもしれない。

 

なるほど。

 

しかし、もしこれが当たっているとしても、われわれ庶民にはどうすることもできない。

 

状況を変えることはできない。

つまりわれわれの運命に変化は無い、ということだ。

 

まあ、占いとはそういうものなのだろう。

 

自分の力ではどうすることもできない逃れられぬ運命を知ってしまうというのは、かえって酷いことなのかもしれない。※

 

ということで、

ヘルメット、非常用食料、保存用の水、そして、夜眠るときは、いつ外に飛び出してもいい服装で寝る・・・と。(笑)

今年一年はその体勢で暮らそうかな。

(素人考えでは不十分なので、災害対策専門の人が書いた本も読まなくてはいけないだろう)

 

・・・それにしても、こんなに「用心」と「警戒」と「準備」が必要な時代が来るとは、若いときには考えたこともなかったなあ・・・

 

 

((^^;)よく考えたら、ど素人であるわたしの「占い」、判断、が当たる可能性も、限りなく小さいわけで・・・(笑)

ま、あとは各自のお考えと第六感で。過剰な不安感など不都合の無いよう、ヨロシクお願い致します。)

 

 

 

(※ では、この世界で自分が「絶望的な運命」に置かれているあるいは定められていることを知ったとき、その運命を変えるためにはどうすればいいか?

 

そのときは「革命」しかないですよね。

 

英国での一連の革命や、フランス革命、最近では「マルクス主義?」による革命運動の影響などもあって、日本人にとって「革命」といえば西洋のものという印象が強いのですが、「革命」はもともと東洋(古代中国)発祥(はっしょう)の思想ですよ。

 

古来、日本の支配者は「東洋思想」からその「革命」の部分だけ「抜いて」、なんとか上手くここまでやってきたわけですけどね。

 

しかし、江戸時代までは「民」に配慮しつつ、それでやってこれましたけど、(「徳川」政府はある意味「社会主義」政権です)、明治以降、なかんずく、一握りの資本家が全人類の運命を握ろうとしている現代においては、事情は一変しているわけで・・・

 

いかな日本人でも「人間」である以上、「革命」の問題は避けて通れない課題となってくるのではないか?

とわたしは考えています。(ex.「生存権革命」) )

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日の天気予報のような大雪にはならなかったけれど、

 

雪はたしかに降った。 (^^)

わたしが外に出たのは夕方近くで雪は止んでいたのだが、

近所の公園の植え込みには白い花か実のように

f:id:hibi333zakkan:20190209184257j:plain 雪が残っている。

そして、歩いていると、暗く曇った空からちらちらと降ってきた。

 

昨日の「降る雪や ~」そのもの \(^^)/

 

 

ところで、昨日の日記では東洋大学、ひいては日本の大学の現状を嘆いた。

 

しかし、それに似たというか、ある意味よりがっかりする事例が発生していた。

それは、

東洋大学ならぬテレビ朝日

 

古館氏時代の報道ステーションで存在感を発揮していた小川彩佳さんがテレビ朝日を退社するという。

 

古館氏が去った(逃げた?)あとの報道ステーションを見ていて、どうも会社によって「浮か」されていることは、それとなくわかっていたのだが、LITERAさんからの配信を見ると、相当の悪意で退社に追い込まれたようだ。

 

東洋大学の学生さんは「退学」の「脅し」だったわけだが、こちらはテレビ朝日のトップ以下、幹部、社員ぐるみの陰湿ないじめによって退社に追い込まれたようだ。

 

退社にいたる経緯を見ると、たちの悪い会社がやる「いびり出し」そのもの。

 

わたしは相当前から、テレビ朝日の社員ははネトウヨばかりだなあ、と思っていたのだが、今回の事例は、この会社自体のもつ体質の悪さも、もろに露呈した。

 

『(メディアが期待されていることは)~ 埋もれている事実を浮き彫りにする。そして時に、声をなかなかあげることができない人の立場にたち、寄り添うということでもあるんじゃないか、と個人的には思っています』

            (最後に「個人的には」と付け加えているところに注目) 

 

と(去年2月の?)会社のブログに書いた小川彩佳さんが、

かつて朝のワイドショーや夕方の「報道」番組で、「生活保護バッシング」「貧者バッシング」の先頭に立っていたテレビ朝日によっていじめを受け、追われた。

 

しかも、トップの早河洋(会長?)をはじめとしたテレビ朝日幹部によって。

 

まず、朝のワイドショーで生活保護バッシングや庶民イジメの報道をもっぱらにしていた桐永洋プロデューサーを報道ステーションのプロデューサーにして、周りもネトウヨばかりで固めて小川彩佳キャスターを「浮か」せ、その個性を殺す。

 

この時点で、いち社員、いち個人である小川さんは何もできなくなったわけだが、さらにその「いびり出し」を加速させてしまったのは、

・・・

このとき、悩んだ小川さんが田原総一郎氏にその「悩み」を相談してしまったことだ、と思う。

 

若いから、人を見る目がないのは仕方ない。

 

わたし(のようないろんな経験をした年配者)には、こういう(田原氏のような)人間はもっとも近寄ってはならないタイプだ、とわかるのだが、

若くても、すでに表面に現れていた田原氏の「変節」ぶりを見ていれば、この人がどういう人か、判断できる可能性もあったのに、と思うと気の毒でならない。

 

テレビ業界に巣食うダニ、とまではいわないが、ここまで田原氏が生き残ってきた経緯を見ると、「どういうこと」をやってきたか、どういう人間か、想像することは容易ではないだろうか?

 

この田原氏と早河洋氏(会長)と桐永洋氏(報道ステーションプロデューサー)ら幹部の間でどんな「話」がされたか?

(田原氏の娘もコネ?(あり)入社したテレビ朝日でたいした「勢威」らしい・・・)

 

それは、その後の彼女への「しうち」「処遇」が物語っているだろう。

 

トップ以下体質の悪い(わたしには倫理感も人間性もない「ヒヒ」野郎に見える)幹部の揃った会社、そしてネトウヨなみの、やはりまともな人間性も理性もないようなのが大勢を占める社員たち。

 

そこには人間性、人間としての「想像力」もなく、(そういった誠実なるものは陰湿に排撃される)、あるのは胸の悪くなるような偽善と保身、そして「高給」と「社会的地位」からくる「おごり」意識ばかり。

テレビ朝日の若造も含めた社員たちの「上から目線」意識には吐き気を覚える)

 

そんなところで「いじめ」ぬかれた彼女の苦労、辛さ、悲しさはいかばかりのものであったか?

 

ここで「退社」したのは正解だったろう。

 

テレビ朝日という会社は誠実な人間、まともな正義感のある人、本当のやさしさ、思いやりを持った人のいるところではなかったのだ。

 

アベま?何とかというネトウヨ部門に回され、ネトウヨ社員ばかりか、札付きのネトウヨコメンテーター、エセ文化人ばかりの番組で、いじられまくった彼女にトラウマが残らないか、が心配だが、

 

「あなたは正しかったのだ」「あなたこそがまともな人間なのだ。人間の心を失わなかった人なのだ」「テレビ朝日という悪の巣窟から逃れ出ることができたのはむしろ幸運だったのだ」

 

「これからも自分の信じた道を自分を大切にしつつ進んでいってください」

「理性ある人たちはみんなあなたの味方ですよ」

 

という言葉を贈ろう。

 

どうかお幸せに V(^^)V「思いやり」人間である貴女なら大丈夫でしょう。

 

わたしは小川キャスターが降板してからの「報道ステーション」は一度も見ていない。

チャンネル変換のときちらりと見るだけでも吐き気がする。

 

それにしても、「メディア悪」・・・

 

悪党や偽善屋、ネトウヨみたいな痴れ者ばかりのこの国のメディアは困ったものだ。

テレビ朝日の悪質さは他の局の体質をも示唆しているだろう。

 

メディア業界にも、「悪事」「迫害」「抑圧」にさらされつつ、それに耐え忍んでいる、人間的、良心的な人はまだ残っているだろうと思う。

 

そういう人たちの苦労、受難を思うと胸が痛む。

 

とにかく、この国のメディア幹部たちが「悪党」ばかりであることは間違いないようだ。

 

ま、本日の最後は

 “くたばれテレビ朝日ネトウヨ、悪党ども!”

という言葉で締めくくろう \(^0^)/

 

 

さて・・・気を静めるために、コーヒーとタバコ(笑)

f:id:hibi333zakkan:20180613063941j:plain    ← (笑)

 

 

 

 

 

 

 



 

夢の中にはずいぶんと荒唐無稽なものが

あるのだけれど、その中には「現実」なみ、あるいは「現実」以上にリアルに感じられるものがある。

 

昨日の明け方に見たのもそんな夢の一つだった。

 

分厚い雲でも垂れこめているのか、月も星も見えない暗い夜。

 

幅10メートルくらいの舗装された道路がまっすぐ、闇で閉ざされた向こうからこちらにずっと続いている。

道の両側には高さ30cmから50cmくらいの、石の生垣が続いていて、そこに多くの人たちが隙間ないくらい座っていた。

 

ぬめぬめと黒く濡れた道路が反射している弱い光で人々の顔や身体の輪郭はわかるのだが、表情は見えない。

 

何かが来るのか?

みんな何かを待っている様子だった。

 

しかし、何が来るのかわからない。

生垣に座って「待って」いる人たちは知っているのだろうが、すべての人が沈黙。話しかけることもできない。

 

音のない世界か?と思うほどの静寂に包まれている。

 

すると、突然、数人の男たちが缶(たぶん石油缶)と柄杓(ひしゃく)のようなものを持ってやってきて、道端に座っている人たちに液体(たぶん石油かガソリンのようなもの)をかけ始めた。

 

しかし、誰も抵抗する人はいない。

みんなおとなしく液体をばしゃばしゃとかけられている。

 

そのあたり一帯の人たちに液体をかけ終わると、

男たちは松明(たいまつ)のようなもので、わたしが向かっているほうの左側(わたしだけが生垣に座らず、道路の真ん中に立っていた)の人から順々に火をつけ始めたのだ。

 

火はあっという間に、その人たちを包み込んで燃え上がった。

 

座ったままの姿勢で上半身をくねらせ苦しんでいるような人がいれば、そのままの姿勢で炎に焼かれている人もいる。

立ち上がってノドをかきむしっている人や、ぴょんぴょん飛び跳ねるように見える人もいる。

 

しかし、誰一人として声を出す者はいない。

静寂、音のない世界は相変わらず続いている。

 

わたしは、立ち上がって何回か身をよじらせて倒れた背の高い男に近寄って、その顔を見た。

 

四十歳~五十歳くらいの頬のこけた男で、顔色は黒く、額や口の周りには深く刻まれた皺が何本かあった。

 

わたしが覗き込んだ、その表情は、激しい苦悶とも安らかな寝顔?ともとれる不思議なものだった。

 

これをどう考えたらいいのか?と男の顔を見つめているうち、

 

目が覚めた。

 

という夢だったのだが

 

目が覚めたとき肩口と右手の指がひどく冷えていてわたしは頭もとに置いていた電気ストーブをつけた。

 

悪夢とまでは言えないけど、後味の良い夢ではない。

 

これはべつに予知夢でもなんでもないとわかっているのだが、

 

<もの言わぬ日本人大衆が、わけのわからないまま何かを「待ち望んで」いるうちに、火をつけられ、そのほとんどが悶え苦しみながら死んで行く>

 

という、わたしの潜在意識に潜む不安に影響された夢、という「解釈」を「こじつけ」ることくらいはできそうだ。

 

 

真実や事実があたりまえのように隠蔽され捻じ曲げられるいまの日本社会。

 

カネや権力、力関係がすべてであるような体制下では、一つ間違えれば命の危機にも直面するだろう。

倫理、道理、人間性の失われた世界は恐ろしい。

 

と、ふとこのあいだあった、東洋大学の事例を思い出した。

 

まさにカネと権力、力が全てであるような新自由主義グローバリズムをこの国で強引に推し進めるヘッドクォーターの役割を果たしている超有名教授を批判した学生が、大学から「退学」の脅しを受けたという事件だ。

 

大学当局の対応も酷いものだったが、それ以上にわたしがショックだったのは、その学生を支える人がまったく学内にいなかったこと。

教職員にも、学生にも、彼に同調する人もいなければ、守ろうとする人もいなかったようなのだ!?

 

その学生さんは学内で孤立、学生たちの態度も冷たいものだった、という。

 

 

これは・・・

 

何といっていいのか、言葉がない。

 

わたしらの学生時代のことを引き合いに出すつもりはないが(・・・出しても無駄、空しいだけ、という気がする)

 

いまのこの国はそこまでになっているのか?

(コレハ ニンゲンセカイ ノ コトニ アラズ)

 

言うべきことは山ほどあるが、いまは不安と絶望感が先にたって、考えがまとまらない。

 

わたしの人間に対する信頼性と歴史認識もブレそうで、実にイヤな光景だ。

(ソウゾウリョク ヲ ウシナッタ ワカモノ バカリ ニ ナッタ ダイガク クニ)

これが日本的ナチズムと言われれば、なるほど、そうなのかもしれないが・・・

 

 

「ああ、ヘンな夢を見た」で終わってしまってしまえばいいのだが、これはもろ、「現実」だ。

 

たぶん、というより、間違いなく、これは東洋大学だけの問題ではない。

 

・・・

今日は↑まででこの日記は終わり、なのだが、どうも気分が悪い。

ということで、↓の部分を付け加える。

 

・・・

しかし、人間の歴史、世の中というものはそれでオシマイということはない。永遠不変のものなんて無い。

 

だから、案外、「こういうこと」が行きつくところまで行くと、「大変化」があって、日本でも有史以来初の「革命」が起きるかもしれない(笑)

 

その頃にはわたしやわたしの年代以上の人はみんな、雲の上(^^)や地の底(怖!)かもしれないけど、そこから地上を見て、

「へー、日本で革命が起こってらー」

と驚いているかもしれない。

 

かくして、日本および世界人類は新たな歴史を刻んで行く、と・・・\(^^)/

 

めでたしめでたし(笑)

 

 

え?自棄(ヤケ)で言ってるだろう、って?

 

うん。。

 

しかしわたしもトシを食ったなあ・・・

 

天気予報では明日は雪、ということで、「明日」の「俳句?」

 

降る雪や 「噂の眞相」も遠く なりにけり   (パクリ&字余り) 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『LITERA』さんからの「配信」で、

噂の真相」の編集長をしておられた岡留安則さんが1月31日に亡くなられていたことを知った。

 

岡留さんに直接お会いしたことは一度もないけれど、「噂の真相」はわたしがこのようなブログを書く「きっかけ」を与えてくれた雑誌だった。

 

正直、影響も受けている。

 

わたしが始めて「噂の真相」を手にとったのは、阪神大震災の前、1992年か1993年頃だったと思う。

 

そのころのわたしは、この国の政治や社会、文化には無関心というか、背を向けていて、アパートの裏庭に来るノラ猫の世話や近所のノラ猫たちとの「おつき合い」にもっぱら「楽しみ」を見出していた。

 

当時、そのあたり一帯をシメていたボス猫(赤トラの、顔もデカけりゃ表情もいかついオス猫)とは、いい友人、といった感じだった(笑)。

 

テレビも新聞も雑誌も一通りの世間的な「情報」を得るくらいの存在で、特別に興味を持つものはなかった。

まあ、「へ」のようなもので、

「いちおうニオイだけは嗅(か)いどかなくてはいかんかな」

という程度。

 

それが、はじめて書店で「噂の真相」を読んだとき、

「え?」

と思った。

 

「この内容、この面白さは?・・・

こんな雑誌があったんだ・・・」

 

ふざけた内容に見えながらも、読者の目線に立って「真実に迫る」「真実を伝えようとする」姿勢が伝わってきた。

他の大メディアのような、偽善、おためごかし、権力・権力者を背景にした上から目線、といったようなものが全くない。

 

これまで「閉ざされていた」社会の一角に小さな「窓」を見出したような気持ちだった。

 

以来、毎月欠かさず購入するようになった。

 

結果、(内心)完全に絶望して背を向けていた日本社会に再び目を向けるようになり、政治や文化に対する興味も戻ってきた。

 

購読しているうち、

「この雑誌なら、わたしの、この日本社会では相手にされないような、“異端”的な考え、意見、を理解してくれる人もいるかな?」

と思って、

読者の意見を載せる「読者の場」に投稿「してしまう」というようなことまでやった。

 

学校卒業以来、文章といえば「会社への報告書」や「お客さんへの説明書、案内書」くらいしか書いたことのないわたしが、社会人になってはじめて自分の意見を書いてみた。

 

「こんなの採用されるわけないよなあ」

と自分でも思っていた文章が、次の月の「読者の場」で、活字になって載っているのを見たときは、嬉しさよりも不思議な気がした。

 

おまけに「謝礼」として図書券までが送られてきた。

 

以降、ぽつぽつと3回くらい投稿したのだが、すべて採用してもらい、その都度、「図書券」が送られてきた。

 

いやあ・・・

「有難うございました」

その言葉しかない。

 

面白く読ませてもらって、わたしの「世間一般からズレた?」意見まで載せてもらって、そのうえ図書券までもらえるなんて・・・

 

ここでも、他の雑誌や新聞では考えられないことが「噂の真相」では(私的に)起こっていたわけです(笑)

他の媒体ではわたしの文章など、「ナニこれ?」でポイ、だったでしょう。(「噂の真相」以外にはどこにも投稿したことはないけれど、それは確実(笑))

 

噂の真相」はわたしにとって唯一無二の雑誌でした。

 

感謝の気持ちを込めて、「噂の真相」を「噂の真相」たらしめていた編集長・岡留安則さんのご冥福を祈ります。

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   ありがとうございました。今は安らかにお眠りください。

                               f:id:hibi333zakkan:20190202230158p:plain

                    

 

 

 

・・・・それにしても、まだまだ元気で活躍していただきたい人の訃報が続く。

1人去り、2人去り・・・

f:id:hibi333zakkan:20190123005213j:plain なぜ?  なぜなんですかー? と叫びたくなる。

 

「ご苦労さまでした」と感謝すると同時に、「残念」「惜しすぎる」という気持ちが・・・

 

肺がん、乳がん、心臓疾患・・・

 

                 なんだかなァ・・・

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

DHA&EPAの効果なのか?

 少し精神が元気になってきた。

 

まあ、周期的に襲ってくる「鬱」(うつ)が時間の経過で回復しただけのことだったかもしれないが、

それでも、DHA&EPAは魚をまったく食べることのできないわたしにとっては必要な栄養素だと思う。

 

1ヶ月約900円の出費だが、外食で「さんま定食」を食べても一食900円近くかかってしまう時代だから、まあ、どうってことはない。

それに、1ヶ月約900円というのはDHA&EPAサプリの値段としては安い。

これからも、薬局なのに“大人のおもちゃ”?(°0°)?がさりげなく置いてある、あの店で買い続けよう(笑)

 

それにしても、今回は森田童子さんの歌にずいぶん助けられた。

 

森田童子さんの歌を「自殺に導く歌だ」なんて書いている人がいるが、わたしはそれは正反対だと思う。

落ち込んだとき、その気持ちに寄り添ってくれる歌というのはむしろ救いなのだ。

 

なんといっても精神的に最も辛いのは誰も自分を理解してくれる人が周りにいないときなのだから。

 

どん底の気分のとき、その心を下から支えてくれるような優しさが森田童子さんの歌にはある。

 

いくらツライ状況でも生きてさえいれば、時の経過でいつかは問題が解決する。

環境的にも精神的にも。世の中は一瞬も止まることなく変化し続けているのだから。

それがこれまで生きてきてのわたしの結論。

 

むしろ、ツライ気分のときに、「明るい歌ですよー」「前向きで行きましょー」みたいな、利いた風な、作為的で世間におもねった歌を聞かされれば、衝動的に死にたくなってしまうかも知れないので、そちらのほうが“要注意”だ。

 

ほんとうの“涙”を流させてくれる「本物」の歌はありがたい。

 

ところで、元気になったので、森田童子さんのことを少し調べてみた。

 

素顔も本名も不明・・・約十年間の活動で60曲あまりの歌を残して、表舞台から去っていった、ということで、

素顔を写した写真も1枚もないのだという。

 

いまネットで森田童子さんの「素顔」(ではないか?)として載せられている画像もすべて本人ではないらしい。

 

面白いのは、森田童子さんの素顔で検索して、最も多く出てくるのが、山崎ハコさんの若い頃の写真だということ。

 

「これくらいはわたしでもわかるよなあ・・・」(笑)

 

山崎ハコさんはデビューが森田童子さんとほぼ同じ。

こちらはデビュー当時からメジャーだったので、わたしも1970年代の後半から知っていて、好きな歌手のひとりだった。

 

なるほど、(写真は別として)森田童子さんと山崎ハコさんがイメージとしてかぶる、というのは理解できるような気がする。

なんとなく顔のパーツが似ているし、「歌」も共通性があるように感じられる。

 

しかし、わたしらの世代が聞くと、森田童子さんと山崎ハコさんの世界は明らかに違う。

 

二人の年齢差は5歳?森田童子さんのほうがお姉さんだ。

 

この5歳差が結構大きい。

 

若者が社会に目を向け、異議を申し立てた全共闘運動の尻尾のところに森田童子さんはいて、その世界にそこはかとない理解を示しているのに対して、

山崎ハコさんは、その世代としては社会と「個」の軋轢(あつれき)を歌いながらも(初期)、「絶望」後の、社会とは切り離した自分の「内側」へと向かう傾向を示しているように思える。

 

歌も、森田童子さんがフォークソングに徹したのに対して、山崎ハコさんは演(怨)歌・ブルース系といったところか?

 

その山崎ハコさんも長く芸能事務所で寝泊りをするような生活を続け、芸能事務所が倒産したときにはホームレス同然の状態になったらしい。

有名人でさえ、不運によってあっという間に路上に放り出されるこの国の恐ろしさに、改めて○ン玉が縮む思いがする。

 

森田童子さんも相当苦労したことがうかがわれる。

普通の主婦をしていた、ということだったが、ご主人はご本人が亡くなる8年前の2010年に亡くなったらしい。

2010年に朝日新聞に載ったインタビュー記事では、「最も親しい人(ご主人)」を失い、しかも自分の健康状態も悪くて、手紙も書けないくらいに憔悴している、という「近況」が述べられている。

 

高校時代の3年間を結核で療養施設(サナトリウム?)で過ごさなければならなかった、ということだから、もともと丈夫な体質ではなかったのだろう。

苦労、悲しみの多い人生がしのばれる。

 

ネットでは、子どもがいる、などという情報が一部あるが、これも画像同様いいかげんなものだろう。

わたしは、おそらくお子さんはいなかったのではないか、と思う。

 

ともあれ、ここまで書いて、気がついたのだが、

・・・森田童子さんの「素顔」や「プライバシー」なんて、本来どうでもよいことなのだ。

 

彼女の歌と、数少ないながらも残っている活動の記録。

それだけでいいのだ。

 

それが、素顔も本名も一切明かさず、(日本が決定的に変わっていく)1983年という年を画期として、自ら表舞台から消えていった森田童子さんの意志(いまは遺志)に沿うことだと思う。

 

前回の「日記」にUPした動画、「夜行」の②で、森田童子さんが語っている言葉

 

「わたしたちのコンサートが不可能になってゆくさまを見てほしいと思います。

そして、わたくしたちの歌が消えて行くさまを見てほしいと思います」

 

ここに、彼女の思いの全てが込められているだろう。

 

活動当時の森田童子さんを知る人の話に、「彼女はさらに上に行くこと(社会的成功)を頑強に拒み続けていた」という内容のものがある。

 

森田童子さんの人生が苦しみ、悲しみに満ちたものであっったとしても、その心は安定、一貫していてぶれることのない生涯、だったのではないだろうか?

 

それにしても、このトシになってでも、森田童子さんの存在を知ることができてよかった。

彼女の1周忌になる今年の4月24日は私的に「童子忌」として、森田童子の歌と「思い」をしのぶ日にしよう。

 

 

 

・・・ところで、今晩は久しぶりに山崎ハコさんの歌でも聴こうかな。

しかし、彼女の歌は眠る前のものではないなあ。少なくとも夜の9時頃までにしたい。

 

コンコン コンコン くぎをさすー♪ (^^;)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1/23 けさパソコンを開いて、

『マスコミに載らない海外記事』 さんのブログを読んでいたら、「後記」にこんな情報・記事が

 

『竹中教授を学内で批判した4年の学生に東洋大学が「退学警告」』

『ポイントカードの最大手のひとつであるTカードを展開する企業が,氏名や電話番号といった会員情報のほか、購入履歴やレンタルビデオのタイトルなどを、裁判所の令状なしに捜査当局へ提供していたことが発覚』

 

『 ~、カイライ政権による憲法破壊の取り組みは、再び宗主国の傭兵(ようへい)として中国なり、朝鮮なり、中近東なり、アフリカで、日本軍に、侵略戦争でいいように利用されるいわば牧羊犬の役割を与えようとするものだ。

あるいは不沈空母として、国まるごと宗主国の前線としてささげる暴挙のため。

狂った大学も、違法な情報漏洩も目的はただ一つ。

勤労統計サギで見るように、属国支配組織は腐敗の極みにあるが、※大本営、亡国政策では一致していて、野党には負けそうにない(野党はどうすることもできそうにない?)。』

 

(※大本営とは、財界・政界・官界・メディアなどのこと・・・?)

 

・・・いやもう、何をかいわんや、という感じ。

日本の支配層やその同調者さんたち、どう考えてもまともじゃない。

 

「こりゃあ狂っているわ」というような人たちとは関わりにならず、距離をとっておくのが一番なのだが、

そういう狂った人たちから逃れられず、おまけに強圧支配までされてしまうというのは、この世の中でも最悪の出来事のひとつと言っていいだろう。

 

・・・あ~、しんど、

なんていっているうちに、滅ぼされちゃうと。

 

最近、年食ってることに感謝するようになってきた。

財界や政治家や日本政府が老人を虐待、早く死なせたくてたまらない気持ちもよくわかる(笑)

 

 

ところで、肉や魚などの動物食を絶ってからは一度も痛風を発症していない。

血圧も、高いままではあるけれど、安定していて、お医者さんにかかっていないにも関わらず、悪化の兆(きざ)しはない。

 

これはありがたいことなのだが、「平穏」な反面、その「副作用」で?「元気」がなくなってきた。

 

といっても体力がどうこうということではなく、元気がなくなったのは「精神面」。

 

最近、わけもなく落ち込むことがあり、孤独に強いと自負していたわたしが、「さみしさ」を感じることも多くなってきた。

 

気のせいか、周囲の景色も殺伐としてさみしい。

f:id:hibi333zakkan:20190123004950j:plain アパートの近所に咲く山茶花(さざんか)の花は白ばかりだし(笑)、

アパートに続く線路沿いの道は昼も夜もあまり人を見かけない

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東京も繁華街から離れれば“殺風景”なもんだ、 

なんて思ってしまう。

 

なんだか・・・これはちょっとやばい?(笑)

ということで、3日ほど前から、これまで飲んできたサプリ=マルチミネラルマルチビタミン、に加えてDHA&EPA(=魚の油?)を飲みはじめた。

 

DHA&EPAにしたのは、「あとはこれくらいしかないかな」と思っただけのことで、たいした根拠はない。

 

当然、効果は全くない。まだ・・・

 

こういう(弱った)精神状態になると、とくにつらいのが夜だ。

なかなか眠る気にならない、というか眠るのが少し怖い?

 

それで、睡魔が襲ってくる午前1時頃まで、ヘッドフォンを着けて音楽を聴いている。

 

最近はまっているのが森田童子(もりたどうじ)。

1970年代の半ばから1983年まで活動していた女性シンガーソングライターで、そのころはその存在すら知らなかった。

 

この人がメジャーの世界で有名になったのは引退後の1993年と2003年に、テレビドラマ「高校教師」の主題歌にこの人の歌(「ぼくたちの失敗」)が使われてからだ、という。

もっとも、わたしはその頃は仕事に追われていて、ほとんどテレビを見ない生活で、この人のこともまったく知らないままだった。

 

「はまった」のは偶然ネットで歌を聞いてから。

 

「純粋」「透明」なその歌声に

「ああ・・・昔の、わたしの若いころの女の子って、こんな声をしていたっけか?・・・」

と、ノスタルジックな気持ちをかきたてられたのが最初。

 

「ぼくと観光バスに」・・・「チィチィよハァハァよ」・・・「君と淋しい風になる」・・・「男のくせに泣いてくれた」・・・「みんな夢でありました」・・・・・

 

寒い日の深夜、ひとりでこれらの歌を聞いていると、たまらん・・・

 

しかし、いい年をこいたおっさんがひとり、女性シンガーの歌を聞いて涙目になっているなど、絶対に誰にも見られたくない姿だなあ(笑)

 

さっき検索していたらこんな動画が見つかった。

[http://:title]

森田童子さん自身が、東京で自由な空間がなくなっていること、それに抗してテントを張ってコンサートを開くこと、の意義を語っている貴重な映像だ。

 

サングラスにカーリーヘアという姿はハードな印象を与えるが、これは彼女の自己韜晦(じことうかい)で、ほんとうは恥ずかしがり屋で純情な、ふつうの女の子だったのではないかと思う。

 

森田童子童子という名前も、本人は「笛吹き童子」からとった、と言っていたそうだが、ほんとうは、東北地方の幼い子どもを意味する方言である「わらし」のことではないだろうか?

 

彼女のシンガーソングライターとしての活動は約10年と短いが、わたしはそれはそれでよかったのだと思う。むしろそれを評価したい。

欲望渦巻く?ニッポンの芸能界には、彼女のピュアな歌声は似つかわしくない、あるいは「合わない」と感じるからだ。

 

引退後はふつうの主婦として暮らし、去年4月に66歳で亡くなったということだが、「そのような」性格であれば、表面的にはともかく、苦しくつらい思いをすることの多い人生ではなかったかと推察する。

 

ご冥福をお祈りしたい。

 

今は、世間との折り合いに苦労することもなく、ピュアな来世の世界を楽しんでおられるのではないだろうか。

この世での苦労は無駄ではない、とわたしは思っています。

 

 

 

・・・・・

それにしても、わたしがはまった歌を歌った女性シンガーの方々が軒並み60歳代で亡くなっているのに少し驚いた。

 

少し思い出して検索しても

淺川マキさん、67歳   藤圭子さん、62歳   りりィさん、64歳

そして、森田童子さん、66歳・・・

 

そういえば、(・・・歌手ではないが)、わたしが「この奥さんすごいや」と感心した、モーニング宇宙ニュースの服部和枝さんも65歳で、去年の年末に亡くなっている。

 

男よりも長生きすると言われている女性が・・・?

 

どうも、政府・厚生労働省は日本人のほんとうの「寿命」の「実態」を隠しているんじゃないか?

 

「年金支給年齢をもっと上げろ」とか、「74歳まで働かせろ」とか、・・・???

 

日本政府、国民には一銭も年金なんて支給したくない、と考えているだろう!

 

絶対に国民をラクにさせない、国民をシアワセにしない政府だ

 

本来、死の床での激しい痛み、苦しみをどうするか、の問題だった「安楽死」を、資本家や国=政府・官僚の役に立たない「老人」や「障害者」などを殺すためのものにすりかえる政府、メディア、御用エセ文化人・・・

 

いやあ、ほんとうにこの世=この国はさらなる地獄に向けて進んでいるようだ。

 

どこかの宗教団体ではないが、亡くなった方に対して、

「おめでとうございます」

と言いたくなってくる・・・

 

はァ・・・こりゃあ今夜も眠るのに苦労しそうだなァ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

2018年から2019年への年末年始、

年越しは去年同様、Eテレビを見ながらにしようと思っていたのだが、その前に本を読みながら眠ってしまい、目が覚めたら午前1時を過ぎていた。

 

寝ている間に年越し完了(笑)

 

「あーあ」と思いつつ、Eテレの「ねほりんぱほりん」などを見ていたのだが、こちらでも知らないうちに寝てしまっていて、起きたらもう日が昇っていた。

 

こんなに眠ってばかりの年越しは初めて。

 

雑煮を食べながら

「トシなのかなー」

と少しショックだった。

 

元日はネットを見て一日を過ごす。

 

ネットはすごい、と思うことの一つが、記憶の彼方、というか自分が子どもだった頃の画像を検索ひとつで見ることができることだ。

 

そして、

「まさかそんな画像があることはないだろう」

というようなものが「ある」こと。

 

 

わたしは3歳から7歳にかけて四国で暮らした。

その期間、父が四国のその村(当時)にある鉱山で働いていたからで、村の空き家?を借り上げた「社宅」に親子三人で住んでいた。

 

わたしはその村でもの心がついたので(それ以前の記憶はまったくない)、いわば「ふるさと」のようなものなのだが、今では夢のようなおぼろげな記憶しかなく、

おとぎ話をあやふやにしたようなような世界になっている。

 

そこは小さな山の中の村で、鉱山も一般の人はほとんど耳にすることのないような小規模のものだった?から、「いたずら気分で」その村を検索して、村と鉱山の「今」の画像が出てきた出てきたときは驚いた。

 

鉱山は「廃鉱」になっていた。

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いまはもうほとんど森の中に埋もれていて、ここに鉱山があったことさえ知る人も少なく、「廃墟」あるいは「廃鉱」マニアの人がたまに訪れるくらいになっているようだ。

 

(これらの画像はすべて<www.mafura-maki.jp/tanbo/kouzan>さんのブログからお借りしたものです。わたしにとってはお宝の画像なので、一部ここで使用(ここに残す)ことをお許し願いたい。謝謝)

 

ここでわたしが何より驚いたのは、「火薬庫」跡の画像があったこと。

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左側が「火薬庫」の入り口、右側の厳重な扉?で閉ざされているのが「火薬」の保存場所だ。

 

これこそが私の父が従事していた仕事、仕事場だった!

土木技術者だった父がこの鉱山で働いていたのは「危険物取扱者」の資格を持っていたから。

(たぶん、派手にどかん、どかんとやっていた?のだろう(笑))

 

一日だけわたしは父について鉱山に行ったことがあったが、

その日は仕事が無かったのか、父は退屈そうに事務所の机の前にすわっていたり、ぶらぶらしたりしていた。

 

子ども心にも

「なんだ、父ちゃん仕事してねーじゃないか」

という状態だった。

 

このとき、事務所にいた父の同僚の人が近くを案内していろいろ説明してくれたのだが、記憶の4分の3くらいはキレイに消えてしまっていて、何を見させてもらったのかほとんど憶えていない。

 

それにしても、現在こうして見せてもらっている画像とわたしの記憶が結びつかないのも驚きだった。

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わたしの記憶があやふやなこともあるが、当時山を広く覆っていた砕石場が森に還っていたり、施設が撤去されたり、と、鉱山自体の姿も大きく変わったからだろう。

 

なるほど、わたしもトシをとったわけだ(笑)

 

トシついでに、このころのことを思い出してみると、

 

社宅にはテレビが無く、情報源、娯楽源はもっぱらラジオだった。

島倉千代子の「からたち日記」や「若いおまわりさん」(歌手が誰だったかは忘れてしまった)がよくかかっていた。

 

テレビは週に1日か2日、夕食後に隣の大きな家に見せてもらいに行っていた。

このときわたしがはまっていたのは「ハイウェイパトロール」というアメリカのテレビドラマで、

これがある日は必ず隣に行った(笑)

 

それを思い出して、「ハイウェイパトロール」を検索してみると、なんとこれは放送当時字幕スーパーだったらしい。

 

とすると、会話などはすべて英語だったということなのだが、わたしには出演者が日本語をしゃべっていたような記憶しかない???

これも記憶のあやふやさなのだろうが、

 

なんであんなに夢中になって見ていたのだろう?(笑)

 

あともうひとつ驚いたのが放送した局がNHKだったことだ。

わたしの記憶の中では、この「ハイウェイパトロール」と「ヘリコプターを使った?ソニーのCM」が一体になっているのだ。

 

NHKならCMはないはずで、

では、あのソニーのCMはナンダ?ということになる。

 

記憶が混乱というか、混在しているのは間違いないのだろう。

 

 

こうして、幼い頃の記憶違いまで気づかせてくれるネットというのはほんとうにすごいものだと思う。

 

こういう時代が来るとは想像もつかなかった。

 

昔に比べ、便利になるところはすごく便利になっている。

 

しかし、それと人生の楽しさ、味わいは別だということにも気づく。

 

なるほど、世の中恐ろしく便利になったが、その便利さがどれほど人間を幸福にしているか、と考えたとき、

「幸福度」への貢献は技術の進歩ほどには大きくない、というのが実感だ。

 

なぜそうなってしまうのか?

半世紀以上昔のガキというか子どもからしたら不思議でならない。

 

その子どもも、

「日本のテレビ網といえば、アメリカのCIAが読売新聞の正力松太郎を使って作らせた一種の軍事施設のようなもので、

初期のテレビ放送で、最初からユダヤ資本の助けを借りていたソニーのCMが派手に流れていたのは興味深い」

などとひねた考え方をするおっさんになってしまった \(^p^)/

 

ということで(笑)

ともあれ、元日早々、楽しかった子ども時代の回想にふけることができたのは、プチ幸せだった。

 

f:id:hibi333zakkan:20190105133736j:plainうーん、、、、この画像は・・・

かすかに記憶に結びつくような・・・気がするなァ \(^-^)/