いったん暖かくなりはじめて、このまま気温が

上がっていくのかな、と思っていたら、

桜が満開の頃から、また冬に少し引き戻されたかのような寒さになり、今日もかなり寒い。

 

花冷え(はなびえ)がずっと続いている状態といえば、そうかな?と思うけど、桜の花もかなり散った状態での、こんな寒さの継続は珍しいのではないだろうか?

f:id:hibi333zakkan:20190412233541j:plain  (今日見た桜。花半分、若葉半分。寒さもあって元気なさげに見える。)

 

元号が「令和」に変わるまであと半月あまりだが、つい、「令和」ならぬ「冷和」の文字がアタマに浮かんでしまう、         寒っ・・・

 

元号をお決めになったアベ首相はこの寒さにさぞ気をもんでおられるのでは?などと思ったりもするのだが、

 

阿諛追従(あゆついしょう)、おべっか、ごますりに囲まれて“裸の王様”状態であるらしき首相にあってみれば、そんなことはべつに気にならない、というか、「思いもしない」というのが実際のところだろう。

 

この「元号」も、そういう環境から出てきた「匂い」がぷんぷんする(笑)

 

ちなみに、わたしは、今の政府(首相)がこの次の元号を「令和」(れいわ)としたのは冷、じゃなかった、「令」=クール、「和」=ジャパンで、「クールジャパン」をイメージしたのではないか、と思っている。

 

また。「ラリルレロ」のラ行が頭に来たのは、外国の人にも発音しやすいように配慮したのだろう?

 

日本語の「名詞」でラ行が頭にくるのは「外来語」か「外国由来のもの」がほとんどだ。

 

どうして?と知識浅薄なわたしに聞かれても困るが、

五十音をアイウエオ、カキクケコと順番に発音していっても、ラ行だけが明らかに舌の使い方が違うことはわかるだろう。

 

わたしは、もともとは接尾語として発音されるだけだった「ラ行」の音が、外国の人やモノに対応するために、名詞の頭に使われるようになったのではないか、と考えているのだが、わたしは専門家でもなんでもないので、これはあくまで想像の域(いき)。

 

「ラ」行の言葉が一気に増えるのは明治期以降で、現代人にいたっては「ラ」行の言葉にまったく違和感を抱かなくなっている、

どころか、

若者、とくに若い女性などは「レイワ」と聞いて、「うわー、カッコいい!」と喜んでいたりして・・・

 

これも「国際化」による日本人の変化なのだろう。

 

それはそれでいいことかな、と思うが、

 

「ラ」行を頭に持ってきて、

「国書」がどうのこうのというのは・・・ねえ 

 

(アベ首相、万葉集を読んだことあるのかなァ?)    

 正直に、

「みなさーん、カッコいい元号ですよー」

「クールジャパンですよー」  「外国の人も発音しやすいでしょー」

と、

言えばよかったのに(笑)

 

ともあれ、もう「寒さ」はいいので、早く暖かくなってほしい・・・

 

 

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https://youtu.be/GgEovnjtU9A

 

外人さんも発音しにくいみたいだ(笑)

 

それにしても、この動画の外人さん知日派

 

意外と、この人みたいに日本語ぺらぺら(日本人のネイティブレベル(笑))で日本のことを熟知しているアメリカ人って多いんだよね。

 

これで思い出しちゃったんだけど、昔々、わたしにはこのレベルの日本通のアメリカ人の友人が2人いた。

 

ある日、そのうちのひとりが偶然わたしを街で見つけて声をかけてくれたんだけど、見ると、とてつもない大男と一緒。

 

しかも、明らかに「ふつうの人間」ではない。

 

しかも、その大男はその友人とわたしが挨拶を交わしているあいだ、ものすごい表情でわたしをニラみつけている。

 

「なんだよこれは~」

わたしのキン○マは一瞬のうちに身体の中に避難。

わたしは縮みあがった。

 

大男はわたしを指差して「こいつはナンダ」と、その友人に聞いている様子。

友人は必死に説明、

やがて大男の緊張はとけて、スッと手を差し出してくれた。

 

しかし、握手している間も大男の眼光は鋭いまま、にこりともしない。

 

彼らと別れても、わたしのキン○マはしばらく体内に隠れたままだった。

 

その大男は、プロレスラーのブルーザー・ブロディ

 

プロレスに疎(うと)いわたしも名前だけは聞いたことがあったので、

友人から紹介されると、

「あはは・・・す、すごいですね。わたしもフアンなんですよ(←ウソ)」

といって、友人がそれを伝えてくれたが、ブロディさんは少し首をひねっただけで、表情は変わらない(そのときはかなり柔らかくなっていたが)。

「ホントか~?(ウソつけこの野郎)」

と思っていたのかもしれない。

 

少し話をして別れたが、怖かったものの、嫌な印象はなかった。

 

後にその友人とそのことについて話したとき、友人も

「いやー、岩(いわ)みたいだったよねー」

なんて言っていたから、あの体格はアメリカ人もびっくりなのだろう。

友人はそのときブロディさんの通訳をしていたということだった。

 

そのブロディさんが後に刺殺された。

 

そのニュースを見たとき、

「マジメ、真剣、神経ピリピリ、警戒心が強い」

といったブロディさんの、そのときの印象を思い出して、

「内面的に真面目すぎて、妥協のできない人だったのかなー」

なんて思ったものだった。

 

ブロディさん、

今では「超獣」なんていわれて、フィギュア界で人気なのだとか。

f:id:hibi333zakkan:20190413202324j:plain 今や完全に伝説の人。

ひょんなことで握手できたわたしの印象では、「超獣」というより、友人の言った通り、「岩」のイメージだなァ。

 

「岩の超人」の冥福を祈ろう。

 

 

日が落ちるとひどく寒い。

 

「令和」、レイワ、かァ・・・(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ショーケン=萩原健一さんが今月の

 26日に亡くなっていたことがわかったという。

享年68歳。

 

その早すぎる死を惜しむ声が多い。

 

わたしも残念でさみしい気持ちだが、

 

通っていたスポーツジムに行った翌日の急死。

「最後までカッコいい人だったなあ」

と、少し羨ましくもある。

 

それにしても、有名人の訃報が相次ぐ・・・

 

日本の“カッコよかった”時代を担った“カッコいい”人たちが次々と消えて行く。

 

それにしても、有名人の人たちもだが、わたしの周りでも60歳代で亡くなる人が実に多い。

 

日本人の「平均寿命」の「統計?」「も」フェイクじゃないだろうか?

とも思う今日この頃。

 

まあ、日本人が長生きなのは、戦国時代に日本に来た宣教師が書き残しているように、昔からなのだが、近年、日本人は短命化しているようにも見える。

 

それはともかく、

 

訃報を聞いて最初にわたしの頭に浮かんだのは、なぜか、映画「八つ墓村」の辰弥役を演じた萩原健一さん。

 

あの映画をわたしは封切りで見たのだが、映画も面白かったし、萩原健一さんも好演だった。

 

ともすれば陰惨に傾きがちな内容の物語を、萩原健一さんのもとから持っているカッコよさが救っていた。

金田一耕助役の渥美清さんとの組み合わせも絶妙だった。https://youtu.be/8dKNPS_2fBs

 

この映画で濃茶の尼が叫ぶ?「祟りじゃ~!」は流行語にもなって、わたしが勤めていた会社でも、女性社員が仕事でミスをした人などに「タタリじゃ~」なんてやっていたのを思い出す。

 

「タタリ」でふと頭に浮かんだのが沖縄に生息しているというジュゴンのこと。

 

長年沖縄・辺野古の海周辺に長く住み、「生活」していたジュゴンも3頭ばかりになっていて、その3頭も辺野古の軍事基地建設に伴う埋め立て工事で貴重な餌場のひとつを失い、生存が脅かされているということだったが、

 

そのうちの1頭が19日、沖縄・今帰仁の沖合で死骸となって漂流しているのが発見されたという。

 

日本の貴重なものが次々と失われていっている、という気がする。

 

動物では、すでにカワウソ、トキなどが絶滅している。

トキは中国産のトキで復活を図っているそうだが、それにしても、日本は絶滅した動物、絶滅危惧種が多い。

 

本質的に「生命」を大切にしない日本の支配体制、政治にも大いに原因があるんじゃないだろうか、と思う。

 

辺野古の軍事施設建設に反対する市民の皆さんには是非、辺野古ジュゴン墓を作って上げてほしい。

沖縄の自然を破壊しジュゴンを追いつめ、軍事基地の建設をムタイにごり押しし、利権と戦争を引き寄せようとしている政権と政権周辺の人たちに、ジュゴン墓さまの「タタリ」が降りかからないよう、「期待」?したい(ワクワク))

 

貴重なものが失われていっているのは、動物だけではない。

 

今日の「リテラ」さんの配信は

 

荒川強啓デイ・キャッチ終了の不可解

 聴取率好調なのになぜ?

政権批判できる報道番組がまた消える』。

 

ネトウヨ政権」といわれるアベ自公政権の下で「民主主義」「言論の自由」「言論の場(メディア等での)」も急速に失われているようなのだ。

 

いまの日本の支配層はウヨ化、ファシズム化がカッコいいことだとでも思っているのだろうか?

戦争ができるようになり、自由が失われ、人々の思考が画一化され、貧富の格差が拡大し、弱者を切り捨てていく国がカッコいいのだろうか?

 

20年前くらいまではそうじゃなかったよなあ。

 

・・・でも、もうこれからはわたしたちの時代ではない。

 

わたしには、わたしより若い世代の日本人がどのような「展望」や「希望」、「理想」を持っているかわからなくなっていて、

 

ただ、日本国憲法を基本として、その理想を追求しようとしていた日本人の多かった「昔」や、「現代では「追放」の憂き目にあうような」“(いろんなタイプの)カッコよかった”人たちを懐かしむばかりだ。

 

 

そのかつての、日本国憲法、民主主義の理想を追っていた時代の人たちも年をとり、次々と鬼籍に入っている。

 

「ご苦労さまでした」

と見送りたいけど、

 

今年の「国民の幸福度」ランキングで「総合」世界58位。

国の(国民の?)「寛容度」世界92位。

「自由度」世界64位。

 

という現状はあまりにもサミシく、先輩たちが気の毒に思える。

(みなさん、できるだけ長生きしてください・・・)

 

もちろん、萩原健一さんの死に政治的な意味を持たせる気はないけれど、

今のものとは違った(あるいは今では持てない)カッコよさがあったことは事実だろう。

 

「いい時代」から「厳しい時代」へ

 

わたしは萩原健一さんよりは何歳か年下だが、そういう時代を経てきたということで、ほぼ同じ時代を生きてきたと思う。

 

それにしても、「今」は、表面的なカッコよさは追及されているようだけど、本質的には「ダサく」で「恥ずかしい」時代なんじゃないかな、と脳みその前頭葉の一部で感じている(笑)。

 

 

ともあれ

「あーカッコいいなァ」「羨ましいなァ」(ハンパなくもててましたよねえ)と思っていた“ショーケン”の

ご冥福を心より祈ります。

 

こうしてひとつひとつ「時代」が終わっていく・・・

 

 

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おととい3月27日の日記。

下書きのまま抹消しようかと思っていたのだけれど、UPすることにしました。(^^)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

桜も咲きそろって、いよいよ本格的な春。

f:id:hibi333zakkan:20190327033840j:plain

近くにある小学校の校門から見上げた桜。

 

春の歌でわたしが真っ先に思い出すのは、なぜか「春が呼んでるよ」という歌。

 

この歌は、わたしが小学5年生に上がる前の春休みのころに、NHKの「みんなの歌」で聞いて「はまった」歌だ。

 

「はまった」きっかけになったのが

 

“あの土手に寝転んでお弁当食べたいな”♪  というフレーズ。

 

その歌を聞く少し前、わたしは両親に、市部にある百貨店に連れて行ってもらい、そこの大食堂で生まれて初めて、「カツ丼」を食べたのだが、いや、そのおいしかったことおいしかったこと!

 

それは、いまふつうにあるタマゴでとじたカツ丼ではなく、ご飯の上に薄めのトンカツをのっけて、その上にデミグラスソースをかけてグリンピースを3個ほど置いただけのシンプルなものだったのだが、このカツ丼にわたしは夢中になって、以後、その百貨店に行くと、必ず注文するようになった。

 

 その「たまらなくおいしいカツ丼」の印象が強烈だったためか、

 

「春が呼んでるよ」の歌詞の中にある、“お弁当食べたいな”♪の「お弁当」が、わたしの頭の中で“カツ丼食べたいな”に「変換」されたのだった。

 

“あの土手に寝ころんでカツ丼を食べたいな”♪

 

「春が呼んでるよ♪」はわたし的には「カツ丼が呼んでるよ♪」になった。

 

「食欲」と結びつくと、やはり強烈に心に刻まれるのか、この歌はわたしの「ソウルソング」のひとつになっている。

 

ただ、この歌はその後、テレビやラジオなどで聞くことがなく、わたしがひとりで歩いているときに、気分に応じて軽くハミングするくらいなものだった。

 

それがyoutubeで聞けるようになった。

 

ただ、わたしが「みんなの歌」で聞いていたものはなく、最近の合唱団や歌手が歌っているものばかりで、なつかしさはもうひとつ。

 

「みんなの歌」では、わたしと同い年くらいの子どもたちが土手の上や斜面を走り回っている映像があって、その、草の茂った斜面で自分が「カツ丼」を食べる光景を想像していたわたしにとっては、映像も懐かしく、ずっと探していたのだが、

 

最近、「見つけた」!

 

ユーチューバー?の方のパソコンの画面に映し出されていたものだが、画質が恐ろしく劣化していて、子どもたちがみんな「幽霊」のよう。

 

ちょっとショックだった。

 

そんな昔になっちゃうんだなあ・・・

 

たぶんNHKにも、鮮明な映像は残っていないのだろう。

 

このころやっていた「てなもんや三度笠」の財津

 一郎さんのギャグではないが

 

「サミシーーーー!」 (T^T)

 

あまりこの歌が歌われなかったのは、ちょっとメランコリーな曲調が日本の「春」とは合わなかったためであるかもしれない。

 

「歌詞がいまひとつ」

というような評価もネットのどこかで見た。

 

それでも、やはりこの歌はわたしの春のソウルソングなのだ。

 

「食欲」のほかには、小学3年生から6年生にかけて、3年4年、5年6年とそれぞれ2年間づつ担任だった二人の教師との関係が最悪であったこともあるかもしれない。

 

「みんなの歌」でこの歌が流れていたときは、ちょうど4年次が終わり、嫌な担任(女性)から逃れて、少し」ホッとしているときだった。

 

しかし、その次にはさらに強烈なの(男性教師)が来るのだった。

 

いまでもわたしは「いじめ」と聞くと、この二人の教師を思い出す。

 

それ以外の教師でとくに嫌な思いをしたことはなく、わたしは同級生からのいじめも受けたことがないので余計に強烈に記憶に残っている。

 

前の日記で、わたしは小学5年生から「初恋」が始まったことを書いたが、

わたしの小学5年生、6年生時は「初恋の女の子」という「天国」と、最悪の関係だった担任教師という「地獄」が共存した、「天国と地獄」の季節だった。

 

完全無欠の通信簿オール5の女の子の隣に、2と3が半々という落ちこぼれのわたし。

ふつうなら嫌がられるところ、彼女にはほんとうに親切にしてもらったなァ。

 

通信簿を親に渡すときは苦痛だったが、不思議と叱られたことはなかった。

 

後年、わたしが大学生になったとき、倉庫の中に、わたしの小学6年次のペーパーテストが教科別にすべて厚紙を表紙にして綴じられているのを発見したときは驚いた。

 

父が作成して保存してくれていたものだった。

 

それを見て、わたし自身が驚いたのは、

「えーーーっ?」と思うくらい、どれも点数がいい!

わたしがもっとも好きな科目だった「理科」などは、3分の2以上が100点。(通信簿はずっと「3」)

 

父がわたしの成績の悪さについて、不思議なほど「知らん顔」していたのは、そういうことだったのか、と改めて納得がいった。

 

親とはありがたいものです・・・。

 

 

 わたしの「春のソウルソング」がメランコリーな調子のものになったのには、当時のそういう状況もあったからかもしれない・・・

けど、

 

 

やはり春はほとんどの人にとって喜びの季節なのだから、

 

(わたしのように)嫌なことを思い出してはいけない(笑)

 

 

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「みんなの歌」↓ この動画が長く残っていてもらいたい・・・

https://youtu.be/TPYMu1AwKis

 

こちらが「今」の子どもたちが歌う「春が呼んでるよ」

https://youtu.be/LstnmbRIlGE

 

いつの時代も子どもは変わらない、というか、人間の「基本」は変わらないんですよね。

 

 

 ↓この動画の財津一郎さん、“異様さ”が薄れていて、ちよっぴりすべり気味?(^^)

https://youtu.be/Bz2RSbawoII

 

しかし、昔の芸人さん、役者さんが芸そのものを追及していたということはわかりますよねえ。

 

近ごろは、芸よりも力関係といいますか、権力、権力者を背景としてテレビなど「おいしい」「仕事」にありついているような人が多いように見えます。(つまり、「あちら側」のヒト)

 

昔の芸人、役者さんは「権力」とは一線を画していたんじゃないでしょうか。

権力者より、お客さん、民衆の側(がわ)にいた、と思います。

 

だから、お客さん、大衆を笑わせ、感動させるために必死だったわけで、昔の作品を見ると、それがストレートに伝わってきます。

 

この「てなもんや三度笠」もテレビという限界はあるにしても、そういう時代に属しているものでしょう。

 

だから、テレビとはいえ、出演者の皆さん、みんな必死。

プロフェッショナル芸です。

撮影はまったくの生本番、一発勝負だったそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

夕方から雨。

深夜になっても降り続いている。

 

しかし、もう冷たい雨ではない。

どこか温(ぬく)もりを感じさせる春の雨だ。

 

このあいだまで木についていたナンキンハゼの実も、今日見たらひとつも残っていない。

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左が十日ほど前で、右の画像が今日のもの。右の画像で白く見えるのは水滴の反射。

すべて鳥が食べたのか、それとも落ちてしまったのか・・・

 

f:id:hibi333zakkan:20190307004006j:plain深夜の踏切を通り過ぎて行った回送電車。

こちらにもなぜか暖かいもの?を感じるのは、

昨日まで「ぱさついた」気分に悩まされていたわたしの感情に潤(うるおい)が戻ったからか?(べつにきっかけがあったとかではなく、自然と(笑))

 

公園横の細い道

f:id:hibi333zakkan:20190307004505j:plainタンゴの「小雨降る径(みち)」のメロディーが想い出されて、頭の中で「鼻歌」風(ふう)に歌っていた。

 

帰って部屋でテレビをつけると、日産自動車の前会長だったゴーン氏が保釈されて東京拘置所から出る様子が映っていた。

 

工事用のベストをつけた作業着に青い帽子、マスク。

 

いつもならその姿を見て、想像を逞(たくま)しくしてあれこれ考えるのだが、今夜はただ、その「面白さ」に笑っただけだった。

 

同じような人が多いのか? ネットでは「変装」というより「コスプレ」なんて言い方も(笑)

(タイヘンな思いをされているご本人には失礼で申し訳ないが)

 

こんな春の夜。

 

タンゴといえば、小学6年生の時、わたしは1学期だけ放送委員というのをやったのだが、わたしが下校時に流す音楽は必ず、タンゴの「碧空(あおぞら)」だった。

 

最初この曲を選んで流したのは、曲名が難しくて読めなかったので、「どんなんだろ?」と思ったからだった。

 

ところが、かけて見ると、子ども心にも「うわー・・・これまで聞いた曲で1番の名曲だー(?)」と感動。

以来、わたしが当番の時は、必ずこの曲をかけた。

 

今でもわたしはこの曲が大好きで、その延長でコンチネンタルタンゴをよく聞くようになった。

 

・・・小学生の頃といえば、「初恋」の思い出も。(春やなー(笑))

 

わたしの初恋は小学5年生からだった。

 

5年生になった最初、席を決めるときに隣になった女の子が「初恋」の相手だった。

 

席が決まった日の午後の休憩時間、他のクラスから数人のガキ(同級生)どもが来て、その女の子の隣に座っているわたしに向かって

「わー、○○クン○○子の隣に座ってる~、スケベ~」

とはやしたてる。

 

「え?スケベ?ナニそれ?」

そのときわたしは「スケベ」の意味がわからなかったので、隣に座っているその○○子ちゃんに聞いた。

 

「みんながボクのことスケベ、スケベって言うんだけど、どういうこと?」

すると○○子ちゃんはメモ用紙のようなものを取り出して、それに「助平」と書いてくれた。

わたしは、それをしばらく見ていたが、

「あ、なるほど。これをスケベイ、と読むんだね」

と、納得?した。(ほんとうは意味不明で「?」のまま)

 

ガキどもはわたしが「無反応(キョトンとしていた)」なので、つまらなそうに自分たちの教室に帰っていった。

 

わたしが最初、ふつうの女の子としか思っていなかった(雰囲気が柔らかいので)その○○子ちゃんこそが、その小学校(というか同学年で)で、ナンバーワンのモテモテ子というか、全男子児童のあこがれの的だったのだ。

 

わたしにもそのことが段々と分かってくる。

 

いわゆるカワイ子ちゃんタイプではないが、勉強、スポーツ、図画工作、習字、その他もろもろ、何をやらせても抜群。

もちろん成績表は完全無欠のオール5(本人はそんなことひと言もいわないが、先生が公言していたからね)。

それでいて、威張ったりそれを誇るようなことも無く、本人はいたって控えめでおとなしい。

 

ちょっと「格」が違う、という感じだったのだ。

 

いやあ、本来のわたしの性格からすれば、そういう女性(女の子)に初恋とはいえ、「恋心」を抱くことなどないのだが(・・・劣等感が先にたつ)、

その子が実にわたしに親切だった。。

 

ナンデとくに優秀でもないわたしにそんなに親切にしてくれるのだ?

と不思議だったが、わたしもそれに「甘えて」?学校に行くのが楽しくなっていった(学校に行くと彼女に会えるから←いわずもがな)

 

しかし、わたしが彼女に「好意」を示すことはなかった。

心の奥底では初恋心(?)を抱いていながらも、なにせ、すべての面でその子に劣っている、という根深い劣等感に襲われていたからだ。

 

それでも彼女はそこはかとなくわたしにやさしかった。

 

わたしは小学校での「工作」が大の苦手で、あるとき「籠(かご)」を作る授業の時、途中で行き詰まってしまい、「うぎゃー」となっていたのだが、

そのときも、隣から無言でそっと手を出して、わたしが行き詰まっている部分をやってくれたりした。

 

彼女にはそのようにけっこう助けられることが多かったのだが、わたしにとっては、それはありがたいと言うより、劣等感を積み重ねるものでしかなかった。

 

ということで、心とはうらはらにわたしは彼女と距離をとっているつもりでいたのだが、なにせ、彼女がわたしに特に親切にしてくれるものだから、いつしか周囲からは「カップル」のように見られるようになっていった。

 

が、 

これが、またタイヘン。

 

彼女とは、6年次も同じクラスになったのだが、彼女のわたしへの親切、好意は変わらず、席替えの時、女の子に好きな男子の隣に行きなさいなんてやったときも、彼女はわたしを選ぶし、それぞれが友達の家でクリスマス会などをやるときも、他のグループの誘いを断って、わたしのグループに来てくれる。

 

ということで、どうしても周囲から「カップル」と見られてしまうのだが、

 

小学生とはいえ、周囲からの「嫉妬心」は当然、ある(笑)

 

小学校卒業前のときに、はやりオール5じゃないかと言われていた、勉強、スポーツともに優秀な男の子から「決闘状」を突きつけられたときは驚いた。

「は?」

てなもんで。

 

わたしが「逃げ回って」事なきを得たが、その男の子は幼稚園のときから(?)その子のことが好きだったらしい。

 

中学校に入ってからは、彼女と一度も同じクラスになることは無く、どういうわけか三年間最も遠いクラスに「分離」されたため(9クラスほどあった)、疎遠になってしまったのだが、

 

それでも、別の小学校出身の、やはり成績優秀な生徒が、わたしの悪口を言いふらしている、と部活の後輩から聞いたときは驚いた。

その生徒とは一度も同じクラスになったことがなく、口もきいたことが無かったからだ。

彼は、二年間ほど彼女と同じクラスだった・・・

 

その頃のわたしは全然気がつかなかったのだが、わたしに対する嫉妬というか憎しみは潜在的にずいぶんあったらしい。

 

40歳を過ぎて旧友同士で1泊旅行したとき、もう結婚して子どもも3人いる、それまで親友と思っていた同級生に

「小中学生の時、実は、○○(苗字)○○子ちゃんにあこがれていて、わたしを憎んでいた」

と告白?されたときは、さすがに驚いたものだった。(へー・・・・・

 

子どもの世界も実にオソロシイ・・・(笑)

 

けっきょく、高校が遠く離れた別々のところになって、彼女とはそれっきりになってしまったが、

それにしても、なぜ彼女は、(サエナイ)わたしのような男の子にそれほど親切にしてくれたのか?

 

その謎が解けたのは、大人になってからの母との会話によってだった。

 

わたしの父が四国の鉱山で火薬を扱う仕事をしていたことは前の日記にも書いた。

 

しかし、そこでの仕事は相当キツかったようで(後に父は「頭と神経を使いすぎる仕事がいちばんカラダに悪い」なんて言っていた)、父は胃潰瘍を患って同じ系列の建設会社に移って、家が一軒空いていた母方の実家のある町に住んだ。

 

そのとき父は、自分はもうダメだと思っていて、遺書なども書いていたようだが、

その町に住んでいた○○さんという人のお兄さんが、当時その県で最も大きい病院の外科部長をしていて、名医として評判が高かったので、

 

母がわたしの手を引いて、父をその人に見てもらうよう○○さんのお家にお願いに行ったらしい(わたしは覚えていない)。

 

それで、診察を受けたのだが、そのお医者さんは弱音を吐く父に

「こんな小さな子どもがいるんだから死ぬわけにはいかんでしょう」

と励まして、自ら手術してくれたらしい。

 

結果、父は全快して仕事にも復帰できたわけだけど、

そのときお願いに行った○○さんというのが、その○○子ちゃんのお父さん。

したがって、父を手術してくれたお医者さんは、○○子ちゃんの伯父さんということになる。

 

わたしは子ども時代、そのことをまったく知らなかったわけだけど、どうも○○子ちゃんはそのことを知っていて、それでわたしに好意をもって親切にしてくれていたようなのだ。

 

そう考えれば、納得(笑)

でも、がっかりした、というより、それでかえってわたしの彼女に対する「神さま度」は上がった。

やはり彼女はわたしの永遠の初恋の「女神」なのだ(笑)

 

ただ、わたしが気になっているのが、

「どんな立派な男が彼女の夫になるのだろう」

と思っていた彼女の結婚相手が、風の噂によると、案外、それほどの人ではない、ということだ。

その後、旦那さんが病気がちで、けっこう苦労している、とも聞いた(噂)。

 

それを聞いて

「あれ?ひょっとしてわたしにも可能性があったのかな?」

なんて首をひねったりしたが、

 

むむ・・・彼女が「だめんず」※といえば失礼だが、必ずしも超エリート的な男と結婚しなかったのは、わたしにも少し責任があるのかもしれない・・・

と思って、複雑な気持ちになった。

 

小学校の時、わたしみたいな「おちこぼれ」と親しくしてしまったものだから・・・(

        f:id:hibi333zakkan:20190307040942j:plain になっちゃった?

        嗚呼・・・?

 

今なら「あんな子と親しくしてはいけません」と親が言うだろうし、子どももドライなものだろうけど・・・

 

いやあ、だから、やはり○○子ちゃんは、最高の女子なのだ。

わたしの永遠の神さまなのだ。

 

世間の価値基準など何になろう。

 

わたしは陰ながら彼女の「ほんとうの」幸せを祈っている。

 

 

ああ、いい夜だなあ・・・(笑)

 

 

 

 

※ 「だめんず」という言葉は、倉田真由美氏による漫画作品「だめんず・うぉ~か~」から。

だめんず → ダメな男ばかりを好きになってしまうような女性のこと。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

いま「碧空」のスタンダードになっているアルフレッド・ハウゼ楽団の演奏を聞くたびに、わたしが小学生の時にかけていたのと「ちょっと違うんじゃ?・・・」と思っていたら、

youtubeにその当時のレコードのジャケットが!

 

バルナバス・フォン・ゲッツィ楽団!だった!(当時、すでに相当古いレコードという感じだったもんなあ・・・)

 

ルフレッド・ハウゼ楽団の華麗な演奏に比べると素朴だけれど、今聞いてもグッと胸に迫るものがあります。

[http://:title]                (kenones12さんより)

 それにしても、こちらの動画というか画像がベタ、というかスバラしすぎる(^^;)

 

有難うございます。古い曲(演奏)が全然古く感じられなくなるというか、感動が増しました。

 

こちらも

[http://:title]                                                         (eri3musashiさんより)

わたしは「小雨降る径」は「演奏」中心で、あまり歌詞つきのものは聞かないのだけれど、菅原洋一さんの「歌唱力」があまりにも素晴らしいのでお借りしました。

あと金子由香利さんのものもいいですねえ・・・

 

 

長くなってしまいました・・・

 

さて、今日は菅原洋一さんの「小雨降る径」を聞いて眠ろうかな。

(「碧空」を聞くと、あれこれ思い出して眠れなくなりそうだから・・・(笑))

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 





 

最近、「狂い咲き」が多いようだ

と、何回かこの日記で書いた。

 

今年1月の中旬頃だったか、キレイに剪定、というか刈り込まれた植木にこんな赤いものがぽつんとひとつだけついているのに気がついた。

f:id:hibi333zakkan:20190302010216j:plain たったひとつだけ赤いものが・・・

 

この植え込みは結構な長さがあるのだが、「花」?らしいものはこれだけだった。

 

狂い咲きにしては、たったひとつしかない、というのが「異様」で、誰かが造花でもくっつけたんじゃないか?と思ったくらいだった。

 

今日、同じところを通ると、木の枝がけっこう伸びていて、花のつぼみをいっぱいつけていた。

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ちらほらと咲いているものもあって、それを見ると、1月に見た花と同じ種類のもののようだ。

 

そうすると、やはりあれは狂い咲きの花だったわけで、

 

なんだかとても貴重なものを見た気になる。

 

「一輪(いちりん)だけの狂い咲き」   ・・・うーん。。。。。。。

 

その後、幸いに何事も無く、後継の花たちが次々とつぼみをつけているわけで、それを見ると春が着実にやってきていることを実感できる。

 

・・・

やれやれ、やっと電気代の心配をしないでいられる季節が来てくれたか・・・

(貧しき庶民じゃないとわからないよね、この気持ち(笑))

 

 

夜、部屋に帰って、何日ぶりかでアルジャジーラの英語放送を見る。

 

「あれ?字幕が出ていない・・・」

 

耳で聞くだけでは3分の1も理解できないので、目は自然と視聴者の書き込みが次々と現われるチャットの方へ。

 

ニュースの内容と関係のないものが多い(笑)が、どれもシンプルで読みやすい。

 

やはりここにも「工作員」のような人たちはいるのだろうが、意見は多彩で、(邪心のない)率直なものが多く、

日本のように、ネトウヨと呼ばれる工作員が一方的に大量の悪意の攻撃を仕掛けたり、というようなことは無いので、そういう点では安心感がある。

 

いまテレビなどすべての日本のマスメディアが「交渉決裂」と、まったく一様な煽り報道をしている「米朝首脳会談」も、外国のニュースでは冷静な扱い。

 

チャットのほうは、米朝交渉よりも、「社会主義」か「資本主義」か、のほうに関心があるようで、

「オレはアンチ社会主義だ」

とか

「自分は反共産主義だ」

などというのもあれば

「わたしはコミュニスト共産主義者)だ!」

とそれに反応するものもあったりして、けっこう面白い。

 

印象に残ったのは

社会主義は資本主義だ」

という書き込みがあって、その意見に同調する人が何人かいたこと。

 

これは、なかなか日本ではお目にかかれない意見で、中東などの外国ならではの意見かも。

 

社会主義」や「共産主義」に対する認識が、日本人と外国の人たちが微妙に違っていることがよくわかる。

 

あと、外国のニュースにおける日本の存在は限りなく小さい(少ない)ヽ(°。°)

 

今晩アルジャジーラで見た日本関連の「情報」?といえば、「NIKKEI平均」と「YEN」の相場くらいなもの(笑)

韓国のムン大統領と韓国での(日本に対する独立運動の)記念日集会の扱いは大きかったんだけどねえ(笑)

 

外国にカネをばら撒いている割には、日本の安倍首相は世界の人民には人気もなければ期待もされていない、と(笑)

まあ、「存在感がない」のがせめてもの救い、といったところか・・・(日本のウヨは特殊だからなァ。正体が見えれば世界からの「鼻つまみ者」になるんじゃないかとわたしは心配しているわけで・・・)

(安倍首相に限らず、今の日本の政治家で世界の人民に期待(あるいは「好感」)を抱かせるような人はいないねえ・・・。)

 

 

ともあれ、三寒四温(さんかんしおん)

少しづつ暖かくなってきていることが、実感できる。

 

もうすぐ春(は~る)ですね~♪ (トシがわかるなあ・・・(^^;))

 

 

もう大きな災害の来ないことを、祈ろう。

 

 

 

追記:

アルジャジーラの英語字幕は英語以外の言語にだけでした。(あたりまえのこと))

 

それにしても、アルジャジーラと日本の(民放は仕方ないとしても)公共放送?であるNHKとの差はナニ?

NHKはメチャクチャ見劣りするんだけど。

 

 

 

あんまり事実、真実を隠蔽したりフェイクニュースを垂れ流していると「神さま」の怒りを買うかも(日本政府も(笑))。

事実、真実は神さまに属していますからね。(宗教的?に言えば)

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事実、真実を隠すメディアと政府がディザスター(災害)を招く、と・・・(笑) 

 

もし災害が来たら政府とメディアのせいですよ~ (笑     えない)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

四日ほど前、図書館に本を返す途中、

とあるお家(うち)の庭先にある桜の木が、ぽそぽそという感じで花をつけているのを見つけた。

f:id:hibi333zakkan:20190218220058j:plain この時期に、こんな花のつけ方をしているのは珍しい。

なんだか桜の木が焦っているよう?

 

そういえば、去年の秋から今年にかけて公園や歩道の植え込みなどで、「狂い咲き」した花を結構見かけた。

f:id:hibi333zakkan:20190218220552j:plain 去年の年末に公園で発見した「狂い咲き」のツツジ。(2018年12月28日の日記参照)

久しぶりにその公園に行ってみたら、なぜか「木」自体が無くなっていた!

WHY?・・・

(モーニング・・・の奥さんが天国に持っていかれたのならいいのだけれど(^^))

 

ともあれ、「狂い咲き」が目立つというのは何か「災害」の予兆のようで気味が悪い。

 

わたしもヘルメットと予備の食料、水くらいは備えておこうかな?

 

災害といえば、2011年の東日本大震災のとき、このビルの屋上にある避雷針が、揺れが収まってからも、何かに引っぱられているかのように左右に大きく振動していたのを憶(おぼ)えている。

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あれも不思議な光景だった。

 

それにしても、1995年の阪神大震災以降の、この国が災害に見舞われる確率は異常だと思う。

 

もういい加減に安定した状態に戻ってほしいものだ。

 

1995年の阪神大震災のときの首相が社会党村山富市氏で、2011年の東日本大震災時の首相が民主党管直人氏というのも非常にいやな気持ちがする。

災害のたびにこの国の民主主義が後退していっている、と感じているのはわたしだけではないだろう。

 

この「いやな感じ」に拍車をかけているのが、日本の政界・官界・経済界・マスメディアという日本の「支配」層。

彼らには国民に対する「誠意」というものが欠落している(と、わたしには感じられる)。

 

とくに官僚とメディアには、

たとえば津波が10キロメートル先に迫っていても国民に知らせず(報道せず)、津波が襲ってしばらくたってから「報道する」ようなことをやるんじゃないか?

というくらいの不信感を持っている。

(ex.福島第一原発事故での一連の「報道統制」)

 

政・官・財・メディアが国民に対して不誠実であれば、われわれ国民はなすすべがない。

 

 

 ということで、(彼らから見ての)愚かなる庶民であるわたしは、最近「占い」に凝りはじめた。

 

笑わば笑え(笑)

 

そういった日本の「お上」連中より、占いや直感のほうが頼りになるんじゃないか?と思ったからだ。(迷信はそこ(目隠しされた庶民の支配者に対する不信)から始まる?のかも)

 

ところで、この「魔方陣

 

          4 - 9 - 2

          |\  |  /|

          3 - 5 - 7

          |/  |  \|

          8 - 1 - 6

 

               ↑

             「九宮魔方陣」といって、これが易占いや九星占星術などの東洋の占いの基本になっているそうな。

 

数字で説明されれば、とても「科学的」に思えて信用してしまうのは、「文系」の弱いところだ(笑)

 

ただ、この魔方陣には多少なりとも不思議なものがあるのか、これを初めて見た日の夜、わたしはこの「魔方陣」の中に閉じ込められた夢(悪夢に近かった)を見た。

(四方八方を火(大火)に囲まれ、人々が火の塊のようになって焼け死んでいく、という場面もあった・・・)

 

ということで、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」。

 

読み始めた「易」の本の前半をすっ飛ばして、拙(つたな)くも、試しに「この国」の今年の「運命」を占って見た。

 

すると、

出た「卦」が、 [大過]。

 

易経の本来の専門的な解釈はいざ知らず(まだ「爻辞」はよくわからないので「卦辞」だけで判断)、わたしには「大過」というのは「大きな過ち」という意味にしか受け取れない。

 

「お、当たっているではないか!」?(笑)

 

これはまた、いまの日本の支配層(政・官・財・メディア)が日本の「運命」を背負うには荷が重過ぎる、という意味にも取れるのかもしれない。

 

なるほど。

 

しかし、もしこれが当たっているとしても、われわれ庶民にはどうすることもできない。

 

状況を変えることはできない。

つまりわれわれの運命に変化は無い、ということだ。

 

まあ、占いとはそういうものなのだろう。

 

自分の力ではどうすることもできない逃れられぬ運命を知ってしまうというのは、かえって酷いことなのかもしれない。※

 

ということで、

ヘルメット、非常用食料、保存用の水、そして、夜眠るときは、いつ外に飛び出してもいい服装で寝る・・・と。(笑)

今年一年はその体勢で暮らそうかな。

(素人考えでは不十分なので、災害対策専門の人が書いた本も読まなくてはいけないだろう)

 

・・・それにしても、こんなに「用心」と「警戒」と「準備」が必要な時代が来るとは、若いときには考えたこともなかったなあ・・・

 

 

((^^;)よく考えたら、ど素人であるわたしの「占い」、判断、が当たる可能性も、限りなく小さいわけで・・・(笑)

ま、あとは各自のお考えと第六感で。過剰な不安感など不都合の無いよう、ヨロシクお願い致します。)

 

 

 

(※ では、この世界で自分が「絶望的な運命」に置かれているあるいは定められていることを知ったとき、その運命を変えるためにはどうすればいいか?

 

そのときは「革命」しかないですよね。

 

英国での一連の革命や、フランス革命、最近では「マルクス主義?」による革命運動の影響などもあって、日本人にとって「革命」といえば西洋のものという印象が強いのですが、「革命」はもともと東洋(古代中国)発祥(はっしょう)の思想ですよ。

 

古来、日本の支配者は「東洋思想」からその「革命」の部分だけ「抜いて」、なんとか上手くここまでやってきたわけですけどね。

 

しかし、江戸時代までは「民」に配慮しつつ、それでやってこれましたけど、(「徳川」政府はある意味「社会主義」政権です)、明治以降、なかんずく、一握りの資本家が全人類の運命を握ろうとしている現代においては、事情は一変しているわけで・・・

 

いかな日本人でも「人間」である以上、「革命」の問題は避けて通れない課題となってくるのではないか?

とわたしは考えています。(ex.「生存権革命」) )

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日の天気予報のような大雪にはならなかったけれど、

 

雪はたしかに降った。 (^^)

わたしが外に出たのは夕方近くで雪は止んでいたのだが、

近所の公園の植え込みには白い花か実のように

f:id:hibi333zakkan:20190209184257j:plain 雪が残っている。

そして、歩いていると、暗く曇った空からちらちらと降ってきた。

 

昨日の「降る雪や ~」そのもの \(^^)/

 

 

ところで、昨日の日記では東洋大学、ひいては日本の大学の現状を嘆いた。

 

しかし、それに似たというか、ある意味よりがっかりする事例が発生していた。

それは、

東洋大学ならぬテレビ朝日

 

古館氏時代の報道ステーションで存在感を発揮していた小川彩佳さんがテレビ朝日を退社するという。

 

古館氏が去った(逃げた?)あとの報道ステーションを見ていて、どうも会社によって「浮か」されていることは、それとなくわかっていたのだが、LITERAさんからの配信を見ると、相当の悪意で退社に追い込まれたようだ。

 

東洋大学の学生さんは「退学」の「脅し」だったわけだが、こちらはテレビ朝日のトップ以下、幹部、社員ぐるみの陰湿ないじめによって退社に追い込まれたようだ。

 

退社にいたる経緯を見ると、たちの悪い会社がやる「いびり出し」そのもの。

 

わたしは相当前から、テレビ朝日の社員ははネトウヨばかりだなあ、と思っていたのだが、今回の事例は、この会社自体のもつ体質の悪さも、もろに露呈した。

 

『(メディアが期待されていることは)~ 埋もれている事実を浮き彫りにする。そして時に、声をなかなかあげることができない人の立場にたち、寄り添うということでもあるんじゃないか、と個人的には思っています』

            (最後に「個人的には」と付け加えているところに注目) 

 

と(去年2月の?)会社のブログに書いた小川彩佳さんが、

かつて朝のワイドショーや夕方の「報道」番組で、「生活保護バッシング」「貧者バッシング」の先頭に立っていたテレビ朝日によっていじめを受け、追われた。

 

しかも、トップの早河洋(会長?)をはじめとしたテレビ朝日幹部によって。

 

まず、朝のワイドショーで生活保護バッシングや庶民イジメの報道をもっぱらにしていた桐永洋プロデューサーを報道ステーションのプロデューサーにして、周りもネトウヨばかりで固めて小川彩佳キャスターを「浮か」せ、その個性を殺す。

 

この時点で、いち社員、いち個人である小川さんは何もできなくなったわけだが、さらにその「いびり出し」を加速させてしまったのは、

・・・

このとき、悩んだ小川さんが田原総一郎氏にその「悩み」を相談してしまったことだ、と思う。

 

若いから、人を見る目がないのは仕方ない。

 

わたし(のようないろんな経験をした年配者)には、こういう(田原氏のような)人間はもっとも近寄ってはならないタイプだ、とわかるのだが、

若くても、すでに表面に現れていた田原氏の「変節」ぶりを見ていれば、この人がどういう人か、判断できる可能性もあったのに、と思うと気の毒でならない。

 

テレビ業界に巣食うダニ、とまではいわないが、ここまで田原氏が生き残ってきた経緯を見ると、「どういうこと」をやってきたか、どういう人間か、想像することは容易ではないだろうか?

 

この田原氏と早河洋氏(会長)と桐永洋氏(報道ステーションプロデューサー)ら幹部の間でどんな「話」がされたか?

(田原氏の娘もコネ?(あり)入社したテレビ朝日でたいした「勢威」らしい・・・)

 

それは、その後の彼女への「しうち」「処遇」が物語っているだろう。

 

トップ以下体質の悪い(わたしには倫理感も人間性もない「ヒヒ」野郎に見える)幹部の揃った会社、そしてネトウヨなみの、やはりまともな人間性も理性もないようなのが大勢を占める社員たち。

 

そこには人間性、人間としての「想像力」もなく、(そういった誠実なるものは陰湿に排撃される)、あるのは胸の悪くなるような偽善と保身、そして「高給」と「社会的地位」からくる「おごり」意識ばかり。

テレビ朝日の若造も含めた社員たちの「上から目線」意識には吐き気を覚える)

 

そんなところで「いじめ」ぬかれた彼女の苦労、辛さ、悲しさはいかばかりのものであったか?

 

ここで「退社」したのは正解だったろう。

 

テレビ朝日という会社は誠実な人間、まともな正義感のある人、本当のやさしさ、思いやりを持った人のいるところではなかったのだ。

 

アベま?何とかというネトウヨ部門に回され、ネトウヨ社員ばかりか、札付きのネトウヨコメンテーター、エセ文化人ばかりの番組で、いじられまくった彼女にトラウマが残らないか、が心配だが、

 

「あなたは正しかったのだ」「あなたこそがまともな人間なのだ。人間の心を失わなかった人なのだ」「テレビ朝日という悪の巣窟から逃れ出ることができたのはむしろ幸運だったのだ」

 

「これからも自分の信じた道を自分を大切にしつつ進んでいってください」

「理性ある人たちはみんなあなたの味方ですよ」

 

という言葉を贈ろう。

 

どうかお幸せに V(^^)V「思いやり」人間である貴女なら大丈夫でしょう。

 

わたしは小川キャスターが降板してからの「報道ステーション」は一度も見ていない。

チャンネル変換のときちらりと見るだけでも吐き気がする。

 

それにしても、「メディア悪」・・・

 

悪党や偽善屋、ネトウヨみたいな痴れ者ばかりのこの国のメディアは困ったものだ。

テレビ朝日の悪質さは他の局の体質をも示唆しているだろう。

 

メディア業界にも、「悪事」「迫害」「抑圧」にさらされつつ、それに耐え忍んでいる、人間的、良心的な人はまだ残っているだろうと思う。

 

そういう人たちの苦労、受難を思うと胸が痛む。

 

とにかく、この国のメディア幹部たちが「悪党」ばかりであることは間違いないようだ。

 

ま、本日の最後は

 “くたばれテレビ朝日ネトウヨ、悪党ども!”

という言葉で締めくくろう \(^0^)/

 

 

さて・・・気を静めるために、コーヒーとタバコ(笑)

f:id:hibi333zakkan:20180613063941j:plain    ← (笑)